監督:トッド・ヘインズ
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン、コーリー・マイケル・スミス、パイパー・カーダ、D・W・モフェット
原題:May December
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/maydecember/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

1997年2月26日、小学校教師であったメアリー・ケイ・ルトーノーは小学6年生の教え子ヴィリ・フアラアウと関係を持ったことにより逮捕された。メアリーは児童レイプの罪を認めて服役し、約1年後の1998年1月1日に再犯の危険性は少ないと判断されて仮釈放される。しかしすぐさまその教え子と関係を持ったことがわかり、教え子には会わないという仮釈放の条件に違反したことから刑務所に戻される。その後、2004年8月4日に仮出所し、2005年5月20日にはその教え子ヴィリ・フアラアウと結婚することになる。

この事件をモチーフに作られた映画がトッド・ヘインズ監督の『メイ・ディセンバー ゆれる真実』だった。「メイ・ディセンバー」とは「親子ほど年の離れたカップル」を意味する。

この映画の脚本(サミー・バーチ)がすごいのは、単純に事件を時系列に追って行くのではなくて、少年だったジョー(チャールズ・メルトン)が36歳になっているところから映画がはじまっているところだった。この36歳と云う年齢は、13歳だったジョーが関係を持った年上の女性グレイシー(ジュリアン・ムーア)の当時の年齢だった。つまりこの映画は少年だったショーが36歳になり、年上の女性グレイシーが59歳になった時点での結婚生活を描いていた。

さらにこの映画を重層的にしているのは、ジョーとグレイシーの関係を映画化するにあたってグレイシー役を演じることになったエリザベス(ナタリー・ポートマン)が二人の家に取材に来ることも同時に描いている点だった。23歳も離れた年下の少年と関係を持ってしまうグレイシーと云う女性の内面を理解しようとする過程を、一人の女優の目を通して見ることによって、映画を観ている我々の理解への手助けにもなっている。

しかし、グレイシーと云う女性を理解するのは到底無理だった。36歳女性と13歳少年の間の恋愛だったのか、年上女性による小児性愛だったのか、トッド・ヘインズ監督も明確な解答を用意しているわけではなくて、エリザベスと云う女優が導き出した解答を描いているだけだった。

この時点での二人の結婚生活も形骸化しているように見えてしまって、それは普通の結婚にもよくある倦怠期なのか、それとも二人のあいだに恋愛関係があったと自分たちにも納得させるためだけの結婚だったのか、それもよくわからない。ただ、ジョーの表情が絶えず虚ろなことと、グレイシーが時折見せる精神的な不安定さは、最初からこの結婚生活には無理があったんじゃないかと想像することはできる。そして、いつまで経っても完成しない庭に建設中のプールも、あるべきピースが欠けている不安を象徴しているようにも見えてしまった。

最後、エリザベスは映画での演技へと向かうが、おそらくはグレイシーの内面を正確に演じることは無理だとおもう。それは取りも直さず、この映画でグレイシーを演じているジュリアン・ムーアにも云えてしまうのが、この映画の面白い部分だった。

もちろん、元の事件にインスパイアされたまったくのフィクション映画ではあるのだけれど、このような構造にすることによってまだ存命の関係者に配慮しているようにも見えて、そこがとても良かった。

→トッド・ヘインズ→ナタリー・ポートマン→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:代島治彦
出演:樋田毅、青木日照、二葉幸三、藤野豊、永嶋秀一郎、林勝昭、岩間輝生、吉岡由美子、大橋正明、臼田謙一、野崎泰志、岡本厚、冨樫一紀、石田英敬、池上彰、佐藤優、内田樹、鴻上尚史(以下、ドラマパート)望月歩、香川修平、高橋陸生、桝屋大河、相原滉平、石川真也、琴和、黒川大聖、黒澤風太、小林示謡、佐々木隼、高橋雅哉、谷風作、原田開、半田貴大、久門大起、峰岸航生、山崎一汰、渡辺芳博、佐藤拓之
制作:スコブル工房/2024
URL:http://gewalt-no-mori.com/#modal
場所:ユーロスペース

1972年(昭和47年)11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎(当時20歳)が革マル派によるリンチによって殺害された。この事件は学生運動の終焉期に起きた各党派間による「内ゲバ(内部ゲバルト)」と呼ばれる暴力抗争の一つだった。なぜ、このような「内ゲバ」が起きたのか? 当時の関係者による証言と鴻上尚史演出による川口大三郎が殺される再現ドラマによって検証を行ったのが代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』だった。

1972年当時、小学生だった自分にとって、あさま山荘事件のことはよく覚えている。それは教室にあったテレビで実況中継されてたからだった。でも、同時期に起きていた革マル派と中核派による暴力抗争のことは、たとえニュースを見ていたとしても、小学生ぐらいの知識では理解できていなかった。

こうやって、ドキュメンタリー映画などで当時の暴力的な学生運動のことを検証させられたとしても、子どものころと同様にやっぱり意味がわからなかった。もちろん根本的な学生運動である、たとえば学生自治を求める運動、反戦運動、反差別運動、学費値上げ反対運動などを行おうとする学生が出てきたことは理解できる。その運動を行う上で、考え方の違いが生まれて分派が出来てしまうのもわかる。でも掲げるイデオロギーが同じなのに、その方法に違いがある人たちを叩こうとする、しまいには殺そうとすることに何の意味があるのかさっぱりわからない。

この映画を観て、何が起きていたかの事実はよくわかった。ただ、残念なのは、革マル派、中核派の、もっと中枢にいた人物たちの「総括」みたいなものが無いとやっぱりその本質を理解することは難しい。刑務所に入っていたり、亡くなっていたり、逃亡中であったりと、それを行うのは大変だろうけれど。

→代島治彦→樋田毅→スコブル工房/2024→ユーロスペース→★★★

監督:マイケル・マン
出演:アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シェイリーン・ウッドリー、サラ・ガドン、ジャック・オコンネル、パトリック・デンプシー、ガブリエル・レオーネ
原題:Ferrari
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.ferrari-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創業者エンツォ・フェラーリを描くにあたって、監督のマイケル・マンは1957年のミッレミリアの公道自動車レースを彼の人生の大きな分岐点としてストーリーの中核に持ってきた。

1957年当時のエンツォ・フェラーリは、前年に長男のディーノを亡くしたことから妻ラウラとの間に亀裂が入り、戦時中からの付き合いである愛人リナ・ラルディのことが妻にばれて、そのリナ・ラルディとのあいだに生まれたピエロの認知問題もあって、私生活においてはのっぴきならない状況に追い込まれていた。さらに会社の経営面でも販売台数が伸び悩み、フォードかフィアットの支援を得なければならない状況に追い込まれていて、なんとしてでもレースで優勝してフェラーリの名を高めたかった。

このような負の事象が次々と重なってわだかまった結果、そのパワーがミッレミリアのレースへの過度な期待へと変換されて、アルフォンソ・デ・ポルターゴが運転するするフェラーリ335Sが公道脇で観戦していた子供5人を含む観客9人を巻き添えにする大事故へと大爆発して帰結するスムーズな映像表現はさすがマイケル・マンだった。アルフォンソ・デ・ポルターゴの遺体が真っ二つになって転がっている(事実そうだったらしい)いる映像はそのピークに位置させる衝撃的な映像として脳裏に焼き付くほどだった。

ただ、クルマ好きからすると、レースシーンはダメだったらしい。クルマ系YouTuberのウナ丼さんがそうXでつぶやいていた。

クルマが詳しくない自分からするとさっぱりわからなかったけれど。

→マイケル・マン→アダム・ドライバー→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ
原題:탑/Walk Up
制作:韓国/2022
URL:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
場所:シネマ・カリテ新宿

『WALK UP』はホン・サンスの『小説家の映画』に続いての2022年の映画。でも、もうすでに『水の中で』(2023、第24回東京フィルメックスで公開)『우리의 하루(私たちの一日)』(2023)『여행자의 필요(旅行者のニーズ)』(2024)と3本も撮っている。はたして、この多作家の映画を今後も日本で公開し続けられるんだろうか?

『WALK UP』を観はじめて、あれ? 今までのホン・サンスの映画とはちょっと違うな、と云う印象が次第に強くなって行った。どこに違和感を感じるんだろうかと考えてみると、いくつかのパートに分かれているエピソードがすべて独立していて、登場人物が共通しているにもかかわらずストーリーは繋がっていなかった。今までのホン・サンスの映画でも、いくつかのエピソードが時系列に並ばないで前後に錯綜させていることはよくあった。そこに若干の齟齬が見受けられても、ここまでストーリーが繋がっていなかったことは無かったような気がする。

この映画の舞台となるのはあるアパート。1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエで、それぞれの階でのエピソードが展開して行く。その階と階とを結ぶ階段がらせん状になっているので、アパートのオーナーであるヘオク(イ・ヘヨン)が登り降りすることによって他の世界へとスリップすることを意味していたんだろうとおもう。

このようなマルチバースでストーリーが進行することに違和感を覚えたとしても、ホン・サンスの映画のキモは会話劇にあるので、その面白さはまったく変わらなかった。ますます映画監督役のクォン・ヘヒョにホン・サンス自身を投影させている気がする。

次の映画は『水の中で』だけれど、全編をピンボケで撮っていると云われる実験的な映画の日本での本公開はあるんだろうか?

→ホン・サンス→クォン・ヘヒョ→韓国/2022→シネマ・カリテ新宿→★★★★

監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、キャリー・プレストン、ブレディ・へプナー、イアン・ドリー、ジム・カプラン、マイケル・プロヴォスト、アンドリュー・ガーマン、ナヒーム・ガルシア、スティーヴ・ソーン、ジリアン・ヴィグマン、テイト・ドノヴァン、ダービー・リリー、ケリー・オーコイン、ダン・エイド
原題:The Holdovers
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.holdovers.jp/
場所:イオンシネマ浦和美園

いつだったか、マニアックな映画好きから『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(1999)が面白いよ、と云われた。なにその変なタイトル、まったく面白い映画とはおもえない、と云ったら、もちろん原題までがそんなタイトルなわけではなかった。元のタイトルは「Election」。ある高校の生徒会長選挙のはなしで、まだ駆け出しのリース・ウィザースプーンが出ていた。こんなへんちくりんな邦題にもかかわらず、びっくりしたことに勧められたとおりに面白い映画だった。

監督はアレクサンダー・ペイン。主に家族や友人関係の痛いところをついて来るのが巧くて、それはその後の『サイドウェイ』(2004)『ファミリー・ツリー 』(2011)『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013)と、絶えず同じテーマを扱っている監督だった。

新作の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』も、全寮制の寄宿学校で歴史教師をするポール・ジアマッティと、クリスマス休暇中に寄宿舎に残ることになった15歳の学生アンガス(ドミニク・セッサ)との関係に焦点を当てたストーリーだった。

どんな場面でも、自分にとっての「いけ好かないやつ」はいるもので、その人の態度、仕草、発言などにイラッと来てしまって、ああ、この人とは合わないなあ、と判断してしまうことがある。いまのSNSの時代ならばリアルな人付き合い以外にも、その人の表面的な一側面をちらっとネットで見ただけで「いけ好かないやつ」と判断してしまう場面も多くなって来ている。でももし、その人のバックグラウンドを深堀りすることができるのならば、そこに何かしらの理解が生じる可能性はあるんじゃないのか、と云うことを『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は教えてくれたような気がする。情報の切り取りが横行する世の中ならば、その小さな断面の裏にある膨大な背景を察知する感性をもう少しは養うべきなんだろうなあ、と云うことをなんとなくこの映画で教えてもらったような気がする。

そしてこの映画の良かった点をもう一つ。オープニングのユニバーサルのロゴからして70年代映画ふうにしていたところ。まるでフィルム映画のようなノイズと色調(本当にフィルムで撮っていたのか?)、カメラワークも70年代の映画のようににしていたところはびっくりした。ポール・ジアマッティがいなくなったアンガスを探して、寄宿学校の扉をバーンと開けた直後のショット。戸口に立つポール・ジアマッティをアップで撮ったあとにすぐ校庭の全景をいれるほどのロングにズームアウトするシーンは、70年代のなにかの映画(ハル・アシュビー『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971)だったか?)で見た気が、、、、

ラストシーンも、まるっきり70年代の映画だった。考えてみれば、どこかに去って行く人を見守って「THE END」(「THE END」の表記が最近ではありえない)になる映画があまり無くなってしまった。あのひとは今後、どのような人生を送って行くのかなあ、の余韻に浸れる映画を久しぶりに見て涙がでるほど嬉しかった。

→アレクサンダー・ペイン→ポール・ジアマッティ→アメリカ/2023→イオンシネマ浦和美園→★★★★

監督:黒沢清
出演:柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、西島秀俊、ビマラ・ポンス、スリマヌ・ダジ、青木崇高
原題:Le chemin du serpent
制作:フランス、日本、ベルギー、ルクセンブルグ/2024
URL:https://eigahebinomichi.jp
場所:MOVIXさいたま

黒沢清の映画を観て、めちゃくちゃ良かった、ってことは一度もなくて、でもみんなが、知り合いも含めて高評価をする人が多いのでまた観に行ってしまう。そんなことだから、黒沢清の過去の映画を見てなくて、今回の『蛇の道』が1998年に撮った映画のセルフリメイクであることさえも知らなかった。

また観に行ってしまう、ってことは、まったく嫌いなわけではなくて、彼が構築する不気味な世界観はとても好きで、そこになにかあるんじゃないか? とおもわせる演出は見ていてワクワクさせられてしまう。今回の『蛇の道』も、柴咲コウの蛇のような目つきが素晴らしかった。復讐に取り憑かれた狂気を表現するには彼女の目はまさしくぴったりで、この映画を彼女の目で締めくくることほど後を引くことはなかった。

ただ、アクション部分がグダグダだったり、監禁場所はもっとウンコまみれになるべきじゃない? とか、細かいところが気になってしまうのが全面的に好きになれないところなのかもしれない。

と云っても、また次回作は観に行くのかなあ。あ、それよりも1998年の『蛇の道』がAmazon PromeのKADOKAWAチャンネル無料体験で見られるみたい。それを見てみよう。

→黒沢清→柴咲コウ→フランス、日本、ベルギー、ルクセンブルグ/2024→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:イーサン・コーエン
出演:マーガレット・クアリー、ジェラルディン・ヴィスワナサン、ビーニー・フェルドスタイン、コールマン・ドミンゴ、ペドロ・パスカル、ビル・キャンプ、マイリー・サイラス、マット・デイモン
原題:Drive-Away Dolls
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.universalpictures.jp/micro/drive-away-dolls
場所:ユナイテッド・シネマ ウニクス南古谷

1940年代から50年代のイギリスで、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーと云うコンビを組む映画監督がいた。代表作は『天国への階段』(1946)『赤い靴』(1948)『ホフマン物語』(1951)などで、どの映画もメルヘンと怪奇的なものがほど良く混在した面白い映画ばかりだった。その後、二人がコンビを解消したあと、マイケル・パウエルは単独で『血を吸うカメラ』(1960)と云うとても暴力的な映画を撮った。そんなことから、今までのコンビの映画で見られた怪奇的な描写はマイケル・パウエルの好みによるものじゃないのか、と和田誠は山田宏一との対談(「たかが映画じゃないか」文藝春秋)で言及していた。

それを読んで、コンビで映画を撮ったときにそれぞれの趣味がしっかりと映画に反映されるものなんだ、とおもったものだった。となると、コーエン兄弟はどうなんだろう?

今回、コーエン兄弟がそれぞれはじめて単独で、ジョエルが『マクベス』(2021)を、イーサンが今回『ドライブアウェイ・ドールズ』(2024)を撮った。だから、この2つを見比べれば、ふたりの好みがわかるんじゃないかと考えた。

ジョエル・コーエンの『マクベス』は、とことん真面目にシェークスピアを映画化していて、今までのコンビの映画に見える文学作品への傾倒は、ああ、ジョエル・コーエンの趣味なのか、と見ることができた。一方、イーサン・コーエンの『ドライブアウェイ・ドールズ』はヘンリー・ジェイムズを引き合いには出すものの、映画としてはとてもエキセントリックなレズビアン二人のロードムービーで、小道具としてディルドが重要だったりと、ああ、なるほど、今までのコンビの映画に見える悪ふざけな部分はイーサン・コーエンの趣味だったのね、と見ることができてしまった。

たった2つの映画で彼らの嗜好を判断するのは拙速かもしれないけれど、それぞれ単独で作った映画が一つの方向にあまりにも振れすぎているので、二人で作った映画のほうがほどよく良いバランスになっているような気がしてしまった。今後はどうするんだろう? バラバラで撮って行くのかなあ。

→イーサン・コーエン→マーガレット・クアリー→アメリカ/2024→ユナイテッド・シネマ ウニクス南古谷→★★★☆

監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク、アリーラ・ブラウン、ラッキー・ヒューム、チャーリー・フレイザー、ネイサン・ジョーンズ、アンガス・サンプソン、ジョシュ・ヘルマン、ジョン・ハワード
原題:Furiosa: A Mad Max Saga
制作:オーストラリア、アメリカ/2024
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/index.html
場所:MOVIXさいたま

2015年に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が公開されたとき、映画ファンによって熱狂的に迎えられて、誰もがこの映画に対する評価がすこぶる高かった。そんななか、いや悪くはないんだけどぉ、、、って、口ごもるのは自分だけだった。この取り残され感は、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』のときと同じだった。

どこが引っかかったのか、Amzon Primeでもう一度『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見てみた。今回は吹替版で。

ジョージ・ミラーが1979年に作った『マッドマックス』は、狂気に対抗するには自分も狂気にならざるを得ない主人公の理不尽さを感じながらも、狂気を倒して復讐を達成させたときのカタルシスは気持ちよく、この2つの矛盾が『マッドマックス』を面白くさせていた。1981年の『マッドマックス2』も、マックスの正気を表現する場をまだ残していて、ジャイロ・キャプテンのようなトリックスターも得て、さまざまなキャラクターからむ英雄神話譚として、その後の「マッドマックス」サーガのベースとなるほどの面白さだった。

ところが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では、すべてにおいて狂気が支配していて、マックス(トム・ハーディ)やフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)のバックグラウンドが描かれることも少なく、狂気が狂気を倒すだけの映画になってしまっていたところがちょっと不満だったのかもしれない。イモータン・ジョーやウォー・ボーイズ、ドーフ・ウォーリアー(行軍中に火炎放射器付きのエレキギターを弾く奴)などのビジュアルの素晴らしさは、まったくもって全面的に同意するんだけれど。

今回の『マッドマックス:フュリオサ』は、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ではあまり触れることのできなかったフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)のストーリーをメインに持ってきた。なので、子供の頃からのフュリオサの正気や狂気を充分に描く余地があって、悪役として配置したディメンタス(クリス・ヘムズワース)もどこか憎めないキャラクターとして存在しているので、全体的な雰囲気が『マッドマックス2』に戻ってきた。

それに、髪を切ってマッチョな男に寄せる以前のフィリオサを描くにあたって、Netflixドラマ「クイーンズ・ギャンビット」を見て気に入ってしまったアニャ・テイラー=ジョイを起用したのは、自分としてはさらに楽しめる要素がプラスアルファだった。今回もまた彼女の眼力(めぢから)に吸い込まれてしまった。

タイトルに「A Mad Max Saga」と付けているからには次作もあるんだろうなあ。次は誰にスポットライトをあてるんだろう? イモータン・ジョーか?

→ジョージ・ミラー→アニャ・テイラー=ジョイ→オーストラリア、アメリカ/2024→MOVIXさいたま→★★★★

昨年の5月12日に発売された「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」を1年かけてついにやり終えた。やり終えたと云うのは、ガノンドロフを倒してゼルダとの再会を果たしたと云うことを意味していて、ゲームの達成度では44%くらい。

前作の「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」も素晴らしいゲームだったけれど、その設定を踏襲しつつ、さらにマップや機能をバージョンアップさせた「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」は素晴らしさもバージョンアップしていて、終わったときの感動も倍増していた。こんな凄いゲームを多くの人にやってもらいたい! とはおもうのだけど、ガノンドロフを倒すアクション要素は誰もができるものではないので、そこが残念。アクションをめちゃくちゃ簡単にする設定もあれば良いのに。

基本的には攻略サイトを見ずに進めることを是としていて、なにがなんでもネットの情報を排除していた。でも「風の神殿」で詰まってしまった。まったく前に進めずに一ヶ月。ついにネットの情報を見てしまった。なんと! チューリを置き去りにして「風の神殿」へ行ってしまっていた。そりゃないよ。チューリと一緒じゃなければ「風の神殿」へ行けない設定にしてよ。

それからもう一つだけ、ネットの情報を見てしまった。ガノンドロフと対峙するときの必要な準備を。もちろん瘴気対策はわかっていたので「ひだまり草」は十分に用意していた。ただ、どんな武器が強力なのかは、ゲームを進めていくだけではわからない。「獣神の弓5連」がガノンドロフ討伐には必要だと云うことはネットを見なければわからなかった。

と云うことで「獣神の弓5連」が必要なので、アクションが苦手なわたくしも、果敢にも「白髪ライネル」討伐に向かった!(そうだ、「白髪ライネル」がどこにいるのかもネットの情報を参考にしてた)

いやー、「白髪ライネル」は強かった。なんとか「ジャスト回避」を体得したのだけれど、決まるのは20回に1回くらい。もう「ジャスト回避」に頼るのはやめて、ちまちまと、隠れながら弓矢を射ったりして、なんとかゴリ押しで倒すことができました。こうして「獣神の弓5連」を獲得。ネットを見ると「獣神の弓5連」を落とす確率はとても低いらしい。なのに、1回の討伐で獲得してしまった!

かくして、「獣神の弓5連」を得たわたくしは、無事にガノンドロフを倒すことができました。たしかに「獣神の弓5連」は強力で、これが無ければガノンドロフを倒すのにはもっと苦労したことでしょう。

そしてエンディング。ラストの、落ちて行くゼルダの手を握るアクションは、今までのゲームにはない感動のアクションだった。

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の素晴らしさをなんと表現したら良いんだろう。まさに筆舌に尽くしがたくて、実際にSwutchでゲームをやらなければわからない。それも、ゲームに慣れた人でさえ、メインチャレンジだけでも40~60時間かかるらしい。そんなに時間をかけてやっとその作品の真価がわかるエンターテインメントなんて他にない。

ことあるごとに「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の素晴らしさを吹聴して回りたい!

監督:ジョナサン・グレイザー
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー、ラルフ・ハーフォース、ダニエル・ホルツバーグ、サッシャ・マーズ、フレイア・クロイツカム、イモゲン・コッゲ
原題:The Zone of Interest
制作:アメリカ、イギリス、ポーランド/2023
URL:https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
場所:MOVIXさいたま

今年のアカデミー賞授賞式で、これは面白そうなだな、と目についた一番の映画がジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』だった。アウシュヴィッツ強制収容所の隣に建てた新居で暮らすルドルフ・ヘス所長(クリスティアン・フリーデル)と妻ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)の住みよい生活を整えて行こうとする夫婦のはなし。

マーティン・エイミスの同名小説を原作としたこの映画の題名「The Zone of Interest」は、日本語に「関心領域」と翻訳しても、とてもスタイリッシュな言葉に見えて、隣のアウシュヴィッツ強制収容所から絶えず聞こえてくるかすかな怒鳴り声や叫び声にまったく反応せずに、自分の家の住環境にしか興味を示さない妻ヘートヴィヒの行動をも端的に表していた。

映画自体も、題名から感じるスタイリッシュさを体現していて、途中、突然画面が赤くなって環境音楽的なものが流れ続けるシーンは、まるでガス室に送り込まれたようなイメージを連想させてとても怖いシーンだった。でもそのスタイリッシュさは、まるで舞台劇のように場所が限定されてこそ引き立つんだけれど、映画の後半に向けてルドルフ・ヘス所長が転勤する場面も描かれてしまって、場所が大きく広がってしまったのは残念だった。

→ジョナサン・グレイザー→クリスティアン・フリーデル→アメリカ、イギリス、ポーランド/2023→MOVIXさいたま→★★★☆