監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス、サティア・スリードハラン
原題:The Whale
制作:アメリカ/2022
URL:https://whale-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和
サミュエル・D・ハンターが2012年に発表した同名舞台劇を『レスラー』『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキーが映画化。体重が600ポンド(約272キロ)にもなってしまった男の最後の一週間を描いている。
舞台劇の映画化は場所が限定されるので、ドラマがその狭い範囲に凝縮されるのが大好きで、例えばエリア・カザンの『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作、1951)とか、ウィリアム・ワイラーの『噂の二人』(リリアン・ヘルマン作、1961)とか、ジーン・サックスの『おかしな二人』(ニール・サイモン作、1968)とか、好きな映画を数え上げたらきりがない。だから、この映画も好きなタイプの映画のであることに間違いはなかった。
ただ、重度の肥満症からまったく動けなくなってしまった主人公の、医療も拒否した破滅的な生活は気持ちの良いものではなくて、場所がほとんどソファーの上だけってのもかえって閉所恐怖症ぎみの自分にとってはちょっと辛かった。
舞台劇の映画化なので登場人物は6人だけ。国語の教師で肥満症のチャーリー(ブレンダン・フレイザー)、チャーリーと疎遠になっていた娘エリー(セイディー・シンク)、チャーリーの唯一の友人である看護師のリズ(ホン・チャウ)、チャーリーの元妻でありエリーの母であるメアリー(サマンサ・モートン)、ニューライフ教会の宣教師トーマス(タイ・シンプキンス)、ビザの配達人ダン(サティア・スリードハラン)。
ストーリーはおもに主人公チャーリーと娘エリーとの関係修復にあてられている。そこに看護師リズとチャーリーとの関係、そしてリズの兄アランとチャーリーとの関係が次第に明らかになって行き、単にドラマに膨らみを持たせるためだけの添え物とおもえた宣教師トーマスに関しても彼らとの繋がりが明らかになって行く。家族や友人(恋人)関係だけが題材とおもわれたこの映画が、いつのまにか宗教と云うものの在り方にまで踏み込んで行く流れは、おそらくは原作の戯曲の素晴らしさなんだろうけれど、とても巧かった。
この映画を観はじめて、題名に使われている「ホエール(鯨)」とはなんだろう? と考えていた。まず目が行くのはチャーリーの肥満からくるイメージだけれども、映画の冒頭に彼が心臓発作に陥ったときに心拍を落ち着かせるために読むメルビルの「白鯨」に関するエッセイも関係していることがわかる。
この誰が書いたかわからない「白鯨」に関するエッセイは、メルビルの「白鯨」は悲しい物語だと云う。なかでも一番悲しい部分は、クジラを描写するだけの退屈な章から、実際に不幸な作家人生を送ったメルビルによるわずかな救いの手を感じ取ったからだと云う。
映画のなかに何度も登場するこのエッセイが、このストーリーの鍵となっているのは間違いない。でもそれが何なのかは判断が難しい。おそらくは、この映画のもうひとつの鍵であるニューライフ教会をおだやかに批判していると云うことなのかもしれない。人間に対する救いなんてものは、あからさまに、大仰になされるものではなくて、平凡なものから感じ取るべきものなんだと云っているようにも見える。
そして、このストーリーの一番の軸であるチャーリーと娘エリーとの関係。8歳のときからまったく会えていない娘は、父親に対する敵意がむき出しで、自分の感情をうまくコントロールできない人間に育っていた。傍から見れば、それは片親だけによる子育の失敗から出来上がった娘だった。でもそんな娘をチャーリーは元妻に対して素晴らしい娘に育て上げてくれたと絶賛する。チャーリーにとって、久しぶりに会えたからと云って本心を隠して当たり障りのない会話をする親子関係よりも、ストレートに思いの丈をぶつける親子関係こそが理想だったのかもしれない。
そんな直球なエリーだから、ひょんなことから訪ねてきた宣教師トーマスに対しても、ニューライフ教会をボロクソにこきおろす。神を信じることなんて人々の救いにはまったくならないと。
この映画には救われなければならない人間ばかりが登場する。その全員がニューライフ教会との関わりがあることがわかってくる。でも宗教は誰も救わない。とくにチャーリーは、その宗教によって恋愛関係にあった看護師リズの兄アランを自殺で亡くしてしまう。心のバランスを崩した彼は体重が600ポンド(約272キロ)にまでなり、医療も拒否して死を待つのみとなってしまった。ただ、唯一の救いを感じたのが「白鯨」のエッセイだった。
では「白鯨」のエッセイを書いたのは誰なのか?
それは娘のエリーだった。元妻によって交流を遮断されていたチャーリーは、ひとつだけ、エリーの書いた「白鯨」のエッセイを送ってもらっていたのだった。そこに書かれていた内容も去ることながら、自分が娘とつながるたった一つの拠り所だった。映画のラストは、エリー自身による「白鯨」のエッセイの朗読だった。それでもってチャーリーは救われ、と同時に画面は光り輝き、彼は死とともに昇華する。
この映画はどんな終わり方をするんだろうとおもっていたけれど、とても納得の行く終わり方だった。
→ダーレン・アロノフスキー→ブレンダン・フレイザー→アメリカ/2022→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★