エクソダス:神と王

監督:リドリー・スコット
出演:クリスチャン・ベール、ジョエル・エドガートン、ジョン・タトゥーロ、アーロン・ポール、ベン・メンデルソーン、マリア・バルベルデ、シガニー・ウィーバー、ベン・キングズレー、ヒアム・アッバス、アイザック・アンドリュース
原題:Exodus: Gods and Kings
制作:アメリカ、イギリス/2014
URL:http://www.foxmovies-jp.com/exodus/
場所:109シネマズ木場

高校の時の数学の先生が、授業の最中にセシル・B・デミル監督の『十戒』を熱く語っていたことを今でもおもいだす。理数系の勉強をして来ただろうとおもわれる数学の先生が、授業にはまったく関係のない『十戒』と云う宗教的な映画を語ることも可笑しかったし、紅海が真っ二つに割れるシーンを身振り手振りを加えて興奮して語る姿がめちゃくちゃ可笑しくて、今でも目に見えるようだ。

その先生の影響を受けてテレビではじめて『十戒』を見た。チャールトン・ヘストンのモーゼが呪文のようなものを唱えると、眼前に広がっている紅海が真っ二つに割れて海の底が見え、そこを歩いて渡って行くことが出来るようになるシーンは確かに凄かった。それは、CG技術の発達した最近の映画と比較すれば、子供だましの、ちゃんちゃら可笑しいシーンに見えるのだろうけれど、でも、モーゼの「出エジプト記」なんて神話のようなものなんだから、まるで昔の宗教画のようなタッチの絵がダイナミックに動いているからこそ感動したんだとおもう。

同じモーゼの「出エジプト記」を映画化したリドリー・スコットの『エクソダス:神と王』が、その紅海のシーンをどのように描いているのかとても気になった。クリスチャン・ベールのモーゼが紅海の前に立った時、さあ、どうなるんだ? と固唾を飲んで見守っていたら、紅海がパカッと真っ二つに割れると云うよりも、徐々に、時間を掛けて潮が引いて行く描写だった。うーん、リアリティを優先させれば確かにそうなるんだろうけど、何か違う。これでは「奇跡」に見えないじゃないか。メンフィスの町に天変地異が襲うシーンをリアルに描いても良いし、神の代弁をモーゼにしか見えない子供にさせるのも良い。でも、紅海のシーンは「奇跡」に見えなければいけなかったんじゃないのかなあ。

何でもCGでリアルに見せれば良いってものではないことがこの映画を見てよくわかった。特に、多くの人が知っている史実を描く時は、科学的根拠に基づくリアルさよりも、みんなの期待を優先させて描くべきだと云うことも。

→リドリー・スコット→クリスチャン・ベール→アメリカ、イギリス/2014→109シネマズ木場→★★★

バベルの学校

監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
出演:ブリジット・セルヴォニ、Abir (Tunisie)、Agneszka (Pologne)、Alassane (Mali)、Andrea (Croatie)、Andromeda (Roumanie)、Daniel (Roumanie)、Daniil (Biélorussie)、Djenabou (Guinée)、Eduardo (Brésil)、Felipe (Chili)、Kessa (Angleterre)、Luca (Irlande du Nord)、Marko (Serbie)、Mihajlo (Serbie)、Maryam (Libye)、Miguel (Venezuela)、Naminata (États-Unis, Côte d’Ivoire)、Netmal (Sri Lanka)、Oksana (Ukraine)、Ramatoulaye (Mauritanie)、Thathsarani (Sri Lanka)、Yong (Chine)、Youssef (Maroc)、Xin (Chine)
原題:La cour de Babel
制作:フランス/2013
URL:http://unitedpeople.jp/babel/
場所:新宿武蔵野館

ローラン・カンテ監督の『パリ20区、僕たちのクラス』は、演技経験のない本物の中学生を使った半分ドキュメンタリーのような映画だった。シナリオ通りに演技をしている劇映画ではあるけれども、実際に使っているだろうとおもわれる言葉遣いがとてもリアルで、手持ちカメラも手伝ってまるでドキュメンタリーを見ているようだった。

で、その『パリ20区、僕たちのクラス』で一番驚いたのは、クラスの中にいろいろな人種がいると云うことだった。移民の多いフランスと云う国から想像すればあたりまえのことだろうけど、劇映画とは云え実際のクラスを模している実態を見ると、おお、すげえ、になる。人種も宗教も違う子供たちが一堂に会して、それぞれの文化に則した価値観がぶつかり合う様は、ダイナミックなアクション映画を見ているような気分にさせられた。

その『パリ20区、僕たちのクラス』の完全ドキュメンタリー版とも云えるジュリー・ベルトゥチェリ監督の『バベルの学校』は、フランスに移住してきたばかりの子供たちがフランス語と基礎的な学力を学ぶ中学校の「適応クラス」を描いたドキュメンタリーだった。

クラスの中で一番目立つのはアフリカから移住してきた黒人の女生徒で、物事をズバズバとはっきり云う。感情の起伏も激しい。だから必ず衝突が起こって、いつもケンカが絶えない。東欧から来た女の子たちは、一見すると穏やかな表情だけれども、内面に秘めている情熱が高いことを感じさせる。中国の女の子はおとなしくて精神的にも脆そう。でも、最後のほうで男の子たちとじゃれあっている姿を見てほっとしたり。南米の男の子たちは、日本で云うところの草食系っぽい。

このような多種多様な子供たちを一つの教室で学ばせるからこそ、いろいろな文化や人間の多様性が学べるわけで、それをくっきりと区別して管理してしまったらつまらない人間しか育たないのじゃないのかなあ。

と、最近の曾野綾子の産経新聞でのコラムを読んでそんな感想が。

もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
(産経新聞 2015/02/11付 7面)

→ジュリー・ベルトゥチェリ→ブリジット・セルヴォニ→フランス/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

ビッグ・アイズ

監督:ティム・バートン
出演:エイミー・アダムス、クリストフ・ヴァルツ、クリステン・リッター、ダニー・ヒューストン、テレンス・スタンプ、ジェイソン・シュワルツマン、ジョン・ポリト、ジェームズ・サイトウ
原題:Big Eyes
制作:アメリカ/2014
URL:http://bigeyes.gaga.ne.jp
場所:109シネマズ川崎

ティム・バートンの映画が嫌いだと公言してはばからないわたくしですが、それでも新作が来るたびに必ず映画館に足を運んでしまうんだから、結局は好きなんじゃないかと。でも映画を見終わったあとに、ああ面白いかった! と云うことはまったくないんだよなあ。気になる映画を作ることは確かなんだけど。

気になる部分と云うのは、おそらくティム・バートンのマニアックな気質によるところが大きくて、なおかつ、どこかしら独りぼっちな寂しさを感じさせられる部分でもあって、心の底の冷たい部分に手を差し伸べてくるような感覚に陥る部分ではないかとおもう。

だから、面白くねえな、と云いながら、いわゆる娯楽的な面白さはまったく感じはしないんだけれども、もっと深い根底の部分では面白がってはいるんだろうとおもう。

今回の『ビッグ・アイズ』は、そんな愛憎もどこ吹く風。まったくフツーの映画だった。“ビッグ・アイズ”の黒目の奥底にティム・バートン的なものを感じはしたけれども、そこを突っ込んで広げるようなことはしなかった。うーん、こういう映画を作られてしまうと本当にティム・バートンが嫌いになってしまう。

→ティム・バートン→エイミー・アダムス→アメリカ/2014→109シネマズ川崎→★★☆

臨死

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ボストンのベス・イスラエル病院に運び込まれた人びと
原題:Near Death
制作:アメリカ/1989
URL:
場所:シネマヴェーラ渋谷

ついにフレデリック・ワイズマンの6時間にも及ぶ映画を観た。

ボストンにあるベス・イスラエル病院の集中治療室(ICU)に運び込まれた緊急患者に対して、医師、看護婦がどのような対処をし、処置を施したかを延々とカメラで追いかけたドキュメンタリー映画。

この6時間にも及ぶフィルムのほとんどが、医師が患者本人や家族に対して病状を説明するシーンと、今後の治療の方向性を患者、家族に確認するシーンに費やしていた。多くの患者が微妙な選択を迫られる状況にあるために、その説明には繊細さが必要で、難しい医学用語をなるべく使わずに、相手のペースに合わせてゆっくりと丁寧に話す担当医師の姿をしっかりとカメラは捉えている。意識はあるけれど話すことの出来ない患者の表情や、一縷の望みにすがろうとする家族の表情なども合わせてワンカットで撮るので、まるで自分がその患者や家族になったかのような気持ちに陥り、ピーンと張りつめた緊張の連続の6時間だった。はじめは映画時間の長さに飽きるのではないかとおもったけど、患者と一緒に死と向き合わなければならない状態に飽きるはずもなく、最後まで画面を凝視したまま時間は過ぎ去って行った。

映画に登場する患者は主に次の4人。

1人目
John Gavin(72)。心臓病患者ギャビン氏。心臓病も末期に入り、強力な薬も効かなくなって来ている。今できることは彼が死を迎えるまで快適にいられることである。

2人目
Bernice Factor(78)。脳卒中患者ファクター夫人。このまま口に呼吸器を付けたままにするか、胸を切開して管を挿入して呼吸器に直接繋げるか決断できない。妻の尻に敷かれた医者の夫や主治医の存在も混乱に輪をかける。

3人目
Manuel Cabra(33)。精巣ガン患者キャプラ氏。抗ガン剤の副作用で肺線維症になるが、心肺不全の原因が薬の副作用であることがなかなかわからない。

4人目
Charlie Sperazza(73)。心臓と肺に疾患を持つスペラーザ氏。心臓が悪いのに医者に行かず、その状態が肺、腎臓、肝臓に負担をかけ、最後は突然倒れて病院に運び込まれる。

参考:http://articles.philly.com/1990-01-28/entertainment/25906038_1_intensive-care-unit-high-tech-medicine-titicut-follies

この4人の病状はどれも深刻で、医師ができることは限られてしまっている。しかし、そのできる範囲の中で決断しなければならない。心臓に直接、管を挿し込んで自主呼吸を試みてもらうか、リスクを避けて呼吸装置に繋いだままにするのか。挿し込んでもダメなら抜くのか、そのままにして死を迎えるのか。このような微妙な決断を患者本人や家族と一緒に決定しなければならないシーンの連続はどれも似通って見えるけど、患者の年齢や家族の精神状態、アメリカでは主治医の存在(!)などによって微妙な差異を見せている。それが6時間の中にしっかりと刻み込まれていた。この長尺の意味はそこにあると云っても良い。

最近では日本でも、この映画に出てくるような医師の病状説明(インフォームド・コンセント)が一般的になって、私も妹が亡くなった時にその場に加わったことがあったので、なおさらこの映画への集中度も違っていた。こんな濃密な6時間を味わうことが出来る映画を作ったフレデリック・ワイズマンの才能をあらためて感嘆せざるを得ない。オールタイムベストの映画に加えてもいいくらいの映画だ。

→フレデリック・ワイズマン→ボストンのベス・イスラエル病院に運び込まれた人びと→アメリカ/1989→シネマヴェーラ渋谷→★★★★☆

千年の一滴 だし しょうゆ

監督:柴田昌平
出演:藤本ユリ、三浦利勝さん一家、今給黎秀作、坪川民主、椎葉クニ子、澤井久晃、大野考俊、助野彰彦、福知太郎、加藤宏幸、伏木亨、北本勝ひこ、木村多江(「だし」ナレーション)、奥貫 薫(「しょうゆ」ナレーション)
制作:プロダクション・エイシア、NHK、Point du Jour、ARTE France./2014
URL:http://www.asia-documentary.com/dashi_shoyu/movie.html
場所:ポレポレ東中野

柴田昌平監督の新作はフランスとの合作の「だし」と「しょうゆ」のドキュメンタリー。

この映画は、第一章は「だし」、第二章は「しょうゆ」と二つのパートに分かれていて、最初はどちらかと云うと日本食の味のベースとなる「だし」のほうに興味津々で、この映画のことを「だしの映画」と省略して呼んでいたくらいだった。でも実際に観てみると、「だし」については昆布やカツオや椎茸からきめ細やかに抽出される「うま味」についての描写が中心で、「しょうゆ」のほうのミクロコスモスの世界へ入り込んで行く広がりにはかなわなかった。

「しょうゆ」「みりん」「さけ」はカビがつくる。そのカビは日本人が長きにわたって改良し、育ててきた「麹(こうじ)菌=アスペルギルス・オリゼ」で、日本にしか存在しない。

第二章の最初にこのフレーズを聞いて、すっかり「麹(こうじ)菌=アスペルギルス・オリゼ」への興味がこの映画の中心となってしまった。さらに、この菌を800年の長きにわたって飼い慣らしてきた「種麹屋(たねこうじや)」と云う存在が紹介される。それはとても小さな工房ばかりで、全国でわずかに10軒ほどしかない。パスツールがアルコール発酵が酵母による作用であることを発見する遥か以前にそのしくみを理解し、目に見えないナノの世界と向き合ってきた種麹屋は世界最古のバイオ・ビジネスとも云えるらしい。このような種麹屋の存在を日本人の誰が知っていただろう? 自分のまったく知らない世界が存在し、人知れずとてつもないことをやってのけている人たちのことを紹介してくれるドキュメンタリーほど面白く感じることはない。

日本の凄さは、クールジャパンなんて云われて派手にもてはやされているものだけではなくて、なかなか表に出てこない人たちの中にいっぱい詰まっている。

→柴田昌平→加藤宏幸→プロダクション・エイシア、NHK、Point du Jour、ARTE France./2014→ポレポレ東中野→★★★★