監督:湯浅政明
声:星野源、花澤香菜、神谷浩史、秋山竜次(ロバート)、中井和哉、甲斐田裕子、吉野裕行、新妻聖子、諏訪部順一、悠木碧、檜山修之、山路和弘、麦人
制作:ナカメの会(フジテレビジョン、東宝、サイエンスSARU、KADOKAWA、BSフジ)/2017
URL:http://kurokaminootome.com
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

フジテレビ深夜の「ノイタミナ」枠で放映されたアニメーション「四畳半神話大系」は、大学入学を機にサークル活動を通じて「バラ色のキャンパスライフ」を目論む「私」が、次第に悪友の「小津」とともに不毛で無意味な大学生活を送る破目におちいってしまう過程を、饒舌な一人称のナレーションと癖のある彩色とデフォルメで、テンポ良くまくしたてる小気味良いアニメーションだった。そこで展開される小理屈も、そうそう、とうなずくことが多かったので、森見登美彦の原作まで買って読んでしまった。

その「四畳半神話大系」を作った湯浅政明監督が、同じ森見登美彦の原作をまったく同じ手法で作ったのが『夜は短し歩けよ乙女』だった。今回も、冴えない大学生の「先輩」が女子大生の「黒髪の乙女」に対して恋心を抱くうちに、奇妙キテレツな人物たちとめぐりあって訳の分からないおかしな事件に巻き込まれて行くと云うストーリーで、「先輩」の饒舌なナレーションとか、出てくる台詞の「黒髪の乙女」や「奇遇ですね」とか、さらに樋口清太郎や羽貫涼子やジョニーなど一部のキャラクターが被るところとか、まるで「四畳半神話大系」のパラレルワールドのような内容のアニメーションだった。

今回も「四畳半神話大系」と同じように楽しいアニメーションには仕上がってはいたけれども、うーん、「四畳半神話大系」の「私」と「明石さん」との関係の「もふもふ」した感覚がとてもイメージとして心に残っているので、それよりも「先輩」と「黒髪の乙女」との関係を空々しく感じてしまった。また、パンツ総番長のミュージカル・シーンが、本線の「先輩」と「黒髪の乙女」とのストーリーよりも前にでしゃばって出て来る感じが、なんとも、残念だった。

→湯浅政明→(声)星野源→ナカメの会(フジテレビジョン、東宝、サイエンスSARU、KADOKAWA、BSフジ)/2017→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:クリス・マッケイ
声:山寺宏一、子安武人、小島よしお、沢城みゆき、オカリナ(おかずクラブ)、ゆいP(おかずクラブ)、間宮康弘、雨蘭咲木子
原題:The Lego Batman Movie
制作:アメリカ、デンマーク/2017
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/legobatmanmovie/
場所:109シネマズ木場

フィル・ロード&クリストファー・ミラー監督の『LEGO® ムービー』を、面白いから観てみな、と人に勧められたときに、こんなおもちゃの「レゴ」がぎこちなく動く映画の面白さなんてタカが知れている、と馬鹿にして観に行った。ところが、そんな馬鹿にしていた自分を反対に馬鹿にしたいくらいの、めちゃくちゃに面白い映画だった。実際のおもちゃの「レゴ」が子供に向けて発信している「楽しさ」がめいっぱいに詰まった映画で、大人に対しては子供の頃に無邪気に遊んだ「楽しさ」をおもい出させてくれるような、なんとも素晴らしい映画だった。おそらくその「楽しさ」は、まずは映画としてのシナリオがしっかりしているうえに、シリアスなテーマを内包していながらもそれを前面に押し出さずにおもちゃの「レゴ」で包み隠してしまう奥ゆかしさにあるんだろうとおもう。「楽しさ」なんて、テキトーに見えながらも実際には実が詰まっているギャップにこそあるのだ。

今回のクリス・マッケイ監督の『レゴバットマン ザ・ムービー』もしっかりと『LEGO® ムービー』を継承していた。仲間との「絆」とか、「敵」がいるからこそ「自分」の存在意義があるんだとか、正面切って真面目に云われてしまうとムズムズしてしまうようなテーマを「レゴ」と云うオブラートで包み込んで、過去の「バットマン」シリーズをちゃかしたり、いろんな映画に出てくる悪役達をちゃかしたりしながら、じわーっとテーマが浮き上がってくるような映画に仕上がっていた。ちゃっちく見えていながら、その実、しっかりとした中身のあるものほど凄いものはないなあ。

→クリス・マッケイ→(声)山寺宏一→アメリカ、デンマーク/2017→109シネマズ木場→★★★★

監督:バリー・ジェンキンス
出演:トレヴァンテ・ローズ、アシュトン・サンダース、アレックス・ヒバート、アンドレ・ホランド、ジャレル・ジェローム、ジェイデン・パイナー、ナオミ・ハリス、ジャネール・モネイ、マハーシャラ・アリ
原題:Moonlight
制作:アメリカ/2016
URL:http://moonlight-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

今年のアカデミー賞作品賞は、プレゼンターのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイからいったんはデミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』と発表されながらも、受賞者の名前が書いてある用紙の渡し間違えがわかって、バリー・ジェンキンス監督の『ムーンライト』へと変更になって大混乱になってしまった。まあ、そんな混乱もハプニングとして印象深く記憶に残るものなので、『ムーンライト』にとってはおいしい授賞式だったのかもしれない。

そのバリー・ジェンキンスの『ムーンライト』は、ドラッグを中心にしなければ生活が回って行かない黒人社会の中の「シャロン」と云う少年の成長を追いかけた映画だった。この「シャロン」は、まだまだ貧困者の多い南部の「黒人」クラスタに属するだけではなくて、子供の頃から「ゲイ」のクラスタにも属していて、映画を観る前の情報だけから判断すると、マイノリティの中のさらにマイノリティの人間の苦悩のストーリーなのかと勝手におもっていた。

実際に映画を観てみると、そのマイノリティな部分はおもったほど中心に描かれてなくて、もっと純粋な家族同士の憎しみとか愛とか、父親(のような年長者)と子供の信頼関係とか、男同士の友情とか愛情とか、「黒人」や「ゲイ」に関係することだけではない普遍的なテーマが中心として描かれていた。

特に、同級生からいじめを受けていた「シャロン」とドラッグの売人である「フアン」との関係が、父親のいない「シャロン」にとっては父子のような関係として描かれていて、「フアン」の誠実な物言いが「シャロン」にも影響を与えて行って、しまいにはドラッグの売人と云う同じ道を歩んでしまうところがなんともやりきれなかった。そして時代が移り変わって、さらりと「フアン」が(おそらくドラッグがらみで)死んだことがわかるシーンでは、「シャロン」の行く末も「死」しかないのではないかと暗示しているところも辛かった。

「フアン」が子供のころに見た、月の光の下では蒼く光って見える黒人の子供たちのエピソードが、おそらくはこの映画のタイトルの元になっているのだろうけど、そのイメージどおりの危うい美しさが全編に漂っている切ない映画だった。

→バリー・ジェンキンス→トレヴァンテ・ローズ→アメリカ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ルパート・サンダース
出演:スカーレット・ヨハンソン(田中敦子)、ピルー・アスベック(大塚明夫)、ビートたけし、ジュリエット・ビノシュ(山像かおり)、マイケル・ピット(小山力也)、チン・ハン(山寺宏一)、ダヌーシャ・サマル(山賀晴代)、ラザルス・ラトゥーエル(仲野裕)、泉原豊、タワンダ・マニーモ、桃井かおり(大西多摩恵)
原題:Ghost in the Shell
制作:アメリカ/2017
URL:http://ghostshell.jp
場所:109シネマズ木場

押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)は、アメリカの『ビルボード』誌のホームビデオ部門で売上第1位を記録したためにハリウッドの映画人にも多くの影響を与えた作品で、いったい誰の手で実写化されるのか早くから期待されていた作品でもあった。で、それが20年目にしてやっと実現された。

どんな場合でも「元」がある場合には、その「元」のイメージを損なわずに、それでいてあわよくば「元」を凌駕させようと狙う作業は大変なことだ。でも、その「元」にある重要なエッセンスさえ継承されていれば、まあ、充分に観賞に堪えうる作品になるとおもうのに、いつもそれがなぜかなおざりになってしまうのはなぜなんだろう。

押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』に出てくる名セリフとして以下の二つがある。

「そう囁くのよ、……私のゴーストが 」
「さて、どこへ行こうかしら、ネットは広大だわ」

この二つのセリフが意味するところのエッセンスがルパート・サンダース版にはまったく継承されていなかった。もちろん義体化や疑似記憶も重要なファクターだけれど、まずそれよりも膨大なサイバースペース情報網での攻性防壁を介してのハック合戦にこそに興奮を覚える部分なんだけどなあ。それは神山健治版「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」にはちゃんと継承されていた部分でもあったのに、なぜそこがないがしろにされたのかまったく理解できなかった。もしルパート・サンダースの首の後ろにジャックがあったのなら、そこに誰か、押井守でも神山健治でも良いんだけど、直接接続して伝えられたのに。

→ルパート・サンダース→スカーレット・ヨハンソン(田中敦子)→アメリカ/2017→109シネマズ木場→★★☆

監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・マキアナン、ブリアナ・シャン、ケイト・ラッター、シャロン・パーシー、ケマ・シカズウェ
原題:I, Daniel Blake
制作:イギリス、フランス、ベルギー/2016
URL:http://danielblake.jp
場所:新宿武蔵野館

ケン・ローチの映画は、「ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート」を書いたブレイディみかこが云うところの「地べた」の人びとばかりを描いていて、その方向性は一貫して変わらない。そのケン・ローチが二度目のカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得することになった『わたしは、ダニエル・ブレイク』も、まさにイングランドの「地べた」にいるダニエル・ブレイクが主人公だった。

イングランドのニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓病を患ったために医者から仕事をストップされてしまう。生活の援助を受けようと役所に申請したところ審査に不合格となってしまって、再審査を要求しようにもコンピュータでしか申請を受け付けないだの、働く意思を見せろだの、履歴書の書き方講座を受けろだの、どう考えてみても理不尽なことばかりを要求されてしまう。

こんなお役所の融通の利かなさはおそらく万国共通で、これが日本だったら怒った奴が役所に乗り込んで行って火でも付けかねないところだ。ところがダニエル・ブレイクは、ニューカッスルの人の気質とでも云うのか、心のうちに批判精神を保ちながらも、役所からの無理難題も投げやりにならずにタフにこなして行く。この真摯な姿を見て、イングランドのプレミアリーグ好きの私としては、ニューカッスル・ユナイテッドのホーム、セント・ジェームズ・パークに詰めかけるサポーターの人たちを連想してしまった。熱く、タフに、忠実に応援しながらも、チームへの批判精神をも忘れない彼ら。ダニエル・ブレイクと重なってしまう。

この映画の中に貧しい人たちに食料を提供する「フードバンク」が登場するが、日本でも初めて「フードバンク」が設立されたらしい。ダニエル・ブレイクが手助けをするシングルマザーのケイティは、空腹のあまり「フードバンク」の中で立ったまま缶詰めを貪り食ってしまって、自分の情けなさに号泣してしまう。人としての「尊厳」が失われた、とても切なくて、苦しくて、哀しいシーンだった。何となく、いろいろな面で、イングランドを追いかけているように見える日本でも、このような貧しいシングルマザーが増えているような気がする。一部の金もうけの上手い人たちだけが優遇される社会を変えるにはどうすればいいんだろう。ケン・ローチの映画を観るといつもそれをおもう。

→ケン・ローチ→デイヴ・ジョーンズ→イギリス、フランス、ベルギー/2016→新宿武蔵野館→★★★★

監督:キム・ソンス
出演:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン、チュ・ジフン、クァク・ドウォン、チョン・マンシク、キム・ヘゴン、キム・ジョンス、ユン・ジヘ、ユン・ジェムン、キム・ウォネ
原題:아수라
制作:韓国/2016
URL:http://asura-themovie.jp
場所:新宿武蔵野館

ナ・ホンジン監督の傍若無人な映画に呆気に取られていたら、韓国映画はそれだけにとどまらなかった。キム・ソンスの『アシュラ』もどこかタランティーノを感じつつも、そこまでスタイリッシュに落とし込まない武骨なバイオレンスのやりたい放題に呆気に取られてしまった。それに、映画の冒頭にかぶさる「人間は嫌いだ」のナレーションが示すように、北野武の『アウトレイジ』よろしく登場人物の全員が悪人であるうえに、日本人よりも顕著に見られるストレートな感情の爆発がさらに嫌悪感を増幅させて、そのたたみかけるような人間の嫌らしさがかえって痛快でもあった。

刑事を辞めて悪徳政治家の下で働こうとしているチョン・ウソンが、不治の病で死のうとしている妻からも「悪人」と云われながらも、どこか「善人」が見え隠れする気弱さがまるで自分とオーバーラップしてしまって身につまされてしまう。おそらく、そんな中途半端な奴が極悪人よりも一番たちが悪い。

若い男女のラブストーリーばかりの日本映画から見ると、このようなアグレッシブな映画が出てくる韓国映画界には嫉妬を感じるけど、だからと云って現在の日本映画が韓国映画よりも劣ると云う主張にはくみすることができない。日本映画界のほうが何だかんだと云ってもまだまだバラエティに富んでいるとはおもうけど。

→キム・ソンス→ファン・ジョンミン→韓国/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:神山健治
声:高畑充希、満島真之介、古田新太、釘宮理恵、高木渉、前野朋哉、前野朋哉、高橋英樹、江口洋介
制作:「ひるね姫」製作委員会/2017
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/hirunehime/
場所:109シネマズ菖蒲

TVアニメの『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズが気に入ってから神山健治を追いかけているけど、前作の『009 RE:CYBORG』はその『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズを模倣しただけの内容にちょっとがっかりしてしまった。『東のエデン』では『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズに囚われつつも違った角度から切り込んでいたところが充分に楽しめたのに、まったくの焼き直しを見せられているようで、うーん、『009 RE:CYBORG』のシリーズを作る意味があったのかな、ともおもってしまった。

そんな残念な気持ち(を持った人は複数いたとおもう)が伝わったのか、今回は趣向を変えて女子高校生を主人公に持ってきた。雰囲気としては細田守の『サマーウォーズ』みたいな感じ。となると、今度はその細田守の映画とか、あの大ヒット映画『君の名は。』と比較してしまうことになる。うーん、それら大ヒット映画はやっぱりそれぞれのキャラクターが立っていたよなあ。キャラクターに魅力があるからこそヒットしたわけで。残念ながら『ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜』のキャラクターはどれもいまひとつだった。特に、ストーリーのキーとなる犬のぬいぐるみの「ジョイ」のキャラクターがパッとしない。そこ、一番重要なところなのに。いま、ブームとなっているTVアニメ「けものフレンズ」の「ラッキービースト(ボス)」と比べても、ああ、残念だ。

→神山健治→(声)高畑充希→「ひるね姫」製作委員会/2017→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:パブロ・ラライン
出演:ナタリー・ポートマン、グレタ・ガーウィグ、ピーター・サースガード、マックス・カセラ、ベス・グラント、ジョン・ハート、ビリー・クラダップ
原題:Jackie
制作:アメリカ、チリ/2016
URL:http://jackie-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ジョン・F・ケネディの夫人であるジャクリーン・ケネディは、夫が暗殺された直後(1963年11月29日)にライフ誌のセオドア・ホワイトからインタビューを受けていた。パブロ・ラライン監督の『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』はそのインタビューを中心に据えて、そこから過去を回想する形式にしていた。ただ、その過去の回想は主に次の点だけに絞っていた。

・ホワイトハウスを紹介するテレビ番組『A Tour of the White House with Mrs. John F. Kennedy』(1962年2月14日放送)の制作過程。

・ホワイトハウスの中でジョン・F・ケネディはミュージカルの「キャメロット」のレコードを聞いていた。

・暗殺から葬儀の段取り、ホワイトハウスを辞去するまで。

ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』もスティーブ・ジョブズを描くのに、1984年の「Macintosh」プレゼンテーション開始直前、 1988年の「NeXTcube」プレゼンテーション開始直前、 1998年の「iMac」プレゼンテーション開始直前の3点のみに絞っていた。その人の人生をかいま見るときに、ある時期のみにスポットライトを当てて、そこでの内面的葛藤を描くことによってその人の正体をあきらかにする方法は、2時間弱で伝記映画を作るのに一つの正解だとおもう。

『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』も主に上記の3点を描くことによって、ジャクリーン・ケネディのジョン・F・ケネディに対する想いが徐々に浮き彫りになって行く方法を取っていた。ケネディの女性関係など下世話な話題も盛り込みたいところだろうけど、そこはきっぱりと二人の、表面的な関係であったにせよ、良好な関係にテーマを絞っていたところも清々しかった。ジャクリーン・ケネディがライフ誌のインタビュワーに「私の書いて欲しい話題だけしてもらう」と云っていることが、つまり、この映画のことも代弁していたようにおもう。

→パブロ・ラライン→ナタリー・ポートマン→アメリカ、チリ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:
原題:Sinai Field Mission
制作:アメリカ/1978
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

毎年必ずシネマヴェーラ渋谷でフレデリック・ワイズマンがかかるので、空いた時間に少なくとも1本は観ようとおもってる。今年はうまいこと都合の取れた『シナイ半島監視団』。

1970年代の後半、エジプトのサダト大統領が対イスラエル強硬路線を転換してアメリカに急接近したとは云え、エジプトとイスラエルの間に横たわる緩衝地帯ではまだまだ緊張関係が続いているんじゃないかとおもっていた。そこのピリピリした雰囲気がフレデリック・ワイズマンのフィルムに収められているんじゃないかと勝手に想像していた。

ところがまったく違っていた。

そこで起こる問題と云えば、手続きの順番が違うだろう、とか、国連に協力しているガーナ軍のやつらが食堂で食い散らかしている、とか、エジプトからイスラエルへの移動の手続きが複雑過ぎる、とか。

そして、ところどころに挿入されるヤンキーたちのリクリエーションは、ロバート・アルトマンの『M★A★S★H』とまでは行かないまでも、さらに脱力感を感じさせるイメージショットだった。その後のイラクやシリアの事を考えれば、なんと牧歌的な時代だったことか。

→フレデリック・ワイズマン→→アメリカ/1978→シネマヴェーラ渋谷→★★★☆

監督:ナ・ホンジン
出演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼、チョン・ウヒ、キム・ファンヒ
原題:곡성(哭聲)
制作:韓国/2016
URL:http://kokuson.com
場所:楽天地シネマ錦糸町

ナ・ホンジン監督の第1作目の『チェイサー』は、画面から溢れるパワーには脱帽したけど、全体的なストーリーの運びにもたついた感じがあって、見ている間中たえず苛ついていたような感想しかなかった。

ところが次作の『哀しき獣』はめちゃくちゃ凄かった。捕まらないし、殺しすぎだし、死ななさすぎだし、物事が錯綜しすぎだし。やっていることはもしかすると『チェイサー』と同じなのかもしれないけれど、徹底的に押し切るパワーが尋常ではなかった。おもわず笑ってしまうほどだった。

今回の『哭声/コクソン』も、これもまたあっけに取られてしまった。この映画は、い、いったいなんなんだ? ゾンビ映画のようでもあるし、エクソシストのようでもあるし、ヴァンパイアのような「種族」の映画のようにも見えるし。

この映画の面白さは、山に住む日本人(國村隼)と、うろつく女(チョン・ウヒ)と、祈祷師(ファン・ジョンミン)をどのように捉えるかによって映画のイメージががらりと変わってしまうところにあった。でも、それぞれの人物の役割がいったいどのようなものなのかを判断することがとても難しい。そこが魅力的でもあった。はたして「悪霊」はいったい誰なのか。「善」と「悪」はどこにあるのか。ナ・ホンジン監督はこの映画のことについて「混沌や混乱、疑惑について描いています」と語っていた。だから、単純に正解を導き出すべき映画ではなくて、ああじゃないか、こうじゃないかと混乱すること自体が正解なんだとおもう。そして、そのあなたの勝手な思い込みは間違っていて、それが事態を「悪」へと導いているですよ、と云っているような映画だった。

→ナ・ホンジン→クァク・ドウォン→韓国/2016→楽天地シネマ錦糸町→★★★☆