監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ、ディエゴ・ルナ、リズ・アーメッド、ベン・メンデルソーン、ドニー・イェン、チアン・ウェン、フォレスト・ウィテカー、マッツ・ミケルセン、アラン・テュディック
原題:Rogue One: A Star Wars Story
制作:アメリカ/2016
URL:http://starwars.disney.co.jp/home.html
場所:109シネマズ木場

『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ作品。時系列としては『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の直前のエピソードにあたる。

『スター・ウォーズ』シリーズの本編が、エピソード7の『フォースの覚醒』までを観たかぎりでは、9部作全体としてのストーリー構成にどこか迷走を感じてしまうので、ここでスピンオフ作品を観るのはちょうど良いタイミングだったのかもしれない。それも第一作の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』に直接繋がるストーリーなので、ラストの出来過ぎなデス・スター設計図奪取も細かいことはあーだこーだ云わずに寛容してしまって、ノスタルジックも手伝ってとても面白く観てしまった。特にエピソード4のオリジナル映像を使ったCGには、それが出てくるだけで1978年の日劇の夏を思い出してしまって鳥肌が立つばかりだった。ラストにキャリー・フィッシャーを持ってくるのは、彼女が昨年末に亡くなったばかりなので、反則だよなあ。涙、涙。

ギャレス・エドワーズをちょっと見直したなあ、とおもったら、トニー・ギルロイが撮り直したとか。ああ、やっぱりトニー・ギルロイのほうが巧い。

http://eiga.com/news/20160810/20/

→ギャレス・エドワーズ→フェリシティ・ジョーンズ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆

監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン、浅野忠信、キアラン・ハインズ、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮
原題:Silence
制作:アメリカ/2016
URL:http://chinmoku.jp
場所:109シネマズ木場

遠藤周作の小説「沈黙 」を原作にした映画は1971年の篠田正浩監督に続いて2回目。

マーティン・スコセッシが日本の小説を原作とした映画を撮ることに多大な期待を寄せてしまったためか、おもったよりもフツーの映画だった。いやいや、とても良く撮っている映画で、充分に楽しめる映画ではあるんだけど、それ以上のものを求めてしまっていた。

まず、タイトルを「沈黙」としているわりにはあまりにも語り過ぎている映画だった。長編小説を原作としているのだから、その情報量を映像化するにあたってセリフが多くなってしまったり、ナレーションで場面を説明しなければならなかったりと、ある程度は饒舌になってしまっても仕方がないとはおもう。でも、日本を舞台にしていて、それも「神」についての、「魂の救済」についての映画ならば、どこか日本的な静かな美しさとでも云うのか、静謐な感じが欲しかったようにもおもう。キム・アレン・クルーゲとキャスリン・クルーゲの音楽がどこか控えめで、厳かな感じが漂っているのに対して、アンドリュー・ガーフィールドなどのナレーションをかぶせてくるところがうるさ過ぎた。

それに役者の演技もうるさかった。マーティン・スコセッシが黒澤明を敬愛していることからか、黒澤明的なダイナミックな演出に向かってしまっていて、すべてにおいて、通りを行き交う市井の人びとさえもがオーバーアクション気味の演技だった。アンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライバーの西洋人宣教師と、日本の控えめであるからこそ虐げられてしまう農民たちとの差が、もっと演技においてでも出ていれば良かったようにもおもう。塚本晋也も、イッセー尾形も、とても巧いとはおもうのだけれども、どこか作られた感じがしてしまって。

その点、篠田正浩版はどいなんだろう? ちょうど日本映画専門チャンネルで放映していたので録画しておいた。ちょっと見比べてみようとおもう。

追記。2017.2.6
篠田正浩版は、印象が驚くほどスコセッシ版に似ていた。つまりスコセッシは、日本人を描くにあたって日本人監督の撮った映画を参照したのかなあ。

→マーティン・スコセッシ→アンドリュー・ガーフィールド→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★☆

監督:ダンテ・ラム
出演:エディ・ポン、ショーン・ドウ、チェ・シウォン、ワン・ルオダン、アンドリュー・リン、オーヤン・ナナ、カルロス・チャン
原題:破風 To the Fore
制作:香港、中国/2015
URL:http://shippu-sprinter.espace-sarou.com
場所:新宿武蔵野館

ダンテ・ラムの映画を今回はじめて観た。

『疾風スプリンター』は自転車ロードレースの世界を舞台にした映画で、そのレース・シーンはウェアラブルカメラを使った登場人物の主観撮影や自転車の隊列を上空から収める俯瞰カメラなどにとても迫力があって、その自転車レースのシーンを見るだけでも充分に楽しめる映画になっていた。でも、そのレース・シーンとレース・シーンとのあいだに展開されるドラマの部分が、まるで韓国や台湾のテレビ・ドラマのようなベタベタなドラマで、そこを楽しめるかどうかが大きなポイントとなる映画だった。申し訳ないけど、自分はダメだった。

ただ、主演俳優が台湾(エディ・ポン)、中国(ショーン・ドウ)、韓国(チェ・シウォン)の人で、監督が香港の人と云う総合東アジア映画になっているところが羨ましかった。そこに日本人がいないのが哀しい。

→ダンテ・ラム→エディ・ポン→香港、中国/2015→新宿武蔵野館→★★☆

監督:ジョニー・トー
出演:ルイス・クー、ビッキー・チャオ、ウォレス・チョン、エディ・チョン、ロー・ホイパン、ラム・シュー
原題:三人行 Three
制作:香港、中国/2016
URL:
場所:新宿武蔵野館

ジョニー・トーがあまりにも多作で、すべてが劇場公開されるわけでもなく、映画祭などで上映されるだけの場合もあるのでポツポツとしか作品を追えていないのだけれど、観ることができれば充分に楽しめる映画を作ってくれている。

今回の『ホワイト・バレット』は、まるでポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』のような、それぞれの登場人物たちが時間を追うごとにどんどんと仕事に行き詰まって行って、もうにっちもさっちも行かなくなってしまった状態で、その負のパワーのすべて集約して段階で大爆発を起こす映画だった。そしてその大爆発のシーンが、ジョニー・トーが得意とする視点移動によるスローモション撮影で、これでもか! と云うほどに、コテコテなガン・アクションが長回しで展開されるので、そこにはもうただ笑うしかなかった。

ラストへの大爆発までの過程で、ちょこちょこと伏線がはられていて、それがあまりにも細かかったり、さらりと描かれていたりして、うーん、紙袋に入った拳銃はいったいなんだ? とか、どうしてそんなに口笛の曲を重要視するんだろう? とか、その手錠の鍵は偶然に落ちていただけじゃないか! とか、頭の中でグルグル、ゴチャゴチャと考えながら映画を観ていたのだけれど、最後の大爆発でそんなのどーでも良くなってしまった。もう大爆笑あるのみ!

→ジョニー・トー→ルイス・クー→香港、中国/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:テレンス・マリック
出演:クリスチャン・ベール、ケイト・ブランシェット、ナタリー・ポートマン、ブライアン・デネヒー、アントニオ・バンデラス、ウェス・ベントリー、イザベル・ルーカス、テリーサ・パーマー、フリーダ・ピントー、イモージェン・プーツ
原題:Knight of Cups
制作:アメリカ/2015
URL:http://seihai-kishi.jp
場所:ヒューマントラストシネマ渋谷

テレンス・マリックの映画は、長編デビュー作の『地獄の逃避行』の時からすでに美しい自然と対比するように登場人物たちを配置した情景描写を多用していて、そこに登場人物によるモノローグを重ねながらストーリーを進めて行くスタイルを取っていた。でも『地獄の逃避行』や『天国の日々』のころは、まだはっきりとしたストーリーの中にそのイメージを断続的に挟み込むだけで、誰もが理解することのできるフツーの起承転結を重んじる劇映画の体をなしていた。それが『天国の日々』から20年のブランクの後に撮った『シン・レッド・ライン』ではそのスタイルが先鋭化していて、とても叙情的で詩的なイメージを先行させる作風に変化しつつあった。それがさらに『ツリー・オブ・ライフ』では鋭角化して、おぼろげながらストーリーラインはあるけどれども、情景イメージと登場人物によるモノローグと云った構成が散発的に連なって行くだけのスタイルに変貌して、まるで映像詩集のような体をなすようになってしまった。それは『トゥ・ザ・ワンダー』でも、今回の『聖杯たちの騎士』でも同様のスタイルを採用している。

最初の『ツリー・オブ・ライフ』の時にはそのスタイルにも新鮮味があって、ストーリーを追いかける必要性がないくらいの心地よさを感じることができたけれども、それが『トゥ・ザ・ワンダー』『聖杯たちの騎士』と繰り返されると、うーん、どうしても映像美を強調させたイメージばかりなのが鼻につくようになってしまって、ストーリーの補助がないままに美しい映像だけを見せられ続ける退屈さが先行してしまうんじゃないかともおもう。ヒッチコックの云う「観ている人たちのエモーション(感情)」を持続させることに失敗しているんじゃないかと考えざるを得なくなってしまう。

私のようなテレンス・マリックの映画が好きなものにとってはこのようなスタイルでも「エモーション」を持続することには何の問題もないけど、一般の観客にとってはどうなんだろう? できることならば『天国の日々』あたりの原点に立ち返ってくれると嬉しいんだけれども。

→テレンス・マリック→クリスチャン・ベール→アメリカ/2015→ヒューマントラストシネマ渋谷→★★★☆

監督:ケント・ジョーンズ
出演:マーティン・スコセッシ、デビッド・フィンチャー、アルノー・デプレシャン、ウェス・アンダーソン、黒沢清、ジェームズ・グレイ、オリビエ・アサイヤス、リチャード・リンクレイター、ピーター・ボグダノビッチ、ポール・シュレイダー、アルフレッド・ヒッチコック、フランソワ・トリュフォー
原題:Hitchcock/Truffaut
制作:フランス、アメリカ/2015
URL:http://hitchcocktruffaut-movie.com
場所:新宿シネマカリテ

1981年に晶文社から「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」が発行された時、学生の身としては2900円と云う値段は途方もなく高く感じられたけど、和田誠の「お楽しみはこれからだ」の影響でヒッチコックの映画が大好きになっていたので、どうしても欲しくて昼飯を抜いてまでしても買ってしまった。

映画をたくさん観はじめた当初、監督が映画を作っていることは、なんとなく、わかりはじめていた。でも実際に何をしているのかは具体的によくわかっていなかった。「演出」とは何なのかまったく理解していなかった。そこへの疑問を解決してくれたのが「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」だった。特に映画を観ている人たちのエモーション(感情)をコントロールするためにはどのようなショットの積み重ねが必要なのかを懇切丁寧に説明しているところに云いようもない興奮を覚えてしまった。例えば、「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」のP100には次のように書いてある。

映画づくりというのは、まず第一にエモーションをつくりだすこと、そして第二にそのエモーションを最後まで失わずに持続するということにつきる。映画づくりのきちんとした設計ができていれば、画面の緊迫感やドラマチックな効果をだすために、かならずしも演技のうまい俳優の力にたよる必要はない。わたしが思うに、映画俳優にとって必要欠くべからず条件は、ただもう、演技なんかしないことだ。演技なんかしないこと、何もうまくやったりしないこと。

このことに衝撃を受けて今でも付箋がはってある。この「演技なんかしないこと」には異論もあるのかもしれないけど、たしかに小津安二郎やロベール・ブレッソン、最近ならば濱口竜介の映画を見るとそれを強く感じる。

この「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」をトリュフォーが本としてまとめる時に行ったヒッチコックへインタビューの音源がしっかりと残っている。その音源の一部を利用して、さらに様々な監督にヒッチコックについて語ってもらったインタビューを元に構成したドキュメンタリー映画がケント・ジョーンズ監督の『ヒッチコック/トリュフォー』だった。

でもこの映画、マーティン・スコセッシをはじめとした錚々たる映画監督たちのヒッチコック礼賛が綿々とつづられているだけで、いまひとつ面白味に欠けていた。できることならば、「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」の中で再三ヒッチコックが語っている「エモーションの持続」のことを自分としてはどのように捉えていて、どのように実践しているのかぐらいは語っている監督が欲しかったような気がする。

それになぜブライアン・デ・パルマがこの中にいないんだろう? 故コリン・ヒギンズ(ヒッチコック映画のエッセンスがちりばめられた映画『ファール・プレイ』の監督)にもヒッチコックについて聞きたかったなあ。

→ケント・ジョーンズ→アルフレッド・ヒッチコック→フランス、アメリカ/2015→新宿シネマカリテ→★★★