イノセント・ガーデン

監督:パク・チャヌク
出演:ミア・ワシコウスカ、ニコール・キッドマン、マシュー・グッド、ダーモット・マローニー、ジャッキー・ウィーヴァー、ルーカス・ティル、アルデン・エーレンライク、フィリス・サマーヴィル、ハリー・P・カストロ
原題:Stoker
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.foxmovies.jp/innocent-garden/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

外国の監督がハリウッドに招かれて映画を撮った場合に、そのハリウッドシステムにうまく順応しなければ良い映画は撮れないし、かと云って順応しすぎても自分の色を出せないし、と云ったジレンマを抱えてしまうんじゃないかとおもう。パク・チャヌク監督がこのインタビューで答えているように、理想としては「韓国映画のメリットとハリウッドのメリットを合わせたい」のだろうけれど、それを行うには韓国人の監督がたった一人だけハリウッドに乗り込むのでは無理があるんじゃないかとおもう。サッカーの代表監督を引き受ける場合と同じように、ある程度は自分のスタッフを引き連れて乗り込まなければ、簡単にその場の色に染まってしまって、韓国人の監督が撮ろうとアメリカ人の監督が撮ろうと同じような映画が出来上がってしまう。

パク・チャヌク監督の映画を今までに2本しか見ていないので、パク・チャヌクのスタイルがどのようなものなのかハッキリと掴めているわけではないけど、『JSA』も『オールド・ボーイ』も韓国人らしいアグレッシブな映画だったような気がする。もちろん題材にもよるのだろうけれど(なぜこのような題材をパク・チャヌクへ?)、この『イノセント・ガーデン』はとても抑えた映像表現て、たとえそれがピーター・ジャクソンが撮ったと云われてもそれを信じてしまうようなスタイルの映画だった。もっと韓国人の監督が撮っている証のようなものが欲しかった。

→パク・チャヌク→ミア・ワシコウスカ→アメリカ/2013→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★

リアル〜完全なる首長竜の日〜

監督:黒沢清
出演:佐藤健、綾瀬はるか、中谷美紀、オダギリジョー、染谷将太、堀部圭亮、松重豊、小泉今日子
制作:「リアル〜完全なる首長竜の日〜」製作委員会/2013
URL:http://www.real-kubinagaryu.jp/index.html
場所:109シネマズ木場

黒沢清の映画を今までに4本(『ドレミファ娘の血は騒ぐ』『CURE』『ニンゲン合格』『トウキョウソナタ』)しか見てなくて、その4本ともにそんなに面白い映画とはおもえなかったので、まだ黒沢清の高評価の理由が充分に分かっていない。おそらくは代表作(なんだろうか?)の『回路』あたりを見れば、その高評価の一端を伺えることが出来るのだろうけど、見よう見ようとおもいながらもすっかり忘れていて、結局はこの新作を観ることになってしまった。

映画の導入部分は素晴らしかった。フィロソフィカル・ゾンビのイメージ造形や佐藤健の意識に混線してくるずぶ濡れの男の子のイメージなどは背中がゾクゾクするほどの怖さで、それをきっかけとしてどんどんとストーリーにのめりこんで行くことができた。もしかすると、これでやっと黒沢清の高評価を理解することができるのか! と喜んで見ている内に、残念ながらにもそれはガラガラと崩れて行き、徐々にすぼんで行ってしまった。

特に、ずぶ濡れの男の子のイメージが見せた過去のトラウマへの恐怖が、「首長竜」と云う恐竜のイメージとミスマッチを起こしているのは辛かった。子どもの頃の恐怖を封印するべき先が「首長竜」と云うのがあまりにもイメージとして曖昧で、佐藤健と綾瀬はるかの過去が明らかになって行く時に介在させる象徴としても、いくら何でも大げさで、でかくて、大味なものでしかなかった。それぞれの読者が書かれてある文章をおもいのままにイメージ化するのにまかせる小説ならまだしも、それを具体的にCG化させたものが画面いっぱいに広がって傍若無人に暴れ回るシーンでは、黒沢清がこの映画に用意した恐怖や哀惜や後悔などのトーンをもすべて破壊しているように見えてしまった。いや、もしかして、恐竜は破壊の象徴なのかもしれないけど、それがこの映画の中に上手く組み込まれているとはおもえなかった。

とは云え、これまでに見た黒沢清の映画の中で一番面白かったとおもうし、いろいろなところに黒沢清の高評価の片鱗を見ることが出来たようにもおもえる。なので、次回作も見ようとおもう。

→黒沢清→佐藤健→「リアル〜完全なる首長竜の日〜」製作委員会/2013→109シネマズ木場→★★★☆

スプリング・ブレイカーズ

監督:ハーモニー・コリン
出演:セレーナ・ゴメス、ヴァネッサ・ハジェンズ、アシュレイ・ベンソン、レイチェル・コリン、ジェームズ・フランコ、グッチ・メイン、ヘザー・モリス、ジェフ・ジャレット
原題:Spring Breakers
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.springbreakers.jp/
場所:ワーナー・マイカル・シネマズ板橋

ハーモニー・コリンの映画を今まで見た事がなかったのだけれども、いろいろなところからもれ聞こえてくる評価がとても高いので、じゃあ、ひとつ見てみようとしたこの『スプリング・ブレイカーズ』は、自分たちの快楽しか求めていないおバカなビッチたちの青春・痛快・クライム・ムービーだった。この映画のすごいところは、主人公の4人組の女子大生たちに何一つ感情移入が出来ないところで、出来ないどころか、その自分本位の所業にムカムカしっぱなし。少しでも常識のある娘はグループから脱落して行って、そこでホッとする瞬間が一瞬は訪れるけど、最後まで残った二人の娘は自分たちのおもいを成就して彼女たちなりのハッピーエンドを獲得してしまう。なんだこりゃ、ひどい映画だ。少なくとも最後は、クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』のシドニー・ターミア・ポワチエたちよろしく天罰が下るべきだ! と怒り爆発。とおもうのは常識的な人間の感想で、ちょっとひねくれて考えれば、ここまで徹底してビッチたちの感情に寄りそう映画ならば、それはかえって凄いことじゃないかとおもってしまう。ストーリーにムカムカしながら、ハーモニー・コリンの非常識さに共感を覚えたりと、相いれない感情が錯綜する映画だった。

今までに見た映画からは優男のイメージしかなかったジェームズ・フランコのチンピラ役も素晴らしかった。『オズ はじまりの戦い』の緩い演技にはガッカリしたけど、メイクだけでは表現しきれないチンピラの内面的なイヤらしさまで表現しきっている彼の演技力の高さに驚いてしまった。

→ハーモニー・コリン→セレーナ・ゴメス→アメリカ/2013→ワーナー・マイカル・シネマズ板橋→★★★☆

オブリビオン

監督:ジョセフ・コシンスキー
出演:トム・クルーズ、モーガン・フリーマン、オルガ・キュリレンコ、アンドレア・ライズボロー、ニコライ・コスター=ワルドー、メリッサ・レオ、ゾーイ・ベル
原題:Oblivion
制作:アメリカ/2013
URL:http://oblivion-movie.jp/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

SF映画の中にサスペンスの要素が入ると、そのサイエンス・フィクションを駆使した何でもありの自由なイマジネーションについて行けなくなって、ナゾの解決のための鍵がいったい何だったのか見失ってしまう場合があるのだけれど、この映画の場合はそこをぎりぎり止まって、おお、なるほどねえ、と何とかサスペンスに付いて行くことが出来た。でもそこには、そうだったのか! の驚きはまったくなくて、あくまでも、なるほどねえ、だった。SF的な複雑な構成を持ちつつ、なおかつそこにサスペンス的な謎を盛り込むには周到なシナリオが必要だなあ、といつもおもってしまう。この映画は、まあまあ、巧く作られていたとおもうけど、そんなに面白いストーリーでもなかった。SFサスペンス映画は難しい。

SF映画にはクローンが付き物なんだから、もうそろそろ俳優の顔をCG処理しても良いんじゃないかなあ。トム・クルーズ同士の戦いが、昔ながらのスタンドインとカメラのアングルでの処理をしているのを観て、何でそこだけアナログなんだ! と興ざめ。TVの「宇宙大作戦」の第4話「二人のカーク」のころからそこだけ何も変わってない!

→ジョセフ・コシンスキー→トム・クルーズ→アメリカ/2013→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★

はじまりのみち

監督:原恵一
出演:加瀬亮、田中裕子、ユースケ・サンタマリア、濱田岳、宮﨑あおい、斉木しげる、光石研、濱田マリ、藤村聖子、山下リオ、仁山貴恵、相楽樹、松岡茉優、大杉漣
制作:「はじまりのみち」製作委員会/2013
URL:http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/
場所:ワーナー・マイカル・シネマズ板橋

この映画は「木下惠介生誕100年プロジェクト」の一つとして制作され、今までアニメーションを撮って来た原恵一監督がはじめて実写映画の監督をすることになった。その映画の概要は何とはなしに耳に入って来てはいたのだけれど、ここまで木下惠介監督へのリスペクトが満ちあふれた映画だとはおもわなかった。木下惠介は、黒澤明や小津安二郎に比べると、おそらく海外での評価があまり無いので、何となく彼らよりも低く見られがちで、この「木下惠介生誕100年プロジェクト」もそんなに話題になっているとはおもえない。でも、木下惠介の作る映画はどれ一つとっても素晴らしくて、そこにはギラギラとした人間の情欲を描く黒澤明やちょっと突き放したクールな人間描写を好んだ小津安二郎のような人の目を引きやすい映像はないけれども、ありのままの人間を真正面から正攻法で描く手法のまっとうさがスクリーンいっぱいに広がっている。そこから滲み出てくるセンチメンタルな映像を嘲笑する人もいるけど、たとえば『二十四の瞳』の大石先生が子どもたちの不幸をおもいやってむせび泣くセンチメンタリズムの何がいけないんだろうとはおもう。

原恵一監督は、その木下惠介のセンチメンタリズムをバカにする人たちに向けて(と、勝手に想像して)、この映画でおもいっきりセンチメンタリズムを描いてくれた。そこが素晴らしかった。木下惠介を演じている加瀬亮に対して、彼の正体を知らない濱田岳が演じている便利屋から『陸軍』のラストシーンの田中絹代の良さをとくとくと説明されて、涙を流しながら映画監督をこれからも続けることを決心するシーンのような、けれん味の無いまっすぐなセンチメンタリズムを原恵一監督にこれからもずっと撮って行ってもらいたい。

→原恵一→加瀬亮→「はじまりのみち」製作委員会/2013→ワーナー・マイカル・シネマズ板橋→★★★☆

ハッシュパピー 〜バスタブ島の少女〜

監督:ベン・ザイトリン
出演:クヮヴェンジャネ・ウォレス、ドワイト・ヘンリー、レヴィ・イースタリー、ローウェル・ランディス、パメラ・ハーパー、ジーナ・モンタナ
原題:Beasts of the Southern Wild
制作:アメリカ/2012
URL:http://www.bathtub-movie.jp/
場所:ユナイテッド・シネマウニクス南古谷

子どもの目線で語られる映画がたまにあるけど、そこで使われるセリフやモノローグがあまりにも大人顔負けの示唆に富む内容であったりすると、それはもう子どもの目線ではなくて、大人が無垢な子どもの姿だけを借りて自分たちの主張を言わせしめているだけの映画でしかないと感じてしまって、見て行く内にだんだんと興ざめして行ってしまう場合が多い。もちろん映画は大人が作るわけだから、子どもの目線で語られていようとも結局は大人が考えうるセリフを語らせるわけで、実際の子ども目線の映画は作りようがないし、もしそんな深遠なことを本当に考えている子どもがいたとして、それを脚本化する力がある子どもがいたとしても、それを映画化した途端に大人の干渉が入り込んでしまって子どもらしさが失われてしまうに違いない。などと、くだらないことを考えないで割り切って映画を楽しめば良いんだろうけど、でも、もうちょっと実際の子どもの目線に下りた表現方法もあるんじゃないかと、この『ハッシュパピー 〜バスタブ島の少女〜』を観ながら考えてしまった。良い映画ではあるんだけど。

やっぱり、基本的には、子どもと動物を使った映画は、最初から-20点のハンデを付けて見ています。

→ベン・ザイトリン→クヮヴェンジャネ・ウォレス→アメリカ/2012→ユナイテッド・シネマウニクス南古谷→★★★

ウィ・アンド・アイ

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:マイケル・ブロディ、テレサ・リン、レイディーチェン・カラスコ、レイモンド・デルガド、ジョナサン・オルティス、ジョナサン・ウォーレル、アレックス・バリオス、メーガン・マーフィ
原題:The We and the I
制作:アメリカ/2012
URL:http://www.weandi.jp/
場所:シアターイメージフォーラム

スパイク・ジョーンズとチャーリー・カウフマンが組んだ『マルコヴィッチの穴』と『アダプテーション』はこちらの想像のはるか上を行くストーリー展開で、とてもヘンテコな映画だったのが素晴らしくて、彼ら二人の名前をしっかりと覚えることとなった。そしてその後にチャーリー・カウフマンが脚本を書いた『エターナル・サンシャイン』もこれまたヘンテコなSF映画で、それを監督したミシェル・ゴンドリーの名前もしっかりと心に刻むと同時に、彼がビョークのミュージック・ビデオを監督していたことを知って、スパイク・ジョーンズからの流れはミュージック・ビデオ繋がりなのかと納得したりもした。

ところが、それからミシェル・ゴンドリーの追いかけをすっかり忘れてしまって、一部で話題になった『僕らのミライへ逆回転』も見逃してしまった。『グリーン・ホーネット』は見たが、まあ、これは雇われ映画のようなもので、ところどころにミシェル・ゴンドリーらしさがあるけど、もともとイメージが確立されているキャラクター映画にヘンテコさを期待するのは無理だった。

この『ウィ・アンド・アイ』は、ミシェル・ゴンドリーの映画にしてはなぜかひっそりと公開されていたので下手をすれば見逃すところだったのだけれど、いまはTwitterで情報が入ってくるので何とか、それでも最終日に! 観に行くことができた。内容は、スパイク・ジョーンズ&チャーリー・カウフマン的なヘンテコさはなくて、ちょっとローラン・カンテ監督の『パリ20区、僕たちのクラス』にも似た、実際の素人の高校生を使った半ドキュメンタリーな映画だった。ミシェル・ゴンドリーは、ニューヨークのブロンクスにあるコミュニティ・センター「ザ・ポイント」に集まる実在の高校生たちに3年にもわたってインタビューを重ねて、このリアルな会話や行動やしぐさを再現したらしい。そこに、ヒップホップのミュージック・ビデオ的なテンポを加味して、ニューヨークの高校生の生態を生々しく描き出している。

『パリ20区、僕たちのクラス』の時にも感じたことだけど、このような方式のほうはが実際のドキュメンタリーよりも我々の期待するドキュメンタリーを表現しているようで面白い。結局、ドキュメンタリー映画なんて、いかにして作為を自然に見せるかだけなので、それがフィクションであろうがなかろうが、その映画を見ているものがそこにリアルさを感じれば、ドキュメンタリーと謳っている映画よりもよりドキュメンタリーなんだとおもう。

→ミシェル・ゴンドリー→マイケル・ブロディ→アメリカ/2012→シアターイメージフォーラム→★★★★

セデック・バレ 第二部虹の橋

監督:ウェイ・ダーション(魏徳聖)
出演:リン・チンタイ(林慶台)、マー・ジーシアン(馬志翔)、ダーチン(大慶)、シュー・イーファン(徐詣帆)、スー・ダー(蘇達)、ルオ・メイリン(羅美玲)、ランディ・ウェン(温嵐)、ティエン・ジュン(田駿)、リン・ユアンジエ(林源傑)、安藤政信、河原さぶ、木村祐一、春田純一、ビビアン・スー(徐若瑄)、田中千絵
原題:賽德克·巴萊
制作:台湾/2011
URL:http://www.u-picc.com/seediqbale/
場所:吉祥寺バウスシアター

「第一部 太陽旗」はモーナ・ルダオを中心としたセデック族が暴動を起こすまでの経緯と「霧社」を占拠するまでを描いていたが、この「第二部 虹の橋」は彼らが少数ながら地の利を生かして必死の抵抗を試みるも最終的には日本軍によって鎮圧されるまでを描いている。だから、どちらかと云うと第二部はセデック族の勇猛果敢さと、反乱軍に加わらなかった一部のセデック族の葛藤が中心となっているので、第一部ほど当時の「日本」の非道な蛮行に身が縮むおもいもすることもなく、ちょっとしたアクション映画を観ているようだった。とは云え、主人公に感情移入すると当時に敵対する相手が日本人であると云う鬱屈は絶えず全編を通して支配していたのだけれども。

この映画のように対立の構図がはっきりしている映画の場合に、敵方の「善」をどのように描くのかはとても難しくて、ただ単に「日本人も悪人ばかりでない」を代表させている安藤政信の「小島源治」を見ると、日本人としてはその存在に安心感を得られると同時に、あまりにも取ってつけたような図式に鼻白んでしまうと云うか、もうちょっとクリント・イーストウッドが『許されざる者』で見せたような「善」と「悪」が混然となった状態にこそ人間の本質があるのではないかと改めて考えてしまう。映画のラストにテロップで流れる「小島源治」のその後の所業を予感させるような性格付けも安藤政信に必要ではなかったかとはおもう。

過去の日本がアジア諸国に行った所業を見せつけられるのはつらいけど、でも黒歴史ほど歴史好きを興奮させる要素はないんじゃないかとおもう。「霧社事件」と云うものをもっと知りたくなってしまった。

→ウェイ・ダーション(魏徳聖)→リン・チンタイ(林慶台)→台湾/2011→吉祥寺バウスシアター→★★★☆

セデック・バレ 第一部太陽旗

監督:ウェイ・ダーション(魏徳聖)
出演:リン・チンタイ(林慶台)、マー・ジーシアン(馬志翔)、ダーチン(大慶)、シュー・イーファン(徐詣帆)、スー・ダー(蘇達)、ルオ・メイリン(羅美玲)、ランディ・ウェン(温嵐)、ティエン・ジュン(田駿)、リン・ユアンジエ(林源傑)、安藤政信、河原さぶ、木村祐一、春田純一、ビビアン・スー(徐若瑄)、田中千絵
原題:賽德克·巴萊
制作:台湾/2011
URL:http://www.u-picc.com/seediqbale/
場所:吉祥寺バウスシアター

日本のメディアから流れてくる情報だけを鵜呑みにしていると、台湾の人たちは第二次世界大戦時の日本軍の所業に対して寛大さを示していて、中国や韓国の人たちに比べても日本に対して好意を持っているようなイメージを持たされる事が屡々だけど、ほんとうにそんな簡単なことなんだろうかといつもおもってしまう。だいたい私たちは台湾について何も知らないし、世界史でも台湾の歴史はほとんど習わない。だから台湾を中国の延長線上のようなイメージとしてしか見ることができない。もうちょっとホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』に描かれているような台湾の歴史くらいをしっかりと知った上で、台湾人は統治した日本に感謝している、なんて勝手な認識に浮かれるべきなんだろうとおもいながら、そしてそんな浮かれ気分にガツンを鉄槌を加えるべく『セデック・バレ』を観に行った。

この『セデック・バレ』は、台湾の山間部に住んでいるセデック族によって1930年に起こされた抗日暴動事件「霧社事件」を描いている。日清戦争によって日本の領土となった台湾では、日本政府によってインフラや商業施設の整備、教育の向上が図られる一方で、統治者による原住民への差別、暴力が甚だしく、その不満が爆発した結果が「霧社事件」だった。おそらくこの当時の日本は、日清、日露戦争での勝利が続き、どこかおかしな勘違いをしてしまって、アジアの盟主として他の国々を自分たちよりも低いレベルに見て、その国民に対しては近代化の遅れている野蛮人として蔑む風潮が出来上がりつつあったのではないかとおもう。確かにセデック族の風習として、敵の部族の首を狩ることによって一人前の成人となる儀式があったりと、絶えず「狩り場」をめぐって部族間の闘争に明け暮れているので、見た目には文化程度の低い民族に見えてしまう。ただ、そんな彼らの文化をしっかりと理解しないで、鉄拳制裁で無理矢理従わせる当時の日本人統治者の行動は、現在の日本の「体罰」問題にも見える綿々とした文化なんじゃないかおもって、映画を見ていてとても恥ずかしくなってしまう。他にもセデック族の女性を強制的に酒の席に同席させて性的な嫌がらせを行うなど、どれをとって見ても今現在の新聞紙上を賑わしている諸問題に通じている。

日本人の首がどんどんと切り飛ばされるシーンはとても不快だけれども、事実に則った「荒唐無稽ではない」抗日映画を見ることは、現在の日本のダメな点を理解する上でもとても重要ではないかとおもうので、来週には「第二部 虹の橋」を観に行って、さらに針のむしろに坐ろうとおもう。

→ウェイ・ダーション(魏徳聖)→リン・チンタイ(林慶台)→台湾/2011→吉祥寺バウスシアター→★★★☆

ホーリー・モーターズ

監督:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ、エリーズ・ロモー、レダ・ウムズンヌ、ジェフリー・キャリー、アナベル・デクスター・ジョーンズ、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス、レオス・カラックス、ミシェル・ピコリ
原題:Holy Motors
制作:ドイツ、フランス/2012
URL:http://www.holymotors.jp/
場所:シネマカリテ

レオス・カラックスの映画は、最初に観た『汚れた血』で衝撃を受けて、期待して観に行った『ポンヌフの恋人』の酷さにがっかりして、さらに次作の『ポーラX』も今一つピンとこなかったので、この『ホーリー・モーターズ』もあまり期待しないで観に行った。

映画の冒頭からして、なんだこりゃ、の雰囲気が漂っていて、さらに意味不明のシーンが続いたので、またまた期待外れの予感が全体を支配していたのだけれど、伊福部昭の『ゴジラ』の曲が流れたあたりから、あっ! この映画はカラックスの“映画愛”を描いているんだ! と気付いて、そうしたらドニ・ラヴァンに下されるすべての「アポ」が様々なジャンルの映画を象徴しているように見えてきて、インターミッションもあるし、ミュージカルも出て来て、最後は何だ、『カーズ』か! とすべてが楽しくなってしまった。

途中、ドニ・ラヴァンがマネージャー兼運転手のエディット・スコブに「森でのアポはないのか?」と尋ねるシーンがあった。「森」とは何なんだろう? 前作の『ポーラX』を云っているような気もするけど、何となく「森=癒し」のことを云っているようにも見える。「森=ファンタジー」なのか。いや、この映画の冒頭からして「森=リンチ」で、もっと深層心理のことを云ってるのかもしれない。勝手な深読みからこのセリフにこそ、レオス・カラックスが13年間も長編映画を撮れなかった意味が隠されているように感じてしまった。カラックスはずっと「森」のアポを待ち続けているんだな、と。もしかすると次作は間隔が空かずにすぐに撮って、もしかしたら「森」の映画なんじゃないかと期待してしまう。

→レオス・カラックス→ドニ・ラヴァン→ドイツ、フランス/2012→シネマカリテ→★★★☆