山形国際ドキュメンタリー映画祭に2日目から参加。これで4回連続なので、8年間通い詰めていることになる。今日観た映画は以下の通り。

●小林茂監督『風の波紋』(日本、2015)
知っている人が出ていると云うので駆けつけて観てみたけれど、これがとてもよく出来た映画だった。それは知り合いが画面に登場しているだけの面白さなのか、それとも映画自体がしっかりと作り込まれた面白さなのか、客観性が損なわれてしまっている時点でさっぱりわからない。東京から新潟の松之山に移住して、いつの間にかそんなにやりたいとはおもっていなかった農業をやっている木暮さんの人間としての面白さは充分に伝わっているとはおもうけど。

●マリア・アウグスタ・ラモス監督『6月の取引』(Future June、ブラジル、2015)
2014年6月のサッカー・ワールドカップ開催のころのサンパウロに住む主に4人(証券会社の人、地下鉄ストライキの人、自動車工場の人、バイク便の人)の人物を追いかけたドキュメンタリー。冒頭のクルマで渋滞する道路(なんとなく首都高に見える)やラッシュ時の満員電車を映し出すシーンから、あれ?ここはもしかして東京? とおもわせるほど、BRICsともてはやされて好調だったブラジル経済。それが2014年には次第に行き詰まって来て、ワールドカップを開催する金があるくらいなら公共サービスを充実させろ! のデモも起こっているサンパウロは、2020年のオリンピック開催を控えている東京とシンクロする部分も多くて、ブラジルだろうと日本だろうと抱えている問題は共通するんだなあとこのドキュメンタリーを観ておもう。でも、地下鉄のストライキとか、ブラジル代表の試合の時には工場ラインを休憩にしようとする労使交渉が出来るブラジルのほうが、日本よりも健全な社会を育んでいるんじゃないかと羨ましくなる。やっぱり日本は変だ。

●三上智恵監督『戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み』(日本、2015)
辺野古基地反対のメッセージが大前提にあるので、そこに身を委ねて見れば素晴らしい映画。でも、登場する人物の背景を掘り下げて行く描写は、また別の話、だったような気もする。もし、沖縄の歴史をも加味した上でそれぞれの人物像を入れるのであれば、もうちょっと全体的な構成を整理できたら良かったのになあとはおもう。

キングスマン

監督:マシュー・ヴォーン
出演:コリン・ファース、タロン・エガートン、マイケル・ケイン、マーク・ストロング、サミュエル・L・ジャクソン、ソフィア・ブテラ、マーク・ハミル、ソフィー・クックソン、エドワード・ホルクロフト、サマンサ・ウォーマック、ジェフ・ベル、ビョルン・フローバルグ、ハンナ・アルストロム、ジャック・ダベンポート
原題:Kingsman: The Secret Service
制作:イギリス/2014
URL:http://kingsman-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

ショーン・コネリーが007を演っていたころのジェームズ・ボンドの映画には、ハリウッド映画の影響を受けながらどこかイギリスらしさが残っていて、その紳士を気取っていながら人間の底が知れてしまっているような陳腐さがモンティ・パイソン風に漂っているところが大好きだった。

ところが最近のダニエル・クレイグの007には、そんなイギリスらしさが、うっすらと残ってはいるものの、だいぶ少なくなってしまって、ハリウッドのアクション映画となんら変わりがなくなってしまっているところがとても残念だった。

マシュー・ヴォーンは、そんな現状の007を憂いつつ、昔のショーン・コネリーの007にオマージュを捧げる意味でこの『キングスマン』を作ったに違いない。それはこの映画の中に出てくる「昔の悪役は誇大妄想狂だった」と云うセリフにもはっきりと現れていた。ダニエル・クレイグの007に出てくる悪役には馬鹿げたところがまったくない。そんなイギリス的でないものを007と呼ぶには無理がある、とマシュー・ヴォーンはこの映画で語っているようだった。

また、ケン・ローチの映画などを見ればよくわかるように、イギリスには今もって階級制度が存在していることがよくわかる。その最下層の「Working Class(労働者階級)」に属している若い奴を主人公に持ってきているところもイギリス的で、そいつを『マイ・フェア・レディ』のように紳士に育てて行くところをスパイ映画に加味しているところも楽しかった。

プレミアリーグ好きとしては、エグジーの部屋にミルウォールFCのグッズがあるところに大笑いしてしまった。ああ、やっぱりミルウォールのファンは最下層だ!と。敵対するウェストハムのファン(オレだ!)も似たようなものだろうけど。

→マシュー・ヴォーン→コリン・ファース→イギリス/2014→109シネマズ菖蒲→★★★☆

アントマン

監督:ペイトン・リード
出演:ポール・ラッド、エヴァンジェリン・リリー、コリー・ストール、ボビー・カナヴェイル、マイケル・ペーニャ、ティップ・”T.I.”・ハリス、ウッド・ハリス、ジュディ・グリア、デヴィッド・ダストマルチャン、マイケル・ダグラス
原題:Ant-Man
制作:アメリカ/2015
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/antman.html
場所:109シネマズ木場

今までの「マーベル・シネマティック・ユニバース」の作品をまとめると、

■フェイズ1
『アイアンマン』
『インクレディブル・ハルク』
『アイアンマン2』
『マイティ・ソー』
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』
『アベンジャーズ』

■フェイズ2
『アイアンマン3』
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』
『アントマン』

になるらしい。

で、次はフェイズ3の『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』になるので、この『アントマン』がフェイズ2の最後の作品となるらしい。

作品の出来としては、『アベンジャーズ』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が出色で、ほかの作品は「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中の一つだから見ていると云う感じかなあ。今回の『アントマン』も良くはできているとおもうけど、やっぱりエドガー・ライト版で見たかった。エドガー・ライト版なら、もうちょっとシリアスとコメディのバランスが良かったはずだ。ペイトン・リード版ではあまりにもコメディが強すぎるので、このまま「マーベル・シネマティック・ユニバース」の一つとして組み込まれるのにはだいぶ無理があるようにもおもえてしまう。はたして『アントマン』が『アベンジャーズ』に加わることはあるのか? 『アントマン』だけでなく、ルイス(マイケル・ペーニャ)も『アベンジャーズ』の世界に連れていけるのか!

→ペイトン・リード→ポール・ラッド→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★

黒衣の刺客

監督:ホウ・シャオシェン
出演:スー・チー、チャン・チェン、シュウ・ファンイー、ニッキー・シエ、妻夫木聡、忽那汐里
原題:聶影娘 The Assassin
制作:台湾、中国、香港、フランス/2015
URL:http://kokui-movie.com
場所:渋谷TOEI

ホウ・シャオシェンの映画を久しぶりに観た。それもホウ・シャオシェンの初となる武侠時代劇だった。

唐の時代も末期になると、王朝の力も弱まって、辺境防衛のために置かれた藩鎮(はんちん)が力を持ち始め、河朔地区(現在の河北省を中心とする地域)にある幽州、成徳、魏博の河朔三鎮(かさくさんちん)は次第に地方勢力として独立し、唐王朝の勢力が及ばなくなった。その河朔三鎮の一つ魏博(ウェイボー)の節度使(藩鎮の長)の田季安(ティエン・ジィアン)は朝廷と繋がりのある元氏(ユェンシ)を嫁に迎え、許嫁であった従姉妹の隠娘(インニャン)は女導士、嘉信(ジャーシン)に預けられて暗殺者としての指南を受けることになる。その隠娘が久しぶりに親元に戻ってきて…。

と云うストーリーなんだけど、映画の中では細かい説明がさっぱりない。だから、一生懸命に画面から読み取らなければならなかった。そこが面白いとも云えるけど、人によってはわけがわからなくなってストーリーを追いかけることをあきらめてしまうかもしれない。

1から10まで説明してしまう映画はまったくつまらない。かと云って、まったく説明がないとこれもまたつまらない。コンシューマーゲームのクリアできるか、できないかのバランスと同じように、シナリオの微妙なさじ加減が映画をすこぶる面白くさせる。

この『黒衣の刺客』はまったく説明が足りなかった。人物の関係がまったく分からなかった。なので、あとからネット検索を駆使して、一生懸命に解明を努めた。そうしたら、以下のような相関図に行き当たった。

黒衣の刺客

この相関図の中で驚くべき事実は、田季安(ティエン・ジィアン)の母親、嘉誠公主が隠娘(インニャン)を育てた女導士と双子だったと云うことだ。映画の中で女導士だったとおもっていたシーンのいくつかは、嘉誠公主だったのかもしれない。それから、田季安の正妻とその妾をまったく混同していた。だから、あの白ヒゲの魔術師みたいな空空兒は隠娘側の人間で、正妻を殺そうとしているとおもい込んでしまったのだ。(正妻は田季安以外の男の子供を孕んでいると勝手に頭の中にストーリーを作り上げていた!)実際は正妻側の人間で、妾を殺そうと暗躍していのだ。そうだとすれば、あの仮面の暗殺者も空空兒の使徒と云うのも納得できる。

うーん、まだどこか間違っているかもしれないけど、なんとなくストーリーが見えて来た気がする。もう一度見れば、もっとはっきりするとはおもうけど。

→ホウ・シャオシェン→スー・チー→台湾、中国、香港、フランス/2015→渋谷TOEI→★★★☆

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール

監督:スチュアート・マードック
出演:エミリー・ブラウニング、オリー・アレクサンデル、ハンナ・マリー、ピエール・ブーランジェ、コラ・ビセット
原題:God Help the Girl
制作:イギリス/2014
URL:http://godhelpthegirl.club
場所:新宿武蔵野館

スコットランドのポップ・バンド「ベル・アンド・セバスチャン」のスチュアート・マードックが初めてメガホンを取った映画。

気に入った音楽を追いかけることが少なくなってしまったので「ベル・アンド・セバスチャン」と云う名のバンドをまったく知らなかったのだけれど、スコットランド発の、驚くほどポップな音楽なので、ああ、これは自分の好きなタイプの音楽だなあとYouTubeを追いかけている。(買えよ、ってはなしなんだけど)

映画もとてもポップで可愛いらしい映画になっていて、まるで昔のスウィング・アウト・シスターのビデオクリップを見ているようだった。でもストーリーのベースには「病」があって、明るいだけの映画にはなっていないところがスコットランドらしいと云うか、何がスコットランドらしいのかわかっているわけではないけど、自分のスコットランドのイメージにぴったりだった。

新宿武蔵野館でこの『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』の次にやる『ベル&セバスチャン』と言う犬の映画はいったい何だ!と思っていたら、その物語がバンドの名前の由来で、さらにそれは日本のアニメの「名犬ジョリィ」の原作で、原作者はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『情婦マノン』に出ていた女優セシル・オーブリーだって云う芋づる式驚きでびっくり。

→スチュアート・マードック→エミリー・ブラウニング→イギリス/2014→新宿武蔵野館→★★★☆

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

監督:クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ、ジェレミー・レナー、サイモン・ペグ、レベッカ・ファーガソン、ヴィング・レイムス、ショーン・ハリス、アレック・ボールドウィン、サイモン・マクバーニー、チャン・チンチュー、トム・ホランダー、ナイジェル・バーバー
原題:Mission: Impossible – Rogue Nation
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.missionimpossiblejp.jp
場所:109シネマズ木場

「ミッション:インポッシブル」シリーズも5作目となって、別にそんなに「ミッション:インポッシブル」のファンでもないのに『ミッション:インポッシブル3』以外の4作はすべて映画館で観ているので、もしかしたら好きなのかもしれない。でもJ・J・エイブラムスが肌に合わなのはわかっているので「3」だけは観なかったのです。

見ていない「3」が面白い可能性が残っている(そんなわけがない!)けど、それ以外では今回の「5」が一番面白かった。肥えた目から見ればどんなアクションを持って来ても驚くことはもうないだろうとおもっていたオートバイのチェイスシーンにも「うわっ!」と声を上げる始末だし、サイモン・ペグを起用した意味を最大限に発揮して大いに笑えるし、ヒッチコック映画をも彷彿とさせる個性的な顔の悪役も登場するし、トム・クルーズが離陸する飛行機にぶら下がるシーンや水の中でのもう息が続かない段階での一か八かのギャンブルをやらなきゃならないシーンなどなど、とことん荒唐無稽を突き詰めているところにはとても好感が持てた。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の脚本も書いていたクリストファー・マッカリーは、今までの映画とはちょっと違ったひねったことをするところが素晴らしい。今後も注目しようとおもう。

→クリストファー・マッカリー→トム・クルーズ→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

野火

監督:塚本晋也
出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子、山本浩司、上高貴宏、入江庸仁、辻岡正人、山内まも留
制作:海獣シアター/2014
URL:http://nobi-movie.com
場所:ユーロスペース

今回の塚本晋也版を見てから、市川崑版を見直した。

二つの映画の印象を大きく異にさせているのは、視覚的、音響的に訴えるリアルでグロテスクな描写が塚本晋也版には多いことも然る事ながら、「永松」を演じているミッキー・カーチス(市川崑版)と森優作(塚本晋也版)とのキャラクター設定の違いもとても大きいとおもう。

ミッキー・カーチスの「永松」は飄々とした感じの世渡りの上手そうな人物として描かれていて、そこには人間の持つ愛らしさも一緒に見えて、殺し合って、飢えて、共食いするような行動にさえ、どこか小動物的な愛おしささえ感じてしまう。市川崑版『野火』の脚本を書いた和田夏十は、餓死に直面した人間が人肉を喰う、と云う重いテーマを、このミッキー・カーチスの「永松」のキャラクターで持って中和させて、極限的状況に追いつめられた人間が取る行動のバカらしさ、間抜けさ、でも憎めない愛らしさを最大限見つめ直した映画に仕立て上げていたような気がする。

森優作の「永松」にはそこまで人間としての面白さは感じられなくて、だからますます残虐さが際立っていて、映画の最初から最後まで人間の気持ち悪さしか感じることが出来なかった。もちろん塚本晋也はそこにポイントを置いて描いていて、だからそのどうしようもなく過酷、苛烈、醜悪な体験をすることができるこそがこの映画のすべてであって、市川崑版にくらべるととても人間を突き放した辛辣な映画にでき上がっている。

原作を同じにしていながらまったくタイプの違う映画だった。だからどちらが良い、悪いとは決めつけることがまったくできない。でも、個人的な好みから云えばやっぱり和田夏十の描いた市川崑版かなあ。

→塚本晋也→塚本晋也→海獣シアター/2014→ユーロスペース→★★★☆

彼は秘密の女ともだち

監督:フランソワ・オゾン
出演:アナイス・ドゥムースティエ、ロマン・デュリス、ラファエル・ペルソナス、イジルド・ル・ベスコ、オーロール・クレマン、ジャン=クロード・ボル=レダ、ブルーノ・ペラール
原題:Une nouvelle amie
制作:フランス/2014
URL:http://girlfriend-cinema.com
場所:新宿武蔵野館

自分のことをゲイであると意識している場合でも、自分を別の性であると意識した状態(女装や男装する可能性が高い)で異性のことを好きになるパターンと、自分のことをその性の状態のまま同性を好きになるパターンとの二種類があって、自分をストレートであると認識している場合でも、まるっきりのストレートと、潜在的意識下に異性の感情を多く持っているために、まるで同性への親近感のような意識でもって異性を好きになるパターンの二種類があるような気がする。さらに潜在的意識下に異性の感情を多く持っている場合には、まるで潜在的ストレートのような感覚で同性を好きになるようなパターンがあって、これは同性に対する友情やあこがれ程度にとどまるものじゃないかとおもう。

『彼は秘密の女ともだち』の中に出てくるクレールは、このパターンから云うと、潜在的意識下に男性の感情を多く持っているためにローラのことが好きだったのではないかと考えることができて、自分の夫に恋愛的感情を抱くのは潜在的ゲイだったのではないかと勝手に想像してしまう。だから、自分の夫がローラの夫とシャワーの中で行為に及んでいる妄想が意識下に芽生えたりする。

ローラの夫が女装するのは、潜在的意識下に女性の感情を多く持っているための行為であり、彼がストレートな感情でローラのことを好きになったと感じるのは、実際には男性としてではなく女性としてであり、もしかすると潜在的レズビアンだったのではないかと解釈してしまう。となると、この映画のラストシーンは、ゲイ(またはレズビアン)のカップルが誕生を予感させる終わり方だったと勝手に納得できた。

と、このように複雑なピースが最後にはぴったりと収まった気持ちのいい映画だったかと云うと、うーん、そうでもなかった。『8人の女たち』以降は、フランソワ・オゾンはいつも微妙。

→フランソワ・オゾン→アナイス・ドゥムースティエ→フランス/2014→新宿武蔵野館→★★★

共犯

監督:チャン・ロンジー
出演:ウー・チエンホー、チェン・カイユアン、トン・ユィカイ、ヤオ・アイニン、ウェン・チェンリン、サニー・ホン、リー・リエ、アリス・クー
原題:共犯/Partners in Crime
制作:台湾/2014
URL:http://www.u-picc.com/kyouhan/
場所:新宿武蔵野館

オープニングクレジットのバックに映し出されるイメージを見た途端に、中島哲也か! と叫んでしまって、もちろん声には出さないけど、そこから最後までその感覚から逃れることができなくなってしまった。まあ、中島哲也ほど、画面に映し出されるミュージッククリップのような人工的に作られたハッピー感とは裏腹に展開する人間の醜悪さとのギャップ幅が狭いので、そこから受ける精神的なダメージは少なかったけど、でもだからこそ、何だか中途半端な感じを受けてしまって、ラストの少女が飛び降りるシーンが生きてないなあ、とおもってしまった。

日本のflumpoolの曲が使われているところなども中島哲也臭を醸し出す一因なんだけど、その使い方があんまりうまくない。歌曲の使い方がもう少し画面とマッチしていたらもっと中島哲也なんだけど。いや別に、中島哲也に近づいて欲しいわけじゃないんだけど。

→チャン・ロンジー→ウー・チエンホー→台湾/2014→新宿武蔵野館→★★★

ベルファスト71

監督:ヤン・ドマジュ
出演:ジャック・オコンネル、ポール・アンダーソン、リチャード・ドーマー、ショーン・ハリス、バリー・キーガン、マーティン・マッキャン、チャーリー・マーフィ、サム・リード、キリアン・スコット、デビッド・ウィルモット
原題:’71
制作:イギリス/2014
URL:http://www.71.ayapro.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

北アイルランド紛争を描いた映画ならば何でも見たいので、知っている俳優がまったく出ていないにもかかわらずおもわず観に行ってしまった。そうしたらこれが拾いモノだった。拾いモノどころか、素晴らしい映画だった。

60年代から70年代に起きた北アイルランド紛争を描いた映画やドキュメンタリーは、そのほとんどがカトリック系から見たもので、イギリス側の軍隊などは個々の顔のまったく見えない冷酷無比な集団でしかなかった。ところがこの映画はイギリス軍側から描いた映画だった。それがまずは斬新だった。

イギリス軍の部隊を指揮する中尉がとても爽やかな人物で、武装する必要なんかないんだよ、俺たちはプロテスタント、カトリックにかかわらず市民の見方なんだよ、とかなんとか言って、武装せずにベレー帽だけでのこのこカトリック系地区に行ってしまう。途端に集団に囲まれて、ヤジを浴びせかけられ、唾を吐きかけられ、投石にも合い、イギリス軍側に怪我人を出してしまう。さらに子供に銃を奪われて、それを取り返しに行った二人の兵士のうち一人は顔面に銃弾を受けて即死。もう一人も必死に逃げるもカトリック系地区に取り残されてしまう。

この最初の導入部分が巧かった。平和ボケなイギリス軍中尉の軍隊への指示から始まって、カトリック系住民が徐々に怒りを募らせて行き、人の良さそうなイギリス軍の若い兵士がいきなり顔面に銃弾を受けて卒倒する場面へと続く流れは、最初は小太鼓だけから始まって、どんどんと木管楽器が加わって、最後にはフルオーケストラが奏でるラヴェルの「ボレロ」のようだった。イギリス軍がカトリック地区へ入って来たときに、そこに住んでいる女たちが自分の家の前に出てきて、周りに危険を知らせるかのようにゴミ箱のふたやフライパンなどで道路をずっとガンガン叩きつけていたけれど、それがこの連続したシーンの伴奏のように聞こえて来るほどだった。

入隊したばかりのイギリス軍兵士(ジャック・オコンネルが演じている)が、カトリック側の過激派に追われて必死に逃げ惑うシーンのカットのリズムも良くて、薄暗い画面からも緊迫感がひしひしと伝わってくる。細かい路地が入り組んでいるカトリック系地区の不気味さも半端なくて、この先が行き止まりなんじゃないかと云う恐怖が絶えずつきまとう。これではリアルなジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』じゃないか、とおもってしまった。

追いかけられていた兵士がやっとプロテスタント地区に逃げ込んで、その地区を仕切っているかのような口ぶりで話す大人びた子供とのやり取りが可愛らしいエピソードとして挟み込まれて、ホッと一息をついたのもつかの間、二人のいたバーで爆弾が大爆発。かろうじて命を取り留めた兵士の見たものは片腕を失ったその子供の死体だった。と、その落差に愕然となってしまう。

イギリス軍側も人の良い中尉や若い兵士だけではなくて、もちろん暗躍する工作員やそれを取り仕切っている将校(にはまったく見えないけど、中尉の上司なんだから将校なんでしょう)のうさん臭さもしっかりと描いていて、このようにそれぞれのシーンに強弱をつけて、そのコントラストを強めにしながら北アイルランド紛争の複雑さを明確にして行くところも素晴らしかった。

そして、イギリス軍を民衆が取り囲む最初のシーンから何となくカメラのフォーカスが合っていたカトリック系住民の若い男の子(妹に優しい兄)と逃げ惑う若いイギリス軍兵士(寄宿舎に預ける弟に優しい兄)との関係を徐々に結びつけて行って、ラストの辛い対決シーンへと収斂して行く部分を映画の骨格に据えている構成も良かった。

ふらりと観た映画がことのほか良かった場合にはその採点が甘くなるけど、この映画はそれを超えていたようにおもう。とても面白かった。

→ヤン・ドマジュ→ジャック・オコンネル→イギリス/2014→新宿武蔵野館→★★★★