グランド・ブダペスト・ホテル

監督:ウェス・アンダーソン
出演:レイフ・ファインズ、F・マーリー・エイブラハム、マチュー・アマルリック、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、レア・セドゥー、ティルダ・スウィントン、トニー・レヴォローリ、ジェフ・ゴールドブラム、ハーヴェイ・カイテル、ジュード・ロウ、ビル・マーレイ、エドワード・ノートン、シアーシャ・ローナン、ジェイソン・シュワルツマン、トム・ウィルキンソン、オーウェン・ウィルソン、ボブ・バラバン
原題:The Grand Budapest Hotel
制作:ドイツ、イギリス/2014
URL:http://www.foxmovies.jp/gbh/
場所:イオンシネマ板橋

多くの人が絶賛しているを映画を観て、イマイチ乗り切れなかった時のその映画の評価を人に語る時が一番難しい。絶賛が多いわけだから悪い映画ではない。評論家もそれに加わっていれば、映画として優れている場合も多い。しかし、どんなに映画として素晴らしくとも、自分の肌に合わないのはいかんともしがたい。

この『グランド・ブダペスト・ホテル』が良く出来ていることは理解できる。オールスタアキャストもわくわくする。楽しい映画であることはよくわかる。でもどうしてもこのようなスタイルの映画を面白く感じることができない身体にいつの間にかなってしまった。

寓意的な解釈を裏に秘めた大人の童話のようなストーリー。
デフォルメされた人物たちはコミカルなオーバーアクション。
原色を多く使ったスタイリッシュな美術。

この手の映画が来ると、なぜか脳が受け付けなくて感情が平坦になってしまう。ただストーリーを追いかけるだけ、になってしまう。

だから、どうだった? と人から聞かれると、真顔で、良かったよ、で終了です。

→ウェス・アンダーソン→レイフ・ファインズ→ドイツ、イギリス/2014→イオンシネマ板橋→★★★

椿山

監督:姫田忠義
出演:高知県吾川郡池川町椿山の人々
制作:民族文化映像研究所/1977
URL:
場所:まつだい郷土資料館

昨年に姫田忠義さんが亡くなって、おそらくその追悼の意味も込めて、民族文化映像研究所(民映研)に繋がった人たちが「姫田忠義ドキュメンタリー作品連続上映会」を新潟県の松代で開くことになったので、その5回目の上映会に行って来た。

なぜ新潟県の松代かと云うと、その民映研に関係していた人が今は松代の近くの松之山浦田に移り住んでいることもあって、十日町市の市民活動ネットワーク「ひとサポ」が上映会を企画したらしい。東京から松代まで行くのに交通の便はそんなに良くないのだけれど、でも民映研の映画は都会で観るよりもこのようなちょっと辺鄙なところで観たほうが臨場感がいや増すのは間違いないので、重い腰を上げて何とか行ってきた。(車を運転してくれた人が一番大変なんだけれども。ありがとうございます。)

『椿山』は高知県吾川郡池川町椿山で行われていた焼畑の様子を1973年から1977年にかけてカメラに収めたドキュメンタリー映画だった。柴田昌平監督のNHKスペシャル『クニ子おばばと不思議の森』を見て、名前だけは知っていた「焼畑」と云う行為を何となく理解はしていたので、内容としてはその復習のような感覚で見てしまった。

姫田忠義さんの映画を見ていつもおもうのは、姫田さんの語り口調とセットになった映像体験なんだと云うことだ。「いや、実はこれが面白いことなんだけれども」と云った前振りを含んでいるような小さな笑いのある口調と独特の“間”があるナレーションに、人物の所作をしっかりと捉えた映像が合わさってこそが民映研の映画で、姫田忠義さんの映画だと云う気がする。「姫田忠義」の名前を映画監督として掲げることをなぜか嫌っていたのだけれど、映像と語り口調のコラボレーションを行っているのはまぎれもなく監督としての姫田忠義だ。

映画の終了後、『椿山』の撮影を行った澤幡正範さんの講演があって、当時の撮影の厳しさなどを聞くことが出来た。映画の中に台風のシーンが出て来るのだけれども、そのような過酷な状況に追い込まれてこそ地元の人たちとの結びつきが強くなって行ったそうだ。やはりドキュメンタリーを撮ると云う行為は、被写体との間の信頼関係をいかにして構築して行く行為であるか、と云うことを改めておもい知らされた。ドキュメンタリー映画は、撮影状況も含めてすべてがドキュメンタリーなわけだから、撮影にまつわるアウトテイク的な逸話もめちゃくちゃ面白い。ルイス・ブニュエルが当時秘境と云われたスペインとポルトガルの国境付近のラス・ウルデスを撮ったドキュメンタリー映画『糧なき土地』も、その撮影状況を合わせて聞けたらどんなに面白いだろう。

澤幡正範さん

→姫田忠義→高知県吾川郡池川町椿山の人々→民族文化映像研究所/1977→まつだい郷土資料館→★★★☆

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:オスカー・アイザック、キャリー・マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク、F・マーリー・エイブラハム、スターク・サンズ、ジーニー・セラレス、アダム・ドライバー、イーサン・フィリップス、アレックス・カルボウスキー、マックス・カセラ、クリス・エルドリッジ、ベンジャミン・パイク
原題:Inside Llewyn Davis
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.insidellewyndavis.jp
場所:新宿武蔵野館

マーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』は面白かった。「ボブ・ディラン」の名前は知っているし、曲もいくつかは知っているけど、彼が活躍した時代のフォーク・シーンと云うものがいったいどんな雰囲気を湛えたものだったのか、どうやって大衆に受け入れられて行ったのかはもちろんまったく知らなかった。このドキュメンタリーを見て、それが曲がりなりにも理解できたような気がした。

1961年、ボブ・ディランは大学を中退してニューヨークに出て来る。そして、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りをはじめる。『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』はその当時のグリニッジ・ヴィレッジがどんなものだったのか様々な人の証言で語られて行く。

その証言者の中にデイヴ・ヴァン・ロンクがいた。ボブ・ディランと同じように、1960年代のグリニッジ・ヴィレッジで活躍していたミュージシャンで、ボブ・ディランにして「荒々しさと繊細さの両方を兼ね備えたパフォーマーだった」と云わしめたフォークシンガーだった。そのデイヴ・ヴァン・ロンクの回想録を元にした映画がジョエル&イーサン・コーエン監督の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』だった。

映画の中の主人公の名前は「ルーウィン・デイヴィス」となっているが、デイヴ・ヴァン・ロンクのアルバムに「インサイド・デイヴ・ヴァン・ロンク」があるように、それはまさしくデイヴ・ヴァン・ロンクのストーリーらしい。ただ、ライターの高橋健太郎は「モデルはヴァン・ロンクだけじゃなく、フィル・オクスなども混じってるのかも」と云っている。

このTweetに出てくるジム&ジーンを映画ではジャスティン・ティンバーレイクとキャリー・マリガンが演じている。そしてピーター・ポール&マリーの歌で有名な「500miles」を謳う。この曲は、ほんと、大好き。

そんな1960年代のフォーク・シーンをベースに映画は進んで行くけれども、テーマとしては今までに映画として何度も取り上げられて来たダメダメな男のストーリーだった。お金がないので友人の家を泊まり歩き、酔っては他人の歌にケチをつけ、知り合いの彼女を妊娠させては中絶の費用を他人に借りようとする、まったくどうしようもない男のストーリーだった。そしてこれも過去に何度も取り上げられて来たテーマでもある「ミュージシャンとしての才能の見極め」をしなければならない段階に差し掛かった男のストーリーでもあった。だから、映画としての目新しさはまったくない。でも、なんだろう、不思議なダメさ加減が漂っている。それはルーウィン・デイヴィスが謳う歌(実際にオスカー・アイザックが歌っている)に寄るところが大きいのかもしれない。F・マーリー・エイブラハムが演じるバド・グロスマン(実際の有名プロデューサーらしい)が云うように「お金の匂いがまったくしない歌」は、可もなく不可もなく、歌詞も中途半端に諦観していてまったく捉えどころがない。そのスルリと人の手からすり抜けて行くような、まるでこの映画に出てくる名も無き猫のような歌は、微妙に男のダメさ加減を中和している。そこが面白かった。

最後に猫の名前が判明する。名前は「ユリシーズ」と云う。そうか、『シリアスマン』ではヨブ記だったが、今回はジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」だったのか。読んでみるべきか。

→ジョエル&イーサン・コーエン→オスカー・アイザック→アメリカ/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

アナと雪の女王

監督:クリス・バック、ジェニファー・リー
声:神田沙也加、松たか子、原慎一郎、ピエール瀧、津田英佑、多田野曜平
原題:Frozen
制作:アメリカ/2013
URL:http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/anayuki
場所:新宿ミラノ1

ぽっかりと時間が空いてしまったのでまた『アナと雪の女王』を観てしまった。それも同じ日本語吹替版。この日本語吹替版を2度も観てわかったことは、『アナと雪の女王』を気に入った最大の理由は神田沙也加と松たか子、そしてピエール瀧の声によるところが大きいんじゃないかと云うこと。英語字幕版で観たらどんな感覚なんだろう。もしかすると今までのディズニー映画と同じような、いけ好かない感じ、を持つんじゃないのかなあ。特にオラフに関してはピエール瀧が日本語でもたらす“間”がどんぴしゃだった。この感覚を、はたして英語+字幕で得られるもんなんだろうか。

日本語で歌われるそれぞれのナンバーも、おそらく英語+字幕では得ることのできない、会話からのスムーズな歌曲への流れを堪能することができる。特に「とびら開けて」などは、英語版と比較すると、日本語だからこそ得られる事の出来る「アニメ」的な感覚が楽しい。


英語版


日本語吹替版

とは云え、まだまだ上映が続くだろうから、英語字幕版を1度は見てみないと。

→クリス・バック、ジェニファー・リー→(声)神田沙也加→アメリカ/2013→新宿ミラノ1→★★★★

チョコレートドーナツ

監督:トラビス・ファイン
出演:アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、アイザック・レイバ、フランシス・フィッシャー、グレッグ・ヘンリー、クリス・マルケイ、ドン・フランクリン、ケリー・ウィリアムズ、ジェイミー・アン・オールマン
原題:Any Day Now
制作:アメリカ/2012
URL:http://bitters.co.jp/choco/
場所:新宿武蔵野館

まだマイノリティの人たちへの差別が激しかった70年代に、ゲイのカップルがダウン症の子を薬物依存の母親から引き取って育てようとするストーリー。そこにさらに黒人の弁護士も加わって、さまざまなマイノリティたちが寄り添ってダウン症の子を守ろうとするけれども、保守的な法曹界や融通の利かないお役所仕事に裏切られ続け、泣く泣く自堕落な母親の元にダウン症の子を返さざるを得なくなる主人公たちの姿が痛々しかった。ラストにささやかな復讐が設けられてているけど、それだけでは何とも気持ちが納まらない映画だった。そこに救いがあるとすれば、実際にダウン症であるアイザック・レイバの笑顔だろうけど、うーん、もうちょっと彼に活躍の場があれば良かったのに。ゲイのカップルであるアラン・カミングとギャレット・ディラハントがアイザック・レイバと徐々に心が通い合って行く描写がもっとあれば、ラストの哀しみも倍増しただろうに。

→トラビス・ファイン→アラン・カミング→アメリカ/2012→新宿武蔵野館→★★★

アメイジング・スパイダーマン2

監督:マーク・ウェブ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン、ジェイミー・フォックス、デイン・デハーン、コルム・フィオール、フェリシティ・ジョーンズ、ポール・ジアマッティ、サリー・フィールド、エンベス・デイヴィッツ、キャンベル・スコット、ートン・チョーカシュ
原題:The Amazing Spider-Man 2
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.amazing-spiderman.jp/site/
場所:新宿ミラノ3

スパイダーマンの主人公ピーター・パーカーをいじめられっ子のネクラな高校生から普通の爽やかな高校生に置き換えちゃった時に、オタクな雰囲気の漂うサム・ライミ版スパイダーマンが『(500)日のサマー』のような鮮やかな青春ムービー・スパイダーマンに変貌して、それはそれで楽しめるとおもっていたのだけれど、ビルからビルへと飛び回る際の視点変動がダイナミックになったところに感動するぐらいで、他の部分はいたってフツーな映画になってしまったのはがっかりしてしまった。この『アメイジング・スパイダーマン2』も、どこか、何でも良いから、マーク・ウェブらしい部分が前面に出てこないと、これじゃ誰が撮っても同じだろう、と云う感想はまったく変わらなかった。

でも、よくよく考えてみると、映画の出来としてはマーベル・シネマティック・ユニバースの映画群とそんなに変わらないのかもしれない。ただ、マーベル・シネマティック・ユニバースの映画のほうがキャラクターを相互に乗り入れさせて、全体として一大テーマパークのような楽しさを醸し出していると云うことだけで。DCコミックも『Batman v Superman: Dawn of Justice』(2017年公開予定)が控えているので、もしかするとマーベルコミックスと同じ路線に突入してい行くんだろうか。

→マーク・ウェブ→アンドリュー・ガーフィールド→アメリカ/2014→新宿ミラノ3→★★☆

プリズナーズ

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ヒュー・ジャックマン、ジェイク・ギレンホール、ヴィオラ・デイヴィス、マリア・ベロ、テレンス・ハワード、メリッサ・レオ、ポール・ダノ、ディラン・ミネット、ゾーイ・ソウル、エリン・ゲラシモヴィッチ、ウェイン・デュヴァル、レン・キャリオー、デヴィッド・ダストマルチャン
原題:Prisoners
制作:アメリカ/2013
URL:http://prisoners.jp
場所:池袋シネマ・ロサ

ネットでは話題になっていたけど、なかなか重い腰が上げられず、ずっと先延ばしにしていたら今週で上映が終わりそうなので、よし今日は映画の日だから行こう! とやっと観に行った映画。今までの経験から、ぐずぐずと悩んだ末に、終了間際にやっと観た映画はなぜか傑作が多い。今回もそれに倣っていた。

長い映画の歴史の中でサスペンス映画は、あの手この手とすべてやり尽くされていて、今となってはあっと驚くような展開は望むべくもないとおもっていた。あったとしても無理やりの展開で、そりゃないよ、と云うものばかりだとおもっていた。でも、やはり、いろいろとやりようはあるんだなあ。この映画の犯人が暴れて行く展開はまったく読めなかった。それでいて無理な展開ではなく、とても納得の行く流れだった。

以下、ネタバレ。

映画を観に行くにあたって充分にキャストの予習をしておいたならば、たぶん、犯人はすぐにわかったのかもしれない。だってメリッサ・レオが、まるでメリッサ・レオに見えない扮装で老けたお婆さん役をやっているわけだから、すぐにこいつは怪しい、とわかったはずだ。でも、その予習をしていなかったので、まさかあの婆さんがメリッサ・レオとはおもえずに、誰か名の知れない役者がやっているとおもってしまってするりとマークを外してしまった。

ヒュー・ジャックマンがポール・ダノを犯人と断定して執拗に暴力を加えるさまは、もしこれがまったく事件と関係のない人間だったとしたならば、とても不快な結末を迎えることになったに違いない。そこを巧く回避しているだけではなく、知的障害のあるポール・ダノが事件と関係しているとおもわせるセリフを云ったり、替え歌を唄ったりするシーンも、常人離れした不可思議さと云った曖昧な解決策に頼る事なく、しっかりと事件と関係していることが明らかになる部分も感動的だった。

自宅の地下から死体(おそらくメリッサ・レオの夫?)が見つかる神父やボックスに蛇を飼っている男(模倣犯)などの登場も、単純に犯人じゃないかと云うおもわせぶりのキャラクターではなくて、「迷路」のシンボルを見せることによってすべてに繋がりがあることを明らかにするシーンもゾクゾクするほど巧かった。

ラストは、おそらく映画を見ている人のすべてが、ヒュー・ジャックマンの吹くホイッスルが聞こえて来ることを固唾を呑んで見守ったとおもう。そのような一体感が得られる映画としても素晴らしかった。

たぶん、今年の映画のベストに入ってくるとおもう。それほど完璧な映画だった。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→ヒュー・ジャックマン→アメリカ/2013→池袋シネマ・ロサ→★★★★☆