監督:リテーシュ・バトラ
出演:ジム・ブロードベント、シャーロット・ランプリング、ミシェル・ドッカリー、ハリエット・ウォルター、エミリー・モーティマー、ビリー・ハウル、ジョー・アルウィン、フレイア・メイバー、マシュー・グード
原題:The Sense of an Ending
制作:イギリス/2017
URL:http://longride.jp/veronica/
場所:新宿武蔵野館

2011年のブッカー賞を受賞したジュリアン・バーンズの小説「終わりの感覚」をインドのリテーシュ・バトラ監督が映画化。

小説「終わりの感覚」の日本での発行元である新潮社のページの紹介文には、

歴史とは、不完全な記憶と文書の不備から生まれる確信である――。二十代で自殺した親友の日記が、老年を迎えた男の手に突然託される。それは、別れた恋人の母親の遺言だった。男は二十代の記憶を懸命に探りつつ、かつての恋人を探しあてるが……。記憶の嘘が存在にゆすぶりをかけるさまをスリリングに描くバーンズの新境地。

とあった。映画もまさに「歴史とは、不完全な記憶と文書の不備から生まれる確信である――。」がキーとなる映画だった。

自分の記憶を遡った時も、果たしてその記憶が実際に起こった事象だったのか、それとも後から良い側面だけを、または悪い側面だけが強調されて改ざんされてしまった事象なのかわからなくなってしまうことがある。自分の場合は都合の悪い記憶ほどそれが緩和されて綺麗にならされる傾向にあるようだ。でもすでに事実を確かめる術はないし、何かしらの証拠が出て来たとしてもそれは切り取られた一つの側面でしかないので、たとえ今の時代のようにInstagramやYoutubeに写真や動画が残っていたとしてもやはりおんなじ事だろうとおもう。

リテーシュ・バトラ監督は、そのような儚い人間の記憶のあやを繊細に描き出していた。もうすでに人生の晩年に差し掛かっているだろう人間が、知らず知らずのうちに封印してしまった自分の暗い過去を再び見つめ直すことによって、まだまだ人間としての成長を見せる可能性を示すラストが良かった。

→リテーシュ・バトラ→ジム・ブロードベント→イギリス/2017→新宿武蔵野館→★★★☆