監督:エドワード・ベルガー
出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、セルジオ・カステリット、ルシアン・ムサマティ、カルロス・ディエス、メラーブ・ニニッゼ、イザベラ・ロッセリーニ
原題:Conclave
制作:アメリカ、イギリス/2025
URL:https://cclv-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

新しいローマ教皇を選出する教皇選挙(コンクラーヴェ)がどんなものなのか興味がありはするけれど、ガチガチの保守的なイメージしか無いカトリックの仕来たりにのっとったやり方に何か面白い要素はあるんだろうかとも考えていた。そこに大きく切り込んだのがエドワード・ベルガー監督の『教皇選挙』だった。

いまのアメリカ合衆国を例に取らなくとも、リベラルな考え方に反発する動きは至るところで起きていて、どんな国でも保守的な考え方(の反対は本当は「革新」や「急進」なんだけれども)と二分される事態に陥っている。ロバート・ハリスの同名小説を原作としたこの映画も、リベラルな考え方を持つ教皇が亡くなったあとの、それを継承しようとする勢力と伝統的な考え方に戻そうとする勢力の争いを中心に描いていて、それだけではなくて、初のアフリカ系教皇の誕生を容認すべきか、とか、最終的に選ばれた新教皇の身体的特徴についての驚くべき事実、とか、リベラルや保守の問題だけでなく人種差別やジェンダーの問題へも切り込んだ映画が『教皇選挙』だった。

あまりにも劇的な展開に、そして宗教者でありながら権謀術数をめぐらす凡庸さに、ちょっとやりすぎじゃないのか? とはおもうけれど、いまの複雑な時代背景を凝縮させて2時間に盛り込むことを考えれば、フィクションの映画として面白いものに仕上がっていたとおもう。

この教皇選挙を取り仕切るローマ教皇庁首席枢機卿のトマス・ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)が選挙を始めるにあたって述べた口上が素晴らしかった。彼は「確信」が怖いと云う。絶えず悩んで疑問を持つべきだと云う。いまの時代のインフルエンサーはすぐ確信的にものを云う。その強烈さに同調するものはさらに熱狂し、意見の合わないものはさらにディスる。そうやって意見は二極化してしまう。絶えず自分の意見に疑問を持つべきだよなあ。でもそれは絶対に「弱さ」に繋がるから軽んじられてしまう。弱くても良いとはおもうけれど、自分が上に立っていなければ気がすまない連中にとってそれは「死」だから、どうにもならない。

→エドワード・ベルガー→レイフ・ファインズ→アメリカ、イギリス/2025→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:ポン・ジュノ
出演:ロバート・パティンソン、ナオミ・アッキー、アナマリア・ヴァルトロメイ、パッシー・フェラン、キャメロン・ブリットン、ダニエル・ヘンシャル、スティーブ・パーク、スティーヴン・ユァン、トニ・コレット、マーク・ラファロ
原題:Mickey 17
制作:アメリカ/2025
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/mickey17/index.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ポン・ジュノの映画『ミッキー17』は、エドワード・アシュトンによる2022年の小説『ミッキー7』を原作としている。ミッキー(ロバート・パティンソン)は友人と一緒に始めた事業に失敗し、宇宙開発で危険な仕事をこなすために生み出された「エクスペンダブル」になって惑星ニヴルヘイムでのコロニー建設ミッションに参加する。「エクスペンダブル」とは、任務で死ぬたびに保存されていたデータ(これには記憶だけでなくDNAも入っている?)を使って「人間の体の素」のスープから3Dプリンターのようにリプリントされた人間のことで、この映画が始まった時点ですでにミッキーは17回も生まれ変わっていて、だからタイトルが『ミッキー17』だった。

何度も云うことだけれど、長編小説を映画化する時に、小説にある様々なエピソードをすべて盛り込んでしまうと、2時間から3時間の上映時間があっても、とても散らかった映画になってしまう。この『ミッキー17』は以下に上げる要素がすべてあって、うーん、もうちょっと絞り込んだら良かったのに、とおもってしまう。

・生まれ変われるとはいえ、何度も恐怖を体験しなければならないこと
・「エクスペンダブル」への差別
・なぜか「エクスペンダブル」のミッキーへ好意を寄せる優秀なエージェントのナーシャ(ナオミ・アッキー)
・ミッキーとナーシャの間に暗号のように存在していたセックスの体位の番号とは?
・人間に対するワクチンや薬物の意味
・間違って同じ個体が2つ存在していまうマルチプルが起きること
・マルチプル同士の性格の違いによる確執(同じデータからなのに、なぜ違いが起きるんだ?)
・ミッキーと友人ティモ(スティーヴン・ユァン)との不思議な友情
・カルトであることを隠してコロニー建設ミッションを進めようとするケネス・マーシャル(マーク・ラファロ)
・惑星ニヴルヘイムの原住民であるクリーパー(人間が名付けた名前)と移住して来た人間との関係
・クリーパーが形成する社会とは?

その他にも細かい要素として、

・料理のソースにこだわるケネス・マーシャルの妻イルファ(トニ・コレット)
・ミッキーに好意を寄せる科学班のドロシー(パッシー・フェラン)
・ミッキーとティモを追いかけて惑星ニヴルヘイムまでやってくる借金取りのギャング
・バイセクシュアルらしきカイ(アナマリア・ヴァルトロメイ)との関係

などなど。このすべてが現代社会の問題点の隠喩であることはわかるけれど、あまりにも盛り込みすぎのような気がしてしまった。だからそれぞれの踏み込みが中途半端になってしまっている。もっとエピソードを取捨選択して掘り下げて欲しかった。

この映画を見て、原作小説も読んで、それからまた映画を見返せば様々なエピソードの意味もわかって、それはそれで楽しいのかもしれない。でも、一本の映画としては、それではダメのような、、、

→ポン・ジュノ→ロバート・パティンソン→アメリカ/2025→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★