監督:代島治彦
出演:樋田毅、青木日照、二葉幸三、藤野豊、永嶋秀一郎、林勝昭、岩間輝生、吉岡由美子、大橋正明、臼田謙一、野崎泰志、岡本厚、冨樫一紀、石田英敬、池上彰、佐藤優、内田樹、鴻上尚史(以下、ドラマパート)望月歩、香川修平、高橋陸生、桝屋大河、相原滉平、石川真也、琴和、黒川大聖、黒澤風太、小林示謡、佐々木隼、高橋雅哉、谷風作、原田開、半田貴大、久門大起、峰岸航生、山崎一汰、渡辺芳博、佐藤拓之
制作:スコブル工房/2024
URL:http://gewalt-no-mori.com/#modal
場所:ユーロスペース

1972年(昭和47年)11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎(当時20歳)が革マル派によるリンチによって殺害された。この事件は学生運動の終焉期に起きた各党派間による「内ゲバ(内部ゲバルト)」と呼ばれる暴力抗争の一つだった。なぜ、このような「内ゲバ」が起きたのか? 当時の関係者による証言と鴻上尚史演出による川口大三郎が殺される再現ドラマによって検証を行ったのが代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』だった。

1972年当時、小学生だった自分にとって、あさま山荘事件のことはよく覚えている。それは教室にあったテレビで実況中継されてたからだった。でも、同時期に起きていた革マル派と中核派による暴力抗争のことは、たとえニュースを見ていたとしても、小学生ぐらいの知識では理解できていなかった。

こうやって、ドキュメンタリー映画などで当時の暴力的な学生運動のことを検証させられたとしても、子どものころと同様にやっぱり意味がわからなかった。もちろん根本的な学生運動である、たとえば学生自治を求める運動、反戦運動、反差別運動、学費値上げ反対運動などを行おうとする学生が出てきたことは理解できる。その運動を行う上で、考え方の違いが生まれて分派が出来てしまうのもわかる。でも掲げるイデオロギーが同じなのに、その方法に違いがある人たちを叩こうとする、しまいには殺そうとすることに何の意味があるのかさっぱりわからない。

この映画を観て、何が起きていたかの事実はよくわかった。ただ、残念なのは、革マル派、中核派の、もっと中枢にいた人物たちの「総括」みたいなものが無いとやっぱりその本質を理解することは難しい。刑務所に入っていたり、亡くなっていたり、逃亡中であったりと、それを行うのは大変だろうけれど。

→代島治彦→樋田毅→スコブル工房/2024→ユーロスペース→★★★