監督:パオロ・タヴィアーニ
出演:ファブリツィオ・フェラカーネ、マッテオ・ピッティルーティ、ロベルト・ヘルリッカ(声)
原題:Leonora addio
制作:イタリア/2022
URL:https://moviola.jp/ihai/#modal
場所:新宿武蔵野館

映画をたくさん観始めたころ、キネ旬ベストテンの常連だったのがヴィットリオとパオロのタヴィアーニ兄弟の映画だった。キネ旬読者としては、キネ旬ベストテンに選ばれた映画を見に行こう! の機運から、『父 パードレ・パドローネ』(1977、第56回(1982年度) キネマ旬報ベスト・テン10位)や『サン★ロレンツォの夜』(1982、第57回(1983年度) キネマ旬報ベスト・テン10位)や『グッドモーニング・バビロン! 』(1987、第61回(1987年度) キネマ旬報ベスト・テン1位)を観に行った。でも、まだ様々な映画を理解する能力には乏しく、テオ・アンゲロプロスほど難解ではないにしろタヴィアーニ兄弟の映画も楽しむのには無理があって、とくにヨーロッパ映画の経験値がおそろしく不足していた。

あれからヌーベルバーグの映画などを観てヨーロッパ映画の経験値を上げていって、それなりに様々な映画を楽しめるようにはなっていったけれど、その後のタヴィアーニ兄弟の『太陽は夜も輝く』(1990年)や『フィオリーレ/花月の伝説』(1996年)もあまり面白いとはおもえなかった。

そのタヴィアーニ兄弟も兄のヴィットリオが2018年4月15日に亡くなってしまった。一人だけになってしまったパオロ・タヴィアーニが91歳になって撮ったのが『遺灰は語る』だった。

今回の『遺灰は語る』は、1934年のノーベル文学賞受賞者であるイタリアのルイジ・ピランデッロの「遺灰」にまつわる話しだった。ピランデッロの遺言には「遺灰」は海にまくか故郷のシチリアの岩の中に納めてくれとあるのに、当時の独裁者ムッソリーニはピランデッロの「遺灰」をローマに埋葬してしまった。戦争が終わってから、シチリアからの特使がピランデッロの「遺灰」を持ち帰るためにローマを訪れる。しかし、おもうようにことが運ばずに、なかなかシチリアに「遺灰」を持って行くことができない……。

最近はやたらとドラマティックな映画ばかり観て来たので、この映画のような単純なプロットありきで、さしたる大事件も起こらずに、人間の些細な行動の機微を静かに追いかける映画はとても新鮮に感じられてしまった。歳を重ねて、映画の経験値も上がり、いまやっとタヴィアーニ兄弟の映画を楽しめるようになったのだとおもう。

そして、ルイジ・ピランデッロの「遺灰」にまつわるエピソードは白黒映像であったけれど、エピローグとしてピランデッロの遺作短編小説「釘」を鮮やかなカラーで映像化してこの映画を締めくくっている。この短編もまあなんとも不思議な話しで、ちょっと凄惨なストーリーでもあり、日本人にはまったく馴染みのないルイジ・ピランデッロがどんな作家だったのかを手がかりとしてちょっとだけ残してくれたようなエンディングだった。

→パオロ・タヴィアーニ→ファブリツィオ・フェラカーネ→イタリア/2022→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:是枝裕和
出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子
制作:「怪物」製作委員会/2023
URL:https://gaga.ne.jp/kaibutsu-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

是枝裕和監督の『怪物』の予告編を観たとき、表面に見えるものからは計り知れない奥底に潜む本質があぶり出される過程を楽しむ映画ではないかと想像して、あんまり是枝裕和監督の映画を積極的に観ようとはしないのだけれど、今回ばかりは面白そうにおもえたので映画館に足を運んだ。

是枝裕和の映画を観ると、いつも何かに引っかかって、そこにこだわり続けて映画が楽しめなくなる場合が多い。今回もそうなってしまった。

『怪物』は3つのパートに別れていて、最初は自分の子どもが担任教師から不当に体罰を受けているのではないかと学校に乗り込む母親役の安藤サクラから見た視点のパートだった。そこでの学校側の対応があまりにも酷くて、とくに田中裕子が演じる校長先生にまったくリアリティを感じられなくて、そこに引っかかってしまった。母親の安藤サクラから見れば担任教師の永山瑛太や校長の田中裕子は「怪物」に見えて、その点を強調させるための人物像だったのだろうけれど、少なからず小学校教育に関わる身としてはどうしてもその校長像に真実味を見い出せなかった。たとえ校長自身に不幸があったとしても、あそこまで心の無い校長は日本全国どこを探してみてもいないとおもう。

2つめのパートは担任教師の永山瑛太から見たパート。永山瑛太から見れば、安藤サクラの息子の湊(みなと)は「怪物」だった。3つめのパートはその湊(みなと)からの視点で、湊(みなと)から見れば同級生の星川依里(ほしかわより)が「怪物」だった。このように、結局は他人のすべてを理解できることはできなくて、その知られざる部分に「怪物」を見出してしまう。

坂元裕二の脚本は、それなりに面白い構成にはなっていた。でもなあ、あの学校の対応はまったく無いなあ。安藤サクラの息子の湊(みなと)が以前に担任をしてもらった先生のことを「良い先生」と評価しているのに、その「良い先生」がまったく今回のことに意見を挟まないのも腑に落ちない。この学校側の対応部分をもう少し工夫してほしかった。

→是枝裕和→安藤サクラ→「怪物」製作委員会/2023→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:アーロン・ホーバス、マイケル・イェレニック
声:宮野真守、畠中祐、志田有彩、関智一、楠見尚己、武田幸史、三宅健太、浦山迅
原題:The Super Mario Bros. Movie
制作:日本、アメリカ/2023
URL:https://www.universalpictures.jp/micro/super-mario-bros
場所:109シネマズ菖蒲

初代ファミコンが発売された1983年ごろ、すでにシャープのMZ-80Bと云うパソコンに手を出していて、ファミリーコンピューターと名付けられたおもちゃにはまったく興味を示さず、ゲームと云えばパソコンのゲームだった。だから当然のごとくゲームの「スーパーマリオブラザーズ」はやったことがなく、はじめて「スーパーマリオブラザーズ」をプレイしたのはNINTENDO64の「スーパーマリオ64」で、そこではじめて任天堂のゲームづくりの巧さを実感したのだった。そこから出遅れを取り戻すかのように「マリオカート64」や「ゼルダの伝説 時のオカリナ」にのめりこみ、とくに「ゼルダの伝説」が大のお気に入りで、最近のSwitch版として発売された「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」も発売日には手に入れてプレイしてしまっている。

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、NINTENDO64の「スーパーマリオ64」から続く3Dアクションゲームとしての「スーパーマリオブラザーズ」を映画として成り立たせているようで、そこに「マリオカート」や「ドンキーコング」を加味して、まるで任天堂のゲームづくりを映画として翻案しているように見えて、子供から大人まで楽しめるゲーム映画になっているのには嬉しかった。まあ、でも、ゲームをやればいいんじゃね? とはおもうけれど。

ところどころ「ヨッシー」の影が見えて、次回作は「ヨッシー」の映画化かな?

→アーロン・ホーバス、マイケル・イェレニック→(声)宮野真守→日本、アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★☆