ジュピター

監督:ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
出演:チャニング・テイタム、ミラ・クニス、ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ダグラス・ブース、タペンス・ミドルトン、ジェームズ・ダーシー、ティム・ピゴット=スミス、ペ・ドゥナ
原題:Jupiter Ascending
制作:アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/jupiterascending/index.html
場所:109シネマズ木場

ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やデヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』が魅力的なのは、広大な宇宙空間を舞台にして対立する善悪のキャラクターが立っているからで、特にスペースオペラでは悪役のキャラが抜きん出て立っていなければまったく映画として成立しない。ウォシャウスキー姉弟の『ジュピター』はその点ではまったくダメだった。今年のアカデミー主演男優賞を獲ったエディ・レッドメインは悪役のキャラとしてはあまりにもアクがなくて薄すぎるし、使えない部下のトカゲ野郎を殺してもダースベイダーがフォースによって部下の首を絞め上げるような残酷さが際立たない。だからヒーローのチャニング・テイタムが勝利を収めたとしても何のカタルシスも得られない対決シーンはひどいものだった。どちらかと云うと、チャニング・テイタムがミラ・クニスを救い出すシーンのほうが、360度ぐるっとカメラがダイナミックに動いて、そこがこの映画のクライマックスシーンだった。

スペースオペラのヒロインは、『スター・ウォーズ』のキャリー・フィッシャーのように、まあ、特に美女を求めるものでもないんだけど、ミラ・クニスはあまりにもブラックなイメージを感じてしまって、それを「Your Majesty」と崇め奉るのはどうにも違和感を覚えてしまう。だったら、ちょい役ながら『クラウド アトラス』に引き続いて登場の、ウォシャウスキー姉弟お気に入りのペ・ドゥナをヒロインに据えたほうがまだましだった。

→ラナ&アンディ・ウォシャウスキー→チャニング・テイタム→アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015→109シネマズ木場→★★☆

LEADER BIKES The Cure

街を走るのについにピストバイクに手を出す。
買ったのはアメリカのサンディエゴに拠点がある「LEADER BIKES」のThe Cure。
ピストバイクに乗るのは初めてなので、ギヤは固定ではなくフリーに。
トップチューブも高くて、サドルも高いので、まだまだ慣れないけど、坂を登るのが断然楽だ。
これだったら箱根越えもできるかもしれない。

プリデスティネーション

監督:マイケル&ピーター・スピエリッグ
出演:イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー、フレイヤー・スタッフォード、クリストファー・カービイ、ロブ・ジェンキンス、マデリーン・ウエスト、ジム・ノベロック、クリストファー・ストーレリー
原題:Predestination
制作:オーストラリア/2014
URL:http://www.predestination.jp
場所:渋谷TOEI

タイムトラベルの映画には絶えずパラドックスが付きまとう。だから、タイムトラベルと云う行為は絶対に不可能なんだと、いろいろな映画を見るたびにますます確信へと変わって行く。それなのに、その矛盾をなんとか回避しようと勝手なルールがいくつか存在する。その最もたるものが、過去へタイムスリップした時に自分自身とは会ってはいけない、と云うルールだ。でもそんなルールはいったい何の理論を元に決められたものだろう。なーんとなく、それはダメなんじゃないか、と云った曖昧なところから来ているに違いない。タイムトラベルが理論としてあり得ないのなら、そのようなルールは馬鹿げたことだ。

だったら、そんなルールはくそくらえ、と云う映画があっても良い。あやふやな理論を元にして成り立っているルールなら、そんなの無視して、どんどんと過去の自分に会っちゃえ、と云うタイムトラベルの映画があっても良い。

スピエリッグ兄弟の『プリデスティネーション』はまさにそんな映画だった。自分に会うどころか、自分の運命さえも自分で決めてしまっている。過去から未来へと向かう人生のタイムラインを歪曲させて繋ぎ合わせ、その中を行きつ戻りつ、複雑な軌道を描いて回転しているようだった。主人公のイーサン・ホークが云うように、自分の尻尾を喰う蛇のストーリーだった。

原作はロバート・ハインラインの『輪廻の蛇』。以下のブログのとてもわかりやすいストーリーの要約を読むと、映画は原作にとても忠実だったことがわかる。

http://hontama.blog.shinobi.jp/コラム「たまたま本の話」/第54回%E3%80%80「輪廻の蛇」と性転換(ロバート・アンソン・

ちょっと複雑なストーリーだけど、先の読めない展開はとててもわくわく、スリリングだった。

→マイケル&ピーター・スピエリッグ→イーサン・ホーク→オーストラリア/2014→渋谷TOEI→★★★☆

恐怖分子

監督:エドワード・ヤン(楊徳昌)
出演:コラ・ミャオ(繆騫人)、リー・リーチュン(李立群)、チン・スーチェ(金士傑)、クー・パオミン(顧寶明)、ワン・アン(王安)、マー・シャオチュン(馬邵君)
原題:恐怖份子
制作:台湾/1986
URL:http://kyofubunshi.com
場所:シアター・イメージフォーラム

さまざまな境遇の人たちを同時並行に描いて、それぞれのタイムラインが前後したり、時には交わったり離れて行ったりするような、まるで網の目のようなドラマ形式の群像劇が大好きだ。エドワード・ヤンの『恐怖分子』はその手のジャンルの映画だった。ただ、エドワード・ヤンの映画は説明過多には陥らない。いや、どちらかと云うと、ストーリーを追う上で重要ともおもわれるシーンを省略してしまっている。気持ち良いくらいにすっぱりと。

賞を取ったコラ・ミャオの小説はどんな内容だったんだろう?
ラストの夢ともおもえるシーンはその小説の内容とオーヴァーラップしていたんだろうか?
もしかしたらこの映画自体がコラ・ミャオの小説なのか?

映画を見ている我々に対して、手取り足取り説明しないぶん、想像の余地が無限に広がる。勝手な解釈がどんどんと膨らんで行く。エドワード・ヤンの映画の面白さはまさにそこにある。この映画をもう一度見たら、また何か違ったことを想像してしまうかもしれない。それはおそらくエドワード・ヤンが意図したものではないのかもしれないけど。いや、エドワード・ヤンはそういう行為をも意図していたはずだ。

→エドワード・ヤン(楊徳昌)→コラ・ミャオ(繆騫人)→台湾/1986→シアター・イメージフォーラム→★★★★

映画の中で小道具が効果的に使われていると、もうそれだけでその映画が好きになってしまう。そして、その小道具が欲しくなってしまう。手に入れることができさえすれば。

ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』(1960年)は、気分によってはオールタイムのベストワンに挙げてしまうほど大好きな映画だ。ストーリーが面白いのはもちろんのこと、それを補う小道具がどれも素敵だったからだ。邦題に使われている「鍵」からして重要な小道具であるし、他にも「コンパクトの鏡」「帽子」「シャンパン」など、どれを取っても気の利いた使い方がされている。ストーリーを左右するほどの小道具ではないけれども「テニスラケット」「ジン・ラミー」なども印象的だ。そんな中でも、この映画を最初に見た時から釘付けになってしまったのが、ローロデックスの回転式名刺ホルダーだった。

(YouTubeにスペイン語吹き替え版が消されずに残っていたので貼り付けてみる。ジャック・レモンがスペイン語を喋っているのでおかしなことになってるけど。)

保険会社の社員であるジャック・レモンは、上司が愛人と逢引きする場所として自分のアパートの部屋を提供している。しかし、風邪を引いてしまったために、今日予定している上司に断りの電話を入れる。その時に電話番号を調べるために使っていたのがローロデックスの名刺ホルダーだった。

奥行きのある巨大オフィスの中の仕事机を真正面から捉え、中央にはジャック・レモン、左側には今では考えられないほど大きな計算機、右端にはローロデックス。片手で受話器を持ち、もう一方の手でローロデックスを回して素早く電話番号を調べる姿は、フレームの中に収まった構図としても美しいし、と同時にジャック・レモンの手際の良さを象徴するシーンでもあって、その中でローロデックスが小道具として異彩を放っていた。

ローロデックスの名刺ホルダーが発売されたのは1958年()だそうだ。となると、販売してからすぐに映画で使われたことになる。映画のシーンを効果的に見せるためには小道具ひとつとっても重要で、いかにして的確なものが配置できるかは、絶えずいろいろな方向にアンテナを巡らせている必要がある。ネットも無い時代に、ビリー・ワイルダーの映画はそのセンスが抜群だった。

『アパートの鍵貸します』をはじめて見てから長い年月が流れ、すっかりネットショッピング時代に入ったちょうど2000年のころに、なぜかふと思い立って「ローロデックス」で検索してみると、扱っているネットストアが次々と出て来た。うわぁっ! と、すぐさま購入してしまった。今ではパソコンやスマートホンがあるので使う機会は失われてしまったけれど、クルクル回すのがとても小気味良いので、たまに意味もなくクルクルと回している。もうすっかり名刺を入れ替えてないので、クルッと回して出て来た名刺がもうどこの誰かもわからない場合もあるのだけれど。

ローロデックス

水牛に書いた文章を転載。

ソロモンの偽証 前篇・事件

監督:成島出
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、清水尋也、富田望生、前田航基、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、田畑智子、塚地武雅、池谷のぶえ、田中壮太郎、市川美和子、高川裕也、江口のりこ、安藤玉恵、木下ほうか、井上肇、中西美帆、松重豊、小日向文世、尾野真千子
制作:「ソロモンの偽証」製作委員会/2015
URL:http://solomon-movie.jp
場所:109シネマズ木場

宮部みゆきの単行本3巻にもおよぶ大部の原作を前後編に分けて成島出が映画化。

原作も読んでいないし、予告編を見たぐらいの事前情報だけなので、ストーリーの展開だけでグイグイと映画の中に引き込まれてしまう。オーデションで選ばれた藤野涼子を演じる藤野涼子(宮部みゆきの承認を得て、役名=芸名にしたそうだ)も初めての演技とはとてもおもえない素晴らしさで、この映画で成島出がポイントとして置いている「目の力」もとてもしっかりとしていて、自殺した(とおもわれる)同級生との目と目の対決はこの映画のキーとなるシーンとなって存在感があった。

成島出の演出は、まるで中島哲也の『告白』の対極にあるようなとても素直な、ストレートな演出で、もうちょっと中島哲也のような派手さがあったら良かったのに。特に親子の会話部分は、あまりにもまっすぐな視線の、とても正直な演出なのには鼻白んでしまう。まあ、中島哲也の方向へ振り切れてしまうと、それはそれで問題なんだけど。

後篇は4月11日からだそうだ。前篇を見ただけの想像だけど、ストーリーの推進力を保っているのは、殺したと告発されている同級生の弁護を引き受ける他校の生徒の子なので、おそらく後編もこの子が鍵になるとおもう。

→成島出→藤野涼子→「ソロモンの偽証」製作委員会/2015→109シネマズ木場→★★★☆

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、アレックス・ローサー、キーラ・ナイトレイ、マーク・ストロング、チャールズ・ダンス、アレン・リーチ、マシュー・ビアード、ロリー・キニア、ジャック・バノン、ヴィクトリア・ウィックス、デイヴィッド・チャーカム
原題:The Imitation Game
制作:イギリス、アメリカ/2014
URL:http://imitationgame.gaga.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

今年のアカデミー脚色賞は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のグレアム・ムーアが獲った。その時のスピーチが話題になった。

私は16歳の時、自殺未遂をしました。自分は人と違っていると思っていたし、いつも居場所が無かったんです。でも、私は今このステージに立っています。かつての自分がそうだったように、この映画を、そういう子供たちに捧げたい。自分は変わり者で居場所がないと感じている若者たちへ。君たちには居場所があります。そのままで大丈夫。輝く時が来るんだから。そして、いつか君がこのステージに立つ時がきたら、このメッセージを次につなげて欲しい。
http://genxy-net.com/post_theme04/movie20150224-2/

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、まさに「変わり者」の賛歌だった。人並みな感性を持ち合わせているだけでは、凡庸なことしかすることができない。あいつは変わってるよねえ、と云われてこそ、ものごとを異なる角度から見ることも出来るし、それによって誰をも成し遂げられなかった偉業も達成できる。天才数学者アラン・チューリングを題材にとって、そのことを最初から最後まで訴えている映画だった。

でも、そのパターンだけでは、どんな偉人にも当てはまることなので飽きてしまった。ナチスドイツの「エニグマ」を解読したマシン「クリストファー」のシステムのことや暗号解読のアルゴリズムのことなど、パーゾナルコンピュータの源流を見出した人間としての、もうちょっと技術的に突っ込んだ描写もあって、それらを常識からは逸脱したアラン・チューリングの言動と結びつける部分もあればもっと楽しめたのに。

→モルテン・ティルドゥム→ベネディクト・カンバーバッチ→イギリス、アメリカ/2014→新宿武蔵野館→★★★

フォックスキャッチャー

監督:ベネット・ミラー
出演:スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、シエナ・ミラー、マイケル・ホール
原題:Foxcatcher
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.foxcatcher-movie.jp
場所:ユナイテッドシネマとしまえん

ポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』は、戦争で心を病んだ男が流れ着いた先で、欠落した心を取り戻そうとするかのように、新たな人間関係を構築する際に見せる繊細な感情のゆらぎのようなものを映像化していた。ベネット・ミラーの『フォックスキャッチャー』を観ていて、その『ザ・マスター』を少なからずおもい出してしまった。ただ今回は、「マスター」に成ろうとして成り得なかった男と、「マスター」を求めてはっきりと裏切られた男の明快なストーリーだったけど。

子供の頃にしっかりと築き上げなければならない親子関係に欠損が生ずると、精神的にも充足されないまま成長してしまって、それをどこかで補おうとする力が働いたとしても不完全な形でしか達成できず、理不尽な不満しか後には残らない。そして、精神的な欠落が異常な行動へと走らせてしまう。デイヴ・シュルツを殺害したジョン・デュポンとはそんな男だった。それをスティーヴ・カレルが容貌もそっくりに演じていて、醸し出す負のオーラも一緒に演じているのが素晴らしかった。

ジョン・デュポンを「マスター」と仰ごうとするマーク・シュルツを演じるチャニング・テイタムも、兄のデイヴ・シュルツとの関係に影を落とす負のオーラを満開させていて、似たもの同士の二人がぶつかる先には不幸しか待ち受けていないだろうと云う予感しかなく、その息苦しさが支配しているストーリーはある意味、緊張感があって、ゾクゾクするほど面白かった。

このようなストーリーが好きなのは、ジョン・デュポンに感情移入できるからなんだろうなあ。まあ、普通じゃない。

→ベネット・ミラー→スティーヴ・カレル→アメリカ/2014→ユナイテッドシネマとしまえん→★★★★

アメリカン・スナイパー

監督:クリント・イーストウッド
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、マックス・チャールズ、ルーク・グライムス、カイル・ガルナー、サム・ジェーガー、ジェイク・マクドーマン、コリー・ハードリクト、サミー・シーク
原題:American Sniper
制作:アメリカ/2014
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/
場所:109シネマズ木場

最近のクリント・イーストウッド映画のレベルの高さを考えると、彼への要求が傑作程度の映画では満足し切れなくなってしまって、次回作も同等かそれ以上のレベルを求めてしまうようになってしまった。だからこそ、そんな映画ファンの鼻を明かすような『ジャージー・ボーイズ』と云う変化球を投入してきたクリント・イーストウッドのセンスの良さにはますます脱帽すると同時に、次はどんなことをやってくれるんだろうかとさらにハードルが上がってしまった。

『アメリカン・スナイパー』は、こちらの勝手な期待の高さに答えてくれたかと云うと、なんとも微妙な映画だった。いったいこの映画は、イラク戦争で160人も殺した伝説のスナイパーとしてのクリス・カイルにポイントを置く映画なのか、家族をないがしろにしてまで国に尽くす牧羊犬(シープドッグ)としての内的葛藤や戦闘の経験から来るPTSDに苦しむクリス・カイルに重きを置く映画なのか。もしその両方にスポットを当てているのだとしたら、二つの要素のバランスが中途半端だったんじゃないか、と少なからず不満を募らせてしまった。もちろん、水準レベル以上の映画なんだけど。

クリス・カイルのライバルとしてシリアの元オリンピックメダリストのムスタファを登場させるあたりは、往年のダーティハリーやマカロニ・ウェスタンを彷彿とさせて、そのアクション性がより鮮明になった分、後半のPTSDに苦しむクリス・カイルへの感情移入が随分とぼやけてしまったような気がする。だとしたら、どちらかに比重を極端に絞ったほうが良かったんじゃないかとおもえる。もし『ジャージー・ボーイズ』に続いて、さらに変化球で攻めてきて、ダーティハリーやマカロニ・ウェスタンへと回帰していたとしたら狂い死にしていたところだったのに。まあ、そんな映画はもう作らないだろうけど。

→クリント・イーストウッド→ブラッドリー・クーパー→アメリカ/2014→109シネマズ木場→★★★☆

花とアリス殺人事件

監督:岩井俊二
声:蒼井優、鈴木杏、平泉成、相田翔子、キムラ緑子、木村多江、勝地涼、黒木華、鈴木蘭々、郭智博
制作:ロックウェルアイズ、スティーブンスティーブン/2015
URL:http://hana-alice.jp
場所:T・ジョイ大泉

2004年の岩井俊二の映画『花とアリス』の前日譚としての今回の映画『花とアリス殺人事件』がなぜアニメーションなのかと疑問におもいつつ、それもロトスコープ(モデルの動きをカメラで撮影し、それをトレースしてアニメーションにする手法)を使うアニメならばなおさら、そのままの実写映画で何が問題なのかとの疑問はまったく拭いきれず、実際に映画を観てもやっぱりアニメにする必要性はまったくなかったんじゃないかとの確認ができただけだった。でも、その時にハッと現在の鈴木杏の顔が大きく浮かんできた。ああ、そうか、もう実写では無理なんだ! と納得してしまった。Googleで女優の名前と一緒に「劣化」と云うキーワードで複合検索する奴らって何なん? と日ごろから憤慨していたけど、うーん、鈴木杏は確かにとても残念だ。もちろん『花とアリス』から10年も経っているので、どっちにしたってそのままのキャストでは無理なんだろうけど。

岩井俊二の映画は、『Love Letter』を代表格として、偶然が巻き起こす不思議なエピソードがロマンチックに、そして時にはセンチメンタルに綴られて行って、ラストにはエピソードを収斂させるような見せ場となるシーンを必ず持って来て、見終わった後の感動の余韻を持たせるのがとても巧い。『花とアリス』では鈴木杏の涙ながらの嘘の告白をクローズアップで撮ったショットが素晴らしかったし、今回の『花とアリス殺人事件』でも、幼なじみの「ユダ」に再会して「お前が背中に蜂を入れたことは絶対に忘れないからな!」と云わせるシーンはなかなか良かった。もちろん、2004年の鈴木杏での実写であるべきだとはおもったけど。

映画の途中に、黒澤明『生きる』の志村喬と小田切みきがデートするシーンのそのままコピーのようなエピソードが出て来た。あれはいったい何だったんだろう? ってことをTweetしたら、他にも黒澤明的なシーンがあるらしいですよ、とのReplyが来た。何だろう? と映画的記憶をひっくり返したけど、さっぱりおもい浮かばない。あまりにも気持ちが悪いのでネット検索したら『天国と地獄』だった。

スナック芸大全 第88芸 天国と地獄

この紙切り芸が映画の中で使われただけだった。そんなの、わかるわけがない。

この紙切り芸を映画の中では鈴木蘭々の「陸奥睦美」が行う。あれ? このキャラは『花とアリス』に出て来たんだっけ? いや、これは『Love Letter』の「及川早苗」がモデルでした。

→岩井俊二→(声)蒼井優→ロックウェルアイズ、スティーブンスティーブン/2015→T・ジョイ大泉→★★★☆