さらば愛しきアウトロー

監督:デビッド・ロウリー
出演:ロバート・レッドフォード、ケイシー・アフレック、ダニー・グローバー、チカ・サンプター、トム・ウェイツ、シシー・スペイセク、イザイア・ウィットロック・Jr.、ジョン・デビッド・ワシントン、キース・キャラダイン
原題:The Old Man & the Gun
制作:アメリカ/2018
URL:https://longride.jp/saraba/
場所:Movixさいたま

俳優と云う職業は仕事の履歴が映像として残るので、歳を重ねるとともに、ビジュアルとしては肌の張りや皺の多さや頭髪が変わって行くことがはっきりと確認できると同時に、演技の幅が膨らんで行く過程を時系列で追って確認できてしまうところがスゴイことだとおもう。『さらば愛しきアウトロー』のロバート・レッドフォードも、82歳になって皺くちゃの顔をスクリーンにさらけ出しながら、若い頃から銀行強盗と刑務所脱獄を繰り返す実在の人物フォレスト・タッカーを演じて、まるで2人の人生がシンクロして見えてくるように作られているところが映画として巧かった。フォレスト・タッカーの犯罪の歴史を振り返るシーンは、VFXを使って若返ったロバート・レッドフォードが演じているので、そこは『明日に向って撃て!』『スティング』『大統領の陰謀』と彼のフィルモグラフィーを追っかけているような錯覚に陥ってしまった。

まあ、それを云ってしまえば、映画の冒頭からロバート・レッドフォードとシシー・スペイセクの会話からはじまるので、そこですでに彼らの皺の数とともに、ここまで歩んできた膨大な映画の数々がフラッシュバックしてしまっていたのだけれど。老いさらばえた姿を大きなスクリーンに堂々と露出できるのは、自分が成長してきた証をフィルムとして残せているからなんだとおもう。素晴らしい職業だ。

→デビッド・ロウリー→ロバート・レッドフォード→アメリカ/2018→Movixさいたま→★★★★

COLD WAR あの歌、2つの心

監督:パベウ・パブリコフスキ
出演:ヨアンナ・クーリグ、トマシュ・コット、ボリス・シィツ、アガタ・クレシャ、セドリック・カーン、ジャンヌ・バリバール、アダム・フェレンツィ、アダム・ボロノビチ
原題:Zimna wojna
制作:ポーランド、イギリス、フランス/2018
URL:https://coldwar-movie.jp
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

ポーランド映画で初のアカデミー外国語映画賞に輝いた『イーダ』を撮ったパベウ・パブリコフスキ監督の新作。でも残念ながら『イーダ』は観る機会を逃したままで、パブリコフスキ監督の映画は2011年の『イリュージョン』に続いて2作目。

ロマン・ポランスキー監督の『水の中のナイフ』を見たときに、そのモノクロ映画の白と黒がクッキリとしたコントラスト強めの画調にすっかりと魅了されてしまった。それはアンジェイ・ワイダでも感じるし、もちろんタル・ベーラでも感じることだった。東欧の映画監督はどうしてこんなにも白と黒をキレイに扱えるんだろうなあ、と感じていたところにパベウ・パブリコフスキ監督の『イーダ』の予告編が来て、また東欧の監督に白黒の上手い使い手が現れた! と喜んでいたのに、なぜか見逃してしまった。

『COLD WAR あの歌、2つの心』の白黒画像もやはりコントラストがはっきりとした綺麗な映画だった。映画のはじまりに、ポーランド各地に当地の民謡を採録して行くシーンがあって、合唱をする人たちの着ている民族衣装がモノクロでありながらもカラーで見せるきらびやかさとはまた違った、情報量をグレートーンの中に押し込めたからこそ人間の視覚に訴えかける美しさがあった。この映画の導入部から、その美しさに参ってしまった。

そしてタイトルの『COLD WAR』からもわかるように西側と東側が分断されていた冷戦時代のストーリーは、コントラストのはっきりとしたモノクロだからこそ見せる切ない情感が、離れ離れになる男と女のセンチメンタリズムにぴったりだった。ちょっとマーティン・リット監督の『寒い国から帰ったスパイ』をおもい出してしまった。それにしても、女はたとえ障害があっても飄々としてうまく立ち回る力強さを兼ね備えているけれど、男はそんな女によってボロボロにされてしまう芯の弱さがあるなあ。

→パベウ・パブリコフスキ→ヨアンナ・クーリグ→ポーランド、イギリス、フランス/2018→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆

監督:ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ
出演:
原題:The Atomic Cafe
制作:アメリカ/1982
URL:
場所:被爆者の声をうけつぐ映画祭、武蔵大学

2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波によって福島第一原子力発電所の電源がすべて失われた。そのために原子炉内部への注水が不可能となって炉心溶融(メルトダウン)を引き起こし、1・3・4号機は水素爆発を起こした結果、大量の放射性物質が大気中に放出される事態になった。その放射性物質がどちらに向かうのか、その時の風向きがどっちなのか、一般の我々にはメルトダウンも含めてすぐには公表されなかった。だから、東京も危ないんじゃないのか? なんて憶測が乱れ飛び、さらにはアメリカ政府が日本に住むアメリカ人を本国に帰国させる手段を取ったものだから、ますます緊張感が増す事態になったことを今でも覚えている。

このアメリカ政府が取った行動は、ぐずぐずしている日本政府にくらべて迅速さが際立っていた点と、ちょっと反応が過剰すぎるんじゃないのかとおもわせる点の、2つの複雑な感情が入り混じったこともはっきりと覚えている。

ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティの3人による『アトミック・カフェ』は、自分たちが開発した原子爆弾のすさまじい威力を広島、長崎で目の当たりにしたことから、かえってその恐怖に取り憑かれてしまったアメリカ人の歴史を、記録フィルムやニュース映像などをコラージュさせて描いたドキュメンタリーだった。原子爆弾が落とされた時の退避方法を練習する人びとや、核シェルターの有効性を論議する人たちなど、得体の知れない恐怖に対応しようとする人びとの行動が、バックに流れるポップな音楽とともに笑えるし、もの悲しいし、放射能に対する無知さにも恐怖する映画でもあった。

なるほど、福島第一原子力発電所の事故で取ったアメリカ政府の行動は、この『アトミック・カフェ』で描かれる人びとの延長線上にあった。もし『アトミック・カフェ』に追加すべき映像があるとすると、福島第一原子力発電所事故のときのアメリカ政府の用意した専用機にあたふたと乗り込むアメリカ人家族たちなんじゃないかと勝手に想像してしまった。この地球上から核を廃絶しない限り、見えない恐怖に右往左往する哀れな人間の行動が『アトミック・カフェ』に追加されて行くだけだなあ。

→ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ→→アメリカ/1982→被爆者の声をうけつぐ映画祭、武蔵大学→★★★☆

主戦場

監督:ミキ・デザキ
出演:トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、吉見義明、渡辺美奈、加瀬英明
原題:Shusenjo The Main Battleground of the Comfort Women Issue
制作:ノーマン・プロダクション/2019
URL:http://www.shusenjo.jp
場所:シアター・イメージフォーラム

過去の歴史の中で起きた出来事は、そのことについての信頼のおける記録が無いかぎりは、数年前のことでさえすぐに事実が不透明になってしまう。なので、第二次世界大戦中に起きた慰安婦の問題については、それがあったのかなかったのか、あったとしたらどんな実態でおこなわれていたのかは、正確な記録が出てこない限り、そこに議論の焦点を持っていってもしょうがない気がする。ただ、慰安婦であったことを証言する人が数多く現れている以上は、慰安婦にされた人がいたことは事実だろうし、それがたとえ韓国の家父長制からくるものであったとしても心情的には何かしらの補償をするべきだろうとはおもってしまう。でも、日韓の歴史上のわだかまりから来る双方の信頼関係の無さから、どんな補償を行ったとしても全員が納得することは難しいだろうけれど。

だから慰安婦問題を扱ったミキ・デザキ監督のドキュメンタリー『主戦場』を見ても、もやもやとした気持ちしか残らない。落とし所のない底なし沼を見ているようだった。しかし、その底なし沼の中にひとつだけはっきりしたことがあった。「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てない」の発言が代表的な、日本を特別な国と云い張っている人たちの、得意満面の勝ち誇ったような「顔」が大嫌いだ、と云うことだった。何か得体の知れないものに取り憑かれている顔に見えた。それがわかっただけでもこの映画を観た価値があった。

→ミキ・デザキ→トニー・マラーノ→ノーマン・プロダクション/2019→シアター・イメージフォーラム→★★★☆

きみと、波にのれたら

監督:湯浅政明
声:片寄涼太、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎
制作:「きみと、波にのれたら」製作委員会/2019
URL:https://kimi-nami.com
場所:109シネマズ木場

湯浅政明監督の新作は、前作の『夜明け告げるルーのうた』と同じような「海」をテーマにしたアニメーションではあるけれども、ラブストーリーとファンタジー要素を強めにしたことから、大ヒットを記録した新海誠監督のアニメーションを意識しているのかなあ、と云うのが第一印象だった。でもそこは湯浅政明監督のアニメーションなので、キャラクターのデフォルメが新海誠風ロマンティシズムを中和させてくれたので、『君の名は。』のようなこっ恥ずかしくっていたたまれなくなるような気持ちは起きなかった。ただ、『夜は短し歩けよ乙女』でも『夜明け告げるルーのうた』でも見せてくれた、めくるめく湯浅政明風絵巻とも云えるハチャメチャでダイナミックなアニメーションが抑えられていたのはちょっと寂しかった。

この映画を観たのが、公開から2週間経った木曜日の109シネマズ木場の19時10分の回。観客はたった3人だけだった。やっぱり『君の名は。』の亜流のように見られちゃったのかなあ。湯浅政明監督のアニメーションも大ヒットして欲しいなあ。

→湯浅政明→(声)片寄涼太→「きみと、波にのれたら」製作委員会/2019→109シネマズ木場→★★★☆

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

監督:マイケル・ドハティ
出演:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、ブラッドリー・ウィットフォード、渡辺謙、サリー・ホーキンス、チャールズ・ダンス、トーマス・ミドルディッチ、アイシャ・ハインズ、オシェア・ジャクソン・Jr、デヴィッド・ストラザーン、チャン・ツィイー
原題:Godzilla: King of the Monsters
制作:アメリカ/2019
URL:https://godzilla-movie.jp
場所:109シネマズ木場

ハリウッドで作られる「ゴジラ」映画も3作目になって、最初のローランド・エメリッヒ版から比べるとだいぶ見られる「ゴジラ」になったような気がするけれど、庵野の『シン・ゴジラ』を観てしまうと、ああやっぱり「ゴジラ」は日本人が作らないといけないなあ、とはおもってしまう。ハリウッド版「ゴジラ」のキャラクターがまだモンスターとしか捉えてないのに対して、庵野版「ゴジラ」には生物としてそうなってしまった哀しみ、憐れみが絶対的にそのベースにあるからなあ。そこは被爆国として譲れない線だ。

でも、伊福部昭の「ゴジラのテーマ」や古関裕而の「モスラの歌」が使われていたりすると、日本版ゴジラ・シリーズへのリスペクトがしっかりと感じられて鳥肌が立ってしまう。単なる安直なリメイクではないことは端々の細かな設定からもうかがえるのはやはり日本人としては嬉しい。

次は『ゴジラVSキングコング』かあ。「キングコング」はハリウッドが本家なわけだから、これは絶対に面白くなるぞ。

→マイケル・ドハティ→カイル・チャンドラー→アメリカ/2019→109シネマズ木場→★★★☆

アイアンホース

監督:ジョン・フォード
出演:ジョージ・オブライエン、マッジ・ベラミー、シリル・チャドウィック、フレッド・コーラー、グラディス・ヒューレット、J・ファレル・マクドナルド
原題:The Iron Horse
制作:アメリカ/1924
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

戦後のジョン・フォードの映画には、どの映画にも通底しているテーマやキャラクター造形があって、そのブレない共通した映画作りがジョン・フォードの映画を追っかけてやまない要因のひとつなんだろうとおもう。特に、『黄色いリボン』や『リオ・グランデの砦』のヴィクター・マクラグレンが象徴的な、酒好きでだらしないけど人が良くて憎めない軍曹、のようなキャラクターを必ず配置させるところが大好きで、彼らの出演部分を見るだけでもジョン・フォードの映画を見た気分になってしまう。おそらく、宮崎駿もこのキャラクター造形に影響を受けていて、『天空の城ラピュタ』のドーラの手下や『紅の豚』の空賊たちは絶対にジョン・フォードの影響だろうと想像できてしまう。

じゃあ、その共通したテーマやキャラクター造形がいつからはじまったのだろうかと考えたときに、驚いたことに1924年の『アイアンホース』の時点ですでにそれは完成されていた。家族愛、正義、男気、アイルランドへの郷愁や、酔いどれ軍曹のような憎めないキャラクターなど、ジョン・フォードが映画を撮り始めて、そして世間に認めらた時点でそのすべてがはじまっていたことには驚いた。

1937年の『ハリケーン』以降のジョン・フォードの映画は、そのほとんどを見ているので、ああ、もっとサイレント時代の映画を観たいなあ。

→ジョン・フォード→ジョージ・オブライエン→アメリカ/1924→アテネ・フランセ文化センター→★★★★

鄙(いなか)より都会へ

監督:ジャック・フォード(ジョン・フォード)
出演:ハリー・ケリー、モリー・マローン、L・M・ウェルズ
原題:Bucking Broadway
制作:アメリカ/1917
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

ジョン・フォードはいつも使う俳優を固定させていることで有名で、それは主役だけではなくて脇役でさえも同じ俳優を使っていて、その中にハリー・ケリー・ジュニアがいた。そのジュニアのお父さんも有名な俳優ハリー・ケリーで、ジョン・フォードがサイレント映画時代によく使っていたことは映画関係の書籍などで知っていた。しかし、自分が実際に見ることのできたハリー・ケリーは、フランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く』(1939)の上院議長役くらいで、もちろん主演映画を見たことはなかった。

『鄙より都会へ』でのハリー・ケリーの印象は、サイレント映画用のメイクをしているうえに肉声が無いので、いまの映画からすればだいぶ作られたイメージしか印象に残らないのだけれど、『スミス都へ行く』で見せた上院議長と云う公正な立場を崩さないながらも、正義を貫くジェームズ・スチュアートに温情を寄せざるを得ない男の笑顔とまったく同じ笑顔がこのサイレント映画にはあった。この真っ直ぐな性格を象徴するような屈託のない笑顔こそがハリー・ケリーの魅力のような気がする。

ジョン・フォードのサイレント映画でハリー・ケリーが主演をつとめた一連の「シャイアン・ハリーもの」をもっと観たいな。

→ジャック・フォード(ジョン・フォード)→ハリー・ケリー→アメリカ/1917→アテネ・フランセ文化センター→★★★

沈没家族 劇場版

監督:加納土
出演:加納土、加納穂子
制作:おじゃりやれフィルム/2018
URL:http://chinbotsu.com
場所:ポレポレ東中野

1995年当時シングルマザーだった加納土監督の母・加納穂子(当時23歳)は、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集する。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という考えのもとに集まった独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほどの中で加納土監督は育てられていく。それは「沈没家族」と命名されてテレビでも取り上げられて話題となった。

大きくなった加納土監督は、武蔵大学在学中の卒業作品として自身が育てられた「沈没家族」のドキュメンタリーを制作し、それを再編集して劇場版として公開した。

映画を観はじめた第一印象として、やはりそこにはイエスの方舟のようなエセ宗教的な胡散臭さや、ヤマギシ会のようなカルト的な押し付けがましさを感じてしまった。でも、そんなありふれた感情は一瞬のうちに氷解してしまった。加納土監督の母・加納穂子の考えは、もっと自由だったし、いい意味でも悪い意味でも適当だったし、単純に一人でやらなければならない子育てが面倒くさかっただけだったのかもしれない。頭の固い人たちはそんなところに無責任さを感じてしまうのだろうけど、母と子だけの閉ざされた環境での子育てで起きてしまういろいろな問題を見れば、そのような環境よりは「沈没家族」のほうが良いに決まっているような気がしてならない。

こんな「沈没家族」のような環境が、それぞれの自治体のコミュニティにもあったら児童虐待とかは減るんじゃないかと単純に考えてしまう。本当に、単純に、だけど。

→加納土→加納土→おじゃりやれフィルム/2018→ポレポレ東中野→★★★☆

ロスト ロスト ロスト

監督:ジョナス・メカス
出演:ジョナス・メカス、アドルファス・メカス
原題:Lost Lost Lost
制作:アメリカ/1976
URL:
場所:シアター・イメージフォーラム

もし生まれたときからの自分の目で見た映像をなにかしらの媒体に記録ができて、それをいつでも再生することができたとしたら、それは嬉しいことなのか、それとも辛いことなのか。ジョナス・メカスの『ロスト ロスト ロスト』を観てふとそんなことを考えていた。自分の記憶をたどる行為はノスタルジックでセンチメンタルな行為のような気もするけど、そこにには自分の良いように改変された記憶だからこその甘さがあって、そのものズバリの事実を突きつけられてしまったら感傷的な気持ちも和らいでしまうだろうなあ。

1949年から約20年間にわたるリトアニアからの難民としてニューヨークの生活を綴ったこのメカスの映画日記は、そこに編集作業と云う行為が加わることによって、自分の良いように改変された記憶と同じような甘さが加わって、やはりノスタルジックでセンチメンタルなものになっていた。映画のナレーションでメカス自身が「わたしをセンチメンタルだと言うがよい。あなたたちは自分の生まれた国にいる人達。わたしは異国なまりの英語をしゃべり、どこから流れてきたヤツだろうと思われている人間。これは、国を追われた誰かが撮っておいた映像とサウンドなのだ」(飯村昭子訳)と云っているんだから、もうそれはメカス自身のひとつの大きなテーマになっている。

いつも云っているように、センチメンタルな映画が大好きな自分にとってはたまらない映画ではあったのだけれど、ちょっと180分は長すぎて、後半はくたびれました。

→ジョナス・メカス→ジョナス・メカス→アメリカ/1976→シアター・イメージフォーラム→★★★☆