女っ気なし/遭難者

監督:ギョーム・ブラック
出演:バンサン・マケーニュ、ロール・カラミー、コンスタンス・ルソー、ジュリアン・リュカ
原題:Un monde sans femmes / Le naufrage
制作:フランス/2011
URL:http://sylvain-movie.com/#id65
場所:ユーロスペース

自分の映画的嗅覚だけでは絶対に観ようとはおもわない映画をTwitterの評判に釣られて観に行って、それが当たりだったりするととても得した気分になる。この『女っ気なし』『遭難者』もその手の映画だった。エリック・ロメールやジャック・ロジエのような、バカンスと云うシチュエーションでの男と女の微妙な感情のすれ違いをとても丁寧に撮っている。例えば『女っ気なし』では、登場シーンの素っ気ない態度(と云うより、カメラはそこに焦点をまったく結んでいない)からはとても想像ができない娘役のコンスタンス・ルソーの、徐々に、少しずつ変わって行くバンサン・マケーニュに対する感情の変化の捉え方が絶妙だった。この丁寧な演出があるからこそ、ハゲでデブの冴えない男がティーンの女の子とベッドを共にしてしまうような、ありえないストーリーに真実味が出てくる。男から見れば、感情移入しまくりの映画になっていた。

『女っ気なし』は58分、『遭難者』は25分の短編映画だけど、小道具の使い方も良かった。特に『遭難者』ではジュリアン・リュカがVITUSの自転車に乗っているのに目が行ってしまった。ギョーム・ブラック監督はおそらく自転車乗りだ。

名門ブランドVITUS再び世界の舞台へ〜アンポスト・チェーンリアクション・ショーン・ケリーと共に

→ギョーム・ブラック→バンサン・マケーニュ→フランス/2011→ユーロスペース→★★★★

世界で一番美しい本を作る男 〜シュタイデルとの旅〜

監督:ゲレオン・ベツェル、ヨルグ・アドルフ
出演:ゲルハルト・シュタイデル、ギュンター・グラス、カール・ラガーフェルド、ロバート・フランク、ジョエル・スタンフフェルド、ロバート・アダムス、マーティン・パー、ジェフ・ウォール
原題:How to Make a Book with Steidl
制作:ドイツ/2010
URL:http://steidl-movie.com
場所:シアターイメージフォーラム

日本の出版業界の中にも、きめ細やかな仕事をする日本人の性格を反映して、組版や造本に執心する人は多い。おそらく、この映画に描かれているゲルハルト・シュタイデルと同じような情熱を持って、一つの本を作り上げている人はめずらしくないとおもう。ただ、日本の出版人と一つだけ違うのは、世界をまたにかけているグローバルさだった。タイトルから判断する映画の印象からすると、もっと組版や造本の技を追いかける映画ではないかとおもってしまったのだけれど、どちらかと云うと絶えず飛行機に乗って移動するシュタイデルの仕事の旅を追いかける映画だった。日本の出版人にも、少なくともアジアをまたにかけて仕事をする人が出てきてもおかしくないのかな、と、当初想像していたのとはまったく違う先に感想が落ち着いてしまった映画だった。

→ゲレオン・ベツェル、ヨルグ・アドルフ→ゲルハルト・シュタイデル→ドイツ/2010→シアターイメージフォーラム→★★★☆

ムード・インディゴ うたかたの日々

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:ロマン・デュリス、オドレイ・トトゥ、ガド・エルマレ、オマール・シー、アイッサ・メガ、シャルロット・ルボン、サッシャ・ブルド、フィリップ・トレトン
原題:L’ecume des jours
制作:フランス/2013
URL:http://moodindigo-movie.com
場所:シネマライズ

ミシェル・ゴンドリーが次に何を仕掛けて来るのか楽しみになって来ているのだけれど、今回の『ムード・インディゴ うたかたの日々』は、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』やジャン=ピエール・ジュネの『デリカテッセン』のような、一見すると私たちの地球と同じ時間が流れていて、同じ物理法則が働いている世界に見えながら、ところどころに不可思議な自然の法則が働いていて、それがとてもおかしくて、奇妙で、アンバランスで、シュールな世界を形作っている映画だった。中でも、映画の題名を「ムード・インディゴ」としていることからわかるようにデューク・エリントンの曲が全編に流れていて、それに合わせて“ビグルモア”と云う足がビヨ〜ンと伸びるダンスが特にシュールだった。

ムード・インディゴ うたかたの日々

このような種類の映画を面白く観るには、この不思議な世界観をすんなりと受け入れられて、いかにしてストーリーに同化できるかにかかっていている。でも、『未来世紀ブラジル』や『デリカテッセン』ではそれをすんなりと受け入れられたのに、残念ながらこの映画ではそうはいかなかった。“ビグルモア”のダンスシーンやスケルトンのリムジンとか哲学者“ジョン=ソル・バルトル”の眼鏡とか、ところどころに面白い仕掛けはいっぱいあったのに。もう一回見れば、また印象は違うのかなあ。

ムード・インディゴ うたかたの日々

→ミシェル・ゴンドリー→ロマン・デュリス→フランス/2013→シネマライズ→★★★

そして父になる

監督:是枝裕和
出演:福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー、二宮慶多、黄升炫、中村ゆり、高橋和也、田中哲司、井浦新、大河内浩、風吹ジュン、國村隼、樹木希林、夏八木勲
制作:「そして父になる」製作委員会/2013
URL:http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp
場所:109シネマズ木場

何度も云っているのだけれど、子供や動物をダシに使ってる映画が大嫌いだ。例えそれがストーリーの中で必要不可欠な要素であったとしても、子供や動物のビジュアルから来る可愛さは何を置いても絶対的すぎて、それが下手な演技だろうと、これ見よがしの使い方だろうと何でも許せてしまう。ただ単純にビジュアルを見ただけで、すぐに泣いたり笑ったりできてしまう。そんな自分がとてもイヤだ。だからなるべくなら子供や動物を使った映画を避けて通りたい。目をつぶってやり過ごしたい。

とは云え、これだけは観て置いたほうが良いんじゃないかとおもえる映画がたまにやって来る。例え子供や動物をダシに使っていたとしても、それなりにしっかりと作られているんじゃないかとおもえる映画が。それが『誰も知らない』で子供のいたいけな姿を確信犯的にこれでもかと観客に見せつけて涙ボロボロにさせた前科のある是枝裕和の『そして父になる』だった。

是枝裕和は子供のキャスティングがとても上手くて、この『そして父になる』で福山雅治と尾野真千子の息子役を演じた二宮慶多のビジュアル的な可愛さも半端なかった。大きなつぶらな瞳で父親を見つめる姿や反対に目をそらす姿だけで泣けてくる。なので、目が曇って、映画としての正当な評価がまったく出来ない。だから見たくないのだ。父親としての福山雅治の演技が上手いとはとても云えないけれど、感情が高ぶった結果として、ああ、良い映画だった。

→是枝裕和→福山雅治→「そして父になる」製作委員会/2013→109シネマズ木場→★★★☆

地獄でなぜ悪い

監督:園子温
出演:國村隼、堤真一、二階堂ふみ、原菜乃華、友近、長谷川博己、星野源、春木美香、石井勇気、坂口拓、渡辺哲、尾上寛之、水道橋博士、板尾創路、石丸謙二郎、でんでん、ミッキー・カーチス、江波杏子、神楽坂恵、岩井志麻子、成海璃子
制作:「地獄でなぜ悪い」製作委員会/2013
URL:http://play-in-hell.com
場所:新宿バルト9

園子温監督の『希望の国』があまりにも時流におもねったテーマをストレートに謳い上げていたのに辟易してしまったのだけれど、まさかそんなものを立て続けに作るわけないだろうとおもって観に行ったら、いやいや、やってくれました。深作欣二の『仁義なき戦い』にオマージュを捧げつつ、マカロニウェスタンやカンフー映画をリスペクトしたタランティーノ映画をさらにリスペクトしているような、腕や首が飛び放題の、血糊べっとりのハイテンションな映像の洪水に溺れて息も出来なくて苦しい。もう、嬉しい悲鳴。やっぱり園子温はこうでなくっちゃ。『希望の国』のような正義面は見たくない。この『地獄でなぜ悪い』や『愛のむきだし』のようなアングラ臭のする大人になりきれない中二病映画をずっと見ていたい。

主題歌としての星野源「地獄でなぜ悪い」はなかなか良い感じなんだけど、他の劇中挿入曲がハイドンの「サラバンド」とかダニエル・リカーリの「ふたりの天使」などを使ったりするので、まあ、なんと云うか、ベタな選曲なのがちょっと小恥ずかしいと云うか。音楽のセンスはまったくタランティーノにはかなわない。

→園子温→國村隼→「地獄でなぜ悪い」製作委員会/2013→新宿バルト9→★★★★

死体を売る男

監督:ロバート・ワイズ
出演:ボリス・カーロフ、ベラ・ルゴシ、ヘンリー・ダニエル、エディス・アトウォーター、ラッセル・ウェイド、リタ・コーデイ、シャリン・モフェット、ドナ・リー
原題:The Body Snatcher
制作:アメリカ/1945
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ロバート・ワイズが撮った映画のラインナップを眺めてみるとあんがいと好きな映画が多いことに気が付く。『地球の静止する日』や『傷だらけの栄光』や『深く静かに潜航せよ』など。もちろん大作のミュージカル『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』も。後期の『アンドロメダ…』や『ヒンデンブルグ』や『スタートレック』なども。なのに、好きな監督は? と聞かれて「ロバート・ワイズ」と答えることはまずない。ちょっと気取ってハワード・ホークスとかスタンリー・キューブリックの名前を挙げてしまう。本当は、SFも伝記映画も戦争映画もミュージカルも何でもこなせる職人監督こそが大好きなのに。

どんなジャンルの映画でもクオリティ高く撮ることのできるロバート・ワイズの職人芸は、監督としてのキャリアのはじまりに撮らされたB級プログラムピクチャーで培って行ったのだとおもう。それをこの監督三作目の『死体を売る男』で窺うことができる。新人の監督ながら、すでに怪奇映画でスターとなっていたとおもわれるフランケンシュタインのボリス・カーロフとドラキュラのベラ・ルゴシの二台巨頭を向こうに回して、二人の何とも奇妙な、不思議な対決をしっかりと演出している。もうすでに監督としての「ロバート・ワイズ」が確立してしまっている雰囲気さえある。もっと初期のロバート・ワイズを見なければ。特にボクシング映画の傑作と言われている『罠』を。

→ロバート・ワイズ→ボリス・カーロフ→アメリカ/1945→シネマヴェーラ渋谷→★★★

奇妙な幻影

監督:エドガー・G・ウルマー
出演:ジェームズ・ライドン、サリー・アイラース、ウォーレン・ウィリアム、レジス・トゥーミー
原題:Strange Illusion
制作:アメリカ/1945
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

エドガー・G・ウルマーは「B級カルトの帝王」と呼ばれているらしい。まったく知らなかった。時間を経て名前の残った監督の映画にだけ目が行ってしまいがちだけど、低予算で大量に作られていた時代には、スタジオの量産システムが巧く機能していて、チープながらもキッチリとした映画が多いのに驚く。この『奇妙な幻影』も有名な俳優は一人も登場しないのに、特に女優のクオリティが酷い! とはおもうけど、ヒッチコックのようなサスペンスだけで86分を持たせてしまう。核心に迫るときのテンポがもうちょっとあったら良かったのだけれど。

→エドガー・G・ウルマー→ジェームズ・ライドン→アメリカ/1945→シネマヴェーラ渋谷→★★★

スティーブ・ジョブズ

監督:ジョシュア・マイケル・スターン
出演:アシュトン・カッチャー、ジョシュ・ギャッド、アマンダ・クルー、ダーモット・マローニー、マシュー・モディーン、J・K・シモンズ、ルーカス・ハース、ヴィクター・ラサック、エディ・ハッセル、ロン・エルダード、ネルソン・フランクリン、ジャイルズ・マッシー 、ジェームズ・ウッズ
原題:Jobs
制作:アメリカ/2013
URL:http://jobs.gaga.ne.jp
場所:東商ホール(試写会)

偉人の生涯を描く映画は、偉人だからこそエピソードが山ほどあるはずなのに、それを映画として2時間枠に納めなければならないので、選別し、簡潔にし、端折らざるを得なくて、めまぐるしいダイジェスト・ムービーになってしまう場合が多い。となると、どこを楽しむかと云えば、それをどれだけ巧くまとめあげてあるかの編集の妙だけになってしまう。この映画もその手の映画なわけで、まあ、とても奇麗に半生をまとめてあるとはおもうけど、ジョブズのエキセントリックな傍若無人ぶりが2時間枠の中にコンパクトにぴったりと納まってしまっている感じがジョブズっぽくないと云うか、「Think different」とは程遠いと云うか。

それに、養子である生い立ちとか、実母を慕う気持ちと捨てられた憎しみとの葛藤がほんのちょっとしか触れられていないので、おそらくそこから来ているであろうジョブズの性格描写に厚みがまったくないのも映画を平坦なものにしていると云うか。

とは云え、それらを補って余りある自分のAppleへのおもいが映画を面白くさせてしまっているんだけど。ジョブズとAppleがどのような歴史を歩んで来たのかすでに知っているのに、すべてのエピソードにわくわくさせられて、ビル・アトキンソンやジョン・スカリーやジョナサン・アイブなどを俳優が演技している姿に驚喜してしまう。

そして、映画を見終わった後にApple好きな人たちと、「Newton」がセリフとして出てきた! とか、なぜ「HyperCard」は言及されないとか、ああだこうだ語り合うのには最適の映画だった。

→ジョシュア・マイケル・スターン→アシュトン・カッチャー→アメリカ/2013→東商ホール(試写会)→★★★☆

一緒に来てた人たちがすべて帰ってしまって、孤独のシネマ。以下の4本

●足立正生『略称・連続射殺魔』(日本/1969)
審査員の一人、足立正生監督の作品。1968年から1969年にかけて「連続ピストル射殺事件」を起こした永山則夫が見たであろう景色を故郷の網走から逮捕された東京の地までを追いかけて行く。見ているうちに、なぜ彼は一つ場所に落ち着くことができなかったのだろうかと云う疑問に支配されるけど、この映画ではその理由を解題しないで、今から見れば汚れて雑然とした日本の町並みが延々と流れるだけなので、気持ちが次第によどんで行く。そう云った気分にさせられること自体がこの映画の狙いなのかなあ。

●亀井文夫『戰ふ兵隊』(日本/1939)
プロパガンダ映画を撮らせるつもりがプロレタリア映画になってしまって軍部によって処分されてしまった映画。見ながら木下恵介の『陸軍』をおもいだしていた。一方は廃棄処分、一方はかろうじて公開。その差はあんまりないのに。完全な形(オリジナルは80分、現存は66分)で見たかった。

●ルイス・ブニュエル『糧なき土地』(スペイン/1932)
スペインのポルトガル国境に近い山岳地帯「ラス・ウルデス」に住む貧しい人たちを記録した映画。ドキュメンタリー映画の一つのジャンルとして、文化人類学のフィールドワークを記録する分野があるんだけど、ロバート・フラハティやこのルイス・ブニュエルの映画が後の日本の民映研の映画に通じて行くんだなあと、山形国際ドキュメンタリー映画祭に通うようになってから3回目にしてやっと認識する。でも、この映画祭の大賞をロバート&フランシス・フラハティ賞としておきながら、その分野の映画があまりコンペに無いのはどうしてなんだろう。

●ディエゴ・グティエレス監督『家族のかけら』(オランダ、メキシコ/2012)
サラ・ポーリーの『物語る私たち』と同じように家族の歴史を記録したプライベートフィルム。サラ・ポーリーの映画に比べればオーソドックスな手法のドキュメンタリー映画だった。この二つの映画を見て、過去の映像が8mmフィルムなどで残っているような家族は、まあ、金持ちだなあと。ルイス・ブニュエルつながりで『忘れられた人々』をおもいだせば、メキシコシティでの貧富の差を憂うばかりの感想しかなくなってしまった。

今日の短編二本『戰ふ兵隊』『糧なき土地』を入れて3日間で合計10本となった。やっぱり映画祭の映画漬けは楽しくてやめられない。でも今回はジョシュア・オッペンハイマーの『殺人という行為』に集約されるなあ。どこの会場へ行っても引き合いに出されるほど衝撃的な映画だった。これでロバート&フランシス・フラハティ賞を取らないなんてことがあるんだろうか。

午前中は山形市の郊外をさらっと。大ノ越古墳や長谷堂合戦古戦場などへ。

エリジウム

そして以下の3本。

●サラ・ポーリー監督『物語る私たち』(カナダ/2012)
女優のサラ・ポーリーが自らの出自における隠された真実を探っていくプライベートフィルム。ドキュメンタリーにどこまで演出が許されるのかはよくわからない。個人的にはどこまででも許されるとはおもうけど。それがその題材を描く上で効果的ならば、たとえやらせや嘘であっても。この映画の、あっと驚くような真実が明かされるシーンの演出は巧かった。笑えた!

●キム・ドンリョン、パク・ギョンテ監督『蜘蛛の地』(韓国/2013)
韓国の米軍キャンプ近くの歓楽街で売春の行っていた3人の女性の現在をイメージショットを交えながら描く。昨日観たタイの『空低く 大地高し』ででも感じたことだけど、美しいイメージショットを挟む効果は何なんだろう?(フレデリック・ワイズマンの場合は小休止的な意味なのかな)多用すれば焦点がぼけるだけだとおもうんだけど。サラ・ポーリーの『物語る私たち』ではそんなショットを撮ることを笑いに変えていた。

●エヴァ・ヴィラ監督『ジプシー・バルセロナ』(スペイン/2012)
バルセロナのジプシー社会で親から子どもへと受け継がれて行くフラメンコの練習風景を追いかける。フラメンコのダンスシーンは圧巻だった。でもここでもドキュメンタリーっぽさと云うものを考えてしまう。ダンスシーンをカメラフィックスで撮るべきか、カットを割るべきか。いや、カットを割ってもいいんだけど、そしてそのほうが躍動感が出るんだけど、個人的には長回しが好きです。

そして最後に山形グランドホテルで、原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談を辻よしなり司会で聞いた。ここでもドキュメンタリーと劇映画の境が話題になって、その境はとても曖昧だと云う意見でまとまりつつ、でも、原一男監督がはじめての劇映画『またの日の知華』を撮った時に桃井かおりから「俳優は指示してくれなければ動かないのよ」と云われていじめられたことを引き合いに出して、ドキュメンタリーの場合は被写体が動き出すまでずっと待つだけなので、その撮影方法に違いがあることを指摘していたところが面白かった。崔監督によれば、動いてくれる俳優もいるので、桃井かおりは特に意地悪なんだ、とは云っていたけど。