監督:ジョーダン・ピール
出演:ダニエル・カルーヤ、アリソン・ウィリアムズ、ブラッドリー・ウィットフォード、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、スティーヴン・ルート、キース・スタンフィールド、キャサリン・キーナー
原題:Get Out
制作:アメリカ/2017
URL:http://getout.jp
場所:ギンレイホール

今年のアカデミー賞で脚本賞を獲ったジョーダン・ピール監督の『ゲット・アウト』はいつ公開されんだろう? なんて悠長なこと云っていたら、なんと、すでに公開済みだった! まあ、新人監督の撮ったオカルト、ホラー系の映画はよっぽどの話題にならない限り見逃しちゃうなあ。

『ゲット・アウト』についてはアカデミー賞の授賞式で得た情報からすると「ホラー系」だったので、ちょっとそっち系のショック演出に備えて観ていたら、「ホラー系」と云うよりもキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』(この映画の中でも言及があった)とかポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』のような「秘密結社」系タイプの映画だった。

ただ、それが「家族」や「親族」と云う枠組みの中で行われているので、ちょっとトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』も連想できて、最後に「じいちゃん、やるんだ!」のセリフが出てきた時には、まさに『悪魔のいけにえ』じゃん! と笑ってしまった。

この映画で一番怖かったのは黒人メイドの顔だなあ。あの、意味ありげの微笑み(その意味がストーリーが進むうちにだんだんとわかって来る)は、今おもい出してもゾクゾクする。ベティ・ガブリエルと云う女優だそうだ。絶対にアカデミー賞の助演女優賞を獲るべきだった。

→ジョーダン・ピール→ダニエル・カルーヤ→アメリカ/2017→ギンレイホール→★★★☆

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:タイ・シェリダン、オリヴィア・クック、マーク・ライランス、リナ・ウェイス、森崎ウィン、フィリップ・ツァオ、ベン・メンデルソーン、T・J・ミラー、サイモン・ペグ
原題:Ready Player One
制作:アメリカ/2018
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/readyplayerone/
場所:109シネマズ木場

スティーヴン・スピルバーグが監督した作品は、日本では今年になって『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が公開されたばかりなのに、続けざまに次回作の『レディ・プレイヤー1』が公開となった。まったく違うタイプの映画をこうも簡単に連発できる職人監督って、やっぱり素晴らしい!

『レディ・プレイヤー1』は「ゲーム」と「映画」が好きな人間にとってはたまらない映画だった。クエストを解く鍵がキューブリックの『シャイニング』だなんて、ああ、そんな「ゲーム」が欲しかった。『レディ・プレイヤー1』のゲーム版も欲しいなあ。Nintendo Switchあたりで出して欲しいよ。まあ、映画のゲーム化だなんてクソゲーが出来そうだけど。

それに、ところどころに映画の話題が出てくるところも楽しい。ジョン・ヒューズの作品とか、『ビルとテッドの大冒険』とか、『バカルー・バンザイ』とか、『メリーに首ったけ』とか。もちろん、『AKIRA』の金田のバイクやガンダム(微妙にガンダム世代ではないけど)にも大興奮! でも、この手のVR(仮想現実)やAR(拡張現実)をテーマにしたストーリーのお決まりのセリフでもある「リアルも大切」が出てきて一気に冷めてしまった。そういう決まったパターンは、いくらなんでも、もう、いらない。

→スティーヴン・スピルバーグ→タイ・シェリダン→アメリカ/2019→109シネマズ木場→★★★☆

監督:リー・アンクリッチ
声:石橋陽彩、藤木直人、橋本さとし、松雪泰子、磯辺万沙子、横山だいすけ、多田野曜平、佐々木睦
原題:Coco
制作:アメリカ/2017
URL:https://www.disney.co.jp/movie/remember-me.html
場所:109シネマズ木場

今年になって『シェイプ・オブ・ウォーター』『スリー・ビルボード』『ブラックパンサー』と公開されて、これらすべてが昨今の大きなトピックとなっている弱者や少数者へのヘイトやハラスメントの問題を隠喩している映画としかおもえなくて、その流れからするとメキシコを舞台にした『リメンバー・ミー』も同列に位置する映画だった。

メキシコの人々の生活に根ざしている死生観が反映されたストーリーはとても新鮮だった。特にメインにフィーチャーされるメキシコの祝祭日「死者の日」は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』を観た流れから読んだヨアン・グリロ著、山本昭代訳の「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱」の中でも、埼玉近代美術館で観た「ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」の絵の中でも、骸骨をメインビジュアルとしたおどろおどろしさだけが際立っていて、とても明るいイメージは持てなかったのだけれど、その実は先祖を敬い家族を大切にすることが謳われる盛大なお祭りでもあり、「死」を恐れるのではなくて、逆に笑い飛ばしてしまおうとするラテン系のノリの明るく楽しい祭りであったことも驚きだった。

この映画の中に、まるで小野不由美の「十二国記」の騎獣のような聖獣アレブリヘが出て来る。これがまるでフリーダ・カーロの絵のようにド派手でかっこよかった。実際にアレブリヘはメキシコを代表する民芸品で空想上の動物の木彫りのことだそうだ。

オアハカ・アラソラ村の「アレブリヘ」のおすすめ職人4選

うーん、これはちょっと欲しくなってしまった。どこかで手に入らないかな。

→リー・アンクリッチ→(声)石橋陽彩→アメリカ/2017→109シネマズ木場→★★★☆


監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープ、トム・ハンクス、サラ・ポールソン、ボブ・オデンカーク、トレイシー・レッツ、ブラッドリー・ウィットフォード、ブルース・グリーンウッド、マシュー・リス、キャリー・クーン、 アリソン・ブリー、ジェシー・プレモンス、デヴィッド・クロス、パット・ヒーリー、マイケル・スタールバーグ、スターク・サンズ
原題:The Post
制作:アメリカ/2017
URL:http://pentagonpapers-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

アメリカ国防省が早い段階で「ベトナム戦争は勝てない」と判断しておきながら、今まで戦争に負けたことがないメンツから、ベトナムから軍を引き上げることを躊躇してしまったことは今となっては公然の事実となっていて、そのような「アメリカ政治の恥部」とも云える事実がどのような経緯で世間一般に暴露されてしまったのかはあまり注意を持って調べようともしてなかった。

スティーヴン・スピルバーグ監督は『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』で、国防省が「ベトナム戦争は勝てない」との調査をまとめた報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」がワシントン・ポスト紙上で暴露されるまでの経緯を、ちょっとヒロイックな描写が強いけど、丁寧に、緊張感を持って描いていた。昔から、アラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』とか、シドニー・ルメット監督の『ネットワーク』のような、社会派と云われる映画が大好きなので、この映画もご多分に漏れず一気に集中して観てしまった。いやあ、面白かった。

まあ、日本のいまの状況で『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観れば森友学園や加計学園に関する問題とオーバーラップさせてしまうのは間違いないんだけど、内部から暴露する人間が現れる土壌と云うものが、義理や人情が重んじられる日本では、まだまだ、なんだろうなあ。自殺するくらいならメディアと協力して暴露すればいいのに。それに、行政と司法がはっきりと分立しているのかと云えば、それもちょっと疑問だし。なんだかんだと云われながら、その点においては日本よりアメリカのほうがマシだ。

→スティーヴン・スピルバーグ→メリル・ストリープ→アメリカ/2017→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソビッツ、ファンティーヌ・アルドゥアン、フランツ・ロゴフスキ、ローラ・ファーリンデン、トビー・ジョーンズ、ハッサム・ガンシー、ナビア・アッカリ
原題:Happy End
制作:フランス、ドイツ、オーストリア/2017
URL:http://longride.jp/happyend/
場所:新宿武蔵野館

ミヒャエル・ハネケの映画のタイトルに「ハッピー」なんて単語が使われていると、ハネケがいったいどんな「ハッピー」な映画を作るんだろうかと、いや、誰もが普通に考える「ハッピー」な映画を作るわけがない、とその内容を楽しみにしながら観に行った。

そうしたら、ほーら、やっぱりハネケの映画だった。登場人物たちがことごとく「ハッピー」な状態にはいないし、最後に「ハッピーエンド」が訪れるわけでもなかった。じゃあ、この映画のどこが「ハッピーエンド」なのかと考えてみると、このイヤな世の中からおさらばできることこそが「ハッピー」であると云っているとしかおもえない。ハネケは今回の映画のプロモーションの中のインタビューで、この映画の中にSNSを象徴的に使っていることからそのことに触れて、

日常を過ごすなかで、他者に対する共感や敬意がどんどん失われていると感じます。消費社会が蔓延し、利己主義的になっています。こうした変化は今に始まったことではなくて、ニーチェが「神は死んだ」と言った時から起こっていることかもしれません。
https://www.huffingtonpost.jp/hotaka-sugimoto/happy-end-2018-0227_a_23371764/

と語っている。

そうなんだよなあ。たとえどんなに悪人であってさえも敬意は必要で、見せかけの正義だけで相手を罵倒して良いとはかぎらない。イヤな世の中だ。はやくこんな世の中から「ハッピーエンド」を迎えたい。

→ミヒャエル・ハネケ→イザベル・ユペール→フランス、ドイツ、オーストリア/2017→新宿武蔵野館→★★★★

監督:クリス・マルケル
出演:カトリーヌ・ベルコジャ、大島渚
原題:Level 5
制作:フランス/1996
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

テリー・ギリアムの『12モンキーズ』(1995)が公開されたとき、クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1962)が原案であることが話題となって、その時にはじめて映画作家のクリス・マルケルの名前を知った。そのクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』は、普通にモノクロ撮影されたフィルムの中の1フレームを抜き出して、それをモノクロ写真のスライドショーのように連続して見せて行く手法を取っていて、その方法自体は特段に珍しいものではないけれども、近未来の廃墟となったパリと云う設定がモノクロのイメージとマッチしていて、少年時代の記憶に取り憑かれた男のノスタルジックなストーリーともぴったりと合っていた。

今回のアテネ・フランセ文化センターで観たクリス・マルケルの『レベル5』は、第二次世界大戦末期の沖縄の悲惨な戦闘が日本人でさえも記憶から抜け落ちてしまっていることを嘆いて、カトリーヌ・ベルコジャが演じているローラが亡き夫の残したコンピュータプログラムのゲーム「レベル5」をクリアして行くと云う設定で、過去の映画やドキュメンタリーフィルムの断片をコラージュのように重ねて見せていくことによって忘れ去られた沖縄の戦争を浮かび上がらせようとしていた。

まるで『ラ・ジュテ』をさらに発展させたような手法の映画だったけれども、じゃあ、沖縄の戦争のことを忘れてしまっている現実をわれわれが悔いるような映画になっていたかと云うと、うーん、その特異な手法ばかりに目が行ってしまって、本題がどこか置き去りになってしまったかのような印象を持ってしまった。新しい方法を追求しようとするクリス・マルケルの姿勢はとっても大好きなんだけれども。

→クリス・マルケル→カトリーヌ・ベルコジャ→フランス/1996→アテネ・フランセ文化センター→★★★

監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン、ラフィー・キャシディ、サニー・スリッチ、アリシア・シルバーストーン、ビル・キャンプ
原題:The Killing of a Sacred Deer
制作:イギリス、アイルランド/2017
URL:http://www.finefilms.co.jp/deer/
場所:シネマカリテ新宿

WOWOWでヨルゴス・ランティモス監督の『ロブスター』を見たとき、「家庭を持ち子孫を残すことが義務付けられた近未来」と云う設定に恐れおののき、自分にとってはなんとも不快なイメージの連続で、最後までどんよりとした気分にさせられる映画だった。

同じ監督の次回作も不快な気分にさせられるんじゃないかと半ば覚悟して観に行ったんだけど、これが『ロブスター』とは違って前のめりで観ることのできた面白い映画だった。

のめり込むことの出来た最大の理由は、先日観たマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』と同じように、善悪だけでは割り切れない人間のエゴイズムをはっきりとしたシチュエーションで見せてくれているからだった。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』は、父親を医療ミスで殺されたとおもっているバリー・コーガンが、担当医師のコリン・ファレルに対して逆恨みを持ち、なにか呪術的な不可思議な力を使って、

・妻、長女、長男のうちの一人を選べ。
・ステージ1として、その一人がまずは足が動かなくなる。
・ステージ2として、食欲が無くなって行く。
・ステージ3として、目から血が流れ出す。
・目から血が流れ出れば即、死ぬ。

を粛々と、静かに、遂行して行く。

この行為を止めさせようとするコリン・ファレルも、バリー・コーガンを監禁して暴力にまで及ぶが、どこか運命に身を委ねているような静かさがあって、妻のニコール・キッドマンも被害にあっている子供の母親とはおもえない冷静さを漂わせているところがとても不気味だった。

このように、映画全体として展開されている事象に相反する静かさが特徴的で、おだやかでありながら残酷的な世界観が観ているものの精神をキリキリと苛むような映画だった。面白い映画ではあったけれど気持ちに余裕があったから良いようなもので、ストレスを抱えた精神状態で観てたらキツイ映画だったろうなあ。

→ヨルゴス・ランティモス→コリン・ファレル→イギリス、アイルランド/2017→シネマカリテ新宿→★★★★

監督:クリント・イーストウッド
出演:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー、レイ・コラサーニ、マーク・ムーガリアン、イザベラ・リサチャー・ムーガリアン、クリス・ノーマン
原題:The 15:17 to Paris
制作:アメリカ/2018
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/
場所:109シネマズ菖蒲

87歳になったクリント・イーストウッドが繰り出した新たなる一手は、実際の事件に巻き込まれた当事者本人に自分自身を演じさせて、その事件を描く映画を撮ることだった。つまり、広い意味で云えばドキュメンタリー映画だった。

2年に1度の山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くと、いつも考えるのは「ドキュメンタリー」の定義だ。どこまでが「ドキュメンタリー」で、どこからが「フィクションのドラマ」なんだろう? 2015年のロバート&フランシス・フラハティ賞を獲ったペドロ・コスタの『ホースマネー』はドキュメンタリーと云えるんだろうか? 2017年のコンペティション部門の中でも、自殺した姉の生涯を様々な国の素人に演じさせたエスター・グールド監督の『自我との奇妙な恋』はドキュメンタリーと云えるんだろうか?

原一男は『ゆきゆきて、神軍』の撮影のときに、奥崎謙三から「いまの演技はどうだった?」と聞かれたと云う(2013年10月14日、山形グランドホテルでの原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談より)。つまり、人はカメラを向けられた時点で少なからず格好をつけるもので、そこに若干の脚色が入り込むのを排除しようがない。でも、被写体がちょっと格好をつけたからと云ってもそれもその人のスタイルの一つで、架空の設定で特定のキャラクターを演じるわけでなければフィクション映画になるわけじゃない。事実が逸脱されない程度に脚色されるだけだ。

となると、ドキュメンタリー映画と「事実を元にした映画」の境界線が微妙になってくる。どれだけ大きく脚色されるかにかかってくるのかなあ。

なんてことをつらつらと考えていたことから総合するとクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』は素晴らしいドキュメンタリー映画だとおもった。本人たちの自分自身を演じる演技も素晴らしいし、事件に関わったそれぞれの人びとのおもいを映画的な手法を屈しして浮かび上がらせることにも成功しているし。

クリント・イーストウッドはどうしてこんなに素晴らしいんだろう。いつまでも長生きしてほしい。

→クリント・イーストウッド→スペンサー・ストーン→アメリカ/2018→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ライアン・クーグラー
出演:チャドウィック・ボーズマン、マイケル・B・ジョーダン、ルピタ・ニョンゴ、ダナイ・グリラ、マーティン・フリーマン、ダニエル・カルーヤ、レティーシャ・ライト、ウィンストン・デューク
原題:Black Panther
制作:アメリカ/2018
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/blackpanther.html/
場所:109シネマズ木場

マーティン・マクドナー監督の『ブラックパンサー』のことを、いままでの「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズの流れから想像して、まあ、似たような勧善懲悪のストーリーではないかと勝手に想像していた。ところが、今年のアカデミー賞授賞式でも司会のジミー・キンメルがさかんに『ブラックパンサー』をいじっていたことからも察することができたように、今まで差別されてきた黒人が誇りや尊厳を取り戻せることができるような意味合いをストーリーのベースに持ってきて、そのうえに完全な「悪」(白人になるのか?)との闘いではなくて、極端な「善」(同胞の黒人)の暴走との闘いを持ってきたところに時代の複雑さを象徴させていた。

「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズがマンネリ化してきて、毎回「シリーズ最強の敵」が現れるパターンにうんざりしていたところに、いまの弱者や少数者へのハラスメントを撲滅するかのようにブラック・スーパーヒーローが現れた。この『ブラックパンサー』をどのように「アベンジャーズ」に組み込むんだろう? ただ飲み込まれてしまうだけではつまらないなあ。

→ライアン・クーグラー→チャドウィック・ボーズマン→アメリカ/2018→109シネマズ木場→★★★☆

監督:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、ジョン・ホークス、ピーター・ディンクレイジ、アビー・コーニッシュ、ルーカス・ヘッジズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
制作:アメリカ/2017
URL:http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/
場所:シネ・リーブル池袋

今年のアカデミー作品賞は、前評判ではマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』が獲るような勢いだったけれど、でも、ふたを開けてみたらギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』にかっさわれてしまった。それぞれの部門でも、主要部門とは云え主演女優賞のフランシス・マクドーマンドと助演男優賞のサム・ロックウェルの二つしか獲れなかった。

で、実際に映画を観てみると、まあ、これは個人の好みでしかないのだけれど、レイプされて焼き殺された娘の母親が進展しない犯人捜査に業を煮やして、

RAPED WHILE DYING(レイプされて殺されたのに)

AND STILL NO ARRESTS?(まだ逮捕されないなんて)

HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?(どうして、ウィロビー署長?)

の文字を書いた3つの大きな看板を出すワンシチュエーションで展開する『スリー・ビルボード』のほうが『シェイプ・オブ・ウォーター』よりも面白かった。

娘を殺された怒りから、そして殺される前に娘へ発した暴言に対する自責の念も加わって、めちゃくちゃに暴走する母親役のフランシス・マクドーマンドがかっこよかった。これだったら主演女優賞も納得できる。

今まで平凡に暮らして来た人が犯罪被害者の肉親であることから、世間の矢面に立って活動家に変貌する人を数多く見てきたけれど、もしかするとそれは誰にでも当てはまるのかなあ。自分もそうなるんだろうか? フランシス・マクドーマンドのように警察署に火炎瓶を投げ込むまでに怒りを持続できるのか、それはちょっと疑問だけど。

フランシス・マクドーマンドに反発しながらも最後は犯人捜査を手助けして行くことになるディクソン巡査役のサム・ロックウェルや、この母親にしてこの子ありをうまく表現しているサム・ロックウェルの母親役のサンディ・マーティン、そして『スウィート17モンスター』に続いて素晴らしかったウィロビー署長役のウディ・ハレルソンなど、やっぱり脇役が充実していると映画は面白い。

→マーティン・マクドナー→フランシス・マクドーマンド→アメリカ/2017→シネ・リーブル池袋→★★★★