今年も山形国際ドキュメンタリー映画祭へ。台風19号が来ていて、はたして山形市への影響はどれくらいになるのかと心配だったけれど、11日(金)の山形市内は時々晴れ間の見える曇り空で、風もまだ強くなくて、影響が出るのは明日の12日(土)からのようだった。なので、普通に以下の4本を無事鑑賞しました。
●フレデリック・ワイズマン『インディアナ州モンロヴィア』(アメリカ/2018/143分)
フレデリック・ワイズマンの新作はアメリカ中西部の小さな町インディアナ州モンロヴィアが舞台。大人も子供も太った体型が目立って、銃を買い求めるのも日常で、バスケットボールとアメリカン・フットボールが話題の中心となっているような、もしかするとこれがごく一般的な中西部の風景なんじゃないかとおもえるような中産階級の街だった。宅地造成で人口が増えて、良からぬやからが流入して来ることを心配するような保守的な街で、フレデリック・ワイズマンのカメラは人びとの政治的信条にはまったく突っ込んではいなかったけれど、いまのトランプ政権を支えているのはこんな人たちなんじゃないかと、静かにそれを浮かび上がらせようとしていたような映画だった。
●クレア・パイマン『光に生きる ― ロビー・ミューラー』(オランダ/2018/86分)
自分が映画を数多く観はじめ出したときに、強烈な色彩が脳裏に焼き付いた映画が2本あった。それがフランシス・フォード・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』とヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』だった。『ワン・フロム・ザ・ハート』の撮影監督はヴィットリオ・ストラーロで、『パリ、テキサス』の撮影監督がロビー・ミューラー。映画を観た当時は撮影監督の役割をまったく理解してなくて、のちにデニス・シェファー、ラリー・サルヴァート著、高間賢治訳「マスターズオブライト―アメリカン・シネマの撮影監督たち」などを読んで、撮影監督の重要性を理解したような気がする。その『パリ、テキサス』の撮影監督のロビー・ミューラーは、普段の生活でも当時のHi8ビデオカメラを絶えず回していて、ビデオに映り込む光の状態といつも戯れていた。彼の撮ったビデオ映像を編集してドキュメンタリーとしてまとめたのが『光に生きる ― ロビー・ミューラー』だった。この映画を観て、いやあ、ちょっと触発されてしまった。今ではiPhoneと云うツールがあるのだから、自分も日々映像ともっと戯れるべきだなあ。
●トラヴィス・ウィルカーソン『誰が撃ったか考えてみたか?』(アメリカ/2017/90分)
トラヴィス・ウィルカーソン監督自身の曾祖父が1946年に起こしたとされるアラバマ州ドーサンでの黒人男性射殺事件の真相を追いかけるドキュメンタリー。映画の最初に見せられる曾祖父と家族のなごやかな白黒写真や動画フィルムだけでは、その曾祖父が殺人事件に関わったことすら想像することもできなかったが、親族への聞き込みなどを続けて行くうちに、人種差別主義者であり家族にも暴力を振るっていた人物像が次第に浮かび上がってくる過程はとても面白かった。でも、それを監督自身のナレーションで、すべてを言葉で説明して行くタイプのドキュメンタリーはどうも好きになれなくて、、、残念。
●ボリス・ニコ『パウロ・ブランコに会いたい』(フランス、ポルトガル/2018/117分)
パウロ・ブランコと云うと、テリー・ギリアムの『ドンキホーテを殺した男』で裁判沙汰になったプロデューサーとしてしか認識してなくて、この映画を観て、マノエル・ド・オリヴェイラの映画のプロデューサーだったんだ! とわかったぐらいに知識不足だった。で、プロデューサーと云えばハリウッドの面々をおもい浮かべて、まあ、云っちゃえば「山師」や「香具師」のイメージなんだけど、このドキュメンタリーに登場するパウロ・ブランコもまるっきりそのイメージのままだった。ただ、終盤にやっと撮ることのできた彼のインタビューを見ると、そんなに激しい人物には見えなくて、ちょっと柔らかさのある優しい人物に見えたところがちょっと驚いてしまった。このあたりが、パウロ・ブランコの魅力なのかなあ。