午前中は山形市の郊外をさらっと。大ノ越古墳や長谷堂合戦古戦場などへ。

エリジウム

そして以下の3本。

●サラ・ポーリー監督『物語る私たち』(カナダ/2012)
女優のサラ・ポーリーが自らの出自における隠された真実を探っていくプライベートフィルム。ドキュメンタリーにどこまで演出が許されるのかはよくわからない。個人的にはどこまででも許されるとはおもうけど。それがその題材を描く上で効果的ならば、たとえやらせや嘘であっても。この映画の、あっと驚くような真実が明かされるシーンの演出は巧かった。笑えた!

●キム・ドンリョン、パク・ギョンテ監督『蜘蛛の地』(韓国/2013)
韓国の米軍キャンプ近くの歓楽街で売春の行っていた3人の女性の現在をイメージショットを交えながら描く。昨日観たタイの『空低く 大地高し』ででも感じたことだけど、美しいイメージショットを挟む効果は何なんだろう?(フレデリック・ワイズマンの場合は小休止的な意味なのかな)多用すれば焦点がぼけるだけだとおもうんだけど。サラ・ポーリーの『物語る私たち』ではそんなショットを撮ることを笑いに変えていた。

●エヴァ・ヴィラ監督『ジプシー・バルセロナ』(スペイン/2012)
バルセロナのジプシー社会で親から子どもへと受け継がれて行くフラメンコの練習風景を追いかける。フラメンコのダンスシーンは圧巻だった。でもここでもドキュメンタリーっぽさと云うものを考えてしまう。ダンスシーンをカメラフィックスで撮るべきか、カットを割るべきか。いや、カットを割ってもいいんだけど、そしてそのほうが躍動感が出るんだけど、個人的には長回しが好きです。

そして最後に山形グランドホテルで、原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談を辻よしなり司会で聞いた。ここでもドキュメンタリーと劇映画の境が話題になって、その境はとても曖昧だと云う意見でまとまりつつ、でも、原一男監督がはじめての劇映画『またの日の知華』を撮った時に桃井かおりから「俳優は指示してくれなければ動かないのよ」と云われていじめられたことを引き合いに出して、ドキュメンタリーの場合は被写体が動き出すまでずっと待つだけなので、その撮影方法に違いがあることを指摘していたところが面白かった。崔監督によれば、動いてくれる俳優もいるので、桃井かおりは特に意地悪なんだ、とは云っていたけど。