清洲会議

監督:三谷幸喜
出演:役所広司、大泉洋、小日向文世、佐藤浩市、妻夫木聡、浅野忠信、寺島進、でんでん、松山ケンイチ、伊勢谷友介、鈴木京香、中谷美紀、剛力彩芽、阿南健治、染谷将太、篠井英介、戸田恵子、梶原善、瀬戸カトリーヌ、近藤芳正、浅野和之、中村勘九郎、天海祐希、西田敏行
制作:フジテレビジョン、東宝/2013
URL:http://www.kiyosukaigi.com/index.html
場所:109シネマズ木場

WOWOWで昨年末に放送された三谷幸喜のドラマ「大空港2013」は面白かった。地方の小さな空港で繰り広げられる家族5人+伯父+父親の愛人+娘の婚約者+空港職員+詐欺師のドタバタ喜劇は、まさに三谷幸喜ワールドが全開だった。やっぱり三谷幸喜は根っからの演劇人で、コンパクトなシチュエーションの中でストーリーを展開させて行くのにものすごく長けている。それは「やっぱり猫が好き」や「古畑任三郎」から続くテレビドラマには充分に生かされていて、特に「王様のレンストラン」は日本のテレビドラマ史上のベストの作品じゃないかとおもうくらいだ。

ところが映画となると、処女作の『ラジオの時間』はまだしも、その後の作品がまったく面白くない。笑えないのだ。笑ったとしても、クスリ、ぐらいだ。この『清洲会議』もすべてがダダ滑りしている。笑わせようとしているところが空回りしている。それなのに、まったく必要のないシークエンスも追加し放題。途中に何度も差し挟む阿南健治の滝川一益が必至で清洲会議へ駆けつけるくだりはいったい何の意味があるんだろう。天海祐希の忍びが大泉洋の羽柴秀吉を襲うくだりもまったくいらない。冗長になるだけだ。

三谷幸喜はもっとコンパクトな映画を作るべきだとおもう。出来たら1時間30分くらいのプログラムピクチャーを撮るべきだ。でも周りがそうさせないんだろうなあ。フジテレビと組むことによって三谷幸喜が死んでしまっている。

→三谷幸喜→役所広司→フジテレビジョン、東宝/2013→109シネマズ木場→★★

今年、映画館またはホールで観た映画は83本だった。良かった映画は次の通り。

ホビット 思いがけない冒険(ピーター・ジャクソン)
ゼロ・ダーク・サーティ(キャスリン・ビグロー)
奪命金(ジョニー・トー)
ザ・マスター(ポール・トーマス・アンダーソン)
ウィ・アンド・アイ(ミシェル・ゴンドリー)
天使の分け前(ケン・ローチ)
スプリング・ブレイカーズ(ハーモニー・コリン)
女っ気なし(ギョーム・ブラック)
地獄でなぜ悪い Why don’t you play in hell?(園子温)
悪の法則(リドリー・スコット)

この中では『ザ・マスター』が一番良かったかなあ。『女っ気なし』も好い。
公開映画ではないので除外したけど山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー)も素晴らしかった。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ

監督:ジム・ジャームッシュ
出演:トム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカ、ジョン・ハート、アントン・イェルチン
原題:Only Lovers Left Alive
制作:アメリカ/2013
URL:http://onlylovers.jp
場所:新宿武蔵野館

ヴァンパイアの出てくる映画がどれもこれも退廃的でアンニュイで耽美なイメージになってしまうのは、ヴァンパイアの特徴である、不老不死、吸血、弱日光、があるからどうしてもそうならざるを得ないのかもしれないけれど、いくらなんでも同じイメージばかりで厭きが来てしまっているのは否めない。でも、ヴァンパイア好きを公言してはばからない私は、他のヴァンパイア映画との小さな差異を目ざとく見つけて、そこに面白さを見出す、たゆまない努力を常に心がけている。

まずは、ティルダ・スウィントンの“イヴ”のビジュアルが良かった。最近のヴァンパイア映画には子どもやティーンエイジを主人公としているものが多かったので、トニー・スコット監督『ハンガー』のカトリーヌ・ドヌーヴ以来の久しぶりの美しい女性ヴァンパイアが出てきたんじゃないかとおもっている。(ヴァンパイア・ハンターものを除く)

次に、ヴァンパイアには欠かせない血液を輸血用血液製剤で賄っているところが面白かった。問題は、どうやって入手ルートを確保するかだろうけど、トム・ヒドルストンの“アダム”はミュージシャンとして成功していて、お金がふんだんに有り余っているのでそれはどうにでもなることだった。“アダム”がシューベルトの時代からミュージシャンとしての才能を発揮している設定は、ジョン・ハートの“マーロー”がシェークスピアの時代から文学的才能を発揮させている設定と共に、例えヴァンパイアになって不老不死を獲得したとしても、生き長らえるにはやはりそれなりの才覚や世渡り、時代への適応力が必要であることを匂わせているところも良かった。

“アダム”がアントン・イェルチンに木製の銃弾を作らせるシーンも斬新だった。 ヴァンパイアと云えば銀の銃弾をまずは発想するんだろうけど、そこは「狼男」と微妙に混ざってしまっている。ヴァンパイアならば木の杭で、それを心臓に突き刺すことによって不死に終わりを迎えることが出来るので、そこから来ている木製の銃弾なのだろう。

最近のヴァンパイア映画では『モールス』に次ぐ面白さだったが、はたしてヴァンパイア好きではない人の目にこの世界がどう映るのか。たぶん、退屈なんじゃないかとおもう。

→ジム・ジャームッシュ→トム・ヒドルストン→アメリカ/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

キャプテン・フィリップス

監督:ポール・グリーングラス
出演:トム・ハンクス、バーカッド・アブディ、バーカッド・アブディラマン、ファイサル・アメッド、マハト・M・アリ、マイケル・チャーナス、キャサリン・キーナー、デヴィッド・ウォーショフスキー、コーリイ・ジョンソン、クリス・マルケイ、ユル・ヴァスケス、マックス・マーティーニ
原題:Captain Phillips
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.captainphillips.jp
場所:109シネマズ木場

高野秀行著「謎の独立国家ソマリランド」(本の雑誌社)を読んで、いわゆるソマリアの海賊と云うもののほとんどがプントランド(ソマリアの北東部の地域)に住む人間の仕業であることを知った。そしてその海賊行為はとてもビジネスライクなもので、本を読む限りではそこに殺伐としたものを何も感じることはできなかった。だから、この『キャプテン・フィリップス』もプントランドの海賊の仕業で、どこかのどかな、間抜けな海賊行為かと勝手におもっていたらそうではなくて、南ソマリアの人間による行為だった。

新聞などで報道されるソマリア内戦とは南ソマリアでのことを指していて、ソマリランド(ソマリアの北西部の地域)やプントランドと違って今でもとても危険な地域で、アルカイダ系過激組織アルシャバーブの活動も、一時期よりは減ってはいるもののまだまだ活発らしい。そこの出身の男たちがこの映画の中に出てくる海賊だった。彼らはハウィエ氏族のハバル・ギディル支族(と、アメリカのネイビーシールズが分析していたような気がする)らしく、アイディード将軍(ソマリア内戦のきっかけを作った人物の一人)と同じ氏族、支族の男たちだった。「謎の独立国家ソマリランド」にも繰り返し書かれてあるように、ソマリアでは民族や宗教、思想よりも、この氏族・支族、そしてさらに分家がとても大事な血縁集団として核となって機能しており、そこの長老が絶対的な意思決定者として君臨している。映画の中ではこの「長老」も大事な小道具となって機能しているのが面白かった。

ソマリアの海賊たちを演じているのがバーカッド・アブディ、バーカッド・アブディラマン、ファイサル・アメッド、マハト・M・アリの4人。長年の内戦で倦み疲れた男たちを素人とはおもえない演技で映画を引き締めている。トム・ハンクスから、海賊なんてことをしてないでまともな職業に付け、と云われて、ここはアメリカとは違うんだ、と云うシーンが、『ジャイアンツ』の中のエリザベス・テイラーが云う、お金がすべてじゃないわ、に対してのジェームス・ディーンの、持ってる人はそう云うんです、を思い出させて印象的だった。

映画後半のほとんどのシーンが救命ボートの中なのにとても緊迫感があって、そこにポール・グリーングラス監督の力量を見た気がする。今まで軽視していたポール・グリーングラス監督の映画を今後は見ようとおもう。

→ポール・グリーングラス→トム・ハンクス→アメリカ/2013→109シネマズ木場→★★★★

ペコロスの母に会いに行く

監督:森崎東
出演:岩松了、赤木春恵、原田貴和子、加瀬亮、竹中直人、大和田健介、松本若菜、原田知世、宇崎竜童、温水洋一、穂積隆信
制作:「ペコロスの母に会いに行く」製作委員会/2013
URL:http://pecoross.jp
場所:新宿武蔵野館

森崎東監督の映画は『男はつらいよ フーテンの寅』と『ニワトリはハダシだ』くらいしか見たことがなくて、今まではなんとなくスルーしてしまっていたのだけれど、またまたTwitterの影響から映画館で観てみると、そのしっかりとした人物描写にものすごく落ち着いた気分にさせられてしまう。最近、ネットのGyaoで小津安二郎監督の映画を立て続けに見ているのだけれど、やっぱり日本映画の原点は真正面から捉えた人間の生きざまだよなあ、と改めておもう。もちろんテレビドラマの映画化のような慌ただしい映画があっても良いのだけど、たまには日本映画の伝統を引き継いでいるような映画を撮るような人が若い人の中から現れて良いんじゃないかとおもう。

それから、この映画で一番嬉しかったのは、原田姉妹の共演が見られたことだ。80年代に角川映画を多く見ていた人々が、今では親の介護をするような年齢に突入していることから来るキャスティングだったんじゃないかと、森崎東監督のきめ細やかなサービスに恐れ入ってしまう。

→森崎東→岩松了→「ペコロスの母に会いに行く」製作委員会/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

サラゴサの写本

監督:ヴォイチェフ・イエジー・ハス
出演:ズビグニエフ・チブルスキー、イガ・ツェンブジンスカ、エルジュビェタ・チジェフスカ、グスタフ・ホロベック
原題:Rekopis znaleziony w Saragossie
制作:ポーランド/1965
URL:
場所:シアターイメージフォーラム

日本では未公開だったカルト映画『サラゴサの写本』が昨年のポーランド映画祭ではじめて上映されて、Twitterでその情報が流れて来て、うわっ、と飛び上がったほどだったけど、あまりにも直前の情報だったので観に行くことが出来なかった。ああ、失敗したな、と悔やんでいたら、今年のポーランド映画祭でも上映してくれることになったので喜び勇んで観に行った。

不思議な挿し絵が画かれた一つの手稿から始まるストーリーは、回想の中に回想があって、さらにその回想、またさらにその回想と幾重にも回想が展開して行く。そのいくつにも階層化されたそれぞれのエピソードは、まるで一つ一つがモジュールと化していて、それぞれに物語の構成要素としての役割があって、その相互作用によって一つの映画が形作られているようにも見える。でも、それはあまりにも複雑すぎて、映画を1回観ただけではわからなかった。

このブログに書かれてあるように、原作は66日間のエピソードで構成されているらしい。やはり、とても構造化されたストーリーであることがわかる。もしかすると再帰的な構文構造にもなっているいるのかもしれない。来年の1月にはDVD、Blu-rayも発売されるようなのでもう一度見てみたい。そして原作も発売されるようなので読んでみたい。そうやって一つ一つひも解いて行きたいとおもわせるような映画だった。

→ヴォイチェフ・イエジー・ハス→ズビグニエフ・チブルスキー→ポーランド/1965→シアターイメージフォーラム→★★★★

悪の法則

監督:リドリー・スコット
出演:マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、ロージー・ペレス、ブルーノ・ガンツ、ルーベン・ブラデス、ディーン・ノリス
原題:The Counselor
制作:アメリカ、イギリス/2013
URL:http://www.foxmovies.jp/akuno-housoku/
場所:ユナイテッドシネマとしまえん

テレビやネットの報道を見た時に、その事件が起きている世界が自分の暮らしている世界と同じなんだろうかといつも疑問がわく。今まで生きてきた自分の世界には、たとえば家族や親戚や友人や会社の同僚に殺人を起こした者はいなかったし、もっと幅を広げてその友人に、さらにその友人の友人にも殺人事件を起こした人間がいたような噂は流れて来たことがなかった。じゃあ、毎日のように起きている殺人事件はどこで起きているんだろう。おそらくこの世の中にはいくつもの世界があって、それはいろんな階層に分かれて同時並行に進んでいて、たまたま自分は殺人が起きているような世界とは交わらなかっただけなのかもしれない。自分が生活する階層では、そのような事件が起きづらいのかもしれない。でも、この“欲”にまみれた時代では、すぐ隣のラインの世界では殺人が起きていて、そこへ知らずに入り込む可能性は充分にあって、ちょっとした欲望を見せただけで簡単に人を殺したり、誰かから殺されかねない世界が待っているんだろうとおもう。

コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」を映画化したコーエン兄弟の『ノーカントリー』の面白さは、一線を越えて踏み込んでしまった世界に待ちかまえていた異様な殺人鬼と対決せざるを得なくなった男の腹の括りようだった。ところが、同じコーマック・マッカーシーが脚本を書いたこの映画の面白さは、同じテーマであったとしても、安易に金儲けの世界に入り込んでしまって、そんなつもりではなかったんです、の言い訳の効かなさに右往左往する男の惨めさだった。些細なことですべてが崩壊してしまうような危うい世界に足を踏み入れてしまったと云う自覚のなさは、まるで自分がその世界に入り込んでしまったかのようだった。いかにして腹を括るべきなのか。それは昨今のとても重要なテーマだ。

この『悪の法則』は、小道具にもいろいろな意味を含ませているところが面白い。ダイヤモンド、豹、懺悔、クルマ、バイク。それらがすべてマイケル・ファスベンダーと共同で麻薬の事業をすることになるハビエル・バルデムの愛人キャメロン・ディアスにつながる。“永遠の命”であるダイヤモンドの品質評価に詳しく、豹の刺青を入れ、二人の男を捕食動物に例え、カトリックでもないのに神父に懺悔する。クルマとSEXし、バイクの男の首を刎ねることを命ずる。こいつは何だろう。おそらく悪魔だ、メフィストフェレスだ、リリスだ。『ノーカントリー』の殺人鬼アントン・シーガーがまた違った形で現れたのだ。ここにもまたコーマック・マッカーシーの共通しているテーマが隠れている。

→リドリー・スコット→マイケル・ファスベンダー→アメリカ、イギリス/2013→ユナイテッドシネマとしまえん→★★★★

女っ気なし/遭難者

監督:ギョーム・ブラック
出演:バンサン・マケーニュ、ロール・カラミー、コンスタンス・ルソー、ジュリアン・リュカ
原題:Un monde sans femmes / Le naufrage
制作:フランス/2011
URL:http://sylvain-movie.com/#id65
場所:ユーロスペース

自分の映画的嗅覚だけでは絶対に観ようとはおもわない映画をTwitterの評判に釣られて観に行って、それが当たりだったりするととても得した気分になる。この『女っ気なし』『遭難者』もその手の映画だった。エリック・ロメールやジャック・ロジエのような、バカンスと云うシチュエーションでの男と女の微妙な感情のすれ違いをとても丁寧に撮っている。例えば『女っ気なし』では、登場シーンの素っ気ない態度(と云うより、カメラはそこに焦点をまったく結んでいない)からはとても想像ができない娘役のコンスタンス・ルソーの、徐々に、少しずつ変わって行くバンサン・マケーニュに対する感情の変化の捉え方が絶妙だった。この丁寧な演出があるからこそ、ハゲでデブの冴えない男がティーンの女の子とベッドを共にしてしまうような、ありえないストーリーに真実味が出てくる。男から見れば、感情移入しまくりの映画になっていた。

『女っ気なし』は58分、『遭難者』は25分の短編映画だけど、小道具の使い方も良かった。特に『遭難者』ではジュリアン・リュカがVITUSの自転車に乗っているのに目が行ってしまった。ギョーム・ブラック監督はおそらく自転車乗りだ。

名門ブランドVITUS再び世界の舞台へ〜アンポスト・チェーンリアクション・ショーン・ケリーと共に

→ギョーム・ブラック→バンサン・マケーニュ→フランス/2011→ユーロスペース→★★★★

世界で一番美しい本を作る男 〜シュタイデルとの旅〜

監督:ゲレオン・ベツェル、ヨルグ・アドルフ
出演:ゲルハルト・シュタイデル、ギュンター・グラス、カール・ラガーフェルド、ロバート・フランク、ジョエル・スタンフフェルド、ロバート・アダムス、マーティン・パー、ジェフ・ウォール
原題:How to Make a Book with Steidl
制作:ドイツ/2010
URL:http://steidl-movie.com
場所:シアターイメージフォーラム

日本の出版業界の中にも、きめ細やかな仕事をする日本人の性格を反映して、組版や造本に執心する人は多い。おそらく、この映画に描かれているゲルハルト・シュタイデルと同じような情熱を持って、一つの本を作り上げている人はめずらしくないとおもう。ただ、日本の出版人と一つだけ違うのは、世界をまたにかけているグローバルさだった。タイトルから判断する映画の印象からすると、もっと組版や造本の技を追いかける映画ではないかとおもってしまったのだけれど、どちらかと云うと絶えず飛行機に乗って移動するシュタイデルの仕事の旅を追いかける映画だった。日本の出版人にも、少なくともアジアをまたにかけて仕事をする人が出てきてもおかしくないのかな、と、当初想像していたのとはまったく違う先に感想が落ち着いてしまった映画だった。

→ゲレオン・ベツェル、ヨルグ・アドルフ→ゲルハルト・シュタイデル→ドイツ/2010→シアターイメージフォーラム→★★★☆

ムード・インディゴ うたかたの日々

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:ロマン・デュリス、オドレイ・トトゥ、ガド・エルマレ、オマール・シー、アイッサ・メガ、シャルロット・ルボン、サッシャ・ブルド、フィリップ・トレトン
原題:L’ecume des jours
制作:フランス/2013
URL:http://moodindigo-movie.com
場所:シネマライズ

ミシェル・ゴンドリーが次に何を仕掛けて来るのか楽しみになって来ているのだけれど、今回の『ムード・インディゴ うたかたの日々』は、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』やジャン=ピエール・ジュネの『デリカテッセン』のような、一見すると私たちの地球と同じ時間が流れていて、同じ物理法則が働いている世界に見えながら、ところどころに不可思議な自然の法則が働いていて、それがとてもおかしくて、奇妙で、アンバランスで、シュールな世界を形作っている映画だった。中でも、映画の題名を「ムード・インディゴ」としていることからわかるようにデューク・エリントンの曲が全編に流れていて、それに合わせて“ビグルモア”と云う足がビヨ〜ンと伸びるダンスが特にシュールだった。

ムード・インディゴ うたかたの日々

このような種類の映画を面白く観るには、この不思議な世界観をすんなりと受け入れられて、いかにしてストーリーに同化できるかにかかっていている。でも、『未来世紀ブラジル』や『デリカテッセン』ではそれをすんなりと受け入れられたのに、残念ながらこの映画ではそうはいかなかった。“ビグルモア”のダンスシーンやスケルトンのリムジンとか哲学者“ジョン=ソル・バルトル”の眼鏡とか、ところどころに面白い仕掛けはいっぱいあったのに。もう一回見れば、また印象は違うのかなあ。

ムード・インディゴ うたかたの日々

→ミシェル・ゴンドリー→ロマン・デュリス→フランス/2013→シネマライズ→★★★