監督:レイチェル・ランバート
出演:デイジー・リドリー、デイブ・メルヘジ、パーベシュ・チーナ、マルシア・デボニス、ミーガン・ステルター、ブリタニー・オグレイディ
原題:Sometimes I Think About Dying
制作:アメリカ/2023
URL:https://sometimes-movie.jp
場所:新宿シネマカリテ

「スター・ウォーズ」シリーズのデイジー・リドリーがプロデュースも手掛けた映画『時々、私は考える』を観た。まったく視界に入っていなかった映画だけれども、券が余ってしまったと云う知り合いから譲り受けて一緒に観に行った。

まったくどんな映画かもわからずに観に行ったときには、この映画の舞台はどこだろう? の楽しみがある。ファーストシーンに映った景色は、港のある、どんよりとした風景だった。たしかアメリカ映画のはずなので、おそらくアメリカの北西か北東ではないかと推測した。映画を観て行くうちに、次第にシアトル方面であることがわかって来る。正解はオレゴン州アストリアだった。アストリアを云えばリチャード・ドナー『グーニーズ』(1985)の舞台だ。

その静かな港町に暮らすフラン(デイジー・リドリー)は、職場と自宅を往復するだけの内向的な女性。人付き合いが苦手な彼女の唯一の楽しみは、幻想的な「死」の空想にふけることだった(原題はここから来ている)。ある日、職場に新しい同僚ロバート(デイブ・メルヘジ)が加わり、映画好きな彼と映画館へ行くことになって、次第に生活に変化が兆していく。

2時間超えの展開の早いアメリカ映画ばかり続けて観ていると、93分の静かな映画はほんとに新鮮に見えて、気持ちがスッと安らぐのがよくわかる。朝、職場へ行って、パソコンの前にずっと座って、あまり同僚と物理的にコンタクトする必要もなく(チャットやメッセージ充分だ!)黙々と仕事をこなす環境って、もしかすると自分にとっても理想の環境だったんじゃないかとおもえるほどの落ち着きをもたらしくれる映画だった。大きな窓から港湾のクレーンが見えるのも理想的だ。

最終的にフランの意識が大きく変化することは無かったけれども、でも、小さな変化の兆しが見えたことが重要だった。ドラマティックな映画ばかりのなかで、小さな変化を楽しむ映画もとても大切だった。

→レイチェル・ランバート→デイジー・リドリー→アメリカ/2023→新宿シネマカリテ→★★★☆

監督:グレッグ・バーランティ
出演:スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、ウディ・ハレルソン、レイ・ロマーノ、ジム・ラッシュ、アンナ・ガルシア、ドナルド・エリース・ワトキンズ、ノア・ロビンズ、コリン・ウッデル、クリスチャン・ズーバー、ニック・ディレンバーグ、コリン・ジョスト
原題:Fly Me to the Moon
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.flymetothemoon.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

フィリップ・カウフマン監督がトム・ウルフの原作をもとに撮った『ライトスタッフ』(1983)は、実在の戦闘機パイロット、チャック・イェーガーが音速の壁に挑戦し続ける姿を軸として、そこから有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」に参加する7人の宇宙飛行士(最初の7人)へと受け継がれて行く「ライトスタッフ(正しい資質)」を描いていた。その最初の7人(マーキュリー・セブン、オリジナル・セブン)とは、アラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、スコット・カーペンター、ウォーリー・シラー、ゴードン・クーパー、ディーク・スレイトンで、この中でただ一人、ディーク・スレイトンだけは心臓の動きに心房細動が見つかり宇宙に飛ぶことは出来なかった。

グレッグ・バーランティ監督の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』に出てくるNASAの発射責任者コール・デイヴィス(チャニング・テイタム)は、元戦闘機パイロットで宇宙飛行士を目指していたが心房細動が見つかったために断念。NASAの発射責任者として担当したアポロ1号では発射予行演習の際に発生した火災により、ガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー の3人を亡くしてしまう。と云う経歴は、そのままぴったりでは無いけれどもディーク・スレイトンを重ね合わせていた。

もう一人の主人公であるケリー・ジョーンズ(スカーレット・ヨハンソン)はPRマーケティングのプロで、人々の関心が泥沼化したベトナム戦争へと向いて、やたらとお金のかかるアポロ計画に疑問を持ち始めた風潮のなかで、アポロ計画のイメージアップをはかるために雇われる人物だった。こちらのモデルは、アポロ11号の月面着陸船「イーグル」にテレビカメラを搭載することを主張した広報専門家のジュリアン・シェア(https://en.wikipedia.org/wiki/Julian_Scheer)だそうだ。

そして、その世界各国に生中継された月面着陸の映像はフェイク映像だったのではないか、と云う昔からある疑惑もストーリーに入れて、アポロ11号にまつわる様々なコンテンツを盛り込んだ映画がこの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』だった。

アポロ計画の映画を観ると、どうしてもそのベースにフィリップ・カウフマンの『ライトスタッフ』を見てしまう。つまり「ライトスタッフ(正しい資質)」とはなんだろう? に行き着いてしまう。今回の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』もコール・デイヴィス(チャニング・テイタム)に最初の7人のディーク・スレイトンを感じるので、そしてアポロ1号で犠牲となってしまう最初の7人のガス・グリソムへの追悼も見えるので、彼のパートでは「ライトスタッフ(正しい資質)」を見ることができた。でも、ケリー・ジョーンズ(スカーレット・ヨハンソン)のパートはだいぶコメディへ寄っているので、そこまで「ライトスタッフ(正しい資質)」を求めずに、最後にはケリー・ジョーンズにもその資質が備わっていることがわかるのだけれど、ゆるりと笑いながら見る映画にはなっていた。

とは云え、もうちょっと巧くまとめられたんじゃなかったのかなあ、のおもいは強い。それに“Fly me to the moon”の曲はフランク・シナトラのバージョンじゃなきゃダメだよね。

→グレッグ・バーランティ→スカーレット・ヨハンソン→アメリカ/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:トッド・ヘインズ
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン、コーリー・マイケル・スミス、パイパー・カーダ、D・W・モフェット
原題:May December
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/maydecember/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

1997年2月26日、小学校教師であったメアリー・ケイ・ルトーノーは小学6年生の教え子ヴィリ・フアラアウと関係を持ったことにより逮捕された。メアリーは児童レイプの罪を認めて服役し、約1年後の1998年1月1日に再犯の危険性は少ないと判断されて仮釈放される。しかしすぐさまその教え子と関係を持ったことがわかり、教え子には会わないという仮釈放の条件に違反したことから刑務所に戻される。その後、2004年8月4日に仮出所し、2005年5月20日にはその教え子ヴィリ・フアラアウと結婚することになる。

この事件をモチーフに作られた映画がトッド・ヘインズ監督の『メイ・ディセンバー ゆれる真実』だった。「メイ・ディセンバー」とは「親子ほど年の離れたカップル」を意味する。

この映画の脚本(サミー・バーチ)がすごいのは、単純に事件を時系列に追って行くのではなくて、少年だったジョー(チャールズ・メルトン)が36歳になっているところから映画がはじまっているところだった。この36歳と云う年齢は、13歳だったジョーが関係を持った年上の女性グレイシー(ジュリアン・ムーア)の当時の年齢だった。つまりこの映画は少年だったショーが36歳になり、年上の女性グレイシーが59歳になった時点での結婚生活を描いていた。

さらにこの映画を重層的にしているのは、ジョーとグレイシーの関係を映画化するにあたってグレイシー役を演じることになったエリザベス(ナタリー・ポートマン)が二人の家に取材に来ることも同時に描いている点だった。23歳も離れた年下の少年と関係を持ってしまうグレイシーと云う女性の内面を理解しようとする過程を、一人の女優の目を通して見ることによって、映画を観ている我々の理解への手助けにもなっている。

しかし、グレイシーと云う女性を理解するのは到底無理だった。36歳女性と13歳少年の間の恋愛だったのか、年上女性による小児性愛だったのか、トッド・ヘインズ監督も明確な解答を用意しているわけではなくて、エリザベスと云う女優が導き出した解答を描いているだけだった。

この時点での二人の結婚生活も形骸化しているように見えてしまって、それは普通の結婚にもよくある倦怠期なのか、それとも二人のあいだに恋愛関係があったと自分たちにも納得させるためだけの結婚だったのか、それもよくわからない。ただ、ジョーの表情が絶えず虚ろなことと、グレイシーが時折見せる精神的な不安定さは、最初からこの結婚生活には無理があったんじゃないかと想像することはできる。そして、いつまで経っても完成しない庭に建設中のプールも、あるべきピースが欠けている不安を象徴しているようにも見えてしまった。

最後、エリザベスは映画での演技へと向かうが、おそらくはグレイシーの内面を正確に演じることは無理だとおもう。それは取りも直さず、この映画でグレイシーを演じているジュリアン・ムーアにも云えてしまうのが、この映画の面白い部分だった。

もちろん、元の事件にインスパイアされたまったくのフィクション映画ではあるのだけれど、このような構造にすることによってまだ存命の関係者に配慮しているようにも見えて、そこがとても良かった。

→トッド・ヘインズ→ナタリー・ポートマン→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:代島治彦
出演:樋田毅、青木日照、二葉幸三、藤野豊、永嶋秀一郎、林勝昭、岩間輝生、吉岡由美子、大橋正明、臼田謙一、野崎泰志、岡本厚、冨樫一紀、石田英敬、池上彰、佐藤優、内田樹、鴻上尚史(以下、ドラマパート)望月歩、香川修平、高橋陸生、桝屋大河、相原滉平、石川真也、琴和、黒川大聖、黒澤風太、小林示謡、佐々木隼、高橋雅哉、谷風作、原田開、半田貴大、久門大起、峰岸航生、山崎一汰、渡辺芳博、佐藤拓之
制作:スコブル工房/2024
URL:http://gewalt-no-mori.com/#modal
場所:ユーロスペース

1972年(昭和47年)11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎(当時20歳)が革マル派によるリンチによって殺害された。この事件は学生運動の終焉期に起きた各党派間による「内ゲバ(内部ゲバルト)」と呼ばれる暴力抗争の一つだった。なぜ、このような「内ゲバ」が起きたのか? 当時の関係者による証言と鴻上尚史演出による川口大三郎が殺される再現ドラマによって検証を行ったのが代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』だった。

1972年当時、小学生だった自分にとって、あさま山荘事件のことはよく覚えている。それは教室にあったテレビで実況中継されてたからだった。でも、同時期に起きていた革マル派と中核派による暴力抗争のことは、たとえニュースを見ていたとしても、小学生ぐらいの知識では理解できていなかった。

こうやって、ドキュメンタリー映画などで当時の暴力的な学生運動のことを検証させられたとしても、子どものころと同様にやっぱり意味がわからなかった。もちろん根本的な学生運動である、たとえば学生自治を求める運動、反戦運動、反差別運動、学費値上げ反対運動などを行おうとする学生が出てきたことは理解できる。その運動を行う上で、考え方の違いが生まれて分派が出来てしまうのもわかる。でも掲げるイデオロギーが同じなのに、その方法に違いがある人たちを叩こうとする、しまいには殺そうとすることに何の意味があるのかさっぱりわからない。

この映画を観て、何が起きていたかの事実はよくわかった。ただ、残念なのは、革マル派、中核派の、もっと中枢にいた人物たちの「総括」みたいなものが無いとやっぱりその本質を理解することは難しい。刑務所に入っていたり、亡くなっていたり、逃亡中であったりと、それを行うのは大変だろうけれど。

→代島治彦→樋田毅→スコブル工房/2024→ユーロスペース→★★★

監督:マイケル・マン
出演:アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シェイリーン・ウッドリー、サラ・ガドン、ジャック・オコンネル、パトリック・デンプシー、ガブリエル・レオーネ
原題:Ferrari
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.ferrari-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創業者エンツォ・フェラーリを描くにあたって、監督のマイケル・マンは1957年のミッレミリアの公道自動車レースを彼の人生の大きな分岐点としてストーリーの中核に持ってきた。

1957年当時のエンツォ・フェラーリは、前年に長男のディーノを亡くしたことから妻ラウラとの間に亀裂が入り、戦時中からの付き合いである愛人リナ・ラルディのことが妻にばれて、そのリナ・ラルディとのあいだに生まれたピエロの認知問題もあって、私生活においてはのっぴきならない状況に追い込まれていた。さらに会社の経営面でも販売台数が伸び悩み、フォードかフィアットの支援を得なければならない状況に追い込まれていて、なんとしてでもレースで優勝してフェラーリの名を高めたかった。

このような負の事象が次々と重なってわだかまった結果、そのパワーがミッレミリアのレースへの過度な期待へと変換されて、アルフォンソ・デ・ポルターゴが運転するするフェラーリ335Sが公道脇で観戦していた子供5人を含む観客9人を巻き添えにする大事故へと大爆発して帰結するスムーズな映像表現はさすがマイケル・マンだった。アルフォンソ・デ・ポルターゴの遺体が真っ二つになって転がっている(事実そうだったらしい)いる映像はそのピークに位置させる衝撃的な映像として脳裏に焼き付くほどだった。

ただ、クルマ好きからすると、レースシーンはダメだったらしい。クルマ系YouTuberのウナ丼さんがそうXでつぶやいていた。

クルマが詳しくない自分からするとさっぱりわからなかったけれど。

→マイケル・マン→アダム・ドライバー→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ
原題:탑/Walk Up
制作:韓国/2022
URL:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
場所:シネマ・カリテ新宿

『WALK UP』はホン・サンスの『小説家の映画』に続いての2022年の映画。でも、もうすでに『水の中で』(2023、第24回東京フィルメックスで公開)『우리의 하루(私たちの一日)』(2023)『여행자의 필요(旅行者のニーズ)』(2024)と3本も撮っている。はたして、この多作家の映画を今後も日本で公開し続けられるんだろうか?

『WALK UP』を観はじめて、あれ? 今までのホン・サンスの映画とはちょっと違うな、と云う印象が次第に強くなって行った。どこに違和感を感じるんだろうかと考えてみると、いくつかのパートに分かれているエピソードがすべて独立していて、登場人物が共通しているにもかかわらずストーリーは繋がっていなかった。今までのホン・サンスの映画でも、いくつかのエピソードが時系列に並ばないで前後に錯綜させていることはよくあった。そこに若干の齟齬が見受けられても、ここまでストーリーが繋がっていなかったことは無かったような気がする。

この映画の舞台となるのはあるアパート。1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエで、それぞれの階でのエピソードが展開して行く。その階と階とを結ぶ階段がらせん状になっているので、アパートのオーナーであるヘオク(イ・ヘヨン)が登り降りすることによって他の世界へとスリップすることを意味していたんだろうとおもう。

このようなマルチバースでストーリーが進行することに違和感を覚えたとしても、ホン・サンスの映画のキモは会話劇にあるので、その面白さはまったく変わらなかった。ますます映画監督役のクォン・ヘヒョにホン・サンス自身を投影させている気がする。

次の映画は『水の中で』だけれど、全編をピンボケで撮っていると云われる実験的な映画の日本での本公開はあるんだろうか?

→ホン・サンス→クォン・ヘヒョ→韓国/2022→シネマ・カリテ新宿→★★★★

監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、キャリー・プレストン、ブレディ・へプナー、イアン・ドリー、ジム・カプラン、マイケル・プロヴォスト、アンドリュー・ガーマン、ナヒーム・ガルシア、スティーヴ・ソーン、ジリアン・ヴィグマン、テイト・ドノヴァン、ダービー・リリー、ケリー・オーコイン、ダン・エイド
原題:The Holdovers
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.holdovers.jp/
場所:イオンシネマ浦和美園

いつだったか、マニアックな映画好きから『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(1999)が面白いよ、と云われた。なにその変なタイトル、まったく面白い映画とはおもえない、と云ったら、もちろん原題までがそんなタイトルなわけではなかった。元のタイトルは「Election」。ある高校の生徒会長選挙のはなしで、まだ駆け出しのリース・ウィザースプーンが出ていた。こんなへんちくりんな邦題にもかかわらず、びっくりしたことに勧められたとおりに面白い映画だった。

監督はアレクサンダー・ペイン。主に家族や友人関係の痛いところをついて来るのが巧くて、それはその後の『サイドウェイ』(2004)『ファミリー・ツリー 』(2011)『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013)と、絶えず同じテーマを扱っている監督だった。

新作の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』も、全寮制の寄宿学校で歴史教師をするポール・ジアマッティと、クリスマス休暇中に寄宿舎に残ることになった15歳の学生アンガス(ドミニク・セッサ)との関係に焦点を当てたストーリーだった。

どんな場面でも、自分にとっての「いけ好かないやつ」はいるもので、その人の態度、仕草、発言などにイラッと来てしまって、ああ、この人とは合わないなあ、と判断してしまうことがある。いまのSNSの時代ならばリアルな人付き合い以外にも、その人の表面的な一側面をちらっとネットで見ただけで「いけ好かないやつ」と判断してしまう場面も多くなって来ている。でももし、その人のバックグラウンドを深堀りすることができるのならば、そこに何かしらの理解が生じる可能性はあるんじゃないのか、と云うことを『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は教えてくれたような気がする。情報の切り取りが横行する世の中ならば、その小さな断面の裏にある膨大な背景を察知する感性をもう少しは養うべきなんだろうなあ、と云うことをなんとなくこの映画で教えてもらったような気がする。

そしてこの映画の良かった点をもう一つ。オープニングのユニバーサルのロゴからして70年代映画ふうにしていたところ。まるでフィルム映画のようなノイズと色調(本当にフィルムで撮っていたのか?)、カメラワークも70年代の映画のようににしていたところはびっくりした。ポール・ジアマッティがいなくなったアンガスを探して、寄宿学校の扉をバーンと開けた直後のショット。戸口に立つポール・ジアマッティをアップで撮ったあとにすぐ校庭の全景をいれるほどのロングにズームアウトするシーンは、70年代のなにかの映画(ハル・アシュビー『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971)だったか?)で見た気が、、、、

ラストシーンも、まるっきり70年代の映画だった。考えてみれば、どこかに去って行く人を見守って「THE END」(「THE END」の表記が最近ではありえない)になる映画があまり無くなってしまった。あのひとは今後、どのような人生を送って行くのかなあ、の余韻に浸れる映画を久しぶりに見て涙がでるほど嬉しかった。

→アレクサンダー・ペイン→ポール・ジアマッティ→アメリカ/2023→イオンシネマ浦和美園→★★★★