ファースト・マン

監督:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー、コリー・ストール、クリストファー・アボット、キーラン・ハインズ
原題:First Man
制作:アメリカ/2018
URL:https://firstman.jp
場所:池袋HUMAXシネマズ

トム・ウルフが「ザ・ライト・スタッフ」でアメリカにおける宇宙計画の最初の七人(アラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、ゴードン・クーパー、ウォルター・シラー、スコット・カーペンター、ディーク・スレイトン)の功績を描いたあとに、そのエピローグで「つぎの九人」と表現したジェミニ計画以降の宇宙飛行士たちが受けるだろう大衆の変化(つまり熱狂が過ぎ去った後のシビアな感情の芽生え)についてさらりと触れていた。そこを読んだときに、すでに月面着陸成功の大熱狂のニュースしか知らない自分にとっては、その意味することが何なのかいまいちピンとこなかった。

デイミアン・チャゼル監督が撮った人類初の月面着陸を成功させたニール・アームストロングの映画を観て、ああ確かに、相次ぐ実験の失敗、宇宙飛行士の死、湯水のように使うお金、そしてさらにベトナム戦争の泥沼化、公民権運動の激化などの時代背景から、すでに宇宙飛行士たちが受けるだろう風が逆風に転じていることをトム・ウルフの文章から察するべきだった。

だからトム・ウルフの原作を映画化したフィリップ・カウフマンの『ライトスタッフ』がチャック・イエーガーを崇める七人の使徒のような寓話として宇宙計画を描いていたのに対して、今回の『ファースト・マン』がやたらと暗く、精神的に圧迫されていて、閉塞感が漂う映画になるのは当然のことだったのかもしれない。『ライトスタッフ』が大好きな自分にとっては、その落差を埋めるのにちょっと苦労したけれど、ああでも、これはこれでとても面白かった。

アポロ11号の成功があまりにも出来すぎていたので、本当に成功していたのか? の陰謀論が出てしまうのもうなづけてしまう。当時はそれだけアポロ計画への風当たりは強く、成功せざるを得ない状況に追い込まれていた。そんな中で月面着陸を成功させたニール・アームストロングの凄さは計り知れない。デイミアン・チャゼル監督はニール・アームストロングの孤独な戦いを彼の規格外の人間的性も含めてよく描いていた。

→デイミアン・チャゼル→ライアン・ゴズリング→アメリカ/2018→池袋HUMAXシネマズ→★★★★

監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:オリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ、ニコラス・ホルト、ジョー・アルウィン、マーク・ゲイティス、ジェームズ・スミス
原題:The Favourite
制作:アイルランド、イギリス、アメリカ/2018
URL:http://www.foxmovies-jp.com/Joouheika/
場所:Movixさいたま

ヨルゴス・ランティモスの映画はいつも人間の不気味さ、気持ち悪さを前面に押し出してくる。不快感を感じずにはいられない描写が多い。でも、実際の人間が綺麗なものかと云えば、よくよく考えるとそうじゃない。汚いものだ。その汚いものを直視させてくれているわけだから、感謝しこそすれ嫌悪すべきではない、とはおもう。映画を観ると云う行為は、汚い現実を逃避するために綺麗なものだけを観たいと云う側面は確かにあるのだけど、そればっかりだと飽きてしまうので、ヨルゴス・ランティモスの映画のようなものが時にはあるとすこぶる面白く感じてしまう。

『女王陛下のお気に入り』のオリヴィア・コールマンが演じたアン女王も醜かった。感情の起伏が激しく、肥満のうえに痛風持ちで一人では十分に歩けず、6回の死産、6回の流産を経験したことからか精神的にも破綻をきたしているように見える人物だった。まさに、ヨルゴス・ランティモスが題材に選ぶにふさわしい人物で、オリヴィア・コールマンにとってもアカデミー主演女優賞を獲るためにあるようなおいしい役柄だった。

なぜだか嘔吐のある映画に面白い映画が多く、誰だかTwitterで「ゲロ映画にハズレなし」と云っていたことに全面的に同意したのだけれど、この映画もそうなるかとおもいきや、ああ、やっぱりエマ・ストーンが個人的にダメだ。いや、この役柄はもっと華奢で可憐だけど野心むき出しのギャップを出せる女優のほうがが良かったんじゃないかなあ。エル・ファニングとか。

→ヨルゴス・ランティモス→オリヴィア・コールマン→アイルランド、イギリス、アメリカ/2018→Movixさいたま→★★★☆

競馬場

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:ニューヨーク・ベルモント競馬場のひとびと
原題:Racetrack
制作:アメリカ/1985
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

競馬の世界をカメラへ収めようとしたときに、馬の交尾からはじめるのは交配こそがすべての競馬の世界(ゲーム「ダービースタリオン」で習った)では当然のことかもしれないけれど、フレデリック・ワイズマンはそこから入るのか、と驚いたと同時に嬉しくなってしまった。そう考えると、競馬の世界にはさまざまな人たちが数多く関わっていて、大きなお金が動く世界だからこそ政治的な人々も登場してきて、1976年の『肉』や1980年の『モデル』とはまた違ったビッグビジネスを描いた業界ドキュメンタリーだった。おそらくは日本の競馬の世界もアメリカのものとそんなに違わないんじゃないかともおもえて、そこにもまたフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーの時代や場所を超越した普遍的な側面も見えて面白かった。

→フレデリック・ワイズマン→ニューヨーク・ベルモント競馬場のひとびと→アメリカ/1985→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

少年裁判所

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:テネシー州メンフィスにあるメンフィス少年裁判所616のひとびと
原題:Juvenile Court
制作:アメリカ/1973
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

今回のフレデリック・ワイズマンはテネシー州メンフィスにある少年裁判所が舞台。そのカメラに映る少年、少女たちは一様にしてどこか弱々しく、責任をたえず誰かに転嫁していて、しっかりと地に足がついている感じのしない幽霊のような人間ばかりだった。これって、最近の日本のニュースに登場する少年、少女の犯罪者とまったく同じなんじゃないかと考えてしまう。場所や時代や人種や宗教が違えども、少年犯罪の多くの原因が肉親との関係にあるのだろうから、アメリカでも日本でも少年犯罪者の心理には共通のものがあるのかもしれない。そう考えると、やはりフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーは、どの国のどの時代に観ても、その時々の社会問題にぴたりと寄り添ってくる。この凄さをどのように表現して良いかもわからないほどにスゴイ!

→フレデリック・ワイズマン→テネシー州メンフィスにあるメンフィス少年裁判所616のひとびと→アメリカ/1973→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

ボクシング・ジム

監督:フレデリック・ワイズマン
出演:テキサス州オースティンにあるボクシング・ジム「ロード・ジム」のひとびと
原題:Boxing Gym
制作:アメリカ/2010
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

昨年から続いてきたアテネ・フランセ文化センターでの「フレデリック・ワイズマンの足跡」も終盤に近づいてきて、今までに観たフレデリック・ワイズマンの映画は全部で何本になるんだろうと数えたら、今回の『ボクシング・ジム』も含めてまだ19本しか観ていない。数えると2017年の『エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館』までに44本も撮っているわけだからまだ半分も観ていないことになる。ああ、もっと観る機会が増えたらなあ。できればNetflixにあると嬉しいんだけど、配信で自作が見られることをはたしてフレデリック・ワイズマンが許してくれるかどうか。

フレデリック・ワイズマンの『ボクシング・ジム』に出てくるテキサス州オースティンにあるボクシング・ジムは、壁にオスカー・デ・ラ・ホーヤやロベルト・デュランのポスターがかかっていて、おそらくは古くから営業をしていることがよくわかるオープニングからはじまる。そこでの風景は、ボクシングならばまずは対戦を見たいとおもう我々の欲求を軽くいなして、少なくともスパーリングぐらいは見せてくれるんだろうと云う欲求もほんのちょっぴりしか実現してくれなくて、ただただ、たんたんと練習風景を追いかけたドキュメンタリーだった。

フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画は、この単調ともおもえる練習風景を繰り返し見せることで、まるでそこにいる感覚を我々に次第に覚えさせていって、映画を観ている時間や空間がそのままその当時のボクシング・ジムの時間や空間と同調してしまう恐ろしさ(楽しさ)にあることがまたはっきりとこの映画で認識させてくれた。

さあ、次は1973年の『少年裁判所』にトリップしよう。

→フレデリック・ワイズマン→テキサス州オースティンにあるボクシング・ジム「ロード・ジム」のひとびと→アメリカ/2010→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

監督:イングマール・ベルイマン
出演:ハリエット・アンデルセン、グンナール・ビョルンストランド、マックス・フォン・シドー、ラーシュ・パッスコード
原題:Såsom i en spegel
制作:スウェーデン/1961
URL:
場所:新文芸坐

はじめてのイングマール・ベルイマンの映画はテレビ(たしかNHK教育)で見た『秋のソナタ』だった。そこで見せられた母娘のあいだで起こる確執のありさまはどんなホラー映画よりも怖かった。身内だからこそ放つ辛辣な言葉による罵り合いを、映画を観ているものの心に響くほどに映像化出来る監督の手腕にびっくりした。その後に観た『叫びとささやき』『ファニーとアレクサンデル』『ある結婚の風景』も『秋のソナタ』と同じように家族や夫婦の関係を鋭くえぐる映画で、自分にとっては生涯のベストにしても良いくらいの映画ばかりだった。

それからイングマール・ベルイマンに興味を持って過去の映画をさかのぼってみると、例えば『野いちご』とかを見てみると、今まで見てきた後期のベルイマンの映画とはちょっと様子が違う。人間を描いていることには変わりはないのだけれど、そこには日本人にはわかりにくい宗教色が濃く反映していて、なおかつ信仰への葛藤などもストーリーのベースとなっているので、何度も咀嚼して見ないと理解することの難しい映画ばかりだった。

そんな中で、やっと後期のベルイマン映画の原点とも云える映画に出会った。それがこの『鏡の中にある如く』だった。作家である父親と娘と息子、そしてその娘の夫だけが登場するこの映画は、おだやかに見える家族関係の中に潜む愛憎が次第に浮き彫りになって、それが細かく衝突して行きながら最後には大きな爆発となって終曲を迎えてしまうストーリーで、これはまさに『秋のソナタ』だった。登場人物が4人だけと云う、舞台劇さながらの凝縮した人間描写も後期のベルイマンの映画に通じていた。

こうやってベルイマンの映画のことを考えていると、そう云えばポール・トーマス・アンダーソンの映画が好きな点もこれと似通っているなあ、とおもいだした。ベルイマンとポール・トーマス・アンダーソンを結びつけている評論を読んだことはないけど、うん、二人は似ているとおもう。愛憎があってこそが正しい人間関係なんだとおもいださせてくれる映画作家が大好きだ。

→イングマール・ベルイマン→ハリエット・アンデルセン→スウェーデン/1961→新文芸坐→★★★★

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ヴァルベルイ、グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ペテルソン
原題:Jungfrukällan
制作:スウェーデン/1960
URL:
場所:新文芸坐

もし自分が信仰に篤くて日々の精進も怠らないのに酷い災難に会ってしまったとしたら、神が試練を与えてくださっているんだわ、なんてことを云えるほどの人間に果たしてなれるのかどうか。一回きりの災難だけならまだしもそれが何度も続いたとしたら、確実に「神の沈黙」を呪うに違いない。『処女の泉』のマックス・フォン・シドーのように、娘がレイプされて殺されたのなら、信仰的には許されない復讐を誓うに違いない。

神よ、それでも黙っているのか。

ベルイマンの初期の映画はそれに尽きるとおもう。信仰心も何も無い自分なのにいつもそれを考えてしまう。

もし自分が何かしらの宗教を信仰するとしたら、奇跡を行ってもらうためではなくて、日々の生活を律するための拠り所にするためだけだろうなあ。

→イングマール・ベルイマン→マックス・フォン・シドー→スウェーデン/1960→新文芸坐→★★★☆

第七の封印

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、グンナール・ビョルンストランド、ベント・エケロート、ニルス・ポッペ、ビビ・アンデショーン、グンネル・リンドブロム、ベティル・アンデルベルイ、オーケ・フリーデル、インガ・ジル、モード・ハンソン
原題:Det sjunde inseglet
制作:スウェーデン/1957
URL:
場所:新文芸坐

映画館で『第七の封印』を観るのはこれで2回目。2回も観れば映画への理解が深まったかとおもえばそうでもない。やはり難しい映画だった。

最初の感想→ https://www.ag-n.jp/wp/?p=206

でも最近、自分の人生にひしひしと「死」が近づいていることを実感させられる出来事が増えてきて、1回目に観たときよりもより鮮明な映画になってきているような気がする。もし自分に「死」が迫ってきたら、マックス・フォン・シドーのようなチェスの試合で時間稼ぎをするようなことはせずに、すんなりと死神に手を引かれて死のダンスを踊りたいとおもう。

→イングマール・ベルイマン→マックス・フォン・シドー→スウェーデン/1957→新文芸坐→★★★☆

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、イングリッド・チューリン、ナイマ・ウィフストランド、グンナール・ビョルンストランド、ベント・エケロート、ビビ・アンデショーン、エルランド・ヨセフソン
原題:Ansiktet
制作:スウェーデン/1958
URL:
場所:新文芸坐

イングマール・ベルイマンの映画を好きだと云っておきながら初期の作品をあまり観ていない。なので、昨年のYEBISU GARDEN CINEMAで行われた「ベルイマン生誕100年映画祭」でのデジタルリマスター版で彼の初期作品を拾っておきたかったのだけれど、悲しいかな、もう恵比寿に行く気力がなかった。まあ、いつかは名画座を巡回してくれるだろうとおもっていたら、今回、池袋の新文芸坐で上映がはじまったのでさっそく観に行った。

ベルイマンの初期の映画は、その宗教的な内容を理解することはなかなか難しい。今回の『魔術師』は、オカルト的な古臭い出し物が時代と合わなくなってしまっている魔術師一座を「キリスト教」と見立てて、それを嘲笑っている科学者や警察署長たちを「無神論者」と見れば、そのどちらをも笑っているような喜劇として捉えることができるのだろうけれど、その喜劇を心底から笑えるのはベルイマンと同じように幼い頃から宗教が生活の場にあったものだけなんだろうとおもう。宗教とのかかわり合いの薄い日本人にはなかなか笑うことができない。笑えるとしても本題を彩っている装飾的な部分だけだった。

自分にとって手がかりがあるとすれば、社会を構成する上での「宗教」の存在を肯定しながらも、それを自分が「信心」することは到底できない、というジレンマくらいかなあ。そんなの、ベルイマンのキリスト教に対する葛藤に比べたら、小さい、小さい。

→イングマール・ベルイマン→マックス・フォン・シドー→スウェーデン/1958→新文芸坐→★★★☆

天才作家の妻 40年目の真実

監督:ビョルン・ルンゲ
出演:グレン・クローズ、ジョナサン・プライス、クリスチャン・スレーター、マックス・アイアンズ、ハリー・ロイド、アニー・スターク、エリザベス・マクガヴァン
原題:The Wife
制作:スウェーデン、イギリス、アメリカ/2017
URL:http://ten-tsuma.jp
場所:MOVIXさいたま

映画のストーリーは、もちろん何も知らずに観るに越したことはない。どんな展開になっていくんだろう? のゾクゾク感こそが映画の醍醐味の一つだからだ。しかし今のインターネット、SNS時代では、すべての情報をシャットアウトすることはとても難しいので、まあ、ある程度の情報流出は致し方ないとおもっている。目くじらを立ててネタバレだ!と叫ぶようなことも馬鹿らしいとおもっている。でも、邦題の副題にネタバレをしちゃうのって、どうなんだろう? 映画のタイトルに「40年目の真実」とあれば、その真実が何であるのかと身構えてしまって、ある程度のストーリーの予測がついてしまう。原題の「The Wife」は、とてもシンプルなタイトルであるからこそ意味深さがあって、とても良いタイトルだ。なぜ、邦題を「妻」にできないのだろう? 百歩譲って「作家の妻」だなあ。

ビョルン・ルンゲ監督の『天才作家の妻 40年目の真実』は、そんな多少の邦題のネタバレがあったとしても、グレン・クローズとジョナサン・プライスによる特殊な夫婦関係から来る確執が面白く、はたして妻のグレン・クローズは「内助の功」として全面的に納得しているのか、それとも才能がありながら埋もれてしまっている自分に対する不満がくすぶっているのか、そこだけを取ってみても最後まで緊張感が持続している素晴らしい映画だった。

『ガープの世界』のジェニー・フィールズ役以来の付き合いのグレン・クローズが本当に良かった。彼女はまだアカデミー主演女優賞を獲ってないんだよなあ。今年こそは彼女に獲らせてあげたい!

→ビョルン・ルンゲ→グレン・クローズ→スウェーデン、イギリス、アメリカ/2017→MOVIXさいたま→★★★☆