監督:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ
原題:탑/Walk Up
制作:韓国/2022
URL:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
場所:シネマ・カリテ新宿

『WALK UP』はホン・サンスの『小説家の映画』に続いての2022年の映画。でも、もうすでに『水の中で』(2023、第24回東京フィルメックスで公開)『우리의 하루(私たちの一日)』(2023)『여행자의 필요(旅行者のニーズ)』(2024)と3本も撮っている。はたして、この多作家の映画を今後も日本で公開し続けられるんだろうか?

『WALK UP』を観はじめて、あれ? 今までのホン・サンスの映画とはちょっと違うな、と云う印象が次第に強くなって行った。どこに違和感を感じるんだろうかと考えてみると、いくつかのパートに分かれているエピソードがすべて独立していて、登場人物が共通しているにもかかわらずストーリーは繋がっていなかった。今までのホン・サンスの映画でも、いくつかのエピソードが時系列に並ばないで前後に錯綜させていることはよくあった。そこに若干の齟齬が見受けられても、ここまでストーリーが繋がっていなかったことは無かったような気がする。

この映画の舞台となるのはあるアパート。1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエで、それぞれの階でのエピソードが展開して行く。その階と階とを結ぶ階段がらせん状になっているので、アパートのオーナーであるヘオク(イ・ヘヨン)が登り降りすることによって他の世界へとスリップすることを意味していたんだろうとおもう。

このようなマルチバースでストーリーが進行することに違和感を覚えたとしても、ホン・サンスの映画のキモは会話劇にあるので、その面白さはまったく変わらなかった。ますます映画監督役のクォン・ヘヒョにホン・サンス自身を投影させている気がする。

次の映画は『水の中で』だけれど、全編をピンボケで撮っていると云われる実験的な映画の日本での本公開はあるんだろうか?

→ホン・サンス→クォン・ヘヒョ→韓国/2022→シネマ・カリテ新宿→★★★★

監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、キャリー・プレストン、ブレディ・へプナー、イアン・ドリー、ジム・カプラン、マイケル・プロヴォスト、アンドリュー・ガーマン、ナヒーム・ガルシア、スティーヴ・ソーン、ジリアン・ヴィグマン、テイト・ドノヴァン、ダービー・リリー、ケリー・オーコイン、ダン・エイド
原題:The Holdovers
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.holdovers.jp/
場所:イオンシネマ浦和美園

いつだったか、マニアックな映画好きから『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(1999)が面白いよ、と云われた。なにその変なタイトル、まったく面白い映画とはおもえない、と云ったら、もちろん原題までがそんなタイトルなわけではなかった。元のタイトルは「Election」。ある高校の生徒会長選挙のはなしで、まだ駆け出しのリース・ウィザースプーンが出ていた。こんなへんちくりんな邦題にもかかわらず、びっくりしたことに勧められたとおりに面白い映画だった。

監督はアレクサンダー・ペイン。主に家族や友人関係の痛いところをついて来るのが巧くて、それはその後の『サイドウェイ』(2004)『ファミリー・ツリー 』(2011)『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013)と、絶えず同じテーマを扱っている監督だった。

新作の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』も、全寮制の寄宿学校で歴史教師をするポール・ジアマッティと、クリスマス休暇中に寄宿舎に残ることになった15歳の学生アンガス(ドミニク・セッサ)との関係に焦点を当てたストーリーだった。

どんな場面でも、自分にとっての「いけ好かないやつ」はいるもので、その人の態度、仕草、発言などにイラッと来てしまって、ああ、この人とは合わないなあ、と判断してしまうことがある。いまのSNSの時代ならばリアルな人付き合い以外にも、その人の表面的な一側面をちらっとネットで見ただけで「いけ好かないやつ」と判断してしまう場面も多くなって来ている。でももし、その人のバックグラウンドを深堀りすることができるのならば、そこに何かしらの理解が生じる可能性はあるんじゃないのか、と云うことを『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は教えてくれたような気がする。情報の切り取りが横行する世の中ならば、その小さな断面の裏にある膨大な背景を察知する感性をもう少しは養うべきなんだろうなあ、と云うことをなんとなくこの映画で教えてもらったような気がする。

そしてこの映画の良かった点をもう一つ。オープニングのユニバーサルのロゴからして70年代映画ふうにしていたところ。まるでフィルム映画のようなノイズと色調(本当にフィルムで撮っていたのか?)、カメラワークも70年代の映画のようににしていたところはびっくりした。ポール・ジアマッティがいなくなったアンガスを探して、寄宿学校の扉をバーンと開けた直後のショット。戸口に立つポール・ジアマッティをアップで撮ったあとにすぐ校庭の全景をいれるほどのロングにズームアウトするシーンは、70年代のなにかの映画(ハル・アシュビー『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971)だったか?)で見た気が、、、、

ラストシーンも、まるっきり70年代の映画だった。考えてみれば、どこかに去って行く人を見守って「THE END」(「THE END」の表記が最近ではありえない)になる映画があまり無くなってしまった。あのひとは今後、どのような人生を送って行くのかなあ、の余韻に浸れる映画を久しぶりに見て涙がでるほど嬉しかった。

→アレクサンダー・ペイン→ポール・ジアマッティ→アメリカ/2023→イオンシネマ浦和美園→★★★★

監督:黒沢清
出演:柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、西島秀俊、ビマラ・ポンス、スリマヌ・ダジ、青木崇高
原題:Le chemin du serpent
制作:フランス、日本、ベルギー、ルクセンブルグ/2024
URL:https://eigahebinomichi.jp
場所:MOVIXさいたま

黒沢清の映画を観て、めちゃくちゃ良かった、ってことは一度もなくて、でもみんなが、知り合いも含めて高評価をする人が多いのでまた観に行ってしまう。そんなことだから、黒沢清の過去の映画を見てなくて、今回の『蛇の道』が1998年に撮った映画のセルフリメイクであることさえも知らなかった。

また観に行ってしまう、ってことは、まったく嫌いなわけではなくて、彼が構築する不気味な世界観はとても好きで、そこになにかあるんじゃないか? とおもわせる演出は見ていてワクワクさせられてしまう。今回の『蛇の道』も、柴咲コウの蛇のような目つきが素晴らしかった。復讐に取り憑かれた狂気を表現するには彼女の目はまさしくぴったりで、この映画を彼女の目で締めくくることほど後を引くことはなかった。

ただ、アクション部分がグダグダだったり、監禁場所はもっとウンコまみれになるべきじゃない? とか、細かいところが気になってしまうのが全面的に好きになれないところなのかもしれない。

と云っても、また次回作は観に行くのかなあ。あ、それよりも1998年の『蛇の道』がAmazon PromeのKADOKAWAチャンネル無料体験で見られるみたい。それを見てみよう。

→黒沢清→柴咲コウ→フランス、日本、ベルギー、ルクセンブルグ/2024→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:イーサン・コーエン
出演:マーガレット・クアリー、ジェラルディン・ヴィスワナサン、ビーニー・フェルドスタイン、コールマン・ドミンゴ、ペドロ・パスカル、ビル・キャンプ、マイリー・サイラス、マット・デイモン
原題:Drive-Away Dolls
制作:アメリカ/2024
URL:https://www.universalpictures.jp/micro/drive-away-dolls
場所:ユナイテッド・シネマ ウニクス南古谷

1940年代から50年代のイギリスで、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーと云うコンビを組む映画監督がいた。代表作は『天国への階段』(1946)『赤い靴』(1948)『ホフマン物語』(1951)などで、どの映画もメルヘンと怪奇的なものがほど良く混在した面白い映画ばかりだった。その後、二人がコンビを解消したあと、マイケル・パウエルは単独で『血を吸うカメラ』(1960)と云うとても暴力的な映画を撮った。そんなことから、今までのコンビの映画で見られた怪奇的な描写はマイケル・パウエルの好みによるものじゃないのか、と和田誠は山田宏一との対談(「たかが映画じゃないか」文藝春秋)で言及していた。

それを読んで、コンビで映画を撮ったときにそれぞれの趣味がしっかりと映画に反映されるものなんだ、とおもったものだった。となると、コーエン兄弟はどうなんだろう?

今回、コーエン兄弟がそれぞれはじめて単独で、ジョエルが『マクベス』(2021)を、イーサンが今回『ドライブアウェイ・ドールズ』(2024)を撮った。だから、この2つを見比べれば、ふたりの好みがわかるんじゃないかと考えた。

ジョエル・コーエンの『マクベス』は、とことん真面目にシェークスピアを映画化していて、今までのコンビの映画に見える文学作品への傾倒は、ああ、ジョエル・コーエンの趣味なのか、と見ることができた。一方、イーサン・コーエンの『ドライブアウェイ・ドールズ』はヘンリー・ジェイムズを引き合いには出すものの、映画としてはとてもエキセントリックなレズビアン二人のロードムービーで、小道具としてディルドが重要だったりと、ああ、なるほど、今までのコンビの映画に見える悪ふざけな部分はイーサン・コーエンの趣味だったのね、と見ることができてしまった。

たった2つの映画で彼らの嗜好を判断するのは拙速かもしれないけれど、それぞれ単独で作った映画が一つの方向にあまりにも振れすぎているので、二人で作った映画のほうがほどよく良いバランスになっているような気がしてしまった。今後はどうするんだろう? バラバラで撮って行くのかなあ。

→イーサン・コーエン→マーガレット・クアリー→アメリカ/2024→ユナイテッド・シネマ ウニクス南古谷→★★★☆

監督:ジョージ・ミラー
出演:アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク、アリーラ・ブラウン、ラッキー・ヒューム、チャーリー・フレイザー、ネイサン・ジョーンズ、アンガス・サンプソン、ジョシュ・ヘルマン、ジョン・ハワード
原題:Furiosa: A Mad Max Saga
制作:オーストラリア、アメリカ/2024
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/index.html
場所:MOVIXさいたま

2015年に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が公開されたとき、映画ファンによって熱狂的に迎えられて、誰もがこの映画に対する評価がすこぶる高かった。そんななか、いや悪くはないんだけどぉ、、、って、口ごもるのは自分だけだった。この取り残され感は、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』のときと同じだった。

どこが引っかかったのか、Amzon Primeでもう一度『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見てみた。今回は吹替版で。

ジョージ・ミラーが1979年に作った『マッドマックス』は、狂気に対抗するには自分も狂気にならざるを得ない主人公の理不尽さを感じながらも、狂気を倒して復讐を達成させたときのカタルシスは気持ちよく、この2つの矛盾が『マッドマックス』を面白くさせていた。1981年の『マッドマックス2』も、マックスの正気を表現する場をまだ残していて、ジャイロ・キャプテンのようなトリックスターも得て、さまざまなキャラクターからむ英雄神話譚として、その後の「マッドマックス」サーガのベースとなるほどの面白さだった。

ところが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では、すべてにおいて狂気が支配していて、マックス(トム・ハーディ)やフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)のバックグラウンドが描かれることも少なく、狂気が狂気を倒すだけの映画になってしまっていたところがちょっと不満だったのかもしれない。イモータン・ジョーやウォー・ボーイズ、ドーフ・ウォーリアー(行軍中に火炎放射器付きのエレキギターを弾く奴)などのビジュアルの素晴らしさは、まったくもって全面的に同意するんだけれど。

今回の『マッドマックス:フュリオサ』は、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ではあまり触れることのできなかったフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)のストーリーをメインに持ってきた。なので、子供の頃からのフュリオサの正気や狂気を充分に描く余地があって、悪役として配置したディメンタス(クリス・ヘムズワース)もどこか憎めないキャラクターとして存在しているので、全体的な雰囲気が『マッドマックス2』に戻ってきた。

それに、髪を切ってマッチョな男に寄せる以前のフィリオサを描くにあたって、Netflixドラマ「クイーンズ・ギャンビット」を見て気に入ってしまったアニャ・テイラー=ジョイを起用したのは、自分としてはさらに楽しめる要素がプラスアルファだった。今回もまた彼女の眼力(めぢから)に吸い込まれてしまった。

タイトルに「A Mad Max Saga」と付けているからには次作もあるんだろうなあ。次は誰にスポットライトをあてるんだろう? イモータン・ジョーか?

→ジョージ・ミラー→アニャ・テイラー=ジョイ→オーストラリア、アメリカ/2024→MOVIXさいたま→★★★★

昨年の5月12日に発売された「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」を1年かけてついにやり終えた。やり終えたと云うのは、ガノンドロフを倒してゼルダとの再会を果たしたと云うことを意味していて、ゲームの達成度では44%くらい。

前作の「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」も素晴らしいゲームだったけれど、その設定を踏襲しつつ、さらにマップや機能をバージョンアップさせた「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」は素晴らしさもバージョンアップしていて、終わったときの感動も倍増していた。こんな凄いゲームを多くの人にやってもらいたい! とはおもうのだけど、ガノンドロフを倒すアクション要素は誰もができるものではないので、そこが残念。アクションをめちゃくちゃ簡単にする設定もあれば良いのに。

基本的には攻略サイトを見ずに進めることを是としていて、なにがなんでもネットの情報を排除していた。でも「風の神殿」で詰まってしまった。まったく前に進めずに一ヶ月。ついにネットの情報を見てしまった。なんと! チューリを置き去りにして「風の神殿」へ行ってしまっていた。そりゃないよ。チューリと一緒じゃなければ「風の神殿」へ行けない設定にしてよ。

それからもう一つだけ、ネットの情報を見てしまった。ガノンドロフと対峙するときの必要な準備を。もちろん瘴気対策はわかっていたので「ひだまり草」は十分に用意していた。ただ、どんな武器が強力なのかは、ゲームを進めていくだけではわからない。「獣神の弓5連」がガノンドロフ討伐には必要だと云うことはネットを見なければわからなかった。

と云うことで「獣神の弓5連」が必要なので、アクションが苦手なわたくしも、果敢にも「白髪ライネル」討伐に向かった!(そうだ、「白髪ライネル」がどこにいるのかもネットの情報を参考にしてた)

いやー、「白髪ライネル」は強かった。なんとか「ジャスト回避」を体得したのだけれど、決まるのは20回に1回くらい。もう「ジャスト回避」に頼るのはやめて、ちまちまと、隠れながら弓矢を射ったりして、なんとかゴリ押しで倒すことができました。こうして「獣神の弓5連」を獲得。ネットを見ると「獣神の弓5連」を落とす確率はとても低いらしい。なのに、1回の討伐で獲得してしまった!

かくして、「獣神の弓5連」を得たわたくしは、無事にガノンドロフを倒すことができました。たしかに「獣神の弓5連」は強力で、これが無ければガノンドロフを倒すのにはもっと苦労したことでしょう。

そしてエンディング。ラストの、落ちて行くゼルダの手を握るアクションは、今までのゲームにはない感動のアクションだった。

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の素晴らしさをなんと表現したら良いんだろう。まさに筆舌に尽くしがたくて、実際にSwutchでゲームをやらなければわからない。それも、ゲームに慣れた人でさえ、メインチャレンジだけでも40~60時間かかるらしい。そんなに時間をかけてやっとその作品の真価がわかるエンターテインメントなんて他にない。

ことあるごとに「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の素晴らしさを吹聴して回りたい!

監督:ジョナサン・グレイザー
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー、ラルフ・ハーフォース、ダニエル・ホルツバーグ、サッシャ・マーズ、フレイア・クロイツカム、イモゲン・コッゲ
原題:The Zone of Interest
制作:アメリカ、イギリス、ポーランド/2023
URL:https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/
場所:MOVIXさいたま

今年のアカデミー賞授賞式で、これは面白そうなだな、と目についた一番の映画がジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』だった。アウシュヴィッツ強制収容所の隣に建てた新居で暮らすルドルフ・ヘス所長(クリスティアン・フリーデル)と妻ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)の住みよい生活を整えて行こうとする夫婦のはなし。

マーティン・エイミスの同名小説を原作としたこの映画の題名「The Zone of Interest」は、日本語に「関心領域」と翻訳しても、とてもスタイリッシュな言葉に見えて、隣のアウシュヴィッツ強制収容所から絶えず聞こえてくるかすかな怒鳴り声や叫び声にまったく反応せずに、自分の家の住環境にしか興味を示さない妻ヘートヴィヒの行動をも端的に表していた。

映画自体も、題名から感じるスタイリッシュさを体現していて、途中、突然画面が赤くなって環境音楽的なものが流れ続けるシーンは、まるでガス室に送り込まれたようなイメージを連想させてとても怖いシーンだった。でもそのスタイリッシュさは、まるで舞台劇のように場所が限定されてこそ引き立つんだけれど、映画の後半に向けてルドルフ・ヘス所長が転勤する場面も描かれてしまって、場所が大きく広がってしまったのは残念だった。

→ジョナサン・グレイザー→クリスティアン・フリーデル→アメリカ、イギリス、ポーランド/2023→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:今井友樹
出演:
制作:工房ギャレット/2024
URL:https://studio-garret.com/tsuchinoko/
場所:ポレポレ東中野

今井友樹監督の新作は『おらが村のツチノコ騒動記』。えっ? なぜいま、ツチノコのはなし? との疑問が真っ先にうかぶ。映画を観始めると、今井監督の故郷は岐阜県の東白川村で、全国的にもツチノコの目撃証言が多いところだそうだ。だからツチノコの映画を撮ったのだろうけれど、それでもなお、なぜいま、ツチノコのはなし? の感想は変わらない。

自分にとって「ツチノコ」を知るきっかけとなったのは、少年マガジンに連載された矢口高雄の漫画「バチヘビ」だった。東北地方ではツチノコを「バチヘビ」と云うそうだ。そのころ(1973年ころ)に、第一次? ツチノコブームが起きていた。小学生だったので、少年マガジンの巻頭特集によくあったUFOや雪男やネッシーなどとともに、その存在を疑うことはなくて、自分も発見したくてうずうずしていた。

それから月日が流れて、80年代に第二次ツチノコブームが起きた。今井監督が子供の頃にそのブームに巻き込まれたことが、この映画を作るきっかけだった。でも、ツチノコがいると信じる人たちと距離を取っていた監督が、そこには何かがある、と考えたきっかけは何だったんだろう? おそらくは、情報ばっかりあふれているこの世知辛い世の中への反発だとはおもうので、そこももう少し突っ込んで語って欲しかった。

ツチノコは、ヘビが大きなネズミを飲み込んだものなのか、それとも妖怪のようなものなのか、はたまた集団ヒステリーなのか。個人的には、それがすべて複合された結果ではないかとおもっている。永遠に見つかることは無いのだろうけれど、いるかも知れない、と考えられるゆとりのようなものがこの情報化社会には大切だとはおもう。

→今井友樹→→工房ギャレット/2024→ポレポレ東中野→★★★☆

監督:濱口竜介
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎
英題:Evil Does Not Exist
制作:NEOPA、fictive/2023
URL:https://aku.incline.life
場所:川越スカラ座

この映画は、『ドライブ・マイ・カー』で作曲を務めた石橋英子が、彼女のライブパフォーマンスのための映像制作を濱口竜介に依頼したことからはじまっている。そこから二人の試行錯誤がはじまり、濱口は「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことを決断。こうして石橋のライブ用サイレント映像「GIFT」と共に誕生したのがこの映画だった。

石橋英子の仕事場は長野県の諏訪地域にあって、そこをたびたび訪れた濱口竜介が石橋の地元の友人たちからその土地の自然の知識を得ることによってこの映画の物語が膨らんでいったらしい。それについての濱口の言及は以下の動画から。

『悪は存在しない』の舞台は、山あいにある架空の町「水挽町(みずひきちょう)」と云う小さな集落。この町の開拓三世の寡黙な男・巧と、その一人娘・花の生活を静かに追いかけながら、東京にある芸能事務所がコロナの助成金を得てグランピング場を作る計画を持ち込んでくる物語と展開していく。

これだけを見れば、自然と共存する町の人々と、利益ばかり追いかける都会の人との衝突、そして理解、融和へと、ガス・ヴァン・サントの『プロミスト・ランド』(2012)のような、よくあるストーリー展開へ向かうのではないかと先読みしてしまう。でも、それだけでは終わらせないラストを濱口竜介は用意していた。

ラストシーンの意味は何なんだろう? その正解を濱口竜介も持っていないようなことを先の動画では云っていた。たぶん、人それぞれ、自由に解釈すれば良いんだとおもう。手がかりとしては、グランピング場が作られる予定の場所は鹿の通り道であること。芸能事務所の担当者が鹿の立場になって考えられないこと。鹿は日本においても「神の使い」であったり「森の守り神」であったりすること。あたりかなあ。

映画を3回観てやっとラストの意味がわかりました! と濱口は観客に云われたそうだ。よし、あと2回観よう!

→濱口竜介→大美賀均→NEOPA、fictive/2023→川越スカラ座→★★★★

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ジェレミー・セオボルド、アレックス・ハウ、ルーシー・ラッセル、ジョン・ノーラン、ディック・ブラッドセル
原題:Following
制作:イギリス/1999
URL:https://following-2024.com
場所:新宿武蔵野館

クリストファー・ノーランの長編処女作が、おそらくは新作『オッペンハイマー』の公開を機にHDレストア版として公開されたので観に行った。

上映時間69分の中編とも云えるこの映画は、クリストファー・ノーランが好んで使う時間軸の錯綜をすでにこの時点で使用していた。彼が映画を撮り始めた最初から、物語が時間軸通りに進んでいくことを拒否していたことがよくわかる。そのため、次作の『メメント』ではこの習作を経て、すぐさま時系列を逆転させる映画を作ったんじゃないかとおもわれる。そしてその傾向は『TENET テネット』で頂点に達する。

クリストファー・ノーランはどうしてそこまで正方向に進む時間を拒否するんだろう?

その解答を探してネットを彷徨うと、クリストファー・ノーランと糸井重里の対談に目が止まった。

https://www.1101.com/n/s/tenet/2020-09-21.html

これは『TENET テネット』公開時のもので、正方向の時間軸を完全に無視した映画を観て興奮した糸井重里の問いにクリストファー・ノーランが答えるかたちの対談になっていた。そこでクリストファー・ノーランは、

観ている人をちょっと混乱に陥れるというか、
そういう狙いが私の作品にはありますね。
そうすることによって、
いつも新しい何かを提供したい。

観ている人を混乱に陥れる方法は、例えばヒッチコックの『サイコ』のようなミステリーやサスペンス映画にはたくさんある。でもクリストファー・ノーランはストーリーのプロットで観客を混乱に陥れると云うよりは、映画を作るときの慣習と云えば良いのか、ルールと云えば良いのか、誰もが正方向に進んでいると考える時間軸を突然前後させたり、まるっきり逆方向にしたりと、時間をいじることによって混乱に陥れようとしている。どうしてそこに注目するのか、その理由がわかるインタビュー記事は見当たらない。

『オッペンハイマー』での時間軸を前後させる方法は、観ているものを混乱させはするものの、オッペンハイマーの苦悩を表現させる方法としてはとても有効だったような気もする。でも『TENET テネット』で時間をリアルタイムに逆転させたのはやりすぎだったような気もする。

自分としては『インセプション』くらいの混乱が一番心地よかった。いろいろクセがあって一筋縄では行かないクリストファー・ノーランだけれど、次はどんな映画を撮るんだろう? の楽しみがあるのは確かなんだよなあ。

→クリストファー・ノーラン→ジェレミー・セオボルド→イギリス/1999→新宿武蔵野館→★★★☆