インヒアレント・ヴァイス

監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ホアキン・フェニックス、ジョシュ・ブローリン、オーウェン・ウィルソン、キャサリン・ウォーターストン、リース・ウィザースプーン、ベニチオ・デル・トロ、ジェナ・マローン、ジョアンナ・ニューサム、マーティン・ショート、エリック・ロバーツ
原題:Inherent Vice
制作:アメリカ/2014
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/inherent-vice/
場所:ユナイテッド・シネマ豊洲

トマス・ピンチョンの小説「LAヴァイス」をポール・トーマス・アンダーソンが映画化。

トマス・ピンチョンの小説をまだ読んだことがないので、ポール・トーマス・アンダーソンがどこまで原作に忠実に映画化したのかはわからないけれど、以下のインタビュー記事で、

ホアキンと僕は、できる限り深く小説を掘り下げようとした。何事においても、つねに小説に戻るようにした。小説が僕たちを笑わせ、絶え間なく新しい素材をもたらしてくれた。あまりにも濃厚で、全部を心に留めておくことができない。でも僕たちは努力したよ。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4665/

とあるので、おそらく原作の雰囲気を壊さずに映画化しているんじゃないかとおもう。

全体的な体裁はハードボイルドの探偵小説をベースにしていて、それも舞台が70年代のロサンゼルスなので、レイモンド・チャンドラーの原作を台無しにしたと酷評されたロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』をどうしてもイメージしてしまう。そこにジェイムズ・エルロイの小説に出て来るような刑事“ビッグフット”が登場して、不動産業界の大物ミッキー・ウルフマンが絡んだロサンゼルスの暗黒史的な一面も見せつつ、当時の反戦思想やヒッピー文化などと一緒に70年代の流行歌に乗せてストーリーは展開して行く。

レイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」を原作としたハワード・ホークスの『三つ数えろ』のように、この『インヒアレント・ヴァイス』も次から次へと人物が登場して来る。ナレーションやセリフの端々にまで登場する人物たちをストーリーとどのような関わりがあるのかをしっかりと追いかけていると、重要な人物がなかなか登場しなかったり(ミッキー・ウルフマンを演じるエリック・ロバーツ!)、重要とおもわれた人物がただの変態だったり(ドクター・ブラットノイドを演じるマーティン・ショート!)、リース・ウィザースプーンやベニチオ・デル・トロなどのビッグネーム俳優がただのチョイ役だったりと、頭の中は混濁としてきて、まるで“葉っぱ”をやりすぎたジャンキーのようになってくる。まさにこの映画の“グルービー”なところはこの混濁とした中に身を置くことににあった。

そのうちにストーリーを真面目に追いかけてもまったく意味がないと気付かされて、次第にポール・トーマス・アンダーソンが得意とするところの人物の造形に注目しはじめると俄然と面白くなってくる。ホアキン・フェニックスのジャンキーな探偵はやたらと衣装を替えて、ドレスコードを気にする繊細さを持ち合わせた人物だったり、『時計じかけのオレンジ』のペニス型アイスをなめるデボチカのようにチョコバナナを銜えるマッチョ風刑事“ビッグフット”のジョシュ・ブローリンが実際には妻の尻に敷かれていたり(妻の顔は映らない!)、70年代風ストレートな髪形のキャサリン・ウォーターストンが意味もなく全裸になっていたりと、何もかもがポール・トーマス・アンダーソンの描く人物だ。それが、おそらく、トマス・ピンチョンの小説と一体化している。

それをしっかりと確認するためにもトマス・ピンチョンの「LAヴァイス」を読まねば。

→ポール・トーマス・アンダーソン→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2014→ユナイテッド・シネマ豊洲→★★★★

神々のたそがれ

監督:アレクセイ・ゲルマン
出演:レオニド・ヤルモルニク、アレクサンドル・チュトゥコ、ユーリー・アレクセービチ・ツリーロ、エフゲニー・ゲルチャコフ、ナタリア・マテーワ
原題:Hard to Be a God
制作:ロシア/2013
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/
場所:ユーロライブ

アレクセイ・ゲルマン監督の映画をはじめて観た。ある程度は覚悟していたものの、やはり相当ヘヴィーな映画だった。泥、糞、ゲロまみれの背景に浮かび上がる人物にカメラは異常とも云えるほどに寄っていて、その人物の口から吐き出される唾や食いカスなどが画面いっぱいにまき散らされるシーンは見ていて気持ちの良いものではまったくなかった。さらに動物の死体や、死んだ人間の腹からこぼれ出るはらわたなどが画面せましと迫ってくる。この不快の連続はいったい何を意味するんだろうか? それを映画を見ているあいだ中ずっと考えていた。これが人間の本質と云ってしまえばそうなのかもしれないけれど、ここまで突き放した描写を連続させるパワーは想像を絶する。このことを理解するにはアレクセイ・ゲルマンの人となりを知らなければ到底無理だ。

手がかりを少しでも得ようとしてネットを検索したら、アレクセイ・ゲルマン監督のご子息のインタビューがあった。

http://culture.loadshow.jp/interview/kamigaminotasogare-interview/

その中にわずかばかりでも手がかりがあるとすると以下の部分だった。

父は、共産党のもとでも資本主義のもとでも仕事をした訳ですけれども、常に居心地の悪さというものを感じていて、それを表現したいと思っていたと思いますね。

→アレクセイ・ゲルマン→レオニド・ヤルモルニク→ロシア/2013→ユーロライブ→★★★

博士と彼女のセオリー

監督:ジェームズ・マーシュ
出演:エディ・レッドメイン、フェリシティ・ジョーンズ、マキシン・ピーク、チャーリー・コックス、エミリー・ワトソン、ガイ・オリヴァー=ワッツ、サイモン・マクバーニー、アビゲイル・クラッテンデン、ハリー・ロイド
原題:The Theory of Everything
制作:イギリス/2014
URL:http://hakase.link
場所:109シネマズ川崎

エディ・レッドメインがスティーヴン・ホーキング博士を演じて、今年のアカデミー主演男優賞を獲った映画。

今までの経験から云って自伝映画に期待を寄せることはあまりないのだけれど、最近で云ったらエディット・ピアフの自伝映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』とか、たまに当たりの映画がある。今回の『博士と彼女のセオリー』は当たりだった。

この映画はスティーヴン・ホーキング博士の最初の妻であるジェーンの回顧録「Travelling to Infinity: My Life with Stephen」をベースにしている。だから、ホーキング博士の業績にスポットライトが当たるのではなくて、ジェーンとホーキング博士との関係を描くことがメインとなっている。この関係性が面白かった。特に、病気を発症してから自由の効かなくなったホーキング博士の家族をサポートするピアノ講師のジョナサンも含めた奇妙な三角関係がまるでトリュフォーの映画を見ているようだった。

さらにホーキング博士を世話する介護士のエレイン・マッソンも含めた四角関係に発展して行き、結局はホーキング博士と離婚したジェーンはジョナサンと再婚する。ホーキング博士はエレイン・マッソンと再婚する。この一見するとドロドロとした男女の愛憎劇が、情念のまったく欠如したクールな関係として描かれているところが、ホーキング博士とジェーンの頭の良さを象徴していて、それはすなわちホーキング博士の、人間性はともかく、偉大な業績を生み出す基盤とも見えるところがこの映画の面白さだった。

監督は『マン・オン・ワイヤー』でアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞したジェームズ・マーシュ。ドキュメンタリー映画と劇映画の撮り方は微妙に違うとおもうけど、やはりドキュメンタリー映画は「映画界の頂点捕食者」であって、ドキュメンタリーを巧く撮ることの出来る人は、劇映画も巧く撮ることが出来ることをしっかりと実証していた。

→ジェームズ・マーシュ→エディ・レッドメイン→イギリス/2014→109シネマズ川崎→★★★★

ジュピター

監督:ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
出演:チャニング・テイタム、ミラ・クニス、ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ダグラス・ブース、タペンス・ミドルトン、ジェームズ・ダーシー、ティム・ピゴット=スミス、ペ・ドゥナ
原題:Jupiter Ascending
制作:アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/jupiterascending/index.html
場所:109シネマズ木場

ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やデヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』が魅力的なのは、広大な宇宙空間を舞台にして対立する善悪のキャラクターが立っているからで、特にスペースオペラでは悪役のキャラが抜きん出て立っていなければまったく映画として成立しない。ウォシャウスキー姉弟の『ジュピター』はその点ではまったくダメだった。今年のアカデミー主演男優賞を獲ったエディ・レッドメインは悪役のキャラとしてはあまりにもアクがなくて薄すぎるし、使えない部下のトカゲ野郎を殺してもダースベイダーがフォースによって部下の首を絞め上げるような残酷さが際立たない。だからヒーローのチャニング・テイタムが勝利を収めたとしても何のカタルシスも得られない対決シーンはひどいものだった。どちらかと云うと、チャニング・テイタムがミラ・クニスを救い出すシーンのほうが、360度ぐるっとカメラがダイナミックに動いて、そこがこの映画のクライマックスシーンだった。

スペースオペラのヒロインは、『スター・ウォーズ』のキャリー・フィッシャーのように、まあ、特に美女を求めるものでもないんだけど、ミラ・クニスはあまりにもブラックなイメージを感じてしまって、それを「Your Majesty」と崇め奉るのはどうにも違和感を覚えてしまう。だったら、ちょい役ながら『クラウド アトラス』に引き続いて登場の、ウォシャウスキー姉弟お気に入りのペ・ドゥナをヒロインに据えたほうがまだましだった。

→ラナ&アンディ・ウォシャウスキー→チャニング・テイタム→アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015→109シネマズ木場→★★☆

プリデスティネーション

監督:マイケル&ピーター・スピエリッグ
出演:イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー、フレイヤー・スタッフォード、クリストファー・カービイ、ロブ・ジェンキンス、マデリーン・ウエスト、ジム・ノベロック、クリストファー・ストーレリー
原題:Predestination
制作:オーストラリア/2014
URL:http://www.predestination.jp
場所:渋谷TOEI

タイムトラベルの映画には絶えずパラドックスが付きまとう。だから、タイムトラベルと云う行為は絶対に不可能なんだと、いろいろな映画を見るたびにますます確信へと変わって行く。それなのに、その矛盾をなんとか回避しようと勝手なルールがいくつか存在する。その最もたるものが、過去へタイムスリップした時に自分自身とは会ってはいけない、と云うルールだ。でもそんなルールはいったい何の理論を元に決められたものだろう。なーんとなく、それはダメなんじゃないか、と云った曖昧なところから来ているに違いない。タイムトラベルが理論としてあり得ないのなら、そのようなルールは馬鹿げたことだ。

だったら、そんなルールはくそくらえ、と云う映画があっても良い。あやふやな理論を元にして成り立っているルールなら、そんなの無視して、どんどんと過去の自分に会っちゃえ、と云うタイムトラベルの映画があっても良い。

スピエリッグ兄弟の『プリデスティネーション』はまさにそんな映画だった。自分に会うどころか、自分の運命さえも自分で決めてしまっている。過去から未来へと向かう人生のタイムラインを歪曲させて繋ぎ合わせ、その中を行きつ戻りつ、複雑な軌道を描いて回転しているようだった。主人公のイーサン・ホークが云うように、自分の尻尾を喰う蛇のストーリーだった。

原作はロバート・ハインラインの『輪廻の蛇』。以下のブログのとてもわかりやすいストーリーの要約を読むと、映画は原作にとても忠実だったことがわかる。

http://hontama.blog.shinobi.jp/コラム「たまたま本の話」/第54回%E3%80%80「輪廻の蛇」と性転換(ロバート・アンソン・

ちょっと複雑なストーリーだけど、先の読めない展開はとててもわくわく、スリリングだった。

→マイケル&ピーター・スピエリッグ→イーサン・ホーク→オーストラリア/2014→渋谷TOEI→★★★☆

恐怖分子

監督:エドワード・ヤン(楊徳昌)
出演:コラ・ミャオ(繆騫人)、リー・リーチュン(李立群)、チン・スーチェ(金士傑)、クー・パオミン(顧寶明)、ワン・アン(王安)、マー・シャオチュン(馬邵君)
原題:恐怖份子
制作:台湾/1986
URL:http://kyofubunshi.com
場所:シアター・イメージフォーラム

さまざまな境遇の人たちを同時並行に描いて、それぞれのタイムラインが前後したり、時には交わったり離れて行ったりするような、まるで網の目のようなドラマ形式の群像劇が大好きだ。エドワード・ヤンの『恐怖分子』はその手のジャンルの映画だった。ただ、エドワード・ヤンの映画は説明過多には陥らない。いや、どちらかと云うと、ストーリーを追う上で重要ともおもわれるシーンを省略してしまっている。気持ち良いくらいにすっぱりと。

賞を取ったコラ・ミャオの小説はどんな内容だったんだろう?
ラストの夢ともおもえるシーンはその小説の内容とオーヴァーラップしていたんだろうか?
もしかしたらこの映画自体がコラ・ミャオの小説なのか?

映画を見ている我々に対して、手取り足取り説明しないぶん、想像の余地が無限に広がる。勝手な解釈がどんどんと膨らんで行く。エドワード・ヤンの映画の面白さはまさにそこにある。この映画をもう一度見たら、また何か違ったことを想像してしまうかもしれない。それはおそらくエドワード・ヤンが意図したものではないのかもしれないけど。いや、エドワード・ヤンはそういう行為をも意図していたはずだ。

→エドワード・ヤン(楊徳昌)→コラ・ミャオ(繆騫人)→台湾/1986→シアター・イメージフォーラム→★★★★

ソロモンの偽証 前篇・事件

監督:成島出
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、清水尋也、富田望生、前田航基、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、田畑智子、塚地武雅、池谷のぶえ、田中壮太郎、市川美和子、高川裕也、江口のりこ、安藤玉恵、木下ほうか、井上肇、中西美帆、松重豊、小日向文世、尾野真千子
制作:「ソロモンの偽証」製作委員会/2015
URL:http://solomon-movie.jp
場所:109シネマズ木場

宮部みゆきの単行本3巻にもおよぶ大部の原作を前後編に分けて成島出が映画化。

原作も読んでいないし、予告編を見たぐらいの事前情報だけなので、ストーリーの展開だけでグイグイと映画の中に引き込まれてしまう。オーデションで選ばれた藤野涼子を演じる藤野涼子(宮部みゆきの承認を得て、役名=芸名にしたそうだ)も初めての演技とはとてもおもえない素晴らしさで、この映画で成島出がポイントとして置いている「目の力」もとてもしっかりとしていて、自殺した(とおもわれる)同級生との目と目の対決はこの映画のキーとなるシーンとなって存在感があった。

成島出の演出は、まるで中島哲也の『告白』の対極にあるようなとても素直な、ストレートな演出で、もうちょっと中島哲也のような派手さがあったら良かったのに。特に親子の会話部分は、あまりにもまっすぐな視線の、とても正直な演出なのには鼻白んでしまう。まあ、中島哲也の方向へ振り切れてしまうと、それはそれで問題なんだけど。

後篇は4月11日からだそうだ。前篇を見ただけの想像だけど、ストーリーの推進力を保っているのは、殺したと告発されている同級生の弁護を引き受ける他校の生徒の子なので、おそらく後編もこの子が鍵になるとおもう。

→成島出→藤野涼子→「ソロモンの偽証」製作委員会/2015→109シネマズ木場→★★★☆

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、アレックス・ローサー、キーラ・ナイトレイ、マーク・ストロング、チャールズ・ダンス、アレン・リーチ、マシュー・ビアード、ロリー・キニア、ジャック・バノン、ヴィクトリア・ウィックス、デイヴィッド・チャーカム
原題:The Imitation Game
制作:イギリス、アメリカ/2014
URL:http://imitationgame.gaga.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

今年のアカデミー脚色賞は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のグレアム・ムーアが獲った。その時のスピーチが話題になった。

私は16歳の時、自殺未遂をしました。自分は人と違っていると思っていたし、いつも居場所が無かったんです。でも、私は今このステージに立っています。かつての自分がそうだったように、この映画を、そういう子供たちに捧げたい。自分は変わり者で居場所がないと感じている若者たちへ。君たちには居場所があります。そのままで大丈夫。輝く時が来るんだから。そして、いつか君がこのステージに立つ時がきたら、このメッセージを次につなげて欲しい。
http://genxy-net.com/post_theme04/movie20150224-2/

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、まさに「変わり者」の賛歌だった。人並みな感性を持ち合わせているだけでは、凡庸なことしかすることができない。あいつは変わってるよねえ、と云われてこそ、ものごとを異なる角度から見ることも出来るし、それによって誰をも成し遂げられなかった偉業も達成できる。天才数学者アラン・チューリングを題材にとって、そのことを最初から最後まで訴えている映画だった。

でも、そのパターンだけでは、どんな偉人にも当てはまることなので飽きてしまった。ナチスドイツの「エニグマ」を解読したマシン「クリストファー」のシステムのことや暗号解読のアルゴリズムのことなど、パーゾナルコンピュータの源流を見出した人間としての、もうちょっと技術的に突っ込んだ描写もあって、それらを常識からは逸脱したアラン・チューリングの言動と結びつける部分もあればもっと楽しめたのに。

→モルテン・ティルドゥム→ベネディクト・カンバーバッチ→イギリス、アメリカ/2014→新宿武蔵野館→★★★

フォックスキャッチャー

監督:ベネット・ミラー
出演:スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、シエナ・ミラー、マイケル・ホール
原題:Foxcatcher
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.foxcatcher-movie.jp
場所:ユナイテッドシネマとしまえん

ポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』は、戦争で心を病んだ男が流れ着いた先で、欠落した心を取り戻そうとするかのように、新たな人間関係を構築する際に見せる繊細な感情のゆらぎのようなものを映像化していた。ベネット・ミラーの『フォックスキャッチャー』を観ていて、その『ザ・マスター』を少なからずおもい出してしまった。ただ今回は、「マスター」に成ろうとして成り得なかった男と、「マスター」を求めてはっきりと裏切られた男の明快なストーリーだったけど。

子供の頃にしっかりと築き上げなければならない親子関係に欠損が生ずると、精神的にも充足されないまま成長してしまって、それをどこかで補おうとする力が働いたとしても不完全な形でしか達成できず、理不尽な不満しか後には残らない。そして、精神的な欠落が異常な行動へと走らせてしまう。デイヴ・シュルツを殺害したジョン・デュポンとはそんな男だった。それをスティーヴ・カレルが容貌もそっくりに演じていて、醸し出す負のオーラも一緒に演じているのが素晴らしかった。

ジョン・デュポンを「マスター」と仰ごうとするマーク・シュルツを演じるチャニング・テイタムも、兄のデイヴ・シュルツとの関係に影を落とす負のオーラを満開させていて、似たもの同士の二人がぶつかる先には不幸しか待ち受けていないだろうと云う予感しかなく、その息苦しさが支配しているストーリーはある意味、緊張感があって、ゾクゾクするほど面白かった。

このようなストーリーが好きなのは、ジョン・デュポンに感情移入できるからなんだろうなあ。まあ、普通じゃない。

→ベネット・ミラー→スティーヴ・カレル→アメリカ/2014→ユナイテッドシネマとしまえん→★★★★

アメリカン・スナイパー

監督:クリント・イーストウッド
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、マックス・チャールズ、ルーク・グライムス、カイル・ガルナー、サム・ジェーガー、ジェイク・マクドーマン、コリー・ハードリクト、サミー・シーク
原題:American Sniper
制作:アメリカ/2014
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/
場所:109シネマズ木場

最近のクリント・イーストウッド映画のレベルの高さを考えると、彼への要求が傑作程度の映画では満足し切れなくなってしまって、次回作も同等かそれ以上のレベルを求めてしまうようになってしまった。だからこそ、そんな映画ファンの鼻を明かすような『ジャージー・ボーイズ』と云う変化球を投入してきたクリント・イーストウッドのセンスの良さにはますます脱帽すると同時に、次はどんなことをやってくれるんだろうかとさらにハードルが上がってしまった。

『アメリカン・スナイパー』は、こちらの勝手な期待の高さに答えてくれたかと云うと、なんとも微妙な映画だった。いったいこの映画は、イラク戦争で160人も殺した伝説のスナイパーとしてのクリス・カイルにポイントを置く映画なのか、家族をないがしろにしてまで国に尽くす牧羊犬(シープドッグ)としての内的葛藤や戦闘の経験から来るPTSDに苦しむクリス・カイルに重きを置く映画なのか。もしその両方にスポットを当てているのだとしたら、二つの要素のバランスが中途半端だったんじゃないか、と少なからず不満を募らせてしまった。もちろん、水準レベル以上の映画なんだけど。

クリス・カイルのライバルとしてシリアの元オリンピックメダリストのムスタファを登場させるあたりは、往年のダーティハリーやマカロニ・ウェスタンを彷彿とさせて、そのアクション性がより鮮明になった分、後半のPTSDに苦しむクリス・カイルへの感情移入が随分とぼやけてしまったような気がする。だとしたら、どちらかに比重を極端に絞ったほうが良かったんじゃないかとおもえる。もし『ジャージー・ボーイズ』に続いて、さらに変化球で攻めてきて、ダーティハリーやマカロニ・ウェスタンへと回帰していたとしたら狂い死にしていたところだったのに。まあ、そんな映画はもう作らないだろうけど。

→クリント・イーストウッド→ブラッドリー・クーパー→アメリカ/2014→109シネマズ木場→★★★☆