監督:オリヴァー・ハーマナス
出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク、エイドリアン・ローリンズ、ヒューバート・バートン、オリヴァー・クリス、マイケル・コクラン、アーナント・ヴァルマン、ゾーイ・ボイル、リア・ウィリアムズ、ジェシカ・フラッド、パッツィ・フェラン、バーニー・フィッシュウィック、ニコラ・マコーリフ
原題:Living
制作:イギリス/2022
URL:https://ikiru-living-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

黒澤明の『生きる』をカズオ・イシグロが脚色したこの映画は、うまく舞台をロンドンに移し替えていて、ひとつひとつのエピソードは忠実に再現しながらも、全体の構成は50年代のイギリス社会に置き換えるために少し変えていた。

黒澤版から大きく変更された点は、新入りの公務員(アレックス・シャープ)からの視点を取り入れたところだった。彼から見る課長のロドニー・ウィリアムズ(ビル・ナイ)の行動がこの映画のベースになっていた。

その新入りの公務員が黒澤版にはない新しいキャラクターかと云えばそうでもなくて、大勢の反対を押し切って公園を完成して死んでいった課長の熱意を引き継ごうと盛り上がった翌日に、いつもどおりのお役所業務に戻ってしまう課員に向かって無言の抗議をするシーンを見れば、おそらくは黒澤版の日守新一(木村役、あだ名は“糸こんにゃく”)を新入り公務員に置き換えて、それをちょっと含まらせたキャラクターじゃないかと想像がつく。このキャラクターが、おもっていたほどに邪魔にはならなくて、この映画をただの黒澤版のコピーにはしない効果をもたらしていた。

公開当初はなんとなく食指が動かずにいたこの映画だったけれど、見始めればまるで50年代のイギリス映画のようなオープニングクレジットからのめり込み、イギリスと云う風土に脚色された『生きる』はおもっていた以上に面白かった。

→オリヴァー・ハーマナス→ビル・ナイ→イギリス/2022→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス、サティア・スリードハラン
原題:The Whale
制作:アメリカ/2022
URL:https://whale-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

サミュエル・D・ハンターが2012年に発表した同名舞台劇を『レスラー』『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキーが映画化。体重が600ポンド(約272キロ)にもなってしまった男の最後の一週間を描いている。

舞台劇の映画化は場所が限定されるので、ドラマがその狭い範囲に凝縮されるのが大好きで、例えばエリア・カザンの『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作、1951)とか、ウィリアム・ワイラーの『噂の二人』(リリアン・ヘルマン作、1961)とか、ジーン・サックスの『おかしな二人』(ニール・サイモン作、1968)とか、好きな映画を数え上げたらきりがない。だから、この映画も好きなタイプの映画のであることに間違いはなかった。

ただ、重度の肥満症からまったく動けなくなってしまった主人公の、医療も拒否した破滅的な生活は気持ちの良いものではなくて、場所がほとんどソファーの上だけってのもかえって閉所恐怖症ぎみの自分にとってはちょっと辛かった。

舞台劇の映画化なので登場人物は6人だけ。国語の教師で肥満症のチャーリー(ブレンダン・フレイザー)、チャーリーと疎遠になっていた娘エリー(セイディー・シンク)、チャーリーの唯一の友人である看護師のリズ(ホン・チャウ)、チャーリーの元妻でありエリーの母であるメアリー(サマンサ・モートン)、ニューライフ教会の宣教師トーマス(タイ・シンプキンス)、ビザの配達人ダン(サティア・スリードハラン)。

ストーリーはおもに主人公チャーリーと娘エリーとの関係修復にあてられている。そこに看護師リズとチャーリーとの関係、そしてリズの兄アランとチャーリーとの関係が次第に明らかになって行き、単にドラマに膨らみを持たせるためだけの添え物とおもえた宣教師トーマスに関しても彼らとの繋がりが明らかになって行く。家族や友人(恋人)関係だけが題材とおもわれたこの映画が、いつのまにか宗教と云うものの在り方にまで踏み込んで行く流れは、おそらくは原作の戯曲の素晴らしさなんだろうけれど、とても巧かった。

この映画を観はじめて、題名に使われている「ホエール(鯨)」とはなんだろう? と考えていた。まず目が行くのはチャーリーの肥満からくるイメージだけれども、映画の冒頭に彼が心臓発作に陥ったときに心拍を落ち着かせるために読むメルビルの「白鯨」に関するエッセイも関係していることがわかる。

この誰が書いたかわからない「白鯨」に関するエッセイは、メルビルの「白鯨」は悲しい物語だと云う。なかでも一番悲しい部分は、クジラを描写するだけの退屈な章から、実際に不幸な作家人生を送ったメルビルによるわずかな救いの手を感じ取ったからだと云う。

映画のなかに何度も登場するこのエッセイが、このストーリーの鍵となっているのは間違いない。でもそれが何なのかは判断が難しい。おそらくは、この映画のもうひとつの鍵であるニューライフ教会をおだやかに批判していると云うことなのかもしれない。人間に対する救いなんてものは、あからさまに、大仰になされるものではなくて、平凡なものから感じ取るべきものなんだと云っているようにも見える。

そして、このストーリーの一番の軸であるチャーリーと娘エリーとの関係。8歳のときからまったく会えていない娘は、父親に対する敵意がむき出しで、自分の感情をうまくコントロールできない人間に育っていた。傍から見れば、それは片親だけによる子育の失敗から出来上がった娘だった。でもそんな娘をチャーリーは元妻に対して素晴らしい娘に育て上げてくれたと絶賛する。チャーリーにとって、久しぶりに会えたからと云って本心を隠して当たり障りのない会話をする親子関係よりも、ストレートに思いの丈をぶつける親子関係こそが理想だったのかもしれない。

そんな直球なエリーだから、ひょんなことから訪ねてきた宣教師トーマスに対しても、ニューライフ教会をボロクソにこきおろす。神を信じることなんて人々の救いにはまったくならないと。

この映画には救われなければならない人間ばかりが登場する。その全員がニューライフ教会との関わりがあることがわかってくる。でも宗教は誰も救わない。とくにチャーリーは、その宗教によって恋愛関係にあった看護師リズの兄アランを自殺で亡くしてしまう。心のバランスを崩した彼は体重が600ポンド(約272キロ)にまでなり、医療も拒否して死を待つのみとなってしまった。ただ、唯一の救いを感じたのが「白鯨」のエッセイだった。

では「白鯨」のエッセイを書いたのは誰なのか?

それは娘のエリーだった。元妻によって交流を遮断されていたチャーリーは、ひとつだけ、エリーの書いた「白鯨」のエッセイを送ってもらっていたのだった。そこに書かれていた内容も去ることながら、自分が娘とつながるたった一つの拠り所だった。映画のラストは、エリー自身による「白鯨」のエッセイの朗読だった。それでもってチャーリーは救われ、と同時に画面は光り輝き、彼は死とともに昇華する。

この映画はどんな終わり方をするんだろうとおもっていたけれど、とても納得の行く終わり方だった。

→ダーレン・アロノフスキー→ブレンダン・フレイザー→アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
出演:パブロ・シルズ、ジョエリー・ムブンドゥ、アルバン・ウカイ、ティヒメン・フーファールツ、シャルロット・デ・ブライネ、ナデージュ・エドラオゴ、マルク・ジンガ
原題:Tori et Lokita
制作:ベルギー、フランス/2022
URL:https://bitters.co.jp/tori_lokita/
場所:新宿武蔵野館

ダルデンヌ兄弟の新作は、ベルギーにやってきたベナン出身のトリとカメルーン出身のロキタのはなし。ふたりはアフリカからベルギーへたどり着く途中で出会い、本当の姉妹のように助け合って生活を送っている。生活の基盤を得るためにしっかりとした仕事に就きたいロキタは、すでにビザが発行されているトリの姉と偽ってビザを取得しようとしていた。でも、この偽りの気持が次第に負の連鎖を産み、いつしか取り返しのつかない事態へと落ち込んでいく。

日本は移民に対して厳しい国だと云われる。確かに酷いとおもう。欧米のようにもうちょっと寛大になればい良いとおもうときもある。でも、フランス映画などで描かれる移民の生活ぶりを見ると、彼らの困窮ぶりが犯罪の温床になってしまっている。日本も間口を広げれば必ずと云ってその問題にぶちあたる。日本の人口が減少に転じるにつれ、受け入れざるを得ない移民のことをおもうと、このトリとロキタのストーリーは日本の将来に起こる出来事として捉えても何の問題もなかった。

いつもおもうことだけれど、ダルデンヌ兄弟の視線はシビアだ。そこまで強烈な展開を用意しなくても良いのに。映画を観終わって、肩を落としながら映画館を去った。

→ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ→パブロ・シルズ→ベルギー、フランス/2022→新宿武蔵野館→★★★★

監督:庵野秀明
出演:池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、塚本晋也、手塚とおる、長澤まさみ、西野七瀬、本郷奏多、市川実日子、松尾スズキ、森山未來
制作:「シン・仮面ライダー」製作委員会/2023
URL:https://www.shin-kamen-rider.jp
場所:109シネマズ木場

庵野秀明が選んだ次のテーマは「仮面ライダー」。自分にとっても「仮面ライダー」の1号、2号、V3まではリアルタイムで見ていたので、またまた庵野の手のひらの上で転がされてしまうのかな、まあそれもそれで楽しいな、とおもいながら観に行った。

そこで、ふと、子供のころ「仮面ライダー」のどこに魅力を感じたんだろうかと振り返ってみる。でも「ウルトラセブン」のようにすぐにはおもい当たらなかった。「仮面ライダースナック」の「ライダーカード」が欲しくて、カードだけを取ってスナックは捨ててしまうと云う、当時の社会問題にまで発展したようなこともご多分に漏れずやっていたのだけれど、それは「仮面ライダー」の魅力にはまっていたと云うよりも「ラッキーカード」と呼ばれるレアカード欲しさに買っていたような気もする。だからそんなに「仮面ライダー」への愛着は薄いのかもしれない。

そんな昔の「仮面ライダー」に対してあまり執着の無い人間が『シン・仮面ライダー』を観たら、とても貧弱で、せせこましいイメージを持ってしまった。狭い範囲でとてつもなく大きなことが成されているようで、そこに違和感を持ってしまった。いや、それは原作に忠実なんだよ、ファンに対して「仮面ライダー」のイメージを壊さないように作っているんだよ、って云われればそうなのかもしれない。でもそれを映画として一般に公開するのはどうなんだろう? っておもってしまった。もうちょっとファンでない人に対しても開かれなければならないんじゃないか、とはおもう。まあ、開いたら開いたで「仮面ライダー」ファンは怒るのだろうけれど。難しい題材だ。

→庵野秀明→池松壮亮→「シン・仮面ライダー」製作委員会/2023→109シネマズ木場→★★★