監督:樋口真嗣
出演:斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、田中哲司、山本耕史、岩松了、長塚圭史、嶋田久作、益岡徹、山崎一、和田聰宏、西島秀俊
制作:円谷プロダクション、東宝、カラー/2022
URL:https://shin-ultraman.jp
場所:109シネマズ木場

『シン・ウルトラマン』の脚本を書いた庵野秀明や監督の樋口真嗣とはほとんど同じ世代なので、彼らがウルトラマン・シリーズに見せるリスペクトにはまったくもって共感できてしまう。だから、この映画も大変楽しく見させてもらった。特に、実相寺昭雄が撮るようなアングルの繰り返しは、あまりにもリスペクトの度を越し過ぎているので、もはやコメディにしか見えなかった。まあ、そんなところも共感してしまう大きな要素の一つだったんだけれども。庵野(の指示があったかどうか知らないけれど)はつくづく実相寺昭雄のアングルが好きなんだなあ。

実相寺昭雄は「ウルトラマン」で6つの回を、「ウルトラセブン」で3つの回を演出している。その合計9つの回の中でも特に好きなのがやっぱり「ウルトラセブン」の第43話「第四惑星の悪夢」。宇宙人に支配されている団地の人々がとても不気味で、感情を押し殺して生活をせざるを得ない人々の恐怖を子供ながらにも感じることができたのは実相寺昭雄の演出力の凄まじさだった。

この「第四惑星の悪夢」が代表されるように、「ウルトラセブン」は「ウルトラマン」よりも暗い色調のものが多く、地球へ侵略に来る宇宙人への恐怖を煽るストーリーが多かった。他にも、第6話「ダーク・ゾーン」のペガッサ星人、第8話「狙われた街」のメトロン星人、第42話「ノンマルトの使者」のノンマルト、第45話「円盤が来た」のペロリンガ星人などが特に大好きで、子供の頃に脳裏に焼き付いた宇宙人への恐怖のイメージは今でもありありとおもい出せてしまう。考えてみるとそれらの回は、侵略に来る宇宙人側の悲哀も同時に描かれていて、ストーリーに厚みを持たせているところも子供ながらにも感じ取っていたんだろうともう。

怪獣出現が主なテーマだった「ウルトラマン」に対して、侵略の意図を持った宇宙人との対立がテーマだったのが「ウルトラセブン」だとすると、今回の『シン・ウルトラマン』はすべて「ウルトラマン」の怪獣、宇宙人だったとしても、後半のザラブ星人、メフィラス星人の印象がとても強く、「ウルトラセブン」もイメージさせる内容になっていたような気もする。全体的な暗めのトーンと、神永新二( 斎藤工)とメフィラス星人(山本耕史)が酒を酌み交わすシーンにはおもわずメトロン星人のちゃぶ台シーンをも重ねてしまったことを考えれば、「ウルトラマンセブン」好きにとってはこれは『シン・ウルトラセブン』だった。

この庵野秀明による新しいウルトラ・シリーズ(「ウルトラセブン」をベースにしたものであるとうれしい)は、映画で公開すると云うよりも、配信系でドラマとして数話に渡ってやってほしいなあ。

自分の後ろの席で、父親と息子の親子がこの映画を見に来ていた。映画が終わってからその息子が「なんだかわけがわからなかった」と云っていた。そりゃそうだ、この映画は子供向きの映画ではまったくなくて、むかしウルトラシリーズを楽しんだものだけに向けた映画だったからだ。子供にとってはちょっと酷な映画だった。

→樋口真嗣→斎藤工→円谷プロダクション、東宝、カラー/2022→109シネマズ木場→★★★★

監督:サム・ライミ
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、エリザベス・オルセン、キウェテル・イジョフォー、ベネディクト・ウォン、ソーチー・ゴメス、マイケル・スタールバーグ、レイチェル・マクアダムス
原題:Doctor Strange in the Multiverse of Madness
制作:アメリカ/2022
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/dr-strange2.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

サム・ライミがマーベルの映画に帰ってきた。スパイダーマンではなくて、ドクター・ストレンジの第2作目で。

サム・ライミの『死霊のはらわた』と『死霊のはらわたII』を観たとき、たしか名画座の二本立てで観たような気もする、ホラー映画のジャンルでありながらも少しコメディにも寄っていて、グロテスクさが度を越せば笑いにも転じることを知らしめてくれた映画でもあった。「死霊のはらわた」シリーズの3作目『キャプテン・スーパーマーケット』はもう完全にコメディに転じていて、それだけにとどまらず、SFやファンタジーにも展開して、サム・ライミがやりたいことをすべてぶち込んでいるような楽しい映画になっていた。

サム・ライミ監督の『スパイダーマン』第1作目を映画館で観たとき、「スパイダーマン」と云うアメリカン・コミックを知ってはいても読んだことがなかったので、ただの「スーパーヒーローもの」だろうとしか認識がなかった。なので、サム・ライミが監督する意義がどこにあるのかよくわからなかった。ところがその内容は、ヒーローが悪を退治するだけのあっけらかんとしたものだけではなかった。いじめを受けている少年が特殊能力を授かる設定だったり、親友の父がビランになってしまったりと、人間のネガティブな部分を描く場面が多分にあったので、そのダークな部分とスーパーヒーローのライトな部分、この明暗を融合させて笑いやアクションも含ませた総合エンターテインメントを撮れる監督としてサム・ライミがぴったりだった。

今度の『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』も『スパイダーマン』と同様に、と云うかMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の映画はどれも、サム・ライミが監督としてぴったりだった。特に今回はダークな要素が多く描かれるので、そこは「死霊のはらわた」シリーズを彷彿とさせるところだった。でも、なんだろう? MCUの映画はどれも似たようなテイストになってしまっていて、それはVFX部分が同じようなテンションで描かれるからだろうか? サム・ライミが監督をしている意義をあまり感じられなくなってしまった。それはクロエ・ジャオの『エターナルズ』にも感じたことだった。

たぶん、もう、MCU映画に飽きてきているんだろうなあ。ここらで小休止、なにか違うテンションのMCU映画が欲しい。

→サム・ライミ→ベネディクト・カンバーバッチ→アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:マイク・ミルズ
出演:ホアキン・フェニックス、ギャビー・ホフマン、ウディ・ノーマン、モリー・ウェブスター、ジャブーキー・ヤング=ホワイト、スクート・マクネイリー
原題:C’mon C’mon
制作:アメリカ/2021
URL:https://happinet-phantom.com/cmoncmon/
場所:TOHOシネマズ日比谷

最近、文京区の小学6年生のプログラミング授業にサポートとして入っていたりする。なので、いろんな子供たちと接する機会が増えていて、いまどきの子供をつぶさに観察することができるところがとても面白い。で、自分の小学生のころと何が同じで、何が違っているのか、そこを考えたりもするのだけれど、子供のころの記憶があまりにも曖昧なので、しっかりと比較することができない。でも、なんとなく、自分のころよりも複雑な子供が増えているような気もする。とても感受性が強くて繊細で、自分の世界を作り上げていて、その中で生きているような子供。そんな子供は昭和にも居たのかもしれないけれど、この情報過多の込み入ったややこしい時代には増えているんじゃないのかな、と云う感覚がしている。

マイク・ミルズ監督の『カモン カモン』に出てくる少年ジェシー(ウディ・ノーマン)はそんな感じの少年だった。二重人格のように別人格を演じてみたり、大人顔負けの本質をつく質問をしてきたり、ハッとするような美しい詩のようなものを云ったりする。父親が精神を病んでいる設定もあってか、遺伝がそうさせているのか? とおもわせるところが常軌を逸する混乱を予想させて、ハラハラ・ドキドキしながら少年ジェシーの行動を見守ることになった。

その少年ジェシーに対するホアキン・フェニックスが演じる伯父のジョニーが素晴らしかった。ひょんなことから妹の子供を預かることになったジョニーは、奇想天外な行動をするジェシーに手を焼きながらも、彼を理解しようと努力し、ときには怒りをぶつけながら、ときには自分の失態に許しを請いながら、次第に彼の心に寄り添うようになって行く。その過程の描き方がこの映画の一番の醍醐味だった。

いまどきの子供たちに接する方法は、昔のように頭ごなしに怒鳴りつけるようなシンプルなものではまったくダメで、その子供の傾向を見極めた上での細やかな対応を見せなければならない。この映画のホアキン・フェニックスは、全米各地で子供たちにインタビューを行っているドキュメンタリー作家であるからこそ、いろいろな子供の思考パターンを経験として得ていた有利性はあったとおもう。でも、普通の親がこれほどの対応を見せられるかと云えば、それは絶対に無理だ。スクールソーシャルワーカーなみの子供の心理についての勉強をする必要性を感じてしまう。いやあ、難しい時代になってきている。子供にとっても、親にとっても。

→マイク・ミルズ→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2021→TOHOシネマズ日比谷→★★★★

監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク、デヴィン・マクダウェル、水原希子、福島リラ、古舘寛治
原題:Annette
制作:フランス、ドイツ、ベルギー、日本、メキシコ/2021
URL:https://annette-film.com
場所:ユーロスペース

レオス・カラックスの新作は意外にもミュージカルだった。そしてミュージカルらしく、ストーリーも明快なものだった。うーん、このような平凡なものをレオス・カラックスが撮る意味があるのかどうか? と戸惑っていると、ひとつだけ非凡なことが起きた。スタンダップコメディアンのアダム・ドライバーとオペラ歌手のマリオン・コティヤールとのあいだに生まれた子供にパペット(そしてCG技術によって動かく)を使ったのだ。まるで今は亡きジム・ヘンソンが創作したような赤ちゃんの人形がマリオン・コティヤールから生まれて来たのだ。これにはびっくりした。

マリオン・コティヤールから生まれた子供は、母親からの才能をそのまま受け継ぎ、生まれてまもなく歌を唄い出す赤ちゃんだった。このようなあり得ないことを映像化するときに、いまのCGの技術ならばリアルな実写の赤ちゃんに歌を唄わすことぐらいは可能なのに、なぜレオス・カラックスはあえてパペットを使ったのだろうか?

この部分についてネットなどでよく云われていることは、子供が親の操り人形だから、というものだった。でも、最終的に父親のアダム・ドライバーに利用されていたとしても「操り人形」と云うイメージにはほど遠く、どちらかと云えば赤ちゃんが発する可愛らしさを全面的に抑え込んで、反対に不気味さを強調させていた、くらいの効果しかなかったようにもおもう。

その後、赤ちゃんが成長して、おそらく3、4歳になった段階で、スパッとパペットから実際の子役にスイッチさせて来た。このことは、今度は、子供が親の操り人形から解放された、と云う意味を見出す人もいるようだけれど、それも微妙だった。ストーリーとしては、自我を持ち始めた子供が親を責める段階に来ていたので、そこは実際の子役でのリアルな表情を見せたほうが効果的なんじゃないか、と云う判断ぐらいにしかおもえなかった。

映画を観ているあいだ中、そのパペット→子役のことを、あーだこーだと考えているうちに映画は終わってしまっていた。最終的に、レオス・カラックスにしてはハリウッド的な映画だったなあ、という感想しか残らなかった。

→レオス・カラックス→アダム・ドライバー→フランス、ドイツ、ベルギー、日本、メキシコ/2021→ユーロスペース→★★★☆