監督:今井友樹
出演:
制作:工房ギャレット/2024
URL:https://studio-garret.com/tsuchinoko/
場所:ポレポレ東中野

今井友樹監督の新作は『おらが村のツチノコ騒動記』。えっ? なぜいま、ツチノコのはなし? との疑問が真っ先にうかぶ。映画を観始めると、今井監督の故郷は岐阜県の東白川村で、全国的にもツチノコの目撃証言が多いところだそうだ。だからツチノコの映画を撮ったのだろうけれど、それでもなお、なぜいま、ツチノコのはなし? の感想は変わらない。

自分にとって「ツチノコ」を知るきっかけとなったのは、少年マガジンに連載された矢口高雄の漫画「バチヘビ」だった。東北地方ではツチノコを「バチヘビ」と云うそうだ。そのころ(1973年ころ)に、第一次? ツチノコブームが起きていた。小学生だったので、少年マガジンの巻頭特集によくあったUFOや雪男やネッシーなどとともに、その存在を疑うことはなくて、自分も発見したくてうずうずしていた。

それから月日が流れて、80年代に第二次ツチノコブームが起きた。今井監督が子供の頃にそのブームに巻き込まれたことが、この映画を作るきっかけだった。でも、ツチノコがいると信じる人たちと距離を取っていた監督が、そこには何かがある、と考えたきっかけは何だったんだろう? おそらくは、情報ばっかりあふれているこの世知辛い世の中への反発だとはおもうので、そこももう少し突っ込んで語って欲しかった。

ツチノコは、ヘビが大きなネズミを飲み込んだものなのか、それとも妖怪のようなものなのか、はたまた集団ヒステリーなのか。個人的には、それがすべて複合された結果ではないかとおもっている。永遠に見つかることは無いのだろうけれど、いるかも知れない、と考えられるゆとりのようなものがこの情報化社会には大切だとはおもう。

→今井友樹→→工房ギャレット/2024→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:濱口竜介
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎
英題:Evil Does Not Exist
制作:NEOPA、fictive/2023
URL:https://aku.incline.life
場所:川越スカラ座

この映画は、『ドライブ・マイ・カー』で作曲を務めた石橋英子が、彼女のライブパフォーマンスのための映像制作を濱口竜介に依頼したことからはじまっている。そこから二人の試行錯誤がはじまり、濱口は「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことを決断。こうして石橋のライブ用サイレント映像「GIFT」と共に誕生したのがこの映画だった。

石橋英子の仕事場は長野県の諏訪地域にあって、そこをたびたび訪れた濱口竜介が石橋の地元の友人たちからその土地の自然の知識を得ることによってこの映画の物語が膨らんでいったらしい。それについての濱口の言及は以下の動画から。

『悪は存在しない』の舞台は、山あいにある架空の町「水挽町(みずひきちょう)」と云う小さな集落。この町の開拓三世の寡黙な男・巧と、その一人娘・花の生活を静かに追いかけながら、東京にある芸能事務所がコロナの助成金を得てグランピング場を作る計画を持ち込んでくる物語と展開していく。

これだけを見れば、自然と共存する町の人々と、利益ばかり追いかける都会の人との衝突、そして理解、融和へと、ガス・ヴァン・サントの『プロミスト・ランド』(2012)のような、よくあるストーリー展開へ向かうのではないかと先読みしてしまう。でも、それだけでは終わらせないラストを濱口竜介は用意していた。

ラストシーンの意味は何なんだろう? その正解を濱口竜介も持っていないようなことを先の動画では云っていた。たぶん、人それぞれ、自由に解釈すれば良いんだとおもう。手がかりとしては、グランピング場が作られる予定の場所は鹿の通り道であること。芸能事務所の担当者が鹿の立場になって考えられないこと。鹿は日本においても「神の使い」であったり「森の守り神」であったりすること。あたりかなあ。

映画を3回観てやっとラストの意味がわかりました! と濱口は観客に云われたそうだ。よし、あと2回観よう!

→濱口竜介→大美賀均→NEOPA、fictive/2023→川越スカラ座→★★★★

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ジェレミー・セオボルド、アレックス・ハウ、ルーシー・ラッセル、ジョン・ノーラン、ディック・ブラッドセル
原題:Following
制作:イギリス/1999
URL:https://following-2024.com
場所:新宿武蔵野館

クリストファー・ノーランの長編処女作が、おそらくは新作『オッペンハイマー』の公開を機にHDレストア版として公開されたので観に行った。

上映時間69分の中編とも云えるこの映画は、クリストファー・ノーランが好んで使う時間軸の錯綜をすでにこの時点で使用していた。彼が映画を撮り始めた最初から、物語が時間軸通りに進んでいくことを拒否していたことがよくわかる。そのため、次作の『メメント』ではこの習作を経て、すぐさま時系列を逆転させる映画を作ったんじゃないかとおもわれる。そしてその傾向は『TENET テネット』で頂点に達する。

クリストファー・ノーランはどうしてそこまで正方向に進む時間を拒否するんだろう?

その解答を探してネットを彷徨うと、クリストファー・ノーランと糸井重里の対談に目が止まった。

https://www.1101.com/n/s/tenet/2020-09-21.html

これは『TENET テネット』公開時のもので、正方向の時間軸を完全に無視した映画を観て興奮した糸井重里の問いにクリストファー・ノーランが答えるかたちの対談になっていた。そこでクリストファー・ノーランは、

観ている人をちょっと混乱に陥れるというか、
そういう狙いが私の作品にはありますね。
そうすることによって、
いつも新しい何かを提供したい。

観ている人を混乱に陥れる方法は、例えばヒッチコックの『サイコ』のようなミステリーやサスペンス映画にはたくさんある。でもクリストファー・ノーランはストーリーのプロットで観客を混乱に陥れると云うよりは、映画を作るときの慣習と云えば良いのか、ルールと云えば良いのか、誰もが正方向に進んでいると考える時間軸を突然前後させたり、まるっきり逆方向にしたりと、時間をいじることによって混乱に陥れようとしている。どうしてそこに注目するのか、その理由がわかるインタビュー記事は見当たらない。

『オッペンハイマー』での時間軸を前後させる方法は、観ているものを混乱させはするものの、オッペンハイマーの苦悩を表現させる方法としてはとても有効だったような気もする。でも『TENET テネット』で時間をリアルタイムに逆転させたのはやりすぎだったような気もする。

自分としては『インセプション』くらいの混乱が一番心地よかった。いろいろクセがあって一筋縄では行かないクリストファー・ノーランだけれど、次はどんな映画を撮るんだろう? の楽しみがあるのは確かなんだよなあ。

→クリストファー・ノーラン→ジェレミー・セオボルド→イギリス/1999→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ワン・ビン
出演:安徽省や河南省などから浙江省湖州の織里に出稼ぎに来た若者たち
原題:青春 春 Youth (Spring)
制作:フランス、ルクセンブルク、オランダ/2023
URL:https://moviola.jp/seishun/
場所:シアター・イメージフォーラム

ワン・ビンが2016年に撮ったドキュメンタリー『苦い銭』の中で、雲南省から浙江省湖州へ出稼ぎに来た15歳の少女シャオミンが1日中ミシンの前で服を縫っている姿が描かれていた。そこで得られる収入は、おそらくはほんのちょっぴり。日本人にとって「Made in China」は安いモノの代名詞で、我々がその価格で得られる代償がここにあるんだと見せつけられてちょっと暗くなった。

ワン・ビンはその『苦い銭』に使ったフッテージだけではなくて、浙江省湖州にある織里(しょくり)と云う町に集まる縫製工場で働く様々な若い人たちを2014年から2019年にかけて撮りためていた。それをまとめたのがこの映画『青春』だった。

『青春』に登場する若い人のほとんどが浙江省のとなりに位置する安徽省というところから来た出稼ぎ労働者だった。安徽省と云われても「あんきしょう」と読むことも出来ないほどに、その土地の情報がまったくなかった。でも、この映画に登場する若い人たちの行動や言動を見て行くうちに、二十歳くらいの年齢にしてはやたらと友人同士とじゃれ合うし、カップルとおぼしき二人の会話も幼いし、社長に賃金の交渉をする手立ても拙いし、彼らの故郷である安徽省と云う土地に素朴な田舎の田園風景を想像してしまった。

『苦い銭』のシャオミンが朝から晩まで働き通しだったことに対して、そこに経済成長を謳う中国の暗部を見たような気がしていたけれど、同じような境遇の若い人たちを数多く追いかけた『青春』に対しては、中国のGDPに見せる数値のまやかしを告発している部分に共感すると云うよりも、どんなところにも人のくらしがあるんだなあ、くらいなペーソスを感じることのほうが大きかった。それはタイトルに「青春」と名付けたことからもワン・ビンの示すメッセージは明らかだった。

自分がやるべき仕事は「世界から見えない人たちの生を記録すること」と云うワン・ビン。今までと同じように中国の市井の人々を撮ることができるのかわからないのだけれど、また日本で上映されることになったら、3時間とか4時間の長さでも、いやいや『死霊魂』のような8時間でも、必ず追いかけたいとおもう。

→ワン・ビン→安徽省や河南省などから浙江省湖州の織里に出稼ぎに来た若者たち→フランス、ルクセンブルク、オランダ/2023→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、デヴィッド・クラムホルツ、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、マシュー・モディーン、ラミ・マレック、トム・コンティ、ケネス・ブラナー
原題:Oppenheimer
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.oppenheimermovie.jp/
場所:109シネマズ菖蒲

今年のアカデミー賞で作品賞を含む最多7部門で受賞を果たしたのがクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』だった。

原子爆弾の開発に携わった物理学者J・ロバート・オッペンハイマーについては、むかしアメリカのVoyager社が作った「The Day After Trinity」と云うCD-ROMの日本語版「ヒロシマ・ナガサキのまえに」制作に携わった(と云うか傍観していた)関係で、そのCD-ROMを作るきっかけとなったジョン・エルス監督の米国PBSで放送されたドキュメンタリー映画『The Day After Trinity -J Robert Oppenheimer and the Atomic Bomb-』を見たことで少しは知っているつもりでいた。

でもこのドキュメンタリーは、オッペンハイマーの原子爆弾開発・製造における関係者の証言に特化していたものだったので、クリストファー・ノーランの映画を観ることによって、オッペンハイマーのパーソナルな部分にも突っ込んだ部分、精神を病んで教授に毒リンゴを食わせようとしたこととか、女にだらしがないとか、その人のベースにある負の部分を知ることができたのは面白かった。

ただ、3時間を通してずっと情報の洪水を受け入れなければならないのには疲れてしまった。時系列を頭の中で整理する余裕も与えられないし、矢継ぎ早に登場する人物が何に携わっているのかも理解できないし、アイソトープの輸出ってなに? 爆弾開発に冶金も関係あるの? の疑問にも立ち止まってはいられない。いやもう、疲れるを通り越して、陶酔してしまった感もある。それはクリストファー・ノーランの『インセプション』や『TENET テネット』に通ずるものがあった。

全体的に見れば、細かいところの理解がぼんやりで良ければ、原子爆弾を作ってしまったオッペンハイマーの苦悩を巧く表現できていた映画だった。それはやはりクリストファー・ノーランの力量によるところは大きいとおもう。

これはもう一度、アマプラやU-NEXTなどの配信で見直さなければ。配信の良いところは、ストップさせたり、戻せたりできるところだ。立ち止まることが映画鑑賞として正しい行為なのかどうかはわからないのだけれど。

→クリストファー・ノーラン→キリアン・マーフィー→アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ローラ・ポイトラス
出演:ナン・ゴールディン
原題:All the Beauty and the Bloodshed
制作:アメリカ/2022
URL:https://klockworx-v.com/atbatb/
場所:MOVIXさいたま

まったく視野に入っていなかったローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』を知人から勧められてなんの情報も入れずに観てみた。

『美と殺戮のすべて』は、写真家ナン・ゴールディンの生い立ちやどのようなキャリアを積んできたのか、そして彼女自身も被害にあった医療用麻薬「オキシコンチン」による中毒蔓延の責任を追及する活動を追ったドキュメンタリーだった。

ナン・ゴールディンのことはまったく知らなかった。考えてみると画家や写真家には興味があるのだけれど、その人たちの情報を入れる窓口があまりにも狭すぎて、それなりに有名な人たちのことも知らないことが多い。この映画で知る限り、ナン・ゴールディンの写真は70年代のアングラっぽいイメージに見えて、撮った写真を自らスライドショーで構成するあたりは、むかし仕事で関わったことのある寺山修司をおもい出してしまった。

ナン・ゴールディンの生い立ちを追ううちに、彼女が大好きだった姉バーバラと母親との確執が見えてくる。母親は一方的にバーバラを統合失調症だと決めつけて施設に入れてしまう。その後、そこでバーバラは自殺してしまう。なぜ、姉は自殺したのか? を調べて行くうちに、精神を病んでいたのは姉ではなく母親ではなかったのか、が見えてくるのがミステリアスで、そこだけ掘り下げても面白いドキュメンタリーになっていたとおもう。でも、このドキュメンタリーの構成としては、複雑な家庭環境があったからこそナン・ゴールディンの過激な写真が生まれて来たとするもので、医者に「オキシコンチン」を処方されてしまうのもその流れの延長線上にあった。

で、この映画のもう一つの大きな柱としてはその「オピオイド鎮痛薬」の一種である「オキシコンチン」中毒が世の中に蔓延してしまった責任を製薬会社パーデュー・ファーマおよびその会社を支配するサックラー家を告発するナン・ゴールディンの活動だった。サックラー家は「オキシコンチン」で儲けたお金をさまざまな有名な美術館に寄付をしていた。そのため、たとえばメトロポリタン美術館ではデンドゥール神殿のあるエリアを「サックラー・ウィング」と名付けられ、ほかにもルーブル美術館やグッゲンハイム美術館など様々なところでサックラー家の名を冠しているものが数多くあった。ナン・ゴールディンたち「P.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now)」と呼ばれる団体は、サックラー家の寄付を受けている美術館で抗議活動を行い、最終的に各美術館から「サックラー」の名前を外すことに成功する。

ナン・ゴールディンの姉のことからはじまったこの映画は、最後、姉についてで終わる。彼女の写真および抗議活動の源流には大好きな姉を失った「痛み」があったからこそだった。両親との折り合いが悪くなった「痛み」もあり、その後の既存のシステムに反発する「痛み」もある。ナン・ゴールディンがオピオイド危機に対抗するために作った団体「P.A.I.N.」は「オキシコンチン」中毒に対する「痛み」だけではなくて、ナン自身のすべての「痛み」も包括的に意味しているように見えてしまった。

たまには気にもとめていない映画を観るのもありだとおもう。まったく知らない世界と出会えるから。

→ローラ・ポイトラス→ナン・ゴールディン→アメリカ/2022→MOVIXさいたま→★★★★

監督:セリーン・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ
原題:Past Lives
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/pastlives/
場所:MOVIXさいたま

『パスト ライブス/再会』を撮ったセリーン・ソンは韓国系カナダ人の監督で、この映画を観たあとに英語版Wikipediaで彼女の経歴を調べたら、なるほど、自分の生い立ちをベースにこの脚本を書いたんだなあ、と云うことがわかった。

セリーン・ソンは韓国に生まれ、12歳のときにカナダのオンタリオ州マーカムに家族とともに移住した。父親のソン・ヌンハンは映画製作者で、その影響からか高校の時にはじめての戯曲を書き、オンタリオ州のクイーンズ大学で心理学を学んだあと、ニューヨークのコロンビア大学で劇作の修士号を取った。2019年にはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるアメリカン・レパートリー・シアターで彼女の戯曲「エンドリングス」が上演されて、2020年3月にはニューヨークシアターワークショップでの上演となり、オフ・ブロードウェイのデビューとなった。私生活では、エドワード・F・アルビー財団が主催するアーティスト・レジデンスで知り合った作家ジャスティン・クリツケスと結婚し、一緒にニューヨーク市に住んでいる。

『パスト ライブス/再会』に出てくるナヨン(のちのノラ、グレタ・リー)の生い立ちはまるっきりセリーン・ソン自身だった。12歳で韓国からカナダに移住し、ニューヨークに出て戯曲を書き、演劇ワークショップで知り合ったアーサー(ジョン・マガロ)と結婚してニューヨークに住んでいる。この自身の境遇をベースとして、12歳で幼なじみで仲良くしていたヘソン(ユ・テオ)との別れ、24歳でオンラインでの再会、さらに36歳(おそらく12歳区切りだったとおもう)でニューヨークで実際に再会すると云うストーリーに仕立てた。

概要だけ聞けば、韓国人の幼なじみとアメリカ人の夫とのあいだで気持ちの揺れる単純なラブ・ストーリーにも見えるけれど、そこは韓国系の監督が書いた脚本なので、日本人にも共通する慎ましさが全体に横たわっていて、はっきりと決めてかかる西欧的なものとは違った静かな映画に仕上がっていた。とくにラストの、韓国に帰ろうとするヘソンを見送るナヨンとのあいだに横たわる距離感を見せるシーンが、キスをするべきではないことを理解している二人の関係性が痛いほど伝わってくるシーンが素晴らしかった。

韓国の映画(今回のは実際にはアメリカ映画だけど)を観ると、日本の映画にもこんな映画が欲しいなあ、とおもうのはもういい加減やめたい。

→セリーン・ソン→グレタ・リー→アメリカ/2023→MOVIXさいたま→★★★★

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ティモシー・シャラメ、ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソン、ジョシュ・ブローリン、オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、デイヴ・バウティスタ、クリストファー・ウォーケン、レア・セドゥ、スエイラ・ヤクーブ、ステラン・スカルスガルド、シャーロット・ランプリング、ハビエル・バルデム、アニャ・テイラー=ジョイ
原題:Dune: Part Two
制作:アメリカ/2024
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/dune-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

ドゥニ・ヴィルヌーヴの最初の『DUNE/デューン 砂の惑星』を観終えて、あまりにも中途半端な終わり方なので、もうちょっと「(知っているけど)これからどうなるんだろう?」の期待感を持たせてよ、との不満たらたらだった。

でも、このままPART2を観ないで終わらせることもできないので、なんとなく惰性で持って映画を観に行った。そうしたら、これが素晴らしい「DUNE」の映像化だった。これだったらPART1で区切らせることなく、155分+166分=321分の映画として上映するべきだった気がする。まあ、ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(316分)やイングマール・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』(311分)のような映画とは違って、興行的に成り立たせなければならない映画としては一気上映は無理なんだろうけれど。

この映画のラスト近く、砂虫から取られた命の水を飲んだポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)は、大人になったポールの妹アリア・アトレイデスのイメージを見る。そのアリアを演じているのはアニャ・テイラー=ジョイじゃないのか? とおもってエンドクレジットを確認したのだけれど、アニャの名前を見つけることは出来なかった。どうやらノン・クレジットらしい。アニャ・テイラー=ジョイをたった数十秒のために使ったとはとてもおもえないので、これはPART3があるんじゃないのか、との期待は膨らんでしまう。でもいまのところ、その予定は無いそうだ。作るんなら、ぶっつり2つに分けること無く、4時間でも5時間でも一つの映画にして欲しいなあ。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→ティモシー・シャラメ→アメリカ/2024→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・タイス、ジェニー・ベス、カミーユ・ラザフォード、ソフィ・フィリエール
原題:Anatomie d’une chute
制作:フランス/2023
URL:https://gaga.ne.jp/anatomy/
場所:MOVIXさいたま

昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを獲ったジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』をなんとなくスルーしそうになったのだけれど、今年のアカデミー賞で脚本賞を獲ったことなどから、やっぱり観ようかな、ってことになった。

ストーリーについては予告編からある程度予想はついていて、妻が夫を殺したのか、あるいは事故死だったのか、自殺だったのか、の法廷劇がメインで、目に障害のある息子が証言台に立たなければならない展開がちょっと目を引く映画ではあった。

この手のジャンルの映画は、昔ならば有罪か無罪かの真実が明らかになる過程が面白かった。ビリー・ワイルダーの『情婦』とか。でも、より複雑化した現在では、有罪、無罪の単純な2つに割り切ることのできない犯罪を描く映画が多くなってきた。この映画でも、たとえ妻(ザンドラ・ヒュラー)に無罪の判決がおりたとしても、すでに夫(サミュエル・タイス)を精神的に追い詰めていたのではないか、との見方も取れるし、夫側にしても夫婦喧嘩を密かに録音していたのは、それを何かしらに利用しようとしていたのではないのか、との疑念も湧くし、単純にどちらか一方だけに咎があると割り切ることのできない映画になっていた。

いつのころからか、たぶんベルイマンの『秋のソナタ』あたりからか、家族や夫婦の辛辣な喧嘩のシーンが好きになってしまった。今回の夫婦による言い争いも、息子がそれを裁判で聞かなければならない心情も加わって、なかなか辛い、厳しい、だからこそ良いシーンだった。でも、夫が密かに録音していたものの証拠開示だったのだから、そこは音だけでも良かったような気もする。再現シーンを入れてしまうと、映画を観ている我々が裁判以上の情報を得てしまうので、特に夫の精神的にやつれている表情を見てしまうと自殺説のほうに寄ってしまうので、そこはもうちょっとぼかしても良かったとおもう。

→ジュスティーヌ・トリエ→ザンドラ・ヒュラー→フランス/2023→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、パティ・ルポーン、ゾーイ・リスター=ジョーンズ、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、カイリー・ロジャース、パーカー・ポージー、ヘイリー・スクワイアーズ、ドゥニ・メノーシェ、マイケル・ガンドルフィーニ、リチャード・カインド
原題:Beau Is Afraid
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/beau/
場所:MOVIX川口

いままでアリ・アスターの作品を『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』と観てきて、映画を楽しみながらも突然起きるとてつもなく残虐なシーンにあまりにも衝撃を受けたので、アリ・アスターの新作と云うだけで、またそのような衝撃的なシーンがいつ起きるのだろうかとドキドキしながら『ボーはおそれている』を観てみた。

おそるおそる映画を観はじめると、最初から残虐的なシーンがありながらも、自分がアリ・アスターの映画をおそれている以上に主人公のボー(ホアキン・フェニックス)がすべてのものに怯えて、小動物のようにビクビクしているので、そこに安心感が芽生えると云うのか、反動で笑ってしまうような気分にさせられてしまった。なるほど、『ボーはおそれている』をホラー・コメディ映画と分類しているのは、そんなところに所以があったのか。

でも、ボーの自律神経が乱れているような状態を3時間も見せられて、それが母親による支配が原因だとわかったとしても、これはいったい何の映画なのだ? の疑問が最後まで残ってしまった。

映画を観終わったあとにYouTubeの町山智浩の解説を見ると、この映画はアリ・アスターがユダヤ人であることからくる宗教的な映画だと云う。ユダヤ社会では母親が子供に対してすべてをコントロールしようとする傾向があるようで、加えてユダヤ教の厳しい戒律を守ることのできない葛藤なども絡んで、複雑性PTSDのような精神疾患を発症してしまった男の映画だと云うことがわかってきた。そこにユダヤ文学で有名なフィリップ・ロスの小説にもインスパイアされたイメージも加わって、日本人にはわかりにくい、得体のしれない映画に出来上がっていた。

まあ、ユダヤ教でなくとも、たとえ日本人であったとしても、親から支配を受けている子供はいるとおもう。最近のNHK「クローズアップ現代」で特集していた親から教育虐待(子どもの心身が耐えられる限界を超えて親が教育を強制すること)を受けている子供なども、おそらくこのボーのような状態なのかもしれない。でも、そのような精神状態を映画で疑似体験させられもなあ。映画がアメリカでコケた理由もわからなくもない。

町山智浩の解説でも云っていたけれど、この映画の脚本が完成したのはもっと前だろうから、アリ・アスター自身にそんな意識はなかったのだろうけれど、いまこの映画を観るとどうしてもボーの母親にイスラエルを重ねて見てしまう。となると、ますます精神的に滅入る映画で、そこはアリ・アスターの真骨頂だった。

→アリ・アスター→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2023→MOVIX川口→★★★☆