監督:リドリー・スコット
出演:マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、マートン・チョーカシュ、マイケル・マケルハットン、クライヴ・ラッセル、ハリエット・ウォルター、ナサニエル・パーカー、サム・ヘイゼルダイン、ベン・アフレック
原題:The Last Duel
制作:イギリス、アメリカ/2021
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/kettosaiban
場所:109シネマズ菖蒲
リドリー・スコットの『エイリアン』が話題になったころ、すぐさま彼の処女作が日本でも公開された。そのタイトルは『The Duellists』。邦題は『デュエリスト/決闘者』。時代は1800年ごろのフランス。粘着質のハーヴェイ・カイテルに目をつけられてしまったキース・キャラダインのふたりが決闘を繰り返すストーリーで、男の執念がぶつかり合う凄まじい映画だった。
その『The Duellists(デュエリスト/決闘者)』から44年。リドリー・スコットの新作として『The Last Duel』と云うタイトルの映画が公開された。邦題は『最後の決闘裁判』。時代は14世紀末の百年戦争中のフランス。親友であった従騎士のマット・デイモンとアダム・ドライバーのあいだに次第に溝ができて、マット・デイモンの妻ジョディ・カマーをアダム・ドライバーが性的暴行をしたことから裁判に発展。ふたりが決闘をすることでケリをつけることになる。
リドリー・スコットも83歳。処女作と似たような題材の映画を撮ることで、彼の映画人生の締めくくりをするつもりなのかと勘ぐってしまったが、マット・デイモンとアダム・ドライバーの決闘は、ハーヴェイ・カイテルとキース・キャラダインの決闘よりもさらに凄まじく、夫が負ければ生きたまま火あぶりの刑に処せられてしまう(どうしてそんなルールなんだ!)妻のジョディ・カマーの心理的動揺にも緊迫感があって、歳をとってもなお衰えを見せない、リドリー・スコットでしか撮れない鬼気迫る映画だった。
映画の構成としては、まるで黒澤明の『羅生門』(つまり芥川龍之介の小説「藪の中」)のような、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマーのそれぞれの視点で、決闘へと向かう顛末が繰り返して語られていて、『羅生門』ほどには食い違いを見せない、その微妙な視点の差異を見るのも楽しかった。
で、この3つの視点の中から、ジョディ・カマーがアダム・ドライバーに対して恋愛的な感情を持ったのか、がポイントにになって行く。当時は、セックスに快楽がなければ子どもはできない、と云う訳のわからない迷信がまかり通っていて、事件後に妊娠してしまったジョディ・カマーに対して、そのお腹の子どもはアダム・ドライバーの子で、快楽があったからこそ懐妊したのではないのか、と云う裁判での論点の解答を3つの視点から探って行くことができる。
つまりこの映画は、『デュエリスト/決闘者』と同じように男ふたりの決闘がメインの映画なのかとおもって観ていたら、そうではなくて、不必要にプライベートな部分にまでズケズケと踏み込んでくる女性へのレイプ裁判の理不尽さがメインのテーマだった。この映画で描かれる時代から長い時間を経ているのに、まるで現代の女性への人権を踏みにじったレイプ裁判を見ているようだった。
リドリー・スコットの、なおも衰えの見せない演出があってこその鬼気迫る人間模様が素晴らしかった。すぐさま次回作の『ハウス・オブ・グッチ』が控えている。楽しみだ。
→リドリー・スコット→マット・デイモン→ボイギリス、アメリカ/2021→109シネマズ菖蒲→★★★★