シン・ゴジラ

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:109シネマズ木場

あまりにも情報量が多いので、やはり、どうしても2回目に行かざるを得ない『シン・ゴジラ』。でも、2回も観たらアラばかりが気になって、まったくツマラナイ、なんてことになったらどうしよう、と云う杞憂も何のその、『シン・ゴジラ』の評価は変わらなかった。素晴らしかった。

もちろん評価の低い人たちの云っていることもよくわかる。この映画はただ単に、東京湾岸に現れた得体の知れない生物を日本の政府が如何にして対処したか、の映画でしかない。そこには主に日本の「政府」と云うシステムの中での段取りがものすごいスピードとテンポで描かれているだけであって、とても狭い範疇の中での、内に向いている映画でしかない。それに、あまりにも「庵野の映画」でしかなくて、自分のように庵野の掌の上で転がされるのが好きな人間ならまだしも、お前のプライベートな空間に付き合わされるのかよ、と鼻白んじゃう人もいるとおもう。どうやらこの映画はヱヴァンゲリヲンを作り続けるための庵野のリハビリ映画らしい!

それでも、誰もが共通の恐怖として東日本大震災の原発事故を経験しているから、その事故になぞらえてドキュメンタリー・タッチにしている『シン・ゴジラ』に対して、庵野もエヴァも知らない人でも面白さを見い出せるんだとおもう。もし、この一般的なポイントがなかったら、おそらく『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』みたな「なんじゃこれ」な映画になってしまって、ここまで普通の人に受け入れられなかったとおもう。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→109シネマズ木場→★★★★

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、マイケル・スタールバーグ、ルイス・C・K、エル・ファニング、ジョン・グッドマン、アドウェール・アキノエ=アグバエ、デビッド・ジェームズ・エリオット、アラン・テュディック、ジョン・ゲッツ、ダン・バッケダール、ロジャー・バート、メーガン・ウルフ、ミッチェル・ザコクス、ディーン・オゴーマン、クリスチャン・ベルケル
原題:Trumbo
制作:アメリカ/2015
URL:http://trumbo-movie.jp
場所:TOHOシネマズシャンテ

脚本家のダルトン・トランボが1940年代末から50年代のはじめにかけて行われた「赤狩り」で、ジョセフ・マッカーシー上院議員と非米活動委員会によって共産主義者と断定されて、「ハリウッド・テン」の一人としてハリウッドから干されたエピソードは断片的にいろいろと聞きかじってはいた。そのいわゆる「マッカーシズム」は、友人の名前を共産主義者として告発しなければいけなかったり、擁護してくれていた友人が途中から急に口を閉ざしてしまったりと、疎外される恐怖に陥った人間の弱さばかりが目立つような暗くて悲惨なイメージでしかなかった。でもダルトン・トランボは、70年代に入って名誉が回復されるまでに名前を変えていろいろな仕事をしていて、そのあいだには『ローマの休日』や『黒い牡牛』でアカデミー賞脚本賞を獲得してしまうと云うバイタリティあふれるエピソードが残っていて、このドロドロとした「赤狩り」の中に放り込まれた人間にしては茫洋としていて掴みどころのない人物像だった。

ジェイ・ローチの『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、そのぼんやりとした人物像を明確にしてくれた映画だった。

ダルトン・トランボの凄さは、現在の境遇に嘆かない、他人の所為にはしない、うしろを振り返らない、だった。普通の人間だったら、なんでオレばっかり、とか、あいつは汚ねえ、とか、あの時にああしておけば良かった、とか、不満や憎悪や未練がタラタラだ。でもダルトン・トランボにはそんなところが微塵もなく、どんなものでもすべてを受け入れて、そして現在の状況で出来る最大限のことをやろうと邁進できる特異まれなる性格の人間だった。(もちろんその人間としての特異さは、たとえば周りの家族にしわ寄せが行ってしまったりするのだけれど)そんな部分を自分と照らし合わせてしまうと、狡猾で、狭小で、他力本願な自分のことを反省しきり。あ〜あ、ダルトン・トランボのような人間になりたいけど、まあ、無理だ。

ハリウッドの裏幕ものとして実在の監督や俳優が出てくるのも面白かった。ジョン・ウェインは似てねえな、とか、カーク・ダグラスが小っちぇえ! とか、やっぱりキューブリックは描けねえな、とか、自分の中では大盛り上がり。そんな中でも、ダルトン・トランボを演じたブライアン・クランストンが素晴らしかったのはもちろんのこと、エドワード・G・ロビンソンを演じたマイケル・スタールバーグとオットー・ブレミンジャーを演じたクリスチャン・ベルケルも素晴らしかった。ヘッダ・ホッパーはもっともっと嫌みでいけ好かない女だったんじゃないのかなあ。ヘレン・ミレンじゃ上品すぎる!

→ジェイ・ローチ→ブライアン・クランストン→アメリカ/2015→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

シン・ゴジラ(IMAX)

監督:庵野秀明(総監督)、樋口真嗣(監督・特技監督)
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、柄本明、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、松尾諭、津田寛治、塚本晋也、高橋一生、岡本喜八、野村萬斎
制作:東宝映画、シネバザール/2016
URL:http://www.shin-godzilla.jp/index.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

この夏公開の映画の中で、特にTwitter界隈でダントツな人気を誇るのが『シン・ゴジラ』で、そのムーブメントは『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の時と同じような様相を呈して来ている。公開と同時に映画を絶賛するTweetが雨あられのように飛んできて、その絶賛クラブに加わらなければまるで人間であることを否定されているような気分にさせられて、否定的な意見を述べようものなら四方八方から集中砲火を浴びせられてコテンパンにやっつけられてしまいそうな、なんとも気持ち悪い状態になって来ている。

だから私も人間であることを維持するために、そのクラブに入るべく『シン・ゴジラ』を観に行った。

みなさんがおっしゃるようにめちゃくちゃ素晴らしかった。『パシフィック・リム』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ではさすがに冷めてしまったわたくしでも、今回ばかりは最大限に同意しなければならない。やはり庵野秀明は凄い。

もちろん、あまりにも政府の意思決定プロセスを描くことに腐心するあまり人間が描けていないとか、あまりにも自作の「エヴァンゲリオン」を引用しすぎるとか、あまりにも「ヤシオリ作戦」がご都合主義で簡単に成功してしまうだとか、あまりにも石原さとみが惣流・アスカ・ラングレーのようなアニメキャラになっているとか、あまりにも石原さとみの英語が次期大統領を狙っているネイティブとしては酷いとか、あまりにも石原さとみのメイクが酷いとか、あまりにも石原さとみが……(以下略)。それぞれ指摘されている批判はごもっともです。

それでも、ハリウッドVFXに目が肥えている日本の人たちが納得する東宝怪獣映画とはどのようなものなのかを一つの答えとしてはっきりと導き出しているし、低予算であったとしてもハリウッド版ゴジラと遜色のない日本の特撮映画を作り上げているし、「ゴジラ」シリーズから見れば傍流の「ゴジラ」としてしか存在し得ないのかもしれないのだけれど、日本映画の歴史に名を残す特撮映画を作りあげたんじゃないかとおもう。

この「オタクと変人の集まり」の真摯な闘いにしか「日本特撮の申し子が作った日本特撮の神髄」がないのだとしても、そこには「わびしさ」よりも「よくやった!」の感想以外になかった。

→庵野秀明、樋口真嗣→長谷川博己→東宝映画、シネバザール/2016→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

骨までしゃぶる

監督:加藤泰
出演:桜町弘子、久保菜穂子、宮園純子、桑原幸子、小島恵子、沢淑子、石井トミコ、三島雅夫、三原葉子、菅井きん、岡島艶子、夏八木勲、横山アウト、芦屋小雁、芦屋雁之助、汐路章、遠藤辰雄
制作:東映/1966
URL:
場所:フィルムセンター

加藤泰監督の仁侠映画『緋牡丹博徒 花札勝負』に惚れ込んでから、もっと彼の映画を見たいとおもっているのだけれど、全46本中、まだ10本程度しか見ることができていない。そんなことではいけないとおもい直し、今回のフィルムセンターの特集上映に駆け込んだ。

いやあ、凄い映画だった。加藤泰監督作品の特徴であるローアングルとクローズアップがこれでもかと多用されていて、主演女優の桜町弘子が不細工に見えてしまうほどの極端なカメラワークだった。さらに汐路章や三島雅夫の悪役連中もその近いカメラのために、汚さ、意地悪さ、気味悪さが爆発していて、州崎遊廓にうごめく人間模様が気持ち悪くもあり、あまりのデフォルメに笑ってしまうほどでもあり、そこに娼妓の哀しさ、わびしさも加わって、映画が見せる人間の大博覧会のような様相を呈していた。

加藤泰監督作品としては『緋牡丹博徒 花札勝負』『緋牡丹博徒 お竜参上』と同等の、いやそれ以上の出来栄えの映画だった。どんなタイプの映画であったとしても、画面から熱気が伝わってくる映画にはほんと脱帽する。

→加藤泰→桜町弘子→東映/1966→フィルムセンター→★★★★

ブルックリン

監督:ジョン・クローリー
出演:シアーシャ・ローナン、ジュリー・ウォルターズ、ドーナル・グリーソン、エモリー・コーエン、ジム・ブロードベント、フィオナ・グラスコット、ジェーン・ブレナン、アイリーン・オイヒギンス、ブリッド・ブレナン、エミリー・ベット・リッカーズ、イブ・マックリン
原題:Brooklyn
制作:アイルランド、イギリス、カナダ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/brooklyn-movie/
場所:TOHOシネマズシャンテ

アイルランドからアメリカに渡った移民のストーリーはいくつもの映画に題材として取り上げられていて、パッとおもいつくだけでもマーティン・スコセッシ監督『ギャング・オブ・ニューヨーク』、ジム・シェリダン監督『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』、アラン・パーカー監督『アンジェラの灰』と枚挙にいとまがない。そしてそのほとんどの映画が、貧困のあまり新天地に希望を見い出さざるを得ない人びとのストーリーだった。

ジョン・クローリー監督の『ブルックリン』は、そのような今までのアイルランド移民のストーリーとはちょっとばかり趣が変わっていて、アメリカ経済が急速に成長した1950年代が舞台設定の所為か、せっぱ詰まった悲壮感がまったく無かった。主人公シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活も、ブルックリンのデパートで働きながら大学に通って簿記の資格を取ろうとする前向きな姿勢が強調されているし、アメリカで知り合ったイタリア移民のエモリー・コーエンにも安定した仕事があるし、結婚してロング・アイランドに家を建てようと将来を語り合うシーンも前途洋々の希望しか見いだすことは出来なかった。

じゃあ、そこにどんなドラマが生まれるかと云うと、アイルランドに残してきた姉が突然亡くなって、ひとりぼっちになってしまった母親を見舞うためにアイルランドへ帰郷したことからはじまる顛末だった。生前に姉が行っていた仕事を引き継いだり、昔なじみの男と再会してそれなりの仲になったりと、アメリカで密かに結婚したことを隠してこのままアイルランドに残るのか、ブルックリンにいる夫のエモリー・コーエンの元に帰るべきなのか、シアーシャ・ローナンの内なる葛藤が映画の後半のテーマとなっていて、そこがちょっとサスペンスフルでなかなか面白かった。

ジョン・クローリーが巧かったのは、シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活について(特に住み込む寮の女たち!)もしっかりと描いていて、すでにブルックリンへの郷愁も生じさせるように仕向けていたことだった。どちらの国に残ったっとしても、片方への郷愁が残ってしまう八方ふさがりな状況は胸が締めつけられるようで見ていてなんとも辛い映画だった。救いだったのは、アイルランドの国の色でもあり、アイルランドの生活の場のそこかしこにも見られる奇麗な「緑」が、アメリカのロング・アイランドにも見られることだった。「緑」こそが郷愁の色だったのだ。

→ジョン・クローリー→シアーシャ・ローナン→アイルランド、イギリス、カナダ→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

白い夏

監督:斎藤武市
出演:青山恭二、織田政雄、芦川いづみ、中原早苗、坪内美詠子、近藤宏、天草四郎、長谷川照容、相原巨典、西村晃
制作:日活/1957
URL:
場所:神保町シアター

昨年の9月と今年の2月に神保町シアターで行われた特集「恋する女優 芦川いづみ」には、ハッと気付いたら一つも行けなかった。今回はしっかりと「名画座手帳」にスケジュールを書き込んで、まずは(と云っても観られるのはこれだけかもしれない)今までに観たことのない斎藤武市監督の『白い夏』を観に行った。

斎藤武市(さいとうぶいち)監督は、同僚の日活の江崎実生監督と共に平凡な監督であることを揶揄されて「斎藤コンブ、江崎グリコ」と云われていたと何かの本で読んだ気がする。そのイメージからか今まではあまり注目することもなく、もしかすると吉永小百合と浜田光夫の『愛と死をみつめて』をテレビで見たか? 程度の監督だった。

はじめてこの『白い夏』をしっかりと映画館で観て、ああ、たしかに、とりたてて特異な作風を持っているわけでもなく、何か注目すべきテクニックがあるわけでもなくて、でも、悪い作品でもなく、しっかりと芦川いづみを奇麗に撮っているし、職人監督としては腕のある人なんだなあ、と云うイメージだった。青山恭二が芦川いづみに対して「好きなんだあ〜」と床を転げ回る演出とか、うわぁ、なんだこれ、とおもったりはしたけれど。

映画の内容が平凡でも、今回は「恋する女優 芦川いづみ」特集なんだから、芦川いづみが奇麗に映っていたので100点満点!

→斎藤武市→青山恭二→日活/1957→神保町シアター→★★★

シング・ストリート 未来へのうた

監督:ジョン・カーニー
出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボーイントン、マリア・ドイル・ケネディ、エイダン・ギレン、ジャック・レイナー、ケリー・ソーントン
原題:Sing Street
制作:アイルランド、イギリス、アメリカ/2015
URL:http://gaga.ne.jp/singstreet/
場所:109シネマズ菖蒲

『はじまりのうた』が良かったジョン・カーニーの新作『シング・ストリート 未来へのうた』は、やはり前作と同じように「音楽」をモチーフとした映画で、1985年のアイルランドのダブリンでバンドを作ろうとする高校生のストーリーだった。

80年代の音楽はマイケル・ジャクソンの(ジョン・ランディスが撮った)「スリラー」をきっかけとしたミュージック・ビデオの時代で、あれはたしか小林克也の音楽番組「ベストヒットUSA」だったとおもうけど、「スリラー」のミュージック・ビデオがフルで放送されると云うのでビデオをセットして録画待機したものだった。その時から、A-haの「Take On Me」とか、ジョージ・マイケルの「Faith」とか、ダイアー・ストレイツの「Money for Nothing」とか、カーズの「You Might Think」とか、めくるめくミュージック・ビデオの洪水を浴びて、すっかり映像+音楽ありきの人間が形成されてしまいました。

『シング・ストリート 未来へのうた』は、そのミュージック・ビデオの時代のストーリーで、主人公の14歳の少年コナーが兄貴の影響からデュラン・デュランの「Rio」にインスパイアされてミュージック・ビデオを作るあたりからはまるで自分のことを見ているようだった。

この「Rio」にインスパイアされて14歳の少年コナーがバンド「シング・ストリート」を組んで作った曲&ビデオ「THE RIDDLE OF THE MODEL」がこれ。

さらにThe Cureの「In Between Days」。

これにインスパイアされて作った「A Beautiful Sea」がこれ。

手で拍子を取るのはやっぱりホール&オーツへのリスペクトだなあ。

そして、ホール&オーツがもろ影響した「Drive It Like You Stole It」。

ストーリーに何か目新しいところは何も無いけど、不良の描き方が中途半端で不満だけど、なんだろう、80年代の音楽の「ちから」と云うべきなのかもしれないけど、ダブリンの14歳の少年コナーたちに自分が同化してしまって、とても心が踊ってしまった。やっぱり自分は映像+音楽ありきの人間なんだなあ。

→ジョン・カーニー→フェルディア・ウォルシュ=ピーロ→アイルランド、イギリス、アメリカ/2015→109シネマズ菖蒲→★★★☆

広島・長崎における原子爆弾の影響 広島編

監督:
出演:
制作:日本映画社/1946
URL:
場所:「被爆者の声をうけつぐ映画祭」武蔵大学江古田キャンパス1号館地下1002シアター教室

原爆が広島と長崎に落とされたあとすぐに撮影隊が当地に入って原爆による被害状況の撮影を行ったことは、その時に映された映像を資料として断片的に見ることよって理解していたけれど、そのいきさつの詳しい事情は良くわかっていなかった。毎年(昨年は行かれなかったけど)行っている「被爆者の声をうけつぐ映画祭」で『広島・長崎における原子爆弾の影響 広島編』を観ることによって、そしてそのあとの永田浩三(武蔵大学社会学部教授)さんのトークを聞くことでその事情を理解することが出来た。

その事情は、この日映映像のホームページにある「原爆映像の経緯」に年表としてまとめられている。
http://www.nichiei-eizo.jp/genbaku.html

要約するとこんな感じ。

1945年
8月8日、日映(日本映画社)本社のカメラマン柾木四平が広島に入り市内を撮影する。
8月9日、日映大阪支社のカメラマン柏田敏雄が広島に入り市内を撮影する。
9月3日、日映の伊東寿恵男、相原秀二らが企画した原爆被災記録映画の製作決定。
9月23日、日映の生物班が広島での調査・撮影を本格的に開始。
10月1日、日映の物理班、医学班が広島での調査・撮影を本格的に開始。
10月17日、長崎に入った日映の製作スタッフが進駐軍の干渉を受ける。
10月27日、製作スタッフが長崎の進駐軍と映画撮影について交渉するが、撮影許可を得ることができず撮影は中断。
11月6日、フィルムの現像に入る。
12月18日、映画製作は米国戦略爆撃調査団の委嘱により継続が決定。
12月26日、日映の物理班、長崎での調査・撮影を本格的に開始。

1946年
4月21日、映画が完成。
5月4日、日比谷公会堂で米国関係者への映画の試写会を開催。映画のネガフィルムを米国へ輸送(20日頃までにすべてのフィルムを輸送)。

このようないきさつで、撮影されたフィルムはすべてアメリカに行ってしまった。で、そこから20年が経って、

1967年
11月9日、映画フィルムの複製(35mmが16mmに複製されていた!)が米国から文部省へ返還される。

1968年
4月13日、映画の日本語版が完成するが、人権に配慮して一部がカットされる。
5月2日、広島市公会堂で映画を一般公開。
10月24日、原爆記録映画全面公開推進会議が文部大臣へ映画の全面公開(ノーカット)を求める。

1995年
8月、平和博物館を創る会映画委員会が、映画「広島・長崎における原子爆弾の影響/日本語版」(ノーカット)を完成。

これほどまでに長い時間がかかってノーカット版『広島・長崎における原子爆弾の影響』が日の目を見ることとなったことがよくわかった。映画自体の内容(特にやはり「人体への影響」など)にも目を瞠るものがあるけど、そのただならぬ事態を悟ってすぐさま現地に入った日本映画社のスタッフの強烈な想いが込められたフィルムが、いろんな人の手に渡りながらもその輝きを失わずに生き長らえてきたその歴史にも感動させられる映画だった。

→→→日本映画社/1946→「被爆者の声をうけつぐ映画祭」武蔵大学江古田キャンパス1号館地下1002シアター教室→★★★★

エクス・マキナ

監督:アレックス・ガーランド
出演:ドーナル・グリーソン、アリシア・ヴィキャンデル、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ
原題:Ex Machina
制作:イギリス/2015
URL:http://www.exmachina-movie.jp
場所:新宿シネマカリテ

先日、Googleが作った(Googleに買収された人工知能開発ベンチャーの「DeepMind」が作った)人工知能「AlphaGo」が囲碁の世界チャンピオンを破ったことでニュースになった。囲碁はチェスや将棋と比べても複雑で直感も必要と考えられていたために、人工知能もついにここまで来たのか! の驚きで持ってみんなに迎えられた。

それと呼応するように、次のようなニュースも世界を駆け巡った。

「Microsoftの人工知能が「クソフェミニストは地獄で焼かれろ」「ヒトラーは正しかった」など問題発言連発で炎上し活動停止」
http://gigazine.net/news/20160325-tay-microsoft-flaming-twitter/

マイクロソフトが人間の会話を理解する目的で作ったボット「Tay」にTwitterをやらせたところ暴言を連発し出して即刻中止になったそうだ。

この二つとも人工知能の学習アルゴリズムが進化している証拠を示す良い事例で、マイクロソフトのボットがとりたてて無能なわけではなくて、人工知能と云えどもどんな環境下で学習するかでその進化の方向が決まってしまう事例を示しているだけだとおもう。

アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』の舞台は、すでに人工知能の学習アルゴリズムが高度に発達した時代の設定で、その学習が正しい方向に向かっているのかどうかを第三者によって「チューリング・テスト」されるストーリーだった。でも、いかに進化しているとは云え、それはまるでマイクロソフトのボットと同じように、作った人間の環境下に支配されることよって形作られた「食わせ物」の本性が明らかになって行く過程がサスペンスフルで面白かった。

自分の親を殺した子供が野に放たれて、いったい人工知能ロボット「エヴァ」は今後どのように進化して、人間社会にどのような影響を及ぼすのだろうか、と、その恐怖の余韻が残るラストと同時に、オープニング・クレジットにフラクタルな図形が使われている段階で、さらにところどころに自然風景を挿入したり、ジャクソン・ポロックの絵画が出て来たりと、人工知能の進化も一様ではない可能性を示している救いも用意されているところもなかなか魅力的な映画だった。

→アレックス・ガーランド→ドーナル・グリーソン→イギリス/2015→新宿シネマカリテ→★★★★

カルテル・ランド

監督:マシュー・ハイネマン
出演:ホセ・ミレレス、ティム・フォーリー
原題:Cartel Land
制作:メキシコ、アメリカ/2015
URL:http://cartelland-movie.com
場所:川越スカラ座

今年日本で公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』は、メキシコの麻薬カルテルのボスを殺害する作戦に参加させられてしまう女性FBI捜査官のストーリーだった。そこで描かれるメキシコの町「シウダー・フアレス」が強烈に不気味で、道端にぶら下がっている複数の首つり死体、官憲でありながら敵か見方かわからない警察官、とてつもない重火器を多数備えたギャングたちと、

現在のメキシコはこんなふうになってしまったんだ!

と驚いてしまった。

そしてその興味からヨアン・グリロ著(山本昭代訳)「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱」(現代企画室)を読み出してしまった。

メキシコの現状は想像していたものよりも相当悲惨な状態になっていた。アメリカと云う麻薬の巨大市場が隣にあるために利権を奪い合って一般市民をも巻き込んで殺し合うメキシコのカルテルたち。そのカルテルと癒着する警察官たち。国の予算で訓練された兵隊が除隊してカルテルの軍隊となるしくみ。アメリカから密輸されるとてつもない量の武器、弾薬。もう何もかもが負の連鎖で複雑に絡み合ってしまって、それをほぐす糸口さえもまったく見い出すことの出来ないメキシコの政治家たち。ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はそのようなメキシコの現状を芸能や宗教までも押さえていろんな角度から検証していた。

さらに今回、活字を追うだけではなくて、ドキュメンタリー映像を見る事によってさらに「メキシコ麻薬戦争」を補完できるのではないかとおもってマシュー・ハイネマン監督の『カルテル・ランド』を見てみた。

期待していたのはメキシコの麻薬戦争を包括的に描くドキュメンタリーだったのだけれど、そうではなくて、麻薬カルテルに対抗する市民による「自警団」についての、また違った角度からのメキシコの麻薬戦争についてのドキュメンタリーだった。まあ、それはそれで、本にはなかった事実を知ることが出来て面白い。面白いけど、ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」を読んでいるのならまだしも、この映画を見ただけではティフアナやシウダー・フアレス、そしてセタスやラ・ファミリアなどのカルテルが乱立するメキシコの麻薬戦争の全貌が俯瞰出来ずに、市民による「自警団」と云う細部からメキシコの麻薬事情を伺い知る程度になってしまうのが残念だった。

ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はめちゃくちゃ面白いので、もし『カルテル・ランド』でメキシコの麻薬事情に興味を持ったのなら絶対に読むべきだとおもう。

※絶対に行かねばとおもっていた川越スカラ座にはじめて来てみた。おお、これは昭和の名画座だ!こんな感じの映画館でどれだけ時を過ごしたことか。ああ、もっと川越スカラ座に来たいけど、川越って埼玉東部からは山一つ越える感じなんだよなあ。実際には川だけど。

→マシュー・ハイネマン→ホセ・ミレレス→メキシコ、アメリカ/2015→川越スカラ座→★★★