監督:フレデリック・ワイズマン
出演:「スプリングス」の女性たち
原題:Domestic Violence
制作:アメリカ/2001
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場所:アテネ・フランセ文化センター
森達也が云っているように、ドキュメンタリー映画と云えども結局は作り手の主観と作為からは逃れなくて、どんなに客観的に撮ろうとしてもそこには監督の主張が必ず入り込んでしまって、観るものをおもい通りの方向へ誘導しようとする力がどうしても働いてしまう。もしそこから逃れたいのだとすれば、少なくともカットは割らずに、テロップもナレーションも入れずに、ただ、ただ、フィルムを回し続ける方法しかない。それでさえも、対象にカメラを向けた時点で客観性は失われているのだろうけれど。
フレデリック・ワイズマンは、長回し、テロップやナレーションを使わない、環境音だけ、長尺と云った手法を徹底することによって、ドキュメンタリー映画としてできる限りの客観性を保とうとしている。この『DV—ドメスティック・バイオレンス』は、夫や恋人や家族から暴力を受けた女性に対してカメラをフィックスし、そのままの姿や発言を見せることによって、観ている私たちにドメスティック・バイオレンスとは何であるのかを徐々に明らかにして行こうとしている。加害者ではなくて、被害者だけに焦点を当てていることがすでに作り手の誘導なんだろうだけれども、でも、少なからず暴力を受ける側にも、育った環境や依存体質や洗脳されやすい性質など、何かしら問題があることが映像から痛いほど伝わってくる。
次第に夜も更けて、このドキュメンタリーも終わりに近づいて行って、エピローグとさえおもえるシーンに出て来る被害女性の、自分で何も決められない態度には苛つきさえ感じてしまう。これこそがDVの芽なのではないかと最終的に観るものに感じさせる映像は、作り手の作為と云えば作為だった。でもそれは素晴らしい作為だとはおもう。
→フレデリック・ワイズマン→「スプリングス」の女性たち→アメリカ/2001→アテネ・フランセ文化センター→★★★★