ヘイトフル・エイト

監督:クエンティン・タランティーノ
出演:サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ジェニファー・ジェイソン・リー、ウォルトン・ゴギンズ、デミアン・ビチル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、ブルース・ダーン、ジェームズ・パークス、デイナ・グーリエ、ゾーイ・ベル、リー・ホースリー、ジーン・ジョーンズ、キース・ジェファーソン、クレイグ・スターク、ベリンダ・オウィーノ、チャニング・テイタム
原題:The Hateful Eight
制作:アメリカ/2015
URL:http://gaga.ne.jp/hateful8/top/
場所:109シネマズ木場

タランティーノの映画は、まずはタランティーノ自身の楽しんでいることが伝わってくるところが素晴らしい。次に、その楽しんでいる部分が他の映画からのマニアックな引用なところ。最後に、その使っている音楽のセンスの良さ。この3点セットで、無条件にタランティーノの映画を認めてしまう。

『ヘイトフル・エイト』は、なぜか、この3点がどれも微妙に緩かった。それは公開前に脚本が流出してしまってタランティーノのテンションが落ちてしまっためか。それともタランティーノが巨万の富を得たためにアグレッシブさが無くなってしまったためか。

とは云え、タランティーノ好きには充分に楽しめる映画だった。特にジェニファー・ジェイソン・リー! 彼女の手鼻、つば吐き、血みどろ演技を見られただけでも『ヘイトフル・エイト』を認めてしまう。

映画の第1章「レッドロックの駅馬車」で、駅馬車の中からサミュエル・L・ジャクソンを見るジェニファー・ジェイソン・リーのショットが、二つの窓のあいだの木枠を顔の中心にして、両目を左右の二つの窓に添える構図にゾクッと来た。これは1966年のマリオ・バーヴァの映画『呪いの館』からじゃないか!(昔のキネ旬のどなたかのコラムで『呪いの館』のこのシーンに触れてた事を異様に憶えている) この細かな引用がタランティーノだ。

BAVA - KBK

→クエンティン・タランティーノ→サミュエル・L・ジャクソン→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

子連れ狼 三途の川の乳母車

監督:三隅研次
出演:若山富三郎、富川晶宏、松尾嘉代、小林昭二、大木実、新田昌玄、岸田森、鮎川いづみ、水原麻紀、笠原玲子、池田幸路、正楠衣麻、若山ゆかり、三島ゆり子、江波多寛児、坂口徹
制作:勝プロダクション/1972
URL:
場所:フィルムセンター

クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』の殺陣は三隅研次の『子連れ狼 三途の川の乳母車』に影響を受けていると云うことを『キル・ビル』の公開時に聞いて、これは見ないといけないなあとおもいつつも月日が流れてしまって、やっと今回のフィルムセンターの三隅研次特集で観ることが出来た。

1960年代から70年代にかけてのマカロニウエスタンやカンフー映画、そして日本の時代劇やヤクザ映画に代表されるカメラアングルの凝ったオーバーアクションぎみの映画のムーブメントはいったいどこを起源にして起こったのだろう。当時のテレビドラマに対抗してなのか、大きなスクリーンを充分に活用した視覚的な娯楽映画は、なかばヤケクソにも見えるほどの映画に対する愛情がひしひしと感じられて、それを見ている我々も映画的な興奮を純粋に楽むことのできるものばかりだった。

『子連れ狼 三途の川の乳母車』はそのような映画群のひとつだった。拝一刀(おがみ いっとう)の剣や息子の大五郎の乗る乳母車から繰り出される刃によって、柳生一門や公儀からの追っ手の腕は飛び、足は飛び、人間そのものも真っ二つ。そこから飛び散る血しぶきはまるでシャワーのようだ! ここまで徹底的に人が斬られるバリエーションをまるで楽しむように作られてしまっては、こっちもゲラゲラと笑いながら一緒に楽しむ他はない。ロジャー・コーマンは『子連れ狼 三途の川の乳母車』を見て「このアイディアを考えた人間は狂気に近い才能を持つ天才にちがいない!」(ロジャー・コーマン自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画を作りしかも10セントも損をしなかったか』より)と云ったという。まさしく、天才とキチガイの紙一重のところが頗る面白い!

このような映画を観るとウキウキしながら劇場をあとに出来る。ああ、クエンティン・タランティーノだけじゃなくて、日本映画にもこのような三隅研次を継承する監督が現れないかなあ。

→三隅研次→若山富三郎→勝プロダクション/1972→フィルムセンター→★★★★

ディーパンの闘い

監督:ジャック・オーディアール
出演:アントニーターサン・ジェスターサン、カレアスワリ・スリニバサン、カラウタヤニ・ビナシタンビ、バンサン・ロティエ
原題:Dheepan
制作:フランス/2015
URL:http://www.dheepan-movie.com
場所:109シネマズ菖蒲

2015年のカンヌ映画祭パルム・ドールを獲った映画。

中東にばかりに目が行って、難民を出している国が世界にやまほどあることを忘れがちだけど、スリランカもその一つだった。1983年にはじまったシンハラ人とタミル人との内戦は、タミル人による反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ」が鎮圧されて2009年にいちおうの終戦を迎えたけど、スリランカから逃げ出したタミル人が多くいることは想像にかたくない。『ディーパンの闘い』は、スリランカからフランスに逃亡したタミル人のストーリーだった。

フランスはドイツとともに難民を多く受け入れていて、それはフランスが掲げる「自由」「平等」「博愛」の精神のためだと云われている。でも、受け入れた移民に対してどこまでその精神が適応できているのかは甚だ疑問だ。フランスに来た移民たちは差別的に最下層に押し込められてしまって、大都市郊外の低所得世帯用公営住宅団地で細々と貧しく暮らして行くのが現実なんだとおもう。『ディーパンの闘い』は、この低所得世帯用公営住宅団地(バンリューと云うらしい)が主に舞台の映画で、その描写がリアルで、怖くて、不気味だった。これは現実なんだろうか? 映画用に大胆に脚色されているんだろうか? もし現実だとしたら、フランスの移民政策にはまったくの絶望しか感じることが出来ない。映画で描かれている主人公ディーパンの力強い闘争にも何の希望も見い出すことが出来ず、たとえうまくイギリスに逃げおおせたとしても、イギリスでのさらに厳しい階級社会が待ってるんじゃないかと暗澹たる気持ちしか最後には残らなかった。なんとも辛い映画だった。

→ジャック・オーディアール→アントニーターサン・ジェスターサン→フランス/2015→109シネマズ菖蒲→★★★☆

裸のキッス

監督:サミュエル・フラー
出演:コンスタンス・タワーズ、アンソニー・ビスリー、マイケル・ダンテ、バージニア・グレイ、パッツィ・ケリー、マリー・デュヴルー
原題:The Naked Kiss
制作:アメリカ/1964
URL:
場所:ユーロスペース

映画を見る上で、登場人物たちの感情の推移を追いかけて行くことが自分にとっての重要なポイントの一つなので、そこに全体を通しての流れがなくて、シーンごとにブツッ、ブツッと途切れてしまうような映画がとても苦手だ。この『裸のキッス』もその手の映画なんだけど、でも、そこに意味がある場合はその限りではない。元娼婦のコンスタンス・タワーズも、警部のアンソニー・ビスリーも、街の富豪のマイケル・ダンテも、何を考えての行動なのかさっぱり読み取れない。次のシーンでは突然翻って行動を起こしたりする。そこには前後の関係性がまったく無いようにも見える。しかし、そうすることによって、映画全体に得体の知れない雰囲気が漂い、とても不気味な映画に仕上がっている。オープニングのコンスタンス・タワーズが男をボコボコに殴りつけるシーンからはじまって、ラストの疑いが晴れたコンスタンス・タワーズを向かい入れる街の人びとの無表情な顔の羅列まで、何が出てくるかわからない不気味さの連続だった。

ただ、寝不足がたたって、うつらうつら、になってしまった。素晴らしい映画だったのに残念。もう一度観ないと。

→サミュエル・フラー→コンスタンス・タワーズ→アメリカ/1964→ユーロスペース→★★★★

ショック集団

監督:サミュエル・フラー
出演:ピーター・ブレック、コンスタンス・タワーズ、ジーン・エバンス、ジェームズ・ベスト、ハリー・ローデス
原題:Shock Corridor
制作:アメリカ/1963
URL:
場所:ユーロスペース

boidから出版された「サミュエル・フラー自伝 〜わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか〜」(サミュエル・フラー、クリスタ・ラング・フラー 、ジェローム・ヘンリー・ルーズ著、遠山純生翻訳)をboidの直販で4500円で買った。普通に買うと6480円! 映画関係の本を買うのはなかなか勇気のいる時代となってきました。

で、その出版に合わせてだろうとおもわれるboid配給のサミュエル・フラー監督の連続上映がユーロスペースではじまったので、まずは『ショック集団』を観に行った。『ショック集団』は、精神病院での不可解な死を調べるために精神障害を装って潜入する新聞記者が次第に精神に異常をきたして行く話し。

設定はまったく違うのだけれど、主人公となる人物が精神障害の演技をしているのか、本当の精神障害者なのか、その2つの微妙な境でどっちつかずに見えるところがどうしてもミロシュ・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』をおもい出してしまった。ただ、『ショック集団』は『カッコーの巣の上で』ほど病院のシーンにリアリティが無く、いろいろな精神障害を患っている人物が次々と登場してはまるで出し物のように自分の精神障害たる部分を披露するところがとても演劇的だった。

サミュエル・フラーの映画は『拾った女』や『最前線物語』が大好きなんだけれど、この『ショック集団』はそこまで楽しめる映画ではなかった。次回は『裸のキッス』を観ようとおもう。

→サミュエル・フラー→ピーター・ブレック→アメリカ/1963→ユーロスペース→★★★

ザ・ウォーク(IMAX 3D)

監督:ロバート・ゼメキス
出演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ベン・キングズレー、シャルロット・ルボン、クレマン・シボニー、ジェームズ・バッジ・デール、セザール・ドンボーイ、ベン・シュワルツ、ベネディクト・サミュエル、スティーヴ・ヴァレンタイン
原題:The Walk
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.thewalk-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

大きなバジェットのアクション映画は同時に3Dも作られるようになって久しいけど、やっぱり監督によっては安易な3D化しか考えてなくて、これなら2Dで充分、とおもう映画も少なくない。もしかすると、3Dの効果を充分に引き出せるか、出せないかで、監督そのものの資質がわかってしまうんじゃないかとおもったりもする。全部を観てきたわけじゃないけど、今までの3D映画で、素晴らしい! とおもった作品は、マーティン・スコセッシ『ヒューゴの不思議な発明』、アルフォンソ・キュアロン『ゼロ・グラビティ』、ジャン=ピエール・ジュネ『天才スピヴェット』、ジャン=リュック・ゴダール『さらば、愛の言葉よ』。そして、ロバート・ゼメキスの『ザ・ウォーク』も新たにそこに加わった。

ニューヨークにあったワールド・トレード・センターのツインタワーにワイヤーをかけて、そこを命綱なしで綱渡りを行った大道芸人のフィリップ・プティを描いたこの映画は、奥行きを見せることが得意な現在の3Dの方式にはぴったりの題材で、高低差を俯瞰から捉えた映像はまさに3D効果の真骨頂だった。高所恐怖症の自分にとってはそんなものをIMAX 3Dで観たら、もしかすると途中で逃げ出してしまうんじゃないかと危惧していたけれど、最初にフィリップ・プティがツインタワーを渡り切ってみんなと祝福を交わした時、えっ? もう終わり? と嘆くくらいにその3D効果を堪能してしまって、恐怖症どころの騒ぎではない不思議な恍惚感のあるまさに「ザ・3D」のような映画だった。

前々から云っているのだけれど、3D映画なんて昔のお化け屋敷やフリークショーのような怖いもの見たさで覗くゾエトロープなわけだから、そこで綱渡りの大道芸を見るのはまさしく大正解の内容の映画だった。

→ロバート・ゼメキス→ジョゼフ・ゴードン=レヴィット→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★★

キャロル

監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、カイル・チャンドラー、ジェイク・レイシー、コーリー・マイケル・スミス、ジョン・マガロ、キャリー・ブラウンスタイン
原題:Carol
制作:アメリカ/2015
URL:http://carol-movie.com
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

この情報過多の時代に、Twitterを使っているにもかかわらず、事前の何の情報も入れないでこの映画を観ることができた。なんとなく、公式サイトのビジュアルから女二人の友情の映画ではないかと推測していたのだけれど、でも、ファーストシーンの、別れ際にケイト・ブランシェットがそっとルーニー・マーラの肩に手を置く仕草で、ああ、この映画は二人の友情の物語ではなくて、愛情の物語なんだなあ、と理解することができるような心憎い演出からはじまる素晴らしい映画だった。

原作はパトリシア・ハイスミスの小説『The Price of Salt』。パトリシア・ハイスミスと云うと、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』やルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』の原作者として名前を知っていたけど、1952年にクレア・モーガン名義でこのような人妻と女性店員の恋愛を描いた小説を発表し、百万部を超えるほどのベストセラーになっていたとはまったく知らなかった。実際に『The Price of Salt』をパトリシア・ハイスミスが書いていたことを公表したのは1990年になってからだそうで、おそらく、その時にはアメリカ文学のファンのあいだでは大きなニュースになっていたのかもしれない。

この映画で人妻を演じたケイト・ブランシェットは、どんな役柄を演じても『ロード・オブ・ザ・リング』のガラドリエル様のような神々しさがあって、それはエリザベス1世のような高貴な人間を演じれば、そのまんまその役柄に重みを与えることができるし、『ブルージャスミン』のジャスミンのような痛い女を演じれば、痛さが下品にまで落ち込まないで女としての最低のラインをキープすることができるし、この『キャロル』でも、女性同士のカップルとして可愛らしくて華奢なルーニー・マーラの相手役としてはうってつけの凛とした男前な佇まいを醸し出していた。

ラストシーンで、ルーニー・マーラと視線が合うケイト・ブランシェットの目に背筋がゾクッとした。まるでローレン・バコールの「The Look」だ。なんて恰好良い女優なんだろう。

→トッド・ヘインズ→ケイト・ブランシェット→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

オデッセイ

監督:リドリー・スコット
出演:マット・デイモン、ジェシカ・チャステイン、クリステン・ウィグ、マイケル・ペーニャ、ショーン・ビーン、ケイト・マーラ、セバスチャン・スタン、アクセル・ヘニー、キウェテル・イジョフォー
原題:The Martian
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/odyssey/
場所:109シネマズ木場

有人火星探査から一人取り残された宇宙飛行士の生存をかけた闘いの映画。

映画のストーリーには、人を安易に感動させられる「鉄板なストーリー」があって、「難病もの」とか「子供をダシに使うもの」とか「動物もの」とか、まあ、いろいろあるんだけど、「生還もの」もそのひとつ。『オデッセイ』はその「生還もの」で、そこにさらにいろんな「鉄板な要素」が加味されていて、てんこ盛り状態になっている映画だった。たとえば、一人でなんでも出来てしまう「居残り佐平次もの」(勝手に『幕末太陽傳』から名付けました)とか、古い技術が危機を救う「アンチ・レガシーもの」(これも勝手に名付けています)とか、みんなの善意が一人を救う「キャプラもの」(『素晴らしき哉、人生!』から!)とか、ここまで畳みかけられたら感動しないわけがない!

と云うわけで、とても楽しめる映画でした。でも、ひねくれものの自分としては、ここまで鉄板の要素を並べられるとかえって鬱屈が溜まってしまって、最後は救出に失敗したマット・デイモンが永遠に火星の周りを回る衛星となってしまって、ああ、マット・デイモンは星になってしまったのね、と地球からみんなが拝むブラックユーモアなラストが欲しいとおもったりしてしまいました。

→リドリー・スコット→マット・デイモン→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

白鯨との闘い

監督:ロン・ハワード
出演:クリス・ヘムズワース、ベンジャミン・ウォーカー、キリアン・マーフィー、トム・ホランド、ブレンダン・グリーソン、ベン・ウィショー、ミシェル・フェアリー、フランク・ディレイン、ポール・アンダーソン
原題:In the Heart of the Sea
制作:アメリカ/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/hakugeimovie/
場所:109シネマズ木場

原題の「In the Heart of the Sea」の邦題を「白鯨のいた海」から「白鯨との闘い」に変更したのは、この映画のアクションの要素をなるべく強調しようとした魂胆が配給会社の宣伝部にあって、なぜアクションの要素が強いと映画がヒットする可能性が高くなると配給会社がおもうのかはよくわからないのだけれど、とにかくハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」を知らなくとも「白鯨」との闘いがメインとなるようなアクション映画であることを印象づけようとした結果のタイトルだったとおもう。

ただ、それを鵜呑みにして映画を観に行くと、あれ? になる。たしかに「白鯨」との闘いは出てくる。CGを使った迫力のあるアクションシーンだ。でも、この映画はそれがメインではなく、「白鯨」によって沈没させられた捕鯨船エセックス号の乗組員がいかにして過酷な漂流から帰還するのかがポイントとなる映画だった。「白鯨との闘い」のイメージで映画を見てしまうと、そしてジョン・ヒューストン監督の1956年の映画『白鯨』を想像しながら見てしまうとまるっきり腰砕けになってしまう。どちらかと云うとアクション映画ではなくて、サバイバル系の映画だった。

映画の後半は海を漂流する乗組員の生き残るためのサバイバル生活が中心となって、人肉を喰うことがストーリーの中心となって行く。が、その描写が中途半端なので、アクションを見るつもりだった「腹」は収まりきらない。ああ、少なくとも、『ゾンビ』ばりの人肉がぶりつき描写が欲しかった、とおもってしまうほど、高揚した気持ちの落ち着きどころがなくなってしまった。

邦題は「ハート・オブ・ザ・シー」で良かった。

→ロン・ハワード→クリス・ヘムズワース→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★

ヤクザと憲法

監督:圡方宏史
出演:二代目東組二代目清勇会のみなさん
制作:東海テレビ放送/2015
URL:http://www.893-kenpou.com
場所:ポレポレ東中野

まわりから「観ろ!」と勧められていた『ヤクザと憲法』を観た。

大阪の堺市にある二代目東組二代目清勇会の事務所にカメラが入って行くところから映画がはじまる。そこにはどんなにいかつい面々が揃っているんだろうかと興味津々に見るも、若頭がちょっとドスの利いている風貌以外はなんだかフツーのおじさんばかり。組長も60歳代には見えない若いカジュアルな服装のただのおじさんで、両手をポケットに入れたままひょいひょいと事務所に入ってくる。住み込みの若い衆も落ちこぼれの高校生のようなトッポイにいちゃんで、滑舌は悪いは、気が利かないは、使える組員にはまったく見えない。これが今のヤクザなのか! とびっくりするぐらいに拍子抜けしてしまった。『仁義なき戦い』の世界からはすでにほど遠いところまで来てしまってる。

1992年(平成4年)3月1日に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(通称、暴対法、暴力団対策法、暴力団新法)によって、いわゆる暴力団に対する警察の締めつけが厳しくなった。それは、昔の仁侠映画のような「かたぎには迷惑をかけない」ヤクザの世界から、抗争によって一般人に犠牲者を出したり、覚せい剤の売買に手を出したりするヤクザの世界に変貌した結果だとおもう。でも、この映画の中でも飲食店のおばちゃんが「警察は何もしてくれない、でも彼ら(ヤクザの人びと)は助けてくれる」と云っているような、社会の底辺にいるような人たちを助けたり、義務教育から落ちこぼれた不良を救う受け皿のような役割がまだまだあるんだとおもう。それが暴力団対策法によって弱体化させられて機能しなくなっただけでなく、ヤクザの組員に対しても人権さえ無視したような、ちょっとあまりにも締め付けすぎているきらいがある。

と、この映画は、ヤクザ寄りに描いている。事務所にがさ入れに入った刑事のほうこそが「悪」に見えるような作りになってる。最後の清勇会の組長の「ヤクザをやめて、誰が受け入れてくれる?」って言葉にも、そうだよな、とヤクザに温情的になってしまう。とはいえ、そこまでヤクザに肩入れしてもいいものかどうか。なんとも複雑な映画だった。

→圡方宏史→二代目東組二代目清勇会のみなさん→東海テレビ放送/2015→ポレポレ東中野→★★★★