監督:マシュー・ヴォーン
出演:レイフ・ファインズ、ジェマ・アータートン、リス・エヴァンス、マシュー・グッド、トム・ホランダー、ハリス・ディキンソン、アーロン・テイラー=ジョンソン、ダニエル・ブリュール、ジャイモン・フンスー、チャールズ・ダンス
原題:The King’s Man
制作:アメリカ、イギリス/2021
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/kingsman_fa
場所:MOVIXさいたま

ヒットしたシリーズものの常道として、前日譚を描くことが多い。マシュー・ヴォーン『キングスマン:ファースト・エージェント』もまさにそれだった。ただ、その前日譚の映画を面白いと感じることはなかなかマレで、パッとおもいつく限りではリチャード・レスターの『新・明日に向って撃て! 』(1979)が良かったくらいだった。

おそらく前日譚の映画を面白いと感じない理由は、主人公の出自やストーリーの発端などを前日譚に組み込むときに、ああ、その前日譚のエピソードが伏線となって1作目のストーリーにつながっているのね、の流れに納得感がなかなか得られないからだとおもう。どうしても、あとから取って付けたようなストーリーとおもえてしまう。

「キングスマン」シリーズの第1作『キングスマン』(原題は「Kingsman: The Secret Service」)を面白いとおもった理由は、まずはイギリス(と云うか、イングランドと云うか、UKと云うのか)の伝統とも云える「ジェントルマン」を基本としたMI6ばりの裏の秘密組織があると云うことと、「ジェントルマン」に求められる「ノブレス・オブリージュ(貴族の義務)」の考えのもとに、名も知られずに無私の行動で世界の平和を守り抜く007やサンダーバードの流れを汲んでいるところだった。

そうした観点から見れば今回の『キングスマン:ファースト・エージェント』も楽しい映画ではあった。が、まあ、なんとなく同じことの繰り返しにも見えなくはなかった。このストーリーがあったからこそ第1作が成り立っているのね、との感覚は乏しかった。ボーア戦争からはじまって、第一次世界大戦、ロシア革命、ヒットラーの台頭など、ヨーロッパ近代史の出来事を盛り込んでいるところは面白かったのだけれど。

→マシュー・ヴォーン→レイフ・ファインズ→アメリカ、イギリス/2021→MOVIXさいたま→★★★

今年、映画館で観た映画は、昨年よりもさらに少なくなって34本。
コロナとは関係なくモチベーションの問題で、映画館に足を運ぶ機会が減っていくんじゃないかと危惧してきた。

それで、良かった映画は以下の通り。

聖なる犯罪者(ヤン・コマサ)
ノマドランド(クロエ・ジャオ)
ファーザー(フローリアン・ゼレール)
アメリカン・ユートピア(スパイク・リー)
プロミシング・ヤング・ウーマン(エメラルド・フェネル)
ドライブ・マイ・カー(濱口竜介)
最後の決闘裁判(リドリー・スコット)
ボストン市庁舎(フレデリック・ワイズマン)

で、Netflixで良かった作品は、なんと云っても「クイーンズ・ギャンビット」(スコット・フランク)。
アニャ・テイラー=ジョイの瞳に吸い込まれる一年だった。

監督:ラナ・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ニール・パトリック・ハリス、ジェイダ・ピンケット・スミス、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、ジェイダ・ピンケット・スミス、プリヤンカー・チョープラー・ジョナス、クリスティーナ・リッチ
原題:The Matrix Resurrections
制作:アメリカ/2021
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/matrix-movie/
場所:MOVIXさいたま

ウォシャウスキー兄弟(今は姉妹)の最初の『マトリックス』(1999年)は衝撃的だった。タランティーノとはまた違った角度からの彼らのオタク趣味満載の世界観は、キアヌ・リーブスがのけぞって弾丸をよけるシーンが代表されるようにそのビジュアルイメージも斬新で、ハードなSFでありながらも誰もが楽しめる歴史的な映画に仕上がっていた。

それから『マトリックス リローデッド』『マトリックス レボリューション』(2003年)が作られて、そして4作目の『マトリックス レザレクションズ』が3作目から18年も経って今年公開された。

『マトリックス レザレクションズ』を観るにあたって、過去の作品をおさらいしておこうかともおもったのだけれど、なんだか面倒くさくなって、まあ、どうにかなるだろうと、復習もせずに観に行ってしまった。

いやあ、どうにもならなかった。ストーリーは、おぼろげながらにしか理解できなかった。

で、家に帰ってからネットでストーリーを復習すると、過去の全3作をおさらいしてから観に行ったとしても、おそらく理解するのは不可能だったのかもしれなかった。それだけ、『マトリックス レボリューション』からのストーリーを無理やりこねくり回した結果のように見えてしまった。もう「マトリックス」シリーズは、いらないんじゃないの? とおもう反面、さらにこねくり回すことこそがラナ・ウォシャウスキーの本領発揮だともおもえるし、うーん、複雑。

とにかく、過去の3作品をこれから見返してみようとおもう。

→ラナ・ウォシャウスキー→キアヌ・リーブス→アメリカ/2021→MOVIXさいたま→★★★

監督:エドガー・ライト
出演:トーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、ダイアナ・リグ、リタ・トゥシンハム、マイケル・アジャオ、シノヴェ・カールセン、テレンス・スタンプ
原題:Last Night In Soho
制作:イギリス/2021
URL:https://lnis.jp
場所:MOVIXさいたま

あれ? エドガー・ライトの新作が来ている! と、なんの知識も入れずにあわてて『ラストナイト・イン・ソーホー』を映画館へ観に行ったら、ちょっと意外な60年代イギリスへの憧憬の情にあふれたサイコロジカルホラー映画だった。オープニングからピーター&ゴードンの「愛なき世界(A world Without Love) 」(1964年)が流れて、なんだかタランティーノっぽいなあ、とおもいながら観ていたら、途中から「クイーンズ・ギャンビット」のアニャ・テイラー=ジョイが出てきて、またすっかり彼女の瞳に吸い込まれてしまった。

アニャ・テイラー=ジョイの顔立ちは、オードリー・ヘップバーンが「ファニーフェイス」と云われていたころ(もちろんリアルタイムではない)をおもい出す風貌で、目が大きすぎて、両目が離れすぎているところのアンバランスさが、かえって彼女の美貌を引き立たせる結果になっていて、おもわずじーっと注視せざるを得ない女優だ。Netflixの「クイーンズ・ギャンビット」で彼女を見てからと云うものの、ふと目の大きい人形などを見たり、目の瞳を象徴させた広告を見たりするとアニャ・テイラー=ジョイの幻影が姿を表すようになってしまった。

そんなアニャ・テイラー=ジョイの濃いめの美貌はなんとなく60年代のイギリスにぴったりで、そこに『コレクター』(1965)や『世にも怪奇な物語』(1968)が印象的だった、やはり濃い! テレンス・スタンプとか、『女王陛下の007』(1969)のボンドガールだったダイアナ・リグをキャスティングしているところは、そこもまたタランティーノ風の60年代へのリスペクト満載の映画になっていた。

映画の体裁としてはサイコ的なホラーなんだけれど、どこかイギリス風のゴシックホラーも匂わせていて、ちょっとだけどジャック・クレイトンの『回転』(1961)をおもい出してしまった。最初にアニャ・テイラー=ジョイと云う女優を意識させた映画『ウィッチ』のイメージも兼ねると、彼女を使ってもっとゴリゴリのゴシックホラーを誰かが撮ってくれても良いのかもしれない。

と、いつもどおりエドガー・ライトの映画を十分に楽しむことができた。が、アニャ・テイラー=ジョイにばかり目が向いて、トーマシン・マッケンジーがすっかり霞んでしまった。だから最後のハッピーエンドも、めでたしめでたし、のような感覚にはまったくならなかった。ちょっとトーマシン・マッケンジーには可愛そうな役柄だった。

→エドガー・ライト→トーマシン・マッケンジー→イギリス/2021→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:マーティ・ウォルシュ(ボストン市長)ほかボストン市のみなさん
原題:City Hall
制作:アメリカ/2020
URL:https://cityhall-movie.com
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

フレデリック・ワイズマンの映画がやってきた。2019年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『インディアナ州モンロヴィア』を観て以来2年ぶり。公開を待ちわびる映画監督が何人かいるのだけれど、フレデリック・ワイズマンもその一人だ。

でも、フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画はどれも長尺なので、映画館に観に行くとなると一大イベントになってしまう。今回の『ボストン市庁舎』も274分の映画で、11時40分から観はじめて、1回の休憩を挟んで16時31分まで映画館にいることとなった。

いつも不思議におもうのは、フレデリック・ワイズマンの映画はその4時間30分もの長いあいだ、映画の題材に没頭できてしまうことだった。『ボストン市庁舎』の場合でも、まるで自分がボストン市民のような感覚に陥っていた。だから、なんとなく、東洋系の人に同胞感を持ってしまって、市の許可を得て大麻の店を開こうとする中国系の事業者の住民説明会では、近所の黒人のおばちゃんたちに、あーだこーだと、まくし立てられる側の中に自分が存在していた。とにかくアメリカの人は、どんなクラスの人でも、ちゃんと理論的に相手に対して要求できるんだよなあ。フレデリック・ワイズマンの映画を観て、いつもそこを感心してしまう。日本人もそうありたいもんだ。

マサチューセッツ州と云えば、1620年にメイフラワー号でイギリス人の清教徒が入植したところで、アメリカの歴史においても一番古い場所なので、なんとなくキリスト教的に保守的な地域ではないかと勝手におもっていた。ところが時代も大きく変わっていて、ヒスパニックの人も、南米の人も、アジア系の人も隣合わせで暮らしている。だからこそ問題も起きるのだろうし、でもだからこそダイナミックなんだろうし。そのような多種多様な問題をマーティ・ウォルシュ、ボストン市長はうまくまとめているように見えた。ちょっと、ボストンに暮らしてみたくなってしまった。

→フレデリック・ワイズマン→マーティ・ウォルシュ(ボストン市長)→アメリカ/2020→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

監督:クロエ・ジャオ
出演:ジェンマ・チャン、リチャード・マッデン、クメイル・ナンジアニ、リア・マクヒュー、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ローレン・リドロフ、バリー・コーガン、ドン・リー(マ・ドンソク)、キット・ハリントン、サルマ・ハエック、アンジェリーナ・ジョリー
原題:Eternals
制作:アメリカ/2021
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/eternals.html
場所:109シネマズ木場

今年のアカデミー作品賞を獲得した『ノマドランド』を撮ったクロエ・ジャオ監督がマーベル・コミックの「エターナルズ」を監督すると聞いたときに、それはまったく畑違いの映画を撮ることになるんじゃないのか、と誰しもがおもったことだろうとおもう。ところが、WOWOWでのアカデミー賞授賞式を見ていたら、途中に挟み込まれたクロエ・ジャオ監督へのオンラインのインタビューで、SexyZoneの中島健人からの問いに対して日本のコミック「幽☆遊☆白書」が大好きで、よく日本のコミックを読んでいたとの答えが帰ってきた。なんと、それだったら話しは変わってくる。クロエ・ジャオ監督の『エターナルズ』は、アン・リーの『ハルク』みたいなことにはならないのではないか、と、ちょっとだけ安心してしまった。

そして実際にクロエ・ジャオ監督の『エターナルズ』を観てみた。

うーん。ストーリーが複雑すぎて、なにがなにやら。
なので、映画を観終わってからネット検索して確認した。
おもいっきり要約すると、

宇宙創生のときから存在するコズミック・ビーイングと呼ばれる不死の種族「セレスティアルズ」はさまざまな惑星に知的生命体を誕生させてきた。同時に、その知的生命体を守るために「ディヴィアンツ」という生物をも作り出した。

ところが「ディヴィアンツ」が知的生命体をも捕食しはじめたので、「セレスティアルズ」は「ディヴィアンツ」を駆除するために「エターナルズ」を作り出した。地球にも7000年前に10人の「エターナルズ」が派遣された。

地球の「ディヴィアンツ」をすべて駆除したかに見えた10人の「エターナルズ」だが、突如、現代において「ディヴィアンツ」が復活したことに驚く。

再び「ディヴィアンツ」との戦いはじまる「エターナルズ」だが、「セレスティアルズ」の本当の目的は惑星の知的生命体のエネルギーを使って新たな「セレスティアルズ」を出現させることだった。

長らく地球の人類と生活をともにしてきた「エターナルズ」は、「セレスティアルズ」に意に反して、新たな「セレスティアルズ」である「ティアマト」の出現を阻止するべく「エターナルズ」全員のエネルギーをまとめる「ユニ・マインド」という装置を使って人類を助ける。

と云うような内容だった。いやー、何の予備知識もなく、これを理解するのにはちょっと無理があった。とは云っても、つまらなかったわけではなく、それなりに楽しんで観てしまったのだけれども。

で、クロエ・ジャオ監督がこのマーベルの映画を撮る意味はあったのだろうか。10人の「エターナルズ」が、それぞれ持っている能力に違いがあって、考え方にも大きな隔たりが合って、そのあたりの多様性を描いていることにクロエ・ジャオ監督が撮る意味を感じられなくもないけれど、うーん、こじつけのようにもおもえる。まあ、今回も、マーベルの映画は誰が撮ったとしても、一定の水準を超える映画を作ることのできる凄さを感じる回でした。

→クロエ・ジャオ→ジェンマ・チャン→アメリカ/2021→109シネマズ木場→★★★☆

監督:アレクサンダー・ナナウ
出演:カタリン・トロンタン、カメリア・ロイウ、テディ・ウルスレァヌ、ブラド・ボイクレスク、ナルチス・ホジャ
原題:Colectiv
制作:ルーマニア、ルクセンブルク、ドイツ/2019
URL:https://transformer.co.jp/m/colectiv/
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

2015年10月30日、ルーマニアの首都ブカレストにあるナイトクラブ「コレクティブ」で火災が発生。ひとつしかない出口に場内にいた人びとが殺到して、逃げ遅れた27人が死亡。さらに、その後の数ヶ月間で適切な治療を受けられなかった負傷者37人が亡くなる事態が発生した。

このドキュメンタリーのテーマは、「コレクティブ」の火災原因の探求がメインではないかと勝手に想像していた。ところがその火災は、この映画の語るべきテーマのきっかけに過ぎず、次第に社会主義国時代から引き継いでしまった製薬会社と病院経営者、政府関係者の巨大な癒着が、スポーツ紙の記者(と云うところがスゴイ!)によって明らかにされて行く過程が描かれていて、さらに腐敗にまみれた国のシステムを変革しようと奮闘する新しい大臣へ次第にカメラの焦点が当てられて行く。

このドキュメンタリー映画の驚くべきところは、現職大臣の執務室にまでカメラを入れているところだった。アレクサンダー・ナナウ監督が政府とどのような交渉をしたのかわからないのだけれども、そこまでオープンにしようとする姿勢が国としてあるのならば、すでに問題は解決の方向に進んでいるとも感じられるシーンだった。社会主義国であった時代の暗いイメージがあるからこそ、そこから反動するパワーが強いのかもしれない。透明性や可視化が大事と云いながらも黒塗りの文章しか出せない国よりは数倍マシに見えてしまった。

→アレクサンダー・ナナウ→カタリン・トロンタン→ルーマニア、ルクセンブルク、ドイツ/2019→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★★

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ティモシー・シャラメ、レベッカ・ファーガソン、オスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、ステラン・スカルスガルド、デイヴ・バウティスタ、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ゼンデイヤ、張震、シャロン・ダンカン=ブルースター、シャーロット・ランプリング、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデム
原題:Dune
制作:アメリカ/2021
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/dune-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

デイヴィッド・リンチが1984年に撮った『デューン/砂の惑星』は、 フランク・ハーバートの壮大な小説のダイジェスト版でしかない、としか評価されなかった。たしかに、そうだったとおもう。もちろんデイヴィッド・リンチだって、ふんだんに予算があれば、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が最初に構想した上映時間10時間以上にもなる「DUNE」と同等のものを撮りたかったはずだった。でも、当時はそんなことは許されるべくもなく、のちに3時間9分の再編集版もTV放映されたが、それを見ても印象としては映画版とそんなに変わらなかった。

デイヴィッド・リンチ版から月日が経ち、映画の制作環境もめまぐるしく変化して、ストリーミング配信での事業展開も加味されるようになったので、そこでの視聴が期待されるようなSF的な題材は、おそらくは予算が付きやすくなったのではないかと予想されるところでのドゥニ・ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』だった。

この映画も、やはりデイヴィッド・リンチ版と同じように1本で完結する映画ではないかとおもっていた。ところが、アメリカでの公開から1週間後、『Dune: Part Two』が2023年10月に劇場公開されることが決定した、との知らせが飛び込んできた。えっ? この映画は最初から2部作として作られたのか? それとも1本の映画として作って、興行成績を見てから続編の映画を作ることにしたのか?

今回の『Dune: Part One』を観て、ドゥニ・ヴィルヌーヴはこの映画を2部作のうちの前半としてしっかりと構想したとはおもえなかった。なんだろう? 都合上、バッサリと2時間半で切ったような映画に見えてしまった。だから、映画を観終わったあとの達成感が乏しく、次の章へと引き渡すワクワク感がまったくなかった。

だから、この『Dune: Part One』を見る限りでは、ダイジェスト版と云われようが何だろうが、やりたい放題のビジュアルを展開させたデイヴィッド・リンチ版のほうが良く見えてしまった。

とは云え、まだ「Part One」だけなので、やはり「Part Two」期待したいところ。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→ティモシー・シャラメ→アメリカ/2021→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:リドリー・スコット
出演:マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、マートン・チョーカシュ、マイケル・マケルハットン、クライヴ・ラッセル、ハリエット・ウォルター、ナサニエル・パーカー、サム・ヘイゼルダイン、ベン・アフレック
原題:The Last Duel
制作:イギリス、アメリカ/2021
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/kettosaiban
場所:109シネマズ菖蒲

リドリー・スコットの『エイリアン』が話題になったころ、すぐさま彼の処女作が日本でも公開された。そのタイトルは『The Duellists』。邦題は『デュエリスト/決闘者』。時代は1800年ごろのフランス。粘着質のハーヴェイ・カイテルに目をつけられてしまったキース・キャラダインのふたりが決闘を繰り返すストーリーで、男の執念がぶつかり合う凄まじい映画だった。

その『The Duellists(デュエリスト/決闘者)』から44年。リドリー・スコットの新作として『The Last Duel』と云うタイトルの映画が公開された。邦題は『最後の決闘裁判』。時代は14世紀末の百年戦争中のフランス。親友であった従騎士のマット・デイモンとアダム・ドライバーのあいだに次第に溝ができて、マット・デイモンの妻ジョディ・カマーをアダム・ドライバーが性的暴行をしたことから裁判に発展。ふたりが決闘をすることでケリをつけることになる。

リドリー・スコットも83歳。処女作と似たような題材の映画を撮ることで、彼の映画人生の締めくくりをするつもりなのかと勘ぐってしまったが、マット・デイモンとアダム・ドライバーの決闘は、ハーヴェイ・カイテルとキース・キャラダインの決闘よりもさらに凄まじく、夫が負ければ生きたまま火あぶりの刑に処せられてしまう(どうしてそんなルールなんだ!)妻のジョディ・カマーの心理的動揺にも緊迫感があって、歳をとってもなお衰えを見せない、リドリー・スコットでしか撮れない鬼気迫る映画だった。

映画の構成としては、まるで黒澤明の『羅生門』(つまり芥川龍之介の小説「藪の中」)のような、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマーのそれぞれの視点で、決闘へと向かう顛末が繰り返して語られていて、『羅生門』ほどには食い違いを見せない、その微妙な視点の差異を見るのも楽しかった。

で、この3つの視点の中から、ジョディ・カマーがアダム・ドライバーに対して恋愛的な感情を持ったのか、がポイントにになって行く。当時は、セックスに快楽がなければ子どもはできない、と云う訳のわからない迷信がまかり通っていて、事件後に妊娠してしまったジョディ・カマーに対して、そのお腹の子どもはアダム・ドライバーの子で、快楽があったからこそ懐妊したのではないのか、と云う裁判での論点の解答を3つの視点から探って行くことができる。

つまりこの映画は、『デュエリスト/決闘者』と同じように男ふたりの決闘がメインの映画なのかとおもって観ていたら、そうではなくて、不必要にプライベートな部分にまでズケズケと踏み込んでくる女性へのレイプ裁判の理不尽さがメインのテーマだった。この映画で描かれる時代から長い時間を経ているのに、まるで現代の女性への人権を踏みにじったレイプ裁判を見ているようだった。

リドリー・スコットの、なおも衰えの見せない演出があってこその鬼気迫る人間模様が素晴らしかった。すぐさま次回作の『ハウス・オブ・グッチ』が控えている。楽しみだ。

→リドリー・スコット→マット・デイモン→ボイギリス、アメリカ/2021→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・イサコヴィッチ、ヨハン・ヘルデンベルグ、レイモント・ティリ、ボリス・レアー、ディーノ・バイロヴィッチ、エミール・ハジハフィズベゴヴィッチ、エディタ・マロヴチッチ、エミナ・ムフティッチ、トゥーン・ルイクス、ジョーズブラウアーズ、レイナウト・ブッスマーカー、エルミン・ブラヴォ、ソル・ヴィンケン、ミシャ・フルショフ、ユダ・ゴスリンガ、エルミン・シヤミヤ、アウバン・ウカイ
原題:Quo vadis, Aida?
制作:ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド、フランス、ノルウェー/2020
URL:https://aida-movie.com
場所:新宿武蔵野館

バルカン半島の北西部に位置していたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1991年に起きたユーゴスラビア紛争によって崩壊し、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年3月にボシュニャク人(ムスリム人)を中心に独立を宣言した。この独立に不満も持ったボスニア・ヘルツェゴビナ内のセルビア人民族主義者は、ボスニア北部を中心に「スルプスカ共和国」を設立。クロアチア人の民族主義者も「ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国」を設立して、この三者による対立がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展した。

セルビア共和国に張り出すようにあるボスニア・ヘルツェゴビナの東部地域は、セルビア人にとってはセルビア共和国と地理的に連続した領土としか考えられず、ボシュニャク人住民の殺害や強制追放を繰り返す事態が起きていた。国連によって安全地域と設定された都市スレブレニツァには、そんな迫害から逃れたボシュニャク人の多くが流れ込んでいた。

1995年7月11日、スレブレニツァには国連保護隊(UNPROFOR)のオランダ兵士が駐留していたにもかかわらず、セルビア人の武装勢力が乗り込んできた。そして、ボシュニャク人の成人男性や少年約8000人を連れ去って殺害し、遺体を集団墓地に埋めると云うジェノサイドが起きた。

ヤスミラ・ジュバニッチ監督の『アイダよ、何処へ?』は、この「スレブレニツァの虐殺」を描いている。

この映画の中でのセルビア人武装勢力の野卑な行動があまりにも目に余るのだけれど、いろいろ調べてみるとボシュニャク人側がセルビア人を虐殺する事件も起きていて、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ほど、人間が断ち切ることのできない憎しみの連鎖が繰り返されてしまった戦争だったとおもい知らされてしまう。とにかく、同じ街に住んでいた隣の家の親父が敵となって、そいつに殺されることって何なん? と日本人には想像もできない世界を描いている。

映画の最後には、一見、平和を取り戻したようにボシュニャク人もセルビア人も一緒に暮らしているスレブレニツァが描かれているのだけれど、ちょっとしたきっかけでまた憎しみの連鎖が繰り返される可能性が透けて見えて、なんとも微妙な綱渡りの世界にも見える怖いラストシーンだった。

→ヤスミラ・ジュバニッチ→ヤスナ・ジュリチッチ→ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド、フランス、ノルウェー/2020→新宿武蔵野館→★★★★