監督:古居みずえ
出演:菅野榮子、菅野芳子
制作:映画「飯舘村の母ちゃんたち」制作支援の会/2016
URL:https://www.iitate-mother.com
場所:武蔵大学江古田キャンパス 地下1002シアター教室

2014年に福島の南相馬で毎年行われる相馬野馬追祭りへ行った時に車で飯舘村を通過した。その時に真っ先に目に飛び込んできたのは黒いフレコンバックの積まれた山だった。このフレコンバックには土地を除染するために取り除かれた表土や草木が入っていて、それが4段にわたって積み上げられ、放射線を遮るために周りと一番上の五段目には汚染されてない土を入れた袋がさらに積み上げられていた。この袋が「黒」であることから、アニメ「電脳コイル」のイリーガルのような、なにか、人間が作ったバグの集合体にも見えてしまって(実際、そうなのかもしれない)、すっかりと意気消沈してしまった記憶がある。

ただ通過するだけの旅行者でさえ、あの黒いフレコンバックの積まれた山を見れば心穏やかではいられないのに、そこに住んでいた人たちの心境がいかほどのものなのか想像すらできない。実際に住んでいた人たちの気持ちには到底及ぶことはできないのだけれど、その気持ちに少しでも寄り添えたらとおもって、毎年恒例の「被爆者の声をうけつぐ映画祭」で上映される古居みずえ監督の『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』を観てみた。

『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』の主人公とも云える菅野榮子さんは明るかった。絶えず、ガハハハ、と笑っている。でも、その笑いと笑いのあいだの、間(ま)、に見せる真剣な眼差しとの落差がとても怖かった。ああ、この人は、明るく見せてはいるけれど、神経の細やかな人の見せる仕草がところどころにあることから、画面から伝わってくる外見とは違う、もっと神経質な人なんじゃないかと映画を見ながらずっと考えていた。このことは、映画上映後の古居みずえ監督のトークで、菅野榮子さんは鬱になりそうな時期もあったとのエピソードから、映画の中での「こうやって人は鬱になって行くんだねえ〜」なんて冗談交じりに笑いながら云うシーンが実際の自分の経験からくるセリフなんだということもわかって、ああ、やっぱり、その明るさとは裏腹の、とてもナイーブな人なんだと確認することができた。

仮設住宅での生活を楽しんでいるかのように見えるその姿も、ドキュメンタリーと云ったってスクリーンに映し出されるものがすべてではないことをことさら再認識させてくれるような、いや、洞察深く注意して見れば内面をも見通すことができる力が映像には秘められているんだと認識させてくれたような、ドキュメンタリー映画の素晴らしさを確認させてくれるような映画だった。

ドキュメンタリー映画って、深刻な題材を深刻なまま伝えるのはそれはそれでストレートで良いんだけど、一生懸命に繕っている人たちの姿を見ることも、これもまた却って深刻さが引き立って見えたりもするのでこれもまた良いものだ。いつも云ってるけど、ドキュメンタリー映画はなんでもありだ。真剣な眼差しも、繕っている意地も、嘘をついている情けなさも、なんでもありだ。

→古居みずえ→菅野榮子→映画「飯舘村の母ちゃんたち」制作支援の会/2016→武蔵大学江古田キャンパス 地下1002シアター教室→★★★☆

監督:ハル・ハートリー
出演:D・J・メンデル、ダニエル・メイヤー、二階堂美穂、パラヴィ・サストリー、チェルシー・クロウ、カンスタンス・フレイクス
原題:Meanwhile
制作:アメリカ/2011
URL:http://www.shortcuts.site/piece/3231
場所:TCC試写室

ハル・ハートリーの映画が大きくクローズアップされたのは1992年から93年にかけてだった。ニューヨーク・インディーズの新しい旗手として『シンプルメン』と『トラスト・ミー』が続けざまに公開されたのだった。私も『シンプルメン』を1992年の12月26日にシャンテ・シネ2で、『トラスト・ミー』を1993年2月1日に同じくシャンテ・シネ2で観た記録が残ってる。でも最近はあんまり話題になることもなく、新作も日本で公開されなくなってしまったいた。

そんな懐かしいハル・ハートリーが「ヘンリー・フール三部作」BOXセット制作のために日本語を含む5か国語の字幕を付けるクラウドファンディングを募集しているとのニュースがTwitterで流れてきた。そのクラウドファンディングの認知度アップのために特集上映もするとのことなので、まだ見ていなかった59分の中編作品『はなしかわって』を小さな試写室へ観に行った。

何でもそつなくこなしてしまう主人公が、いろんな仕事に手を出しながらも何一つパッとしてなくて、それでもそのマメさからいろんな人に愛されていて、ひょいひょいと世渡りをしていく様子をテンポよく1時間にまとめた映画だった。こんなたわいもないストーリーを登場人物の会話だけで面白く見せてしまうのが、ああ、ハル・ハートリーなんだなあと思い出した。タランティーノの映画もそうなんだけど、無駄なディティールに富んだ会話の映画が好きでたまらない。うーん、これはクラウドファンディングしてあげたいなあ。でも、DVDやBlu-rayのBOXセットが特典に付くのは100ドルからかあ。うーん、うーん。

https://www.kickstarter.com/projects/260302407/henry-fool-trilogy-boxed-set/

→ハル・ハートリー→D・J・メンデル→アメリカ/2011→TCC試写室→★★★☆

監督:湯浅政明
声:下田翔大、寿美菜子、斉藤壮馬、鈴村健一、柄本明、菅生隆之、チョー、佐々木睦、谷花音、篠原信一
制作:ルー製作委員会(フジテレビジョン、東宝、サイエンスSARU、BSフジ)/2017
URL:http://lunouta.com
場所:池袋HUMAXシネマズ

『夜は短し歩けよ乙女』が公開されたばかりの湯浅政明監督の新作『夜明け告げるルーのうた』が続けざまに公開されて、観に行かなきゃな、とおもっているうちに上映館が縮小されてしまっていた。ところが、その『夜明け告げるルーのうた』がアヌシー国際アニメーション映画祭の長編部門グランプリにあたるクリスタル賞を受賞したことから、ここぞとばかりにまた上映館が拡大されたので、映画の日でもあったのですかさず観に行った。

『夜明け告げるルーのうた』は、多くの人がすでに語っているように、どうしてもジブリのアニメーションを重ねて観てしまった。もちろん音楽の扱い方はまったく違うし、ダンスシーンのアニメーションはオリジナリティに溢れているし、細かいところをしっかりと見て行けば湯浅政明監督のスタイルを確認できるんだけど、メインとなるキャラクターの「ルー」がどうみても「ポニョ」に酷似しているし、「ルーのパパ」はどことなく『となりのトトロ』をイメージしてしまうところが、なんとも、ジブリの呪縛におもえてしまう。そこをジブリへのオマージュとして緩やかに捉えて見ればいいんだろうけど、いや、いや、湯浅政明は日本のアニメーションの、ジブリとも、細田守とも、新海誠とも違う、もうひとつの極へ行って欲しいと願うばかりなのです。だから、『四畳半神話大系』→『夜は短し歩けよ乙女』の流れがここで途絶えたことがともて残念におもえてしまって。何度も同じことをやっていてもしょうがないんだけどね。

→湯浅政明→(声)下田翔大→ルー製作委員会(フジテレビジョン、東宝、サイエンスSARU、BSフジ)/2017→池袋HUMAXシネマズ→★★★

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー
原題:Arrival
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.message-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』を2回観ると云うことは、すでにどんな結末を迎えるのかがわかったうえで、そのストーリーを見て行くことになる。これはつまり、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」の中で云っている、

“それら”はあらゆる事象を同時に経験し、その根源に潜む目的を知覚する。最小化、最大化という目的を。

をこの映画の中で疑似体験できることを意味しているのかもしれない。『メッセージ』は、そう云った意味においても、原作の中に潜んでいるテーマを実際に踏襲できる素晴らしい映画ではないかとおもう。

『メッセージ』を観賞する時に、主人公に感情を移入をして見て行くのならば、2回目の観賞ではすでにエイミー・アダムスがどのような行動を起こすか理解していて、それをわかったうえで彼女の行動をなぞって見て行くことになる。この場合、エイミー・アダムスの人生における「根源に潜む目的」は、その「最大化」としては、娘が自分よりも早く死を迎えることが解っていたとしても、一緒に過ごした日々を、言い争ったことも含めて、ハッピーなこととして認識することではないかとおもう。で、そのことを同時に体験することがこの映画の最大の目的であると同時に、このストーリーを2度観ることによって映画を「より楽しむ」ことが、鑑賞者たる「私」の「最大化」なのかもしれない。

原作を読まずに映画を観る。

原作を読む。

2度目の映画を観る。

を行うことによって、この『メッセージ』を「より楽しむ」ことができた。メディアミックスは、時には素晴らしい「最大化」の相乗効果を生むことになる。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→エイミー・アダムス→アメリカ/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:エリック・ロメール
出演:シャルロット・ヴェリ、フレデリック・ヴァン・デン・ドリーシュ、ミシェル・ヴォレッティ、エルヴェ・フュリク、アヴァ・ロラスキ
原題:Conte D’Hiver
制作:フランス/1991
URL:
場所:角川シネマ有楽町

今回のエリック・ロメール特集上映会の3本目。

この映画もまた勝手な自分の主張で男たちを翻弄してしまう女、フェリシー(シャルロット・ヴェリ)のストーリーだった。客観的に見れば、結婚相手として登場する3人の男たちの中では図書館に勤めているロイック(エルヴェ・フュリク)がとても理知的で、控えめで、フェリシーの母親や娘にも好かれていて、いちばん彼女にぴったりだとおもうのに、バカンスと云う浮かれ気分の中で知り合ったちょっと野性的なイケメンに固執して、それをまるで白馬の王子のように追い求めて、ラストはそのイケメンと再会してハッピーエンドな映画になっているところが、おいおい、それで良いのかよ。おまえみたいな考え方の女がそんなちゃらいイケメンと上手く行くわけねえだろう、って多くの男たちがツッコミを入れるだろう映画になっているところが、うわ、エリック・ロメールすごい、ってなった。

フェリシーを演じているシャルロット・ヴェリも、ぱっと見た目は美人ではあるけれども、そこまで男を自由に選べる美貌でもないだろう、って女優を使っているところが、エリック・ロメールの確信犯的皮肉が見て取れて、また、すげえなあ、となった。

→エリック・ロメール→シャルロット・ヴェリ→フランス/1991→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:マイク・ミルズ
出演:アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニング、ルーカス・ジェイド・ズマン、ビリー・クラダップ、アリア・ショウカット、ダレル・ブリット=ギブソン、テア・ギル、ローラ・ウィギンス、ナタリー・ラヴ、ワリード・ズエイター、アリソン・エリオット
原題:20th Century Women
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.20cw.net/
場所:MOVIXさいたま

マイク・ミルズ監督の前作『人生はビギナーズ』は、ガンの宣告を受けた年老いた父から、実はゲイ、と告白される息子の顛末を描いていて、その「普通ではない」環境から生まれる「普通」に対する葛藤がペーソス溢れててとても面白かった。

今回の『20センチュリー・ウーマン』もこれまた不思議な雰囲気を持ってる映画だった。基本は、思春期の息子の教育に悩むシングルマザーのストーリー、なんだけど、母親も息子もべったりとした親子関係の中に存在するのではなくて、それぞれの独立した「個」を尊重している関係であるところがとてもクールでかっこよかった。その二人に関わる人間たちもどこかヒッピーを引きずっているような人物ばかりで、いまから考えると1979年は、80年代以降のインターネットや携帯電話などによって引き起こされる「個」と「個」との関係が変質する以前の、牧歌的な「リアル」が人間関係の中に残っていた最後の時代だったんじゃないのかなあ、とおもったりもした。その象徴が、この映画の中に出てくるカーター大統領の緊急テレビ会見だった。カーター大統領は「国民はアメリカの将来を悲観視している」という調査を真に受けて、なんとも、お人好しな会見を大まじめに行ってしまったのだ。もう、こんな大統領は、あり得ない。

1979年は、自分で云えば、江夏の21球、3年B組金八先生、世界名作劇場「赤毛のアン」、そして世界最強タッグ決定リーグ戦のザ・ファンクスだった。つまり、当時のザ・ファンクスのようなプロレスが代表されるように、あんな純粋さは、もう、あり得ない。

→マイク・ミルズ→アネット・ベニング→アメリカ/2016→MOVIXさいたま→★★★★

監督:エリック・ロメール
出演:バーベット・シュローダー、ベルトラン・タヴェルニエ、フレッド・ユンク、ミシェル・ジラルドン、クローディーヌ・スブリエ/カトリーヌ・セー、フィリップ・ブーザン、クリスチャン・シャリエール、ディアーヌ・ウィルキンソン
原題:La Boulangère de Monceau / La Carrière de Suzanne
制作:フランス/1963
URL:http://mermaidfilms.co.jp/rohmer2017/
場所:角川シネマ有楽町

昨年から今年にかけて、いままであまり見ることのなかったエリック・ロメール監督の映画を立て続けに観ることができて、主人公の生活範囲だけで繰り広げられる会話劇スタイルが自分の好みであることがだんだんとわかって来た。ただ、この期間に観た映画の中でも1969年に作られた『モード家の一夜』だけは、まだそのスタイルへ入る以前の、ヌーベルバーグ臭がぷんぷんとする映画で、ああ、彼にも自分のスタイルを確立する以前の尖った時代もあったんだなあと、それはそれでとても面白かった。

今回の二つの短編も、長編映画を撮る以前の習作のような短編で、とは云え、さすがにゴダールやトリュフォーと同じように、もうすでにきっちりと完成した映画で、以降のエリック・ロメールのスタイルをこの段階で垣間見ることができるのも驚きだった。特に『モンソーのパン屋の女の子』は、主人公がのちに映画監督となるバーベット・シュローダーで、ナレーションがやはり映画監督となるベルトラン・タヴェルニエであるところも、そののちに多くの才能が開花して行った源泉を見るようでとても面白かった。

→エリック・ロメール→バーベット・シュローダー、カトリーヌ・セー→フランス/1963→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:エリック・ロメール
出演:アンヌ・ティセードル、フロランス・ダレル、ユーグ・ケステル、エロワーズ・ベネット、ソフィー・ロビン
原題:Conte de Printemps
制作:フランス/1990
URL:http://mermaidfilms.co.jp/rohmer2017/
場所:角川シネマ有楽町

昨年に続いてエリック・ロメール監督特集「ロメールと女たち」が角川シネマ有楽町で開かれていて、今回は「四季編」とサブタイトルが付いている。なので、まずは「四季の物語」シリーズ(Les Contes des quatre saisons)の最初の『春のソナタ』を観た。

エリック・ロメールの映画に出てくる女の人たちは、総じて、めんどくさい。スパッと竹を割ったような、さっぱりとした女性はなかなか登場しない。この『春のソナタ』のジャンヌ(アンヌ・ティセードル)も哲学の教師と云う設定もあって、さらにめんどくさかった。でも、エリック・ロメールの映画の面白さは、この、めんどくさい部分にあるのは間違いなくて、めんどくさいもの同士が集まって会話をすれば、さらにめんどくさい状況に陥って、そうなると、もうにっちもさっちも行かなくなって、その状況を笑うしかなくなってくる。そうすると、考えてみれば自分も相当めんどくさいんだよなあ、と自分を振り返ることとなって、エリック・ロメールの登場人物たちに自分を寄せてしまってしみじみとしてしまう。

この映画は女性だけではなくて、男もめんどくさかった。ナターシャの父親もめんどくさいし、会話にしか登場しないジャンヌの彼氏もめんどくさいし、ちょっとしか登場しないナターシャの彼氏だってめんどくさく感じてしまうじゃないか!

めんどくさい人間万歳!

→エリック・ロメール→アンヌ・ティセードル→フランス/1990→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:吉田大八
出演:リリー・フランキー、亀梨和也、橋本愛、中嶋朋子、佐々木蔵之介、羽場裕一、友利恵、春田純一、武藤心平、若葉竜也、樋井明日香、藤原季節、赤間麻里子
制作:「美しい星」製作委員会(ギャガ、ジェイ・ストーム、朝日新聞社、日本出版販売、ガンパウダー)/2017
URL:http://gaga.ne.jp/hoshi/
場所:109シネマズ菖蒲

2012年に公開された『桐島、部活やめるってよ』に熱狂してから、いつの間にかすでに5年が経過していた。Twitterで浮かれ騒いでいたことがまるで昨日のことのようだ。まあ、考えてみたら、あれから吉田大八監督は角田光代原作の『紙の月』を撮っているし、その映画も公開とともに観てるわけだから、『桐島、部活やめるってよ』を観たのが最近のことのように感じられるのはおかしいのだけれど、でも、それだけ『桐島、部活やめるってよ』が強烈だった。

今回の三島由紀夫原作の『美しい星』にもまた『桐島、部活やめるってよ』のクオリティを期待して観に行ってしまった。原作も読んでなくて、いつものごとく事前の情報を何も入れてない状態だったので、まったく先の展開が読めなくて、ワクワクしながら観ることができてしまった。これはつまり、映画の評価としては、合格点以上のものだったとおもう。ただ、ラストの締めくくり方が、ちょっと中途半端だった。なんだろう、地球温暖化を軸としているのだから、それに関係する、あっと云わせるようなラストシーンがあったのなら『桐島、部活やめるってよ』のクオリティに近づいたんじゃないかなあ。

事前に何の情報も入れない影響から、観ているあいだ中、ずっと亀梨和也を佐藤健とおもってました。すみません(だれかれともなく、おもに亀梨和也のファンの方へ)。橋本愛が金星人の設定は、伝統的な金星人のイメージを踏襲していたので◎

→吉田大八→リリー・フランキー→「美しい星」製作委員会(ギャガ、ジェイ・ストーム、朝日新聞社、日本出版販売、ガンパウダー)/2017→109シネマズ菖蒲→★★★☆

監督:ルクサンドラ・ゼニデ
出演:ドロシア・ペトル、エリナ・レーヴェンソン、ボグダン・ドゥミトラケ
原題:Miracolul din Tekir
制作:ルーマニア、スイス/2015
URL:http://eufilmdays.jp/ja/films/2017/miracle-of-tekir/
場所:東京国立近代美術館フィルムセンター

毎年、欧州連合(EU)加盟国の作品を紹介する映画祭が開かれている。その「EUフィルムデーズ2017」にはじめて行ってみた。と云っても、ラインナップの中から特定のタイトルを選んで観に行ったわけではなくて、ちょうど都合が良かった時間にたまたまやっていた映画を観に行ったので、はたしてどんな内容のものなのかもさっぱり検討もつかなかった。でも、そんな映画の見方も楽しい。

たまたま当たった映画はルーマニアの『テキールの奇跡』と云う映画だった。

ルーマニアの地図を見た時に一番最初に目に付くのは、やはり、「ドナウ川」と「黒海」だとおもう。「ドナウ川」がルーマニアを横断して「黒海」へ流れ込み、その河口を「ドナウデルタ」と呼ぶらしい。『テキールの奇跡』は「ドナウデルタ」から生まれる「黒い泥」を使って病を治す女の治療師マラ(ドロシア・ペトル)のストーリーだった。

この独身の治療師マラが、奇跡の「黒い泥」によって男と交わることなく妊娠したと言い張ることからストーリーが展開して行って、そこにマラに対して思いを寄せる神父や、避暑地の豪華なスパホテル「テキール」に宿を取る不妊に悩む金持ち未亡人などが絡んで、不思議な宗教的で民俗的な寓話が成立して行く。

何となく持っていた「黒海」のイメージも、映画に出てくる「黒海」とぴったりと一致して、どことなく地の果てをおもわせる景色がこの映画の舞台としてふさわしかった。黒海の海岸際に突如として現れる豪華なスパホテルも、その豪華さゆえに、キューブリックの『シャイニング』さながら、云いようもない不安感をあおっているのも治療師マラのおとぎ話にぴったりだった。

この映画の中でホテルとして使われた建物は、実は1910年に開業したカジノで、戦後の共産主義政権下でレストランとして運営されていて、1990年に閉鎖されたそうだ。

http://www.slate.com/blogs/atlas_obscura/2013/11/13/abandoned_constanta_casino_sits_ruined_beside_the_black_sea.html

不妊に悩む金持ち未亡人の女優をどこかで見たことがあるなあとおもっていたけど、そうか、ハル・ハートリーの映画に出ていたエリナ・レーヴェンソンだったのか! 彼女はルーマニア出身だったのだ。

→ルクサンドラ・ゼニデ→ドロシア・ペトル→ルーマニア、スイス/2015→東京国立近代美術館フィルムセンター→★★★