監督:リチャード・リンクレイター
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ、サンジャイ・ラオ、モリー・バーナード、エバン・ホルツマン、グラレン・ブライアント・バンクス
原題:Hit Man
制作:アメリカ/2023
URL:https://hit-man-movie.jp
場所:MOVIXさいたま

リチャード・リンクレイターのフィルモグラフィーを見ると様々なタイプの映画が並んでいる。イーサン・ホークとジュリー・デルピーが演じる男女の関係を、二人が実際に歳を取って行くままに撮り続けた『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)『ビフォア・サンセット』(2004)『ビフォア・ミッドナイト』(2013)の3部作や、ジャック・ブラックのアクの強い演技が笑える『スクール・オブ・ロック』(2003)、クリスチャン・マッケイが演じる若き日のオーソン・ウェルズが素晴らしい『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』(2008)などなど、リチャード・リンクレイターはなんでも撮れる職人監督のイメージだ。いや、製作や脚本までもするので職人の域を超えている。

そのリチャード・リンクレイターの新作『ヒットマン』も、まさに職人技と云えるようなシチュエーション・コメディだった。グレン・パウエルが演じていてる「ニセモノの殺し屋」が、過去の映画などで描かれてきたタフな殺し屋像を演じているうちに、内に引きこもる陰キャラを次第に開放して行くストーリーは観ていて楽しかった。と同時に、大人になってからも人の性格は変えられるよ、のメッセージは、笑いながらも痛烈に刺さるものだった。

主人公のグレン・パウエルが演じるゲイリー・ジョンソンは、講師として働きながら、警察のおとり捜査に協力してプロの殺し屋を演じた実在の人物だった。その人物をリチャード・リンクレイターと一緒にグレン・パウエル自らも脚本に参加してふくらませて作り上げたのがこの映画の主人公だった。リチャード・リンクレイターは俳優を脚本に参加させることがある。たしかに、演じやすいように現場でホンを書き換える必要があるのなら、まあ、いろいろと脚本家組合などの事情があるのだろうけれど、出演俳優を脚本に参加させるのは効率の良い方法なのかもしれない。

実際に人を殺すハメになってしまう主人公がハッピーエンドになるオチはちょっとひっかかるものがあるのだけれど、リチャード・リンクレイターの映画はいつも楽しむことができる。

→リチャード・リンクレイター→グレン・パウエル→アメリカ/2023 →MOVIXさいたま→★★★☆

監督:新藤兼人
出演:宇野重吉、乙羽信子、小沢栄太郎、千田是也、三島雅夫、稲葉義男、浜田寅彦、永井智雄、殿山泰司、清水将夫、永田靖、原保美、松本克平、中村是好、十朱久雄、森川信、三井弘次、内藤武敏、笹川恵三、金井大、中谷一郎、本郷淳、広井以津子、江角英明、原緋紗子、井川比佐志、田中邦衛
制作:近代映画協会、新世紀映画/1959
URL:
場所:武蔵大学50周年記念ホール

今年も武蔵大学で行われた「被爆者の声をうけつぐ映画祭」を観に行った。今回は新藤兼人監督の1959年の映画『第五福竜丸』を選んだ。有名な映画だけれども観るのは初めてで、1954年(昭和29年)3月1日にアメリカの水爆実験で被曝した第五福竜丸の事件をドキュメンタリータッチで描いている映画だった。

新藤兼人監督の『裸の島』(1960)を観たとき、瀬戸内海の小さな島に住む4人家族の生活を淡々と、セリフ無しに撮る手法に驚いた。ドキュメンタリーに近い映画だけれども、もちろんカメラの構図はしっかりしているし、情緒的な音楽も入るし、長男の死と云うドラマティックなことも起こる。新藤兼人の映画がドキュメンタリーっぽい劇映画だとすると、原一男の映画は劇映画っぽいドキュメンタリー映画で、ドキュメンタリーと劇映画の境界線を意識するのにうってつけの映画だった。

『裸の島』の1年前に作られた『第五福竜丸』も、事実をしっかりと伝えるためにかドキュメンタリー調で撮られていたけれども、今ならばバイプレーヤーと云われる有名な脇役を大勢出演させていたので、俳優によりスポットが当てられたために劇映画の要素が強めになっていた。映画ファンとしては、大勢の脇役たちの演技を楽しむと同時に、歴史的な事件でもある第五福竜丸の被爆についてもしっかりと知識として得ることができたので、とても楽しめる映画になっていた。

映画が終わった後に都立第五福竜丸展示館の学芸員である安田和也さんによる講演があった。毎年、仕事の関係で夢の島にあるBumB東京スポーツ文化館へ行っているのだけれども、いつも第五福竜丸展示館の横を自転車で通り過ぎていた。今度は第五福竜丸展示館へ立ち寄ってみようとおもう。

→新藤兼人→宇野重吉→近代映画協会、新世紀映画/1959→武蔵大学50周年記念ホール→★★★☆

監督:フェデ・アルバレス
出演:ケイリー・スピーニー、デヴィッド・ジョンソン、アーチー・ルノー、イザベラ・メルセード、スパイク・ファーン、アイリーン・ウー
原題:Alien: Romulus
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.20thcenturystudios.jp/movies/alien-romulus
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

最初の『エイリアン』が公開されてから45年。2017年の『エイリアン: コヴェナント』ですべてをやり尽くして、いくらなんでもこれで「エイリアン」シリーズの集結ではないかとおもっていたら、まだまだ、フェデ・アルバレスによる『エイリアン:ロムルス』と云う映画がやって来た。時系列で云えば、最初の『エイリアン』のすぐあとのストーリーで、本編からのスピンオフ的な位置づけになるらしい。

これだけ数多くの「エイリアン」映画が作られたあとの新作に期待することと云えば、どんな新しいアイデアを盛り込んでくれるんだろう、ぐらいしかない。それが無ければ新しい「エイリアン」を作る意味がない。と云うことで、『エイリアン:ロムルス』に新しい要素を期待しつつ観てみた。

なるほど、最初のリドリー・スコットの『エイリアン』に対するリスペクトはひしひしと感じられる。まったく陽が差さないジャクソン星はまるで『ブレードランナー』のようだ。「エイリアン」シリーズに受け継がれる「母体」から生み出されるものへの恐怖もパワーアップしている。でも「恐怖」と云う観点から云えば、『プロメテウス』や『エイリアン: コヴェナント』に比べると安っぽいホラー映画のようにも見えてしまうのは残念。新しいアイデアも、人間のDNAと合体した「エイリアン」が誕生したくらいかなあ。そのミュータントのデザインもまるで『未知との遭遇』の宇宙人のようで「エイリアン」に不可欠な圧倒的なパワーが感じられないのはいまいち。

そのミュータントを見て、デヴィッド・クローネンバーグだったらどんなデザインにするんだろうと考えてしまった。ああ、デヴィッド・クローネンバーグ版『エイリアン』が観たくなってしまった。

→フェデ・アルバレス→ケイリー・スピーニー→アメリカ/2024 →ユナイテッド・シネマ浦和→★★★

監督:押山清高
声:河合優実、吉田美月喜
制作:「ルックバック」製作委員会/2024
URL:https://lookback-anime.com
場所:MOVIXさいたま

「チェンソーマン」の藤本タツキが「少年ジャンプ+」に載せた全143ページからなる長編読み切りを押山清高がアニメ化。小学4年生の藤野と不登校の京本の女子二人が、切磋琢磨して一緒に漫画を描いて行く人生が描かれる。

コンビで漫画を書く人と云えば誰だって真っ先に藤子不二雄をあげるとおもう。その藤子不二雄の自伝的漫画が1977年から1982年に「週刊少年キング」で連載された「まんが道」で、当時、一番マイナーな漫画誌の「週刊少年キング」を毎週買って楽しみに読んでいた。

「まんが道」が面白かったのは、主人公の満賀道雄と才野茂がいろいろな成功、失敗を繰り返しながら漫画家として大成して行く過程が面白いこともさることながら、一緒にストーリーを考えて、手分けして絵を書いていく合作と云う作業がとても興味深かったのもその一因だった。二人して好きなことに打ち込み、徹夜で締切りを間に合わせたあとの達成感は、二人分以上の大きな清々しさを感じることができてしまった。

あれから、あんまりコミックを読まなくなってしまったのだけれど、ふとして見たTVアニメの「バクマン。」に目が止まってしまった。これも二人の少年がコンビを組んで漫画家を目指していくストーリーで、コミックを後から買って読むほどにすっかりはまってしまった。そこに「まんが道」と同様に、共同作業が見せる「1+1=2」以上の高揚感を見てしまった。

こんな流れから『ルックバック』も、そりゃツボにはまらないわけは無かった。映画好きからすれば、過去の映画の名シーンを彷彿とさせるカットをさりげなく入れてくるのも良かった。藤野が無理やり京本の手を引きながら走って振り返るシーンはとても映画的で、この構図は原作にもあるんだろうか? あるとしたら、藤本タツキはだいぶいろいろな映画を見ている。

「まんが道」の満賀道雄と才野茂は絶えず映画館に足を運んでいた。それはおそらく手塚治虫の名言「君たち、漫画から漫画の勉強をするのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」から来ていたとおもう。藤本タツキ原作の『ルックバック』はそこに繋がった。

→押山清高→(声)河合優実→「ルックバック」製作委員会/2024→MOVIXさいたま→★★★★

監督:リー・アイザック・チョン
出演:デイジー・エドガー=ジョーンズ、グレン・パウエル、アンソニー・ラモス、ブランドン・ペレア、モーラ・ティアニー、サッシャ・レイン、ハリー・ハデン=ペイトン、デヴィッド・コレンスウェット、トゥンデ・アデビンペ、ケイティ・オブライアン、ダリル・マコーマック、ニック・ドダーニ、キーナン・シプカ、デヴィッド・ボーン
原題:Twisters
制作:アメリカ/2023
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/twisters/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

『スピード』のヤン・デ・ボンが監督し、マイケル・クライトンが脚本を担当した『ツイスター』(1996)が面白かったのは、地球温暖化が次第に問題となりはじめた頃の気象災害映画であって、想像を絶する強烈な気象現象が身に迫りつつあるときの映画だったからだった。その『ツイスター』から28年。現実として日本でも、毎年の夏に起こる線状降水帯による大雨が身近の恐怖として切迫していているなかで、そのリメイクとも云えるリー・アイザック・チョン監督の『ツイスターズ』が作られた。

『ツイスターズ』では前回の『ツイスター』の設定を引き継ぎつつも、竜巻の観測データを取るだけでなく、竜巻そのものを消滅させることにトライするチームの姿を描いていた。その方法とは、竜巻の中心に入り、紙おむつなどに使われる高分子吸収ポリマーを大量に巻き上げさせて水分を奪って消滅させるという方法だった。こんなことは可能なんだろうか? たぶん、だいぶ無理があるとおもう。

そこで、気象予報士が本気で考えた方法が以下のサイトにあった。
https://tenki.jp/suppl/tenkijp_pr/2024/07/30/32475.html#sub-title-b

竜巻を倒す方法その1「竜巻上部をレンジでチン?!マイクロ波を照射し加熱する」
竜巻を倒す方法その2「-196℃の液体窒素で竜巻下部を冷却する」
竜巻を倒す方法その3「数百万台の扇風機で地上付近の風の収束を抑える」
竜巻を倒す方法その4「巨大な刃物で竜巻を分断する」

現実には不可能だが、理論上は可能と思われる方法らしい。

となると、海面温度を下げて、巨大台風を弱める方法も理論上はあるんだろうなあ。人間の勝手で、そこまで自然の摂理に逆らっていいものか難しいところだけれど。

『ツイスターズ』で描かれる方法は荒唐無稽だったかもしれないけれど、映画は面白ければ何でもOKだ。最新のVFX技術もあって、夏休みの映画としては大満足なディザスター(災害)映画だった。

→リー・アイザック・チョン→デイジー・エドガー=ジョーンズ→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:レイチェル・ランバート
出演:デイジー・リドリー、デイブ・メルヘジ、パーベシュ・チーナ、マルシア・デボニス、ミーガン・ステルター、ブリタニー・オグレイディ
原題:Sometimes I Think About Dying
制作:アメリカ/2023
URL:https://sometimes-movie.jp
場所:新宿シネマカリテ

「スター・ウォーズ」シリーズのデイジー・リドリーがプロデュースも手掛けた映画『時々、私は考える』を観た。まったく視界に入っていなかった映画だけれども、券が余ってしまったと云う知り合いから譲り受けて一緒に観に行った。

まったくどんな映画かもわからずに観に行ったときには、この映画の舞台はどこだろう? の楽しみがある。ファーストシーンに映った景色は、港のある、どんよりとした風景だった。たしかアメリカ映画のはずなので、おそらくアメリカの北西か北東ではないかと推測した。映画を観て行くうちに、次第にシアトル方面であることがわかって来る。正解はオレゴン州アストリアだった。アストリアを云えばリチャード・ドナー『グーニーズ』(1985)の舞台だ。

その静かな港町に暮らすフラン(デイジー・リドリー)は、職場と自宅を往復するだけの内向的な女性。人付き合いが苦手な彼女の唯一の楽しみは、幻想的な「死」の空想にふけることだった(原題はここから来ている)。ある日、職場に新しい同僚ロバート(デイブ・メルヘジ)が加わり、映画好きな彼と映画館へ行くことになって、次第に生活に変化が兆していく。

2時間超えの展開の早いアメリカ映画ばかり続けて観ていると、93分の静かな映画はほんとに新鮮に見えて、気持ちがスッと安らぐのがよくわかる。朝、職場へ行って、パソコンの前にずっと座って、あまり同僚と物理的にコンタクトする必要もなく(チャットやメッセージ充分だ!)黙々と仕事をこなす環境って、もしかすると自分にとっても理想の環境だったんじゃないかとおもえるほどの落ち着きをもたらしくれる映画だった。大きな窓から港湾のクレーンが見えるのも理想的だ。

最終的にフランの意識が大きく変化することは無かったけれども、でも、小さな変化の兆しが見えたことが重要だった。ドラマティックな映画ばかりのなかで、小さな変化を楽しむ映画もとても大切だった。

→レイチェル・ランバート→デイジー・リドリー→アメリカ/2023→新宿シネマカリテ→★★★☆

監督:グレッグ・バーランティ
出演:スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、ウディ・ハレルソン、レイ・ロマーノ、ジム・ラッシュ、アンナ・ガルシア、ドナルド・エリース・ワトキンズ、ノア・ロビンズ、コリン・ウッデル、クリスチャン・ズーバー、ニック・ディレンバーグ、コリン・ジョスト
原題:Fly Me to the Moon
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.flymetothemoon.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

フィリップ・カウフマン監督がトム・ウルフの原作をもとに撮った『ライトスタッフ』(1983)は、実在の戦闘機パイロット、チャック・イェーガーが音速の壁に挑戦し続ける姿を軸として、そこから有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」に参加する7人の宇宙飛行士(最初の7人)へと受け継がれて行く「ライトスタッフ(正しい資質)」を描いていた。その最初の7人(マーキュリー・セブン、オリジナル・セブン)とは、アラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、スコット・カーペンター、ウォーリー・シラー、ゴードン・クーパー、ディーク・スレイトンで、この中でただ一人、ディーク・スレイトンだけは心臓の動きに心房細動が見つかり宇宙に飛ぶことは出来なかった。

グレッグ・バーランティ監督の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』に出てくるNASAの発射責任者コール・デイヴィス(チャニング・テイタム)は、元戦闘機パイロットで宇宙飛行士を目指していたが心房細動が見つかったために断念。NASAの発射責任者として担当したアポロ1号では発射予行演習の際に発生した火災により、ガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー の3人を亡くしてしまう。と云う経歴は、そのままぴったりでは無いけれどもディーク・スレイトンを重ね合わせていた。

もう一人の主人公であるケリー・ジョーンズ(スカーレット・ヨハンソン)はPRマーケティングのプロで、人々の関心が泥沼化したベトナム戦争へと向いて、やたらとお金のかかるアポロ計画に疑問を持ち始めた風潮のなかで、アポロ計画のイメージアップをはかるために雇われる人物だった。こちらのモデルは、アポロ11号の月面着陸船「イーグル」にテレビカメラを搭載することを主張した広報専門家のジュリアン・シェア(https://en.wikipedia.org/wiki/Julian_Scheer)だそうだ。

そして、その世界各国に生中継された月面着陸の映像はフェイク映像だったのではないか、と云う昔からある疑惑もストーリーに入れて、アポロ11号にまつわる様々なコンテンツを盛り込んだ映画がこの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』だった。

アポロ計画の映画を観ると、どうしてもそのベースにフィリップ・カウフマンの『ライトスタッフ』を見てしまう。つまり「ライトスタッフ(正しい資質)」とはなんだろう? に行き着いてしまう。今回の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』もコール・デイヴィス(チャニング・テイタム)に最初の7人のディーク・スレイトンを感じるので、そしてアポロ1号で犠牲となってしまう最初の7人のガス・グリソムへの追悼も見えるので、彼のパートでは「ライトスタッフ(正しい資質)」を見ることができた。でも、ケリー・ジョーンズ(スカーレット・ヨハンソン)のパートはだいぶコメディへ寄っているので、そこまで「ライトスタッフ(正しい資質)」を求めずに、最後にはケリー・ジョーンズにもその資質が備わっていることがわかるのだけれど、ゆるりと笑いながら見る映画にはなっていた。

とは云え、もうちょっと巧くまとめられたんじゃなかったのかなあ、のおもいは強い。それに“Fly me to the moon”の曲はフランク・シナトラのバージョンじゃなきゃダメだよね。

→グレッグ・バーランティ→スカーレット・ヨハンソン→アメリカ/2024→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

監督:トッド・ヘインズ
出演:ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、チャールズ・メルトン、コーリー・マイケル・スミス、パイパー・カーダ、D・W・モフェット
原題:May December
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/maydecember/
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

1997年2月26日、小学校教師であったメアリー・ケイ・ルトーノーは小学6年生の教え子ヴィリ・フアラアウと関係を持ったことにより逮捕された。メアリーは児童レイプの罪を認めて服役し、約1年後の1998年1月1日に再犯の危険性は少ないと判断されて仮釈放される。しかしすぐさまその教え子と関係を持ったことがわかり、教え子には会わないという仮釈放の条件に違反したことから刑務所に戻される。その後、2004年8月4日に仮出所し、2005年5月20日にはその教え子ヴィリ・フアラアウと結婚することになる。

この事件をモチーフに作られた映画がトッド・ヘインズ監督の『メイ・ディセンバー ゆれる真実』だった。「メイ・ディセンバー」とは「親子ほど年の離れたカップル」を意味する。

この映画の脚本(サミー・バーチ)がすごいのは、単純に事件を時系列に追って行くのではなくて、少年だったジョー(チャールズ・メルトン)が36歳になっているところから映画がはじまっているところだった。この36歳と云う年齢は、13歳だったジョーが関係を持った年上の女性グレイシー(ジュリアン・ムーア)の当時の年齢だった。つまりこの映画は少年だったショーが36歳になり、年上の女性グレイシーが59歳になった時点での結婚生活を描いていた。

さらにこの映画を重層的にしているのは、ジョーとグレイシーの関係を映画化するにあたってグレイシー役を演じることになったエリザベス(ナタリー・ポートマン)が二人の家に取材に来ることも同時に描いている点だった。23歳も離れた年下の少年と関係を持ってしまうグレイシーと云う女性の内面を理解しようとする過程を、一人の女優の目を通して見ることによって、映画を観ている我々の理解への手助けにもなっている。

しかし、グレイシーと云う女性を理解するのは到底無理だった。36歳女性と13歳少年の間の恋愛だったのか、年上女性による小児性愛だったのか、トッド・ヘインズ監督も明確な解答を用意しているわけではなくて、エリザベスと云う女優が導き出した解答を描いているだけだった。

この時点での二人の結婚生活も形骸化しているように見えてしまって、それは普通の結婚にもよくある倦怠期なのか、それとも二人のあいだに恋愛関係があったと自分たちにも納得させるためだけの結婚だったのか、それもよくわからない。ただ、ジョーの表情が絶えず虚ろなことと、グレイシーが時折見せる精神的な不安定さは、最初からこの結婚生活には無理があったんじゃないかと想像することはできる。そして、いつまで経っても完成しない庭に建設中のプールも、あるべきピースが欠けている不安を象徴しているようにも見えてしまった。

最後、エリザベスは映画での演技へと向かうが、おそらくはグレイシーの内面を正確に演じることは無理だとおもう。それは取りも直さず、この映画でグレイシーを演じているジュリアン・ムーアにも云えてしまうのが、この映画の面白い部分だった。

もちろん、元の事件にインスパイアされたまったくのフィクション映画ではあるのだけれど、このような構造にすることによってまだ存命の関係者に配慮しているようにも見えて、そこがとても良かった。

→トッド・ヘインズ→ナタリー・ポートマン→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★

監督:代島治彦
出演:樋田毅、青木日照、二葉幸三、藤野豊、永嶋秀一郎、林勝昭、岩間輝生、吉岡由美子、大橋正明、臼田謙一、野崎泰志、岡本厚、冨樫一紀、石田英敬、池上彰、佐藤優、内田樹、鴻上尚史(以下、ドラマパート)望月歩、香川修平、高橋陸生、桝屋大河、相原滉平、石川真也、琴和、黒川大聖、黒澤風太、小林示謡、佐々木隼、高橋雅哉、谷風作、原田開、半田貴大、久門大起、峰岸航生、山崎一汰、渡辺芳博、佐藤拓之
制作:スコブル工房/2024
URL:http://gewalt-no-mori.com/#modal
場所:ユーロスペース

1972年(昭和47年)11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで第一文学部2年生の川口大三郎(当時20歳)が革マル派によるリンチによって殺害された。この事件は学生運動の終焉期に起きた各党派間による「内ゲバ(内部ゲバルト)」と呼ばれる暴力抗争の一つだった。なぜ、このような「内ゲバ」が起きたのか? 当時の関係者による証言と鴻上尚史演出による川口大三郎が殺される再現ドラマによって検証を行ったのが代島治彦監督の『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』だった。

1972年当時、小学生だった自分にとって、あさま山荘事件のことはよく覚えている。それは教室にあったテレビで実況中継されてたからだった。でも、同時期に起きていた革マル派と中核派による暴力抗争のことは、たとえニュースを見ていたとしても、小学生ぐらいの知識では理解できていなかった。

こうやって、ドキュメンタリー映画などで当時の暴力的な学生運動のことを検証させられたとしても、子どものころと同様にやっぱり意味がわからなかった。もちろん根本的な学生運動である、たとえば学生自治を求める運動、反戦運動、反差別運動、学費値上げ反対運動などを行おうとする学生が出てきたことは理解できる。その運動を行う上で、考え方の違いが生まれて分派が出来てしまうのもわかる。でも掲げるイデオロギーが同じなのに、その方法に違いがある人たちを叩こうとする、しまいには殺そうとすることに何の意味があるのかさっぱりわからない。

この映画を観て、何が起きていたかの事実はよくわかった。ただ、残念なのは、革マル派、中核派の、もっと中枢にいた人物たちの「総括」みたいなものが無いとやっぱりその本質を理解することは難しい。刑務所に入っていたり、亡くなっていたり、逃亡中であったりと、それを行うのは大変だろうけれど。

→代島治彦→樋田毅→スコブル工房/2024→ユーロスペース→★★★

監督:マイケル・マン
出演:アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シェイリーン・ウッドリー、サラ・ガドン、ジャック・オコンネル、パトリック・デンプシー、ガブリエル・レオーネ
原題:Ferrari
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.ferrari-movie.jp
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創業者エンツォ・フェラーリを描くにあたって、監督のマイケル・マンは1957年のミッレミリアの公道自動車レースを彼の人生の大きな分岐点としてストーリーの中核に持ってきた。

1957年当時のエンツォ・フェラーリは、前年に長男のディーノを亡くしたことから妻ラウラとの間に亀裂が入り、戦時中からの付き合いである愛人リナ・ラルディのことが妻にばれて、そのリナ・ラルディとのあいだに生まれたピエロの認知問題もあって、私生活においてはのっぴきならない状況に追い込まれていた。さらに会社の経営面でも販売台数が伸び悩み、フォードかフィアットの支援を得なければならない状況に追い込まれていて、なんとしてでもレースで優勝してフェラーリの名を高めたかった。

このような負の事象が次々と重なってわだかまった結果、そのパワーがミッレミリアのレースへの過度な期待へと変換されて、アルフォンソ・デ・ポルターゴが運転するするフェラーリ335Sが公道脇で観戦していた子供5人を含む観客9人を巻き添えにする大事故へと大爆発して帰結するスムーズな映像表現はさすがマイケル・マンだった。アルフォンソ・デ・ポルターゴの遺体が真っ二つになって転がっている(事実そうだったらしい)いる映像はそのピークに位置させる衝撃的な映像として脳裏に焼き付くほどだった。

ただ、クルマ好きからすると、レースシーンはダメだったらしい。クルマ系YouTuberのウナ丼さんがそうXでつぶやいていた。

クルマが詳しくない自分からするとさっぱりわからなかったけれど。

→マイケル・マン→アダム・ドライバー→アメリカ/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★