ショック集団

監督:サミュエル・フラー
出演:ピーター・ブレック、コンスタンス・タワーズ、ジーン・エバンス、ジェームズ・ベスト、ハリー・ローデス
原題:Shock Corridor
制作:アメリカ/1963
URL:
場所:ユーロスペース

boidから出版された「サミュエル・フラー自伝 〜わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか〜」(サミュエル・フラー、クリスタ・ラング・フラー 、ジェローム・ヘンリー・ルーズ著、遠山純生翻訳)をboidの直販で4500円で買った。普通に買うと6480円! 映画関係の本を買うのはなかなか勇気のいる時代となってきました。

で、その出版に合わせてだろうとおもわれるboid配給のサミュエル・フラー監督の連続上映がユーロスペースではじまったので、まずは『ショック集団』を観に行った。『ショック集団』は、精神病院での不可解な死を調べるために精神障害を装って潜入する新聞記者が次第に精神に異常をきたして行く話し。

設定はまったく違うのだけれど、主人公となる人物が精神障害の演技をしているのか、本当の精神障害者なのか、その2つの微妙な境でどっちつかずに見えるところがどうしてもミロシュ・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』をおもい出してしまった。ただ、『ショック集団』は『カッコーの巣の上で』ほど病院のシーンにリアリティが無く、いろいろな精神障害を患っている人物が次々と登場してはまるで出し物のように自分の精神障害たる部分を披露するところがとても演劇的だった。

サミュエル・フラーの映画は『拾った女』や『最前線物語』が大好きなんだけれど、この『ショック集団』はそこまで楽しめる映画ではなかった。次回は『裸のキッス』を観ようとおもう。

→サミュエル・フラー→ピーター・ブレック→アメリカ/1963→ユーロスペース→★★★

ザ・ウォーク(IMAX 3D)

監督:ロバート・ゼメキス
出演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ベン・キングズレー、シャルロット・ルボン、クレマン・シボニー、ジェームズ・バッジ・デール、セザール・ドンボーイ、ベン・シュワルツ、ベネディクト・サミュエル、スティーヴ・ヴァレンタイン
原題:The Walk
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.thewalk-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

大きなバジェットのアクション映画は同時に3Dも作られるようになって久しいけど、やっぱり監督によっては安易な3D化しか考えてなくて、これなら2Dで充分、とおもう映画も少なくない。もしかすると、3Dの効果を充分に引き出せるか、出せないかで、監督そのものの資質がわかってしまうんじゃないかとおもったりもする。全部を観てきたわけじゃないけど、今までの3D映画で、素晴らしい! とおもった作品は、マーティン・スコセッシ『ヒューゴの不思議な発明』、アルフォンソ・キュアロン『ゼロ・グラビティ』、ジャン=ピエール・ジュネ『天才スピヴェット』、ジャン=リュック・ゴダール『さらば、愛の言葉よ』。そして、ロバート・ゼメキスの『ザ・ウォーク』も新たにそこに加わった。

ニューヨークにあったワールド・トレード・センターのツインタワーにワイヤーをかけて、そこを命綱なしで綱渡りを行った大道芸人のフィリップ・プティを描いたこの映画は、奥行きを見せることが得意な現在の3Dの方式にはぴったりの題材で、高低差を俯瞰から捉えた映像はまさに3D効果の真骨頂だった。高所恐怖症の自分にとってはそんなものをIMAX 3Dで観たら、もしかすると途中で逃げ出してしまうんじゃないかと危惧していたけれど、最初にフィリップ・プティがツインタワーを渡り切ってみんなと祝福を交わした時、えっ? もう終わり? と嘆くくらいにその3D効果を堪能してしまって、恐怖症どころの騒ぎではない不思議な恍惚感のあるまさに「ザ・3D」のような映画だった。

前々から云っているのだけれど、3D映画なんて昔のお化け屋敷やフリークショーのような怖いもの見たさで覗くゾエトロープなわけだから、そこで綱渡りの大道芸を見るのはまさしく大正解の内容の映画だった。

→ロバート・ゼメキス→ジョゼフ・ゴードン=レヴィット→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★★

キャロル

監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、カイル・チャンドラー、ジェイク・レイシー、コーリー・マイケル・スミス、ジョン・マガロ、キャリー・ブラウンスタイン
原題:Carol
制作:アメリカ/2015
URL:http://carol-movie.com
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

この情報過多の時代に、Twitterを使っているにもかかわらず、事前の何の情報も入れないでこの映画を観ることができた。なんとなく、公式サイトのビジュアルから女二人の友情の映画ではないかと推測していたのだけれど、でも、ファーストシーンの、別れ際にケイト・ブランシェットがそっとルーニー・マーラの肩に手を置く仕草で、ああ、この映画は二人の友情の物語ではなくて、愛情の物語なんだなあ、と理解することができるような心憎い演出からはじまる素晴らしい映画だった。

原作はパトリシア・ハイスミスの小説『The Price of Salt』。パトリシア・ハイスミスと云うと、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』やルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』の原作者として名前を知っていたけど、1952年にクレア・モーガン名義でこのような人妻と女性店員の恋愛を描いた小説を発表し、百万部を超えるほどのベストセラーになっていたとはまったく知らなかった。実際に『The Price of Salt』をパトリシア・ハイスミスが書いていたことを公表したのは1990年になってからだそうで、おそらく、その時にはアメリカ文学のファンのあいだでは大きなニュースになっていたのかもしれない。

この映画で人妻を演じたケイト・ブランシェットは、どんな役柄を演じても『ロード・オブ・ザ・リング』のガラドリエル様のような神々しさがあって、それはエリザベス1世のような高貴な人間を演じれば、そのまんまその役柄に重みを与えることができるし、『ブルージャスミン』のジャスミンのような痛い女を演じれば、痛さが下品にまで落ち込まないで女としての最低のラインをキープすることができるし、この『キャロル』でも、女性同士のカップルとして可愛らしくて華奢なルーニー・マーラの相手役としてはうってつけの凛とした男前な佇まいを醸し出していた。

ラストシーンで、ルーニー・マーラと視線が合うケイト・ブランシェットの目に背筋がゾクッとした。まるでローレン・バコールの「The Look」だ。なんて恰好良い女優なんだろう。

→トッド・ヘインズ→ケイト・ブランシェット→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

オデッセイ

監督:リドリー・スコット
出演:マット・デイモン、ジェシカ・チャステイン、クリステン・ウィグ、マイケル・ペーニャ、ショーン・ビーン、ケイト・マーラ、セバスチャン・スタン、アクセル・ヘニー、キウェテル・イジョフォー
原題:The Martian
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/odyssey/
場所:109シネマズ木場

有人火星探査から一人取り残された宇宙飛行士の生存をかけた闘いの映画。

映画のストーリーには、人を安易に感動させられる「鉄板なストーリー」があって、「難病もの」とか「子供をダシに使うもの」とか「動物もの」とか、まあ、いろいろあるんだけど、「生還もの」もそのひとつ。『オデッセイ』はその「生還もの」で、そこにさらにいろんな「鉄板な要素」が加味されていて、てんこ盛り状態になっている映画だった。たとえば、一人でなんでも出来てしまう「居残り佐平次もの」(勝手に『幕末太陽傳』から名付けました)とか、古い技術が危機を救う「アンチ・レガシーもの」(これも勝手に名付けています)とか、みんなの善意が一人を救う「キャプラもの」(『素晴らしき哉、人生!』から!)とか、ここまで畳みかけられたら感動しないわけがない!

と云うわけで、とても楽しめる映画でした。でも、ひねくれものの自分としては、ここまで鉄板の要素を並べられるとかえって鬱屈が溜まってしまって、最後は救出に失敗したマット・デイモンが永遠に火星の周りを回る衛星となってしまって、ああ、マット・デイモンは星になってしまったのね、と地球からみんなが拝むブラックユーモアなラストが欲しいとおもったりしてしまいました。

→リドリー・スコット→マット・デイモン→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

白鯨との闘い

監督:ロン・ハワード
出演:クリス・ヘムズワース、ベンジャミン・ウォーカー、キリアン・マーフィー、トム・ホランド、ブレンダン・グリーソン、ベン・ウィショー、ミシェル・フェアリー、フランク・ディレイン、ポール・アンダーソン
原題:In the Heart of the Sea
制作:アメリカ/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/hakugeimovie/
場所:109シネマズ木場

原題の「In the Heart of the Sea」の邦題を「白鯨のいた海」から「白鯨との闘い」に変更したのは、この映画のアクションの要素をなるべく強調しようとした魂胆が配給会社の宣伝部にあって、なぜアクションの要素が強いと映画がヒットする可能性が高くなると配給会社がおもうのかはよくわからないのだけれど、とにかくハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」を知らなくとも「白鯨」との闘いがメインとなるようなアクション映画であることを印象づけようとした結果のタイトルだったとおもう。

ただ、それを鵜呑みにして映画を観に行くと、あれ? になる。たしかに「白鯨」との闘いは出てくる。CGを使った迫力のあるアクションシーンだ。でも、この映画はそれがメインではなく、「白鯨」によって沈没させられた捕鯨船エセックス号の乗組員がいかにして過酷な漂流から帰還するのかがポイントとなる映画だった。「白鯨との闘い」のイメージで映画を見てしまうと、そしてジョン・ヒューストン監督の1956年の映画『白鯨』を想像しながら見てしまうとまるっきり腰砕けになってしまう。どちらかと云うとアクション映画ではなくて、サバイバル系の映画だった。

映画の後半は海を漂流する乗組員の生き残るためのサバイバル生活が中心となって、人肉を喰うことがストーリーの中心となって行く。が、その描写が中途半端なので、アクションを見るつもりだった「腹」は収まりきらない。ああ、少なくとも、『ゾンビ』ばりの人肉がぶりつき描写が欲しかった、とおもってしまうほど、高揚した気持ちの落ち着きどころがなくなってしまった。

邦題は「ハート・オブ・ザ・シー」で良かった。

→ロン・ハワード→クリス・ヘムズワース→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★

ヤクザと憲法

監督:圡方宏史
出演:二代目東組二代目清勇会のみなさん
制作:東海テレビ放送/2015
URL:http://www.893-kenpou.com
場所:ポレポレ東中野

まわりから「観ろ!」と勧められていた『ヤクザと憲法』を観た。

大阪の堺市にある二代目東組二代目清勇会の事務所にカメラが入って行くところから映画がはじまる。そこにはどんなにいかつい面々が揃っているんだろうかと興味津々に見るも、若頭がちょっとドスの利いている風貌以外はなんだかフツーのおじさんばかり。組長も60歳代には見えない若いカジュアルな服装のただのおじさんで、両手をポケットに入れたままひょいひょいと事務所に入ってくる。住み込みの若い衆も落ちこぼれの高校生のようなトッポイにいちゃんで、滑舌は悪いは、気が利かないは、使える組員にはまったく見えない。これが今のヤクザなのか! とびっくりするぐらいに拍子抜けしてしまった。『仁義なき戦い』の世界からはすでにほど遠いところまで来てしまってる。

1992年(平成4年)3月1日に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(通称、暴対法、暴力団対策法、暴力団新法)によって、いわゆる暴力団に対する警察の締めつけが厳しくなった。それは、昔の仁侠映画のような「かたぎには迷惑をかけない」ヤクザの世界から、抗争によって一般人に犠牲者を出したり、覚せい剤の売買に手を出したりするヤクザの世界に変貌した結果だとおもう。でも、この映画の中でも飲食店のおばちゃんが「警察は何もしてくれない、でも彼ら(ヤクザの人びと)は助けてくれる」と云っているような、社会の底辺にいるような人たちを助けたり、義務教育から落ちこぼれた不良を救う受け皿のような役割がまだまだあるんだとおもう。それが暴力団対策法によって弱体化させられて機能しなくなっただけでなく、ヤクザの組員に対しても人権さえ無視したような、ちょっとあまりにも締め付けすぎているきらいがある。

と、この映画は、ヤクザ寄りに描いている。事務所にがさ入れに入った刑事のほうこそが「悪」に見えるような作りになってる。最後の清勇会の組長の「ヤクザをやめて、誰が受け入れてくれる?」って言葉にも、そうだよな、とヤクザに温情的になってしまう。とはいえ、そこまでヤクザに肩入れしてもいいものかどうか。なんとも複雑な映画だった。

→圡方宏史→二代目東組二代目清勇会のみなさん→東海テレビ放送/2015→ポレポレ東中野→★★★★

ブリッジ・オブ・スパイ

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:トム・ハンクス、マーク・ライランス、エイミー・ライアン、アラン・アルダ、オースティン・ストウェル、ドメニク・ランバルドッツィ、セバスチャン・コッホ、マイケル・ガストン、ピーター・マクロビー、スティーヴン・クンケン、ジョシュア・ハート、エドワード・ジェームズ・ハイランド、マルコ・チャカ
原題:Bridge of Spies
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/bridgeofspy/
場所:109シネマズ木場

まだアメリカとソ連が冷戦だったころ、その冷戦を題材としたスパイ映画がいくつか作られて、『寒い国から帰ったスパイ』とか『鏡の国の戦争』とか、どの映画も西と東の国境によって分断された人間同士の愛情や友情が切なく描かれていて、人と人との関係にはまったく意味をなさない国のイデオロギーの違いによる理不尽な引き裂かれ方がセンチメンタルな描写を過度に引き立てているような映画ばかりだった。でも、すでにベルリンの壁は崩壊してしまって、そのような哀愁を帯びたスパイ映画はもう作られないんだろうなあとおもっていたところに、スピルバーグ+コーエン兄弟の冷戦スパイ映画が突然現れた。

コーエン兄弟によるシナリオの構成力も素晴らしいけど、やはり何よりも、自分は国境が大好きなんだなあ、と改めてわかった。島国の日本人には味わえない地続きの国境は、その国境をまたぐ一歩がもしかすると人生を大きく変える意味を持っていて、今までの冷戦スパイ映画と同じように西と東の分断によってそれがさらに強調されて描かれている部分に胸が締めつけられるおもいで映画を見てしまった。西ベルリンと東ベルリンの国境でスパイの引き渡しが行われるシーンで、弁護士のトム・ハンクスがソ連に戻される東側のスパイのマーク・ライランスに「ソ連側は君が西側に何もバラさなかったと理解しているのか?」と聞いて、「それは引き渡された後、抱擁されて迎えられるか、ただ単に車の後部座席に乗せられるかでわかる」と返して、マーク・ライランスが抱擁されることなく静かに後部座席に乗せられるところが遠くに見えるシーンには、もう、涙、涙だった。なんて、切ないシーンなんだ。

例えソ連のスパイであってもアメリカは公平な司法を行うのだ、と云う喧伝のために仕組まれた裁判は、無理やりあてがわれた弁護士のトム・ハンクスによる空気を読まない無垢な正義感によって少なからず混乱し、そのあいだに弁護士のトム・ハンクスと東側のスパイのマーク・ライランスの関係が少しずつ育って行き、その関係を大げさにクローズアップすることなく静かに見せるところがとてもコーエン兄弟らしかった。国境でのスパイの引き渡しのシーンも若干のサスペンスはあるものの、二人の関係が大げさに描かれないからこそ、とても切ないシーンに仕上がっていた。

→スティーヴン・スピルバーグ→トム・ハンクス→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆