テレビのニュースを見ていたら、低予算の映画ながらに口コミで話題になって『カメラを止めるな!』のように上映館数が全国に拡大した映画があると取り上げていた。それが安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』だった。たしかにあちこちのシネコンでも上映していて、ユナイテッド・シネマ浦和でも1日1回だけ上映していたので観てみた。

幕末の会津藩士が現代にスリップして京都にある時代劇のセットに迷い込み、そこで「斬られ役」として生きていく主人公を描くことで、斜陽となってしまった時代劇への愛情を示すストーリーの設定は面白かった。それに「斬られ役」に代表される大部屋俳優への賛歌にもなっていたところもとても良かった。無名でもすばらしい俳優たちが数多くいることをこの映画自体が示しているところは時代劇の痛快さに通ずるところがあった。

ただ、全体的にきっちりと真面目に撮りすぎていて、それはそれでこのような低予算の映画には大切なことだとはおもうけれど、『カメラを止めるな!』が良かったのはちょっといい加減なところだったんだなあ、と云うことを再認識してしまった。でもそこは個人的な見解で、上映館数が広がるほどのとてもおもしろい映画であることには間違いなかった。

→安田淳一→山口馬木也→未来映画社/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:アレックス・ガーランド
出演:キルスティン・ダンスト、ヴァグネル・モウラ、スティーヴン・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニー、ソノヤ・ミズノ、ジェファーソン・ホワイト、ネルソン・リー、エヴァン・ライ、ニック・オファーマン、ジェシー・プレモンス
原題:Civil War
制作:アメリカ、イギリス/2024
URL:https://happinet-phantom.com/a24/civilwar/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

映画のタイトル『シビル・ウォー アメリカ最後の日』だけから判断したら、南北戦争のように分断されたアメリカ合衆国が内戦になる戦争映画だとおもってしまった。だからなんとなく、観なくてもいいかな、とおもっていた。でも監督が『エクス・マキナ』や『アナイアレイション -全滅領域-』を撮ったアレックス・ガーランドと聞いて、さらに「A24」の製作であることも聞いて、これは観に行かなければならない、となった。

観てみたらドンパチする戦争映画ではまったくなかった。なんと、戦場カメラマンや記者たちのロードムービーだった。

この映画の時代設定はよくわからない。おそらくは近未来と云うことなんだとおもう。政府に反発したテキサス州とカリフォルニア州が「西部勢力(Western Forces、WF)」として連合し、首都ワシントンD.C.へと向けて進軍しているさなか、戦場カメラマンのリー・スミス(キルスティン・ダンスト)と記者のジョエル(ヴァグネル・モウラ)は、ベテラン記者のサミー(スティーヴン・ヘンダーソン)と駆け出しの若いカメラマン、ジェシー(ケイリー・スピーニー)を連れて、追い詰められた大統領のインタビューをスクープするためワシントンD.C.へと向かおうとする。でも州道は寸断されていて、そのままワシントンD.C.へと向かうことは出来ず、ピッツバーグへ西進してからウェストバージニア州を通過して最前線のバージニア州シャーロッツビルへ向けて車を走らせる。

この映画は、無能な大統領によって引き起こされたアメリカ合衆国での内戦の恐怖を描くことを軸としながらも、さらに大きなテーマとして、リー・スミス(キルスティン・ダンスト)が若いジェシー(ケイリー・スピーニー)に対して稚拙さを感じながらも自分の若い頃を重ねて見て、彼女の成長を静かに見守る映画になっていたところが普通のドンパチする戦争映画とは違うところだった。

若いジェシーが憧れのリー・スミスにはじめて会ったとき「同じく尊敬するリー・ミラーと名前が一緒で」と云うセリフがあった。リー・ミラー? 誰? あとから検索すると、とても有名な女性の写真家だった。

リー・ミラーは、まずはファッションモデルとしてキャリアをスタートさせて、そのあと戦場カメラマンへとなった、とても特異な人生を歩んだ女性だった。とくに第二次世界大戦下でノルマンディー上陸作戦やダッハウなどの強制収容所でのナチスの戦争犯罪の痕跡をとらえた写真がとても有名らしい。アレックス・ガーランド監督はリー・ミラーを尊敬していて、キルステン・ダンストが演じるリー・スミスはそのリー・ミラーの名前にちなんでいるらしい。

参考ページ:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/civil-war-lee-miller-202410

それからこの映画で触れなければならないのはやはりジェシー・プレモンスの怖さだ。ジェシー・プレモンスって、昔はマット・デイモンの二番煎じ的な俳優としてしか見ていなかったけれど、最近は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』『憐れみの3章』と、役者として攻めて来ている。良い役者だ。

→アレックス・ガーランド→キルスティン・ダンスト→アメリカ、イギリス/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ
原題:Joker: Folie à Deux
制作:アメリカ/2024
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の前作『ジョーカー』を観て、それがDCコミックス「バットマン」シリーズに登場するスーパーヴィラン「ジョーカー」のストーリーであることを忘れてしまって、殺人を犯してしまう一人の男のそれに至る、孤立感や劣等感、焦燥感、絶望感などを共に体験する映画として、どっぷりとのめり込んでしまった。こんなにアーサー・フレック(ジョーカー)に対して一心同体となってしまう理由は、常日頃から何か大きな事件があるごとに犯人を糾弾する気にはなれずに、その犯人がいかにしてその犯行に至ったのかにばかり気持ちが向いてしまう傾向があるからで、それはやはり自分が社会人になったころに宮崎勤が起こした事件がPTSDのように自分の内面に居座り続けているからに他ならないとおもっている。

部屋いっぱいにうず高く積まれたビデオテープの山を見て、オレの部屋じゃないか! の衝撃は計り知れなかった。じゃあどうして彼は犯行を起こして、自分は犯行を起こさないでいられたのか。そこには「運」しか存在しないように見えた。自分だって、ボタンの掛け違いが起きれば宮崎勤になっていた可能性を感じたからこそ、最近の事件で云えば、例えば「京都アニメーション放火殺人事件」の犯人に対してさえも、彼の「自分の作品が盗作された」ことに対する怒りがどこから来るのか、その強烈な怒りはどんなものだったのかばかりに気持ちが行ってしまう。

何を持ってして、ひとりの人間の怒りをマックスレベルに振り切れさせるかと云えば、自分の持っている才能が世間に認められないことが一番のような気がする。最近のSNSでも見られる承認欲求ほど、それがマイナス面に働くと爆発的な感情に触れてしまう。『ジョーカー』のアーサー・フレック(ジョーカー)も、自分の笑いのギャグを過大評価していて、さらに家族との関係、緊張すると発作的に笑い出してしまう病気などが合わさって、自分が世間に認められない焦燥感が他の人よりも大きくなってしまっていた。そこから殺人へ突き進む過程は、まさに犯罪者の心理を云い得ているように見えてしまった。

その『ジョーカー』から引き継いでの2作目『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』がどこへ向かうのか謎だったけれど、なんと「愛」の物語だった。それもミュージカルで。

ミュージカルって、突然歌い出すことに違和感を覚える人もいて、たしかに我々の日常で突然歌い出すことなんてない。もしそんな人がいたら、ちょっと頭のおかしい人だ。でも、映画が人を楽しませるエンターテインメントだとしたら、突然歌い出したとしてもそれが場を盛り上げる作用を引き起こすのであれば大いにあり得る。アーサー・フレック(ジョーカー)は人を笑わせるコメディアンを目指していたわけだから、彼の「愛」の物語にエンターテインメントとしてのミュージカルを使うのは一つの大きな効果をもたらせていたようにおもう。

この映画の中でも引用された映画『バンド・ワゴン』(1953)の中で歌われた名曲“That’s Entertainment!”に次のような歌詞がある。

Where a chap kills his father
男が父親を殺す場所

And causes a lot of bother
そして多くの迷惑を引き起こす

The clerk who is thrown out of work
仕事を追われる店員

By the boss who is thrown for a loss
負けて放り出された上司に

By this girl who is doing him dirt
彼に汚いことをしているこの女の子によって

The world is a stage,
世界は舞台であり、

The stage is a world of entertainment!
舞台はエンターテイメントの世界!

(Google翻訳を使用)

まるでアーサー・フレック(ジョーカー)がいた世界を云っているようだ。たとえ暴力や殺人を美化しているように見える映画だとしても舞台はエンターテイメントの世界。脚本を書いたトッド・フィリップスとスコット・シルヴァーは、そこに注目してさらにミュージカルに仕立てようにも見える。

でも「ジョーカー」のストーリーなのでハッピーエンドと云うわけにはいかなかった。アーサー・フレック(ジョーカー)は失望のなかで人生の幕を閉じる。これでトッド・フィリップスが作りあげたオリジナルnの「ジョーカー」は終わったのか? いやいや、彼の遺伝子はハーレイ・クイン(レディー・ガガ)の中に残った。「ジョーカー」のストーリーはまだまだ続く。

→トッド・フィリップス→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:ジェシー・プレモンス、エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ホン・チャウ、ジョー・アルウィン、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファー、ヨルゴス・ステファナコス
原題:Kinds of Kindness
制作:アメリカ、イギリス、アイルランド/2024
URL:https://www.searchlightpictures.jp/movies/kindsofkindness
場所:イオンシネマ大宮

ヨルゴス・ランティモスの新作がもうやって来た。前作の『哀れなるものたち』とキャストがダブるので、並行して撮っていたんじゃないかとおもえるほどの矢継ぎ早の公開だった。

今回の『憐れみの3章』は邦題が示す通り、3つの短編からなるオムニバス映画。すべてをヨルゴス・ランティモスが撮っているので「オムニバス」とは云わないのかなあ。「アンソロジー」映画かな。

第1話は「R.M.F. の死」と云うタイトルが付いていて、上司から絶対的に支配されている男のはなし。男は上司から「R.M.F. 」と云う名の男を交通事故に見せかけて殺すことを命令されるが、どうしても殺人は出来ないと拒否してしまう。そのために上司からすべてを取り上げられた男は、なんとか信頼を取ろ戻そうと格闘する。

第2話は「R.M.F. は飛ぶ」。海難事故から奇跡的に助かった妻を向かい入れる警官のはなし。昔の妻とはどうしても別人に見えてしまう警官は、妻に無理難題を押し付ける。

第3話は「R.M.F. サンドイッチを食べる」。カルト指導者から依頼されて、死者を蘇らす能力を持つ特別な人物を懸命に探す女。その最中に、元夫から睡眠薬を飲まされて無理やり関係を持たされてしまう。体が汚れてしまった女は指導者から追放されて…。

どれもヘンテコなストーリーで、ヨルゴス・ランティモスらしいけれど、いつもよりは肉欲、食欲、支配欲などの人間のグロテスクさが抑え気味で、そこはヨルゴス・ランティモスらしからぬ、とてもクールな映画だった。だからこそ一般の人へも向けられた映画ではあるのだけれど、土曜日のシネコン、お昼の12時の回で、私を含めて観客は二人だけだった。

ところで、それぞれのストーリーのタイトルに出てくる「R.M.F.」って何? 第1話では交通事故に見せかけて殺される男のことなので「R.M.F. の死」はそのとおりだ。でも第2話では、ただ単に海難事故の女性を救うヘリコプターのパイロットの名前だった。「R.M.F. は飛ぶ」は、まあ、そのとおりなんだけど、タイトルにしてはまったく意味がない。第3話にいたっては、ただの死体だ。つまり「サンドイッチを食べる」ことさえしない。とおもっていたら、忘れてましたと云わんばかりに最後「R.M.F.」がサンドイッチを食べるシーンが付け加わった。

3つのストーリーはすべて「R.M.F.」でつながっている。「R.M.F.」を演じているのはヨルゴス・ステファナコス。最初「R.M.F.」はヨルゴス・ランティモス自身が演じているのかとおもってしまった。それぐらいに、どことなく似ている。だから「R.M.F.」には監督からのメッセージが込められているんじゃないのか、「R」「M」「F」には意味があって、それぞれが原題の「Kinds of Kindness(優しさの種類)」を表しているのではないか、と見てしまった。

ネットを探して見ると「R」は「Redemption(償還)」「M」は「Manipulation(操作)」「F」は「Faith(信仰)」じゃないか、と云っている人がいた。なるほど、とはおもうけれど、そこは監督に聞いてみないとわからない。

→ヨルゴス・ランティモス→ジェシー・プレモンス→アメリカ、イギリス、アイルランド/2024 →イオンシネマ大宮→★★★☆

監督:二村真弘
出演:林浩次(仮名)、林健治
制作:digTV/2024
URL:https://mommy-movie.jp
場所:シアター・イメージフォーラム

1998年(平成10年)7月25日、和歌山市園部の夏祭りで提供されたカレーに猛毒のヒ素が混入され、67人がヒ素中毒を発症し、小学生を含む4人が死亡した。当時、この「和歌山毒物カレー事件」の報道に接したとき、そのあまりの過熱報道に異様さを感じながらも、連日放映される民法のワイドショーを見れば見るほど犯人とされた林眞須美の有罪を、ご多分に漏れず、信じ込むようになって行った。

二村真弘監督の映画『マミー』の主人公は林眞須美の長男、林浩次(仮名)。事件当時、林眞須美とその次女が夏祭りのカレーの見張り番をしているのを目撃したあとに現場から離れた長男は、当時の母親の生活態度などから総合的に見てカレーに毒物を混入することなどあり得ないと云う主張をしている。もちろん肉親であることから客観性を欠くことはあるのだろうけれど、映画に登場する長男(顔にはぼかしが入っている)の言動からは、極力、客観性を保とうとしていることが見てとれる。と云うよりも、もし自分がこの長男の立場に立ったとしたらこんなに冷静でいられるのだろうか? とさえおもえるほどに、そのあまりに冷めた態度にはびっくりさせられた。

林眞須美を有罪とすることの問題点は、犯行動機が明確になってない、直接的な証拠が存在しない、にある。この事件がモヤモヤとするのはそこに尽きる。それに加えてこのドキュメンタリーでは、

・事件で使われたヒ素(亜ヒ酸)は林眞須美が持っていたものと同一性が認められる
・林眞須美がカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な行動をしていたことが目撃されている
・林眞須美は長年にわたって保険金詐欺にかかわる殺人未遂等の犯行に及んでいた

についての反証も行っている。特に3つ目の「林眞須美は長年にわたって保険金詐欺にかかわる殺人未遂等の犯行に及んでいた」は、直接的な証拠ではないにしても、彼女へ疑いを向けざるを得ない大きなポイントになっているとおもう。ところがそれも、夫の林健治や長男によって事実と反することが詳しく語られている。肉親であることからその証言は裁判では採用されていないのかもしれないけれど、もし林眞須美が首謀者として保険金詐欺を計画していなかったとすると彼女を有罪とするモヤモヤ度がますます深くなってしまう。

事件から26年。その後のネットでのコミュニュケーションを経験し、やっと最近、SNSでの書き込みを客観的に見ることができるようになって、ものごとを一方的に見ることの怖さを学習してから「和歌山毒物カレー事件」を振り返ると、やはり当時の過熱報道は公平さを欠いてたように見える。あいつはおかしい、あいつがやったに違いない、と云う決めつけたイメージをマスコミがどんどんと垂れ流した結果のようにもおもえる。

このドキュメンタリーを見て、当時の和歌山市園部のコミュニティがどんなものだったのかがとても気になった。もちろん二村真弘監督もそれを明らかにしようと努力して、ちょっと行き過ぎて警察のお世話になりながらも、なんとか当時の住民の証言を取ろうとしていた。でも、ことごとく門前払いだった。あの事件のことは思い出したくもない、はわかるのだけれど、そのかたくなな姿勢がとても不気味におもえた。ただ怪しいと云うことだけで林眞須美を有罪とすることの底の浅さを露呈したとも云える。おそらくは、もっと闇は深い。それを明らかにさせたドキュメンタリーだった。

→二村真弘→林浩次(仮名)→digTV/2024→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:三谷幸喜
出演:長澤まさみ、西島秀俊、松坂桃李、瀬戸康史、遠藤憲一、小林隆、坂東彌十郎、戸塚純貴、阿南健治、梶原善、宮澤エマ
制作:フジテレビジョン、東宝/2024
URL:https://suomi-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

三谷幸喜の最初の映画『ラヂオの時間』(1997)は、さすが三谷幸喜だな、と手放しで喜んだことを覚えている。でもそのあとの映画は、悪くないんだけどイマイチ、が続いて、『清須会議』(2013)はまったく楽しめなかった。三谷幸喜が書くドラマは、尺が100分くらいのなかでテンポよく展開させるコメディがベストで、だらだらと120分を越える映画は三谷幸喜には似つかわしくない。むかしのハリウッドのコメディ映画に精通している彼なら、そのあたりのことを理解しているはずなんだけれど。一度、フジテレビジョンと東宝の制作から離れて、もっとコンパクトな予算の範囲で映画を作って、劇団「東京サンシャインボーイズ」のころの原点に一度立ち戻ってみると良いのに。

で、今回の『スオミの話をしよう』は、尺が114分とコンパクトな映画には仕上がっていて、おもったよりは楽しめた。『スオミの話をしよう』の英語の題名が「ALL ABOUT SUOMI」であることから「All About Eve(イヴの総て)」を連想して、さらにそのジョーゼフ・L・マンキーウィッツから『三人の妻への手紙』(1949)のような「同じ人間の話をしているのに、人によって見え方が違う」をベースにしているのね、とおもい当たった。映画を観終わったあとにネットを検索すると、三谷幸喜がそのことに言及しているページを見つけた!(https://gendai.media/articles/-/136913?page=3

ただ、三谷幸喜なら、もうちょっとテンポを早くして、もっともっと笑いを盛り込めるはずだとはおもうんだけれど。惜しい映画だ。

→三谷幸喜→長澤まさみ→フジテレビジョン、東宝/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:リチャード・リンクレイター
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ、サンジャイ・ラオ、モリー・バーナード、エバン・ホルツマン、グラレン・ブライアント・バンクス
原題:Hit Man
制作:アメリカ/2023
URL:https://hit-man-movie.jp
場所:MOVIXさいたま

リチャード・リンクレイターのフィルモグラフィーを見ると様々なタイプの映画が並んでいる。イーサン・ホークとジュリー・デルピーが演じる男女の関係を、二人が実際に歳を取って行くままに撮り続けた『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)『ビフォア・サンセット』(2004)『ビフォア・ミッドナイト』(2013)の3部作や、ジャック・ブラックのアクの強い演技が笑える『スクール・オブ・ロック』(2003)、クリスチャン・マッケイが演じる若き日のオーソン・ウェルズが素晴らしい『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』(2008)などなど、リチャード・リンクレイターはなんでも撮れる職人監督のイメージだ。いや、製作や脚本までもするので職人の域を超えている。

そのリチャード・リンクレイターの新作『ヒットマン』も、まさに職人技と云えるようなシチュエーション・コメディだった。グレン・パウエルが演じていてる「ニセモノの殺し屋」が、過去の映画などで描かれてきたタフな殺し屋像を演じているうちに、内に引きこもる陰キャラを次第に開放して行くストーリーは観ていて楽しかった。と同時に、大人になってからも人の性格は変えられるよ、のメッセージは、笑いながらも痛烈に刺さるものだった。

主人公のグレン・パウエルが演じるゲイリー・ジョンソンは、講師として働きながら、警察のおとり捜査に協力してプロの殺し屋を演じた実在の人物だった。その人物をリチャード・リンクレイターと一緒にグレン・パウエル自らも脚本に参加してふくらませて作り上げたのがこの映画の主人公だった。リチャード・リンクレイターは俳優を脚本に参加させることがある。たしかに、演じやすいように現場でホンを書き換える必要があるのなら、まあ、いろいろと脚本家組合などの事情があるのだろうけれど、出演俳優を脚本に参加させるのは効率の良い方法なのかもしれない。

実際に人を殺すハメになってしまう主人公がハッピーエンドになるオチはちょっとひっかかるものがあるのだけれど、リチャード・リンクレイターの映画はいつも楽しむことができる。

→リチャード・リンクレイター→グレン・パウエル→アメリカ/2023 →MOVIXさいたま→★★★☆

監督:新藤兼人
出演:宇野重吉、乙羽信子、小沢栄太郎、千田是也、三島雅夫、稲葉義男、浜田寅彦、永井智雄、殿山泰司、清水将夫、永田靖、原保美、松本克平、中村是好、十朱久雄、森川信、三井弘次、内藤武敏、笹川恵三、金井大、中谷一郎、本郷淳、広井以津子、江角英明、原緋紗子、井川比佐志、田中邦衛
制作:近代映画協会、新世紀映画/1959
URL:
場所:武蔵大学50周年記念ホール

今年も武蔵大学で行われた「被爆者の声をうけつぐ映画祭」を観に行った。今回は新藤兼人監督の1959年の映画『第五福竜丸』を選んだ。有名な映画だけれども観るのは初めてで、1954年(昭和29年)3月1日にアメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件をドキュメンタリータッチで描いている映画だった。

新藤兼人監督の『裸の島』(1960)を観たとき、瀬戸内海の小さな島に住む4人家族の生活を淡々と、セリフ無しに撮る手法に驚いた。ドキュメンタリーに近い映画だけれども、もちろんカメラの構図はしっかりしているし、情緒的な音楽も入るし、長男の死と云うドラマティックなことも起こる。新藤兼人の映画がドキュメンタリーっぽい劇映画だとすると、原一男の映画は劇映画っぽいドキュメンタリー映画で、ドキュメンタリーと劇映画の境界線を意識するのにうってつけの映画だった。

『裸の島』の1年前に作られた『第五福竜丸』も、事実をしっかりと伝えるためにかドキュメンタリー調で撮られていたけれども、今ならばバイプレーヤーと云われる有名な脇役を大勢出演させていたので、俳優によりスポットが当てられたために劇映画の要素が強めになっていた。映画ファンとしては、大勢の脇役たちの演技を楽しむと同時に、歴史的な事件でもある第五福竜丸の被爆についてもしっかりと知識として得ることができたので、とても楽しめる映画になっていた。

映画が終わった後に都立第五福竜丸展示館の学芸員である安田和也さんによる講演があった。毎年、仕事の関係で夢の島にあるBumB東京スポーツ文化館へ行っているのだけれども、いつも第五福竜丸展示館の横を自転車で通り過ぎていた。今度は第五福竜丸展示館へ立ち寄ってみようとおもう。

→新藤兼人→宇野重吉→近代映画協会、新世紀映画/1959→武蔵大学50周年記念ホール→★★★☆

監督:フェデ・アルバレス
出演:ケイリー・スピーニー、デヴィッド・ジョンソン、アーチー・ルノー、イザベラ・メルセード、スパイク・ファーン、アイリーン・ウー
原題:Alien: Romulus
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/alien-romulus
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

最初の『エイリアン』が公開されてから45年。2017年の『エイリアン: コヴェナント』ですべてをやり尽くして、いくらなんでもこれで「エイリアン」シリーズの集結ではないかとおもっていたら、まだまだ、フェデ・アルバレスによる『エイリアン:ロムルス』と云う映画がやって来た。時系列で云えば、最初の『エイリアン』のすぐあとのストーリーで、本編からのスピンオフ的な位置づけになるらしい。

これだけ数多くの「エイリアン」映画が作られたあとの新作に期待することと云えば、どんな新しいアイデアを盛り込んでくれるんだろう、ぐらいしかない。それが無ければ新しい「エイリアン」を作る意味がない。と云うことで、『エイリアン:ロムルス』に新しい要素を期待しつつ観てみた。

なるほど、最初のリドリー・スコットの『エイリアン』に対するリスペクトはひしひしと感じられる。まったく陽が差さないジャクソン星はまるで『ブレードランナー』のようだ。「エイリアン」シリーズに受け継がれる「母体」から生み出されるものへの恐怖もパワーアップしている。でも「恐怖」と云う観点から云えば、『プロメテウス』や『エイリアン: コヴェナント』に比べると安っぽいホラー映画のようにも見えてしまうのは残念。新しいアイデアも、人間のDNAと合体した「エイリアン」が誕生したくらいかなあ。そのミュータントのデザインもまるで『未知との遭遇』の宇宙人のようで「エイリアン」に不可欠な圧倒的なパワーが感じられないのはいまいち。

そのミュータントを見て、デヴィッド・クローネンバーグだったらどんなデザインにするんだろうと考えてしまった。ああ、デヴィッド・クローネンバーグ版『エイリアン』が観たくなってしまった。

→フェデ・アルバレス→ケイリー・スピーニー→アメリカ/2024 →ユナイテッド・シネマ浦和→★★★

監督:押山清高
声:河合優実、吉田美月喜
制作:「ルックバック」製作委員会/2024
URL:https://lookback-anime.com
場所:MOVIXさいたま

「チェンソーマン」の藤本タツキが「少年ジャンプ+」に載せた全143ページからなる長編読み切りを押山清高がアニメ化。小学4年生の藤野と不登校の京本の女子二人が、切磋琢磨して一緒に漫画を描いて行く人生が描かれる。

コンビで漫画を書く人と云えば誰だって真っ先に藤子不二雄をあげるとおもう。その藤子不二雄の自伝的漫画が1977年から1982年に「週刊少年キング」で連載された「まんが道」で、当時、一番マイナーな漫画誌の「週刊少年キング」を毎週買って楽しみに読んでいた。

「まんが道」が面白かったのは、主人公の満賀道雄と才野茂がいろいろな成功、失敗を繰り返しながら漫画家として大成して行く過程が面白いこともさることながら、一緒にストーリーを考えて、手分けして絵を書いていく合作と云う作業がとても興味深かったのもその一因だった。二人して好きなことに打ち込み、徹夜で締切りを間に合わせたあとの達成感は、二人分以上の大きな清々しさを感じることができてしまった。

あれから、あんまりコミックを読まなくなってしまったのだけれど、ふとして見たTVアニメの「バクマン。」に目が止まってしまった。これも二人の少年がコンビを組んで漫画家を目指していくストーリーで、コミックを後から買って読むほどにすっかりはまってしまった。そこに「まんが道」と同様に、共同作業が見せる「1+1=2」以上の高揚感を見てしまった。

こんな流れから『ルックバック』も、そりゃツボにはまらないわけは無かった。映画好きからすれば、過去の映画の名シーンを彷彿とさせるカットをさりげなく入れてくるのも良かった。藤野が無理やり京本の手を引きながら走って振り返るシーンはとても映画的で、この構図は原作にもあるんだろうか? あるとしたら、藤本タツキはだいぶいろいろな映画を見ている。

「まんが道」の満賀道雄と才野茂は絶えず映画館に足を運んでいた。それはおそらく手塚治虫の名言「君たち、漫画から漫画の勉強をするのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」から来ていたとおもう。藤本タツキ原作の『ルックバック』はそこに繋がった。

→押山清高→(声)河合優実→「ルックバック」製作委員会/2024→MOVIXさいたま→★★★★