監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン、ラフィー・キャシディ、サニー・スリッチ、アリシア・シルバーストーン、ビル・キャンプ
原題:The Killing of a Sacred Deer
制作:イギリス、アイルランド/2017
URL:http://www.finefilms.co.jp/deer/
場所:シネマカリテ新宿

WOWOWでヨルゴス・ランティモス監督の『ロブスター』を見たとき、「家庭を持ち子孫を残すことが義務付けられた近未来」と云う設定に恐れおののき、自分にとってはなんとも不快なイメージの連続で、最後までどんよりとした気分にさせられる映画だった。

同じ監督の次回作も不快な気分にさせられるんじゃないかと半ば覚悟して観に行ったんだけど、これが『ロブスター』とは違って前のめりで観ることのできた面白い映画だった。

のめり込むことの出来た最大の理由は、先日観たマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』と同じように、善悪だけでは割り切れない人間のエゴイズムをはっきりとしたシチュエーションで見せてくれているからだった。

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』は、父親を医療ミスで殺されたとおもっているバリー・コーガンが、担当医師のコリン・ファレルに対して逆恨みを持ち、なにか呪術的な不可思議な力を使って、

・妻、長女、長男のうちの一人を選べ。
・ステージ1として、その一人がまずは足が動かなくなる。
・ステージ2として、食欲が無くなって行く。
・ステージ3として、目から血が流れ出す。
・目から血が流れ出れば即、死ぬ。

を粛々と、静かに、遂行して行く。

この行為を止めさせようとするコリン・ファレルも、バリー・コーガンを監禁して暴力にまで及ぶが、どこか運命に身を委ねているような静かさがあって、妻のニコール・キッドマンも被害にあっている子供の母親とはおもえない冷静さを漂わせているところがとても不気味だった。

このように、映画全体として展開されている事象に相反する静かさが特徴的で、おだやかでありながら残酷的な世界観が観ているものの精神をキリキリと苛むような映画だった。面白い映画ではあったけれど気持ちに余裕があったから良いようなもので、ストレスを抱えた精神状態で観てたらキツイ映画だったろうなあ。

→ヨルゴス・ランティモス→コリン・ファレル→イギリス、アイルランド/2017→シネマカリテ新宿→★★★★

監督:クリント・イーストウッド
出演:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー、レイ・コラサーニ、マーク・ムーガリアン、イザベラ・リサチャー・ムーガリアン、クリス・ノーマン
原題:The 15:17 to Paris
制作:アメリカ/2018
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/
場所:109シネマズ菖蒲

87歳になったクリント・イーストウッドが繰り出した新たなる一手は、実際の事件に巻き込まれた当事者本人に自分自身を演じさせて、その事件を描く映画を撮ることだった。つまり、広い意味で云えばドキュメンタリー映画だった。

2年に1度の山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くと、いつも考えるのは「ドキュメンタリー」の定義だ。どこまでが「ドキュメンタリー」で、どこからが「フィクションのドラマ」なんだろう? 2015年のロバート&フランシス・フラハティ賞を獲ったペドロ・コスタの『ホースマネー』はドキュメンタリーと云えるんだろうか? 2017年のコンペティション部門の中でも、自殺した姉の生涯を様々な国の素人に演じさせたエスター・グールド監督の『自我との奇妙な恋』はドキュメンタリーと云えるんだろうか?

原一男は『ゆきゆきて、神軍』の撮影のときに、奥崎謙三から「いまの演技はどうだった?」と聞かれたと云う(2013年10月14日、山形グランドホテルでの原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談より)。つまり、人はカメラを向けられた時点で少なからず格好をつけるもので、そこに若干の脚色が入り込むのを排除しようがない。でも、被写体がちょっと格好をつけたからと云ってもそれもその人のスタイルの一つで、架空の設定で特定のキャラクターを演じるわけでなければフィクション映画になるわけじゃない。事実が逸脱されない程度に脚色されるだけだ。

となると、ドキュメンタリー映画と「事実を元にした映画」の境界線が微妙になってくる。どれだけ大きく脚色されるかにかかってくるのかなあ。

なんてことをつらつらと考えていたことから総合するとクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』は素晴らしいドキュメンタリー映画だとおもった。本人たちの自分自身を演じる演技も素晴らしいし、事件に関わったそれぞれの人びとのおもいを映画的な手法を屈しして浮かび上がらせることにも成功しているし。

クリント・イーストウッドはどうしてこんなに素晴らしいんだろう。いつまでも長生きしてほしい。

→クリント・イーストウッド→スペンサー・ストーン→アメリカ/2018→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ライアン・クーグラー
出演:チャドウィック・ボーズマン、マイケル・B・ジョーダン、ルピタ・ニョンゴ、ダナイ・グリラ、マーティン・フリーマン、ダニエル・カルーヤ、レティーシャ・ライト、ウィンストン・デューク
原題:Black Panther
制作:アメリカ/2018
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/blackpanther.html/
場所:109シネマズ木場

マーティン・マクドナー監督の『ブラックパンサー』のことを、いままでの「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズの流れから想像して、まあ、似たような勧善懲悪のストーリーではないかと勝手に想像していた。ところが、今年のアカデミー賞授賞式でも司会のジミー・キンメルがさかんに『ブラックパンサー』をいじっていたことからも察することができたように、今まで差別されてきた黒人が誇りや尊厳を取り戻せることができるような意味合いをストーリーのベースに持ってきて、そのうえに完全な「悪」(白人になるのか?)との闘いではなくて、極端な「善」(同胞の黒人)の暴走との闘いを持ってきたところに時代の複雑さを象徴させていた。

「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズがマンネリ化してきて、毎回「シリーズ最強の敵」が現れるパターンにうんざりしていたところに、いまの弱者や少数者へのハラスメントを撲滅するかのようにブラック・スーパーヒーローが現れた。この『ブラックパンサー』をどのように「アベンジャーズ」に組み込むんだろう? ただ飲み込まれてしまうだけではつまらないなあ。

→ライアン・クーグラー→チャドウィック・ボーズマン→アメリカ/2018→109シネマズ木場→★★★☆

監督:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、ジョン・ホークス、ピーター・ディンクレイジ、アビー・コーニッシュ、ルーカス・ヘッジズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
制作:アメリカ/2017
URL:http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/
場所:シネ・リーブル池袋

今年のアカデミー作品賞は、前評判ではマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』が獲るような勢いだったけれど、でも、ふたを開けてみたらギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』にかっさわれてしまった。それぞれの部門でも、主要部門とは云え主演女優賞のフランシス・マクドーマンドと助演男優賞のサム・ロックウェルの二つしか獲れなかった。

で、実際に映画を観てみると、まあ、これは個人の好みでしかないのだけれど、レイプされて焼き殺された娘の母親が進展しない犯人捜査に業を煮やして、

RAPED WHILE DYING(レイプされて殺されたのに)

AND STILL NO ARRESTS?(まだ逮捕されないなんて)

HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?(どうして、ウィロビー署長?)

の文字を書いた3つの大きな看板を出すワンシチュエーションで展開する『スリー・ビルボード』のほうが『シェイプ・オブ・ウォーター』よりも面白かった。

娘を殺された怒りから、そして殺される前に娘へ発した暴言に対する自責の念も加わって、めちゃくちゃに暴走する母親役のフランシス・マクドーマンドがかっこよかった。これだったら主演女優賞も納得できる。

今まで平凡に暮らして来た人が犯罪被害者の肉親であることから、世間の矢面に立って活動家に変貌する人を数多く見てきたけれど、もしかするとそれは誰にでも当てはまるのかなあ。自分もそうなるんだろうか? フランシス・マクドーマンドのように警察署に火炎瓶を投げ込むまでに怒りを持続できるのか、それはちょっと疑問だけど。

フランシス・マクドーマンドに反発しながらも最後は犯人捜査を手助けして行くことになるディクソン巡査役のサム・ロックウェルや、この母親にしてこの子ありをうまく表現しているサム・ロックウェルの母親役のサンディ・マーティン、そして『スウィート17モンスター』に続いて素晴らしかったウィロビー署長役のウディ・ハレルソンなど、やっぱり脇役が充実していると映画は面白い。

→マーティン・マクドナー→フランシス・マクドーマンド→アメリカ/2017→シネ・リーブル池袋→★★★★

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス、マイケル・シャノン、リチャード・ジェンキンス、ダグ・ジョーンズ、マイケル・スタールバーグ、オクタヴィア・スペンサー
原題:The Shape of Water
制作:アメリカ/2017
URL:http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/
場所:109シネマズ菖蒲

先日発表された第90回アカデミー賞の作品賞を獲ったギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』を期待しながらも、それでいてギレルモ・デル・トロ作品とのいつもの肌の合わなさから期待するのは危ないと云う気持ちも半分持ちながら観に行った。

話すことのできないサリー・ホーキンスが映画館の上に住んでいて、たえず上映されている映画の音が部屋に漏れ聞こえてくる設定はとても映画オタクの心をくすぐるし、シャーリー・テンプルとビル・ボージャングル・ロビンソンやベティ・グレイブル、アリス・フェイが出てくる白黒映画が画面に現れるとちょっと鳥肌が立ったけど、ストーリーそのものに工夫がないと云うか、ひとつもふたつも調味料が足りなくて、映画としての味に深みがなかった。サリー・ホーキンスが「彼」に惹きつけられる理由がやっぱり弱いよなあ。なにか「彼」に魅力を感じる決定的な要素がひとつ欲しかった。それに、悪役のマイケル・シャノンにもまったく魅力がなかったのは、この手のパターンの映画としては致命的だった。

黒人、女性、LGBTなどへの差別をなくそうとする機運が高まりつつある時代の流れの中での、それとぴったりとマッチした作品としてのアカデミー作品賞と云う図式はよくわかるのだけれど。

→ギレルモ・デル・トロ→サリー・ホーキンス→アメリカ/2017→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:吉田大八
出演:錦戸亮、木村文乃、北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯、松田龍平、中村有志、安藤玉恵、細田善彦、北見敏之、松尾諭、山口美也子、鈴木晋介、深水三章
制作:映画『羊の木』製作委員会/2018
URL:http://hitsujinoki-movie.com
場所:109シネマズ菖蒲

クリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』かギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』を観ようとしたら、どちらも公開が始まったばかりなので、まだ株主優待カードが使えなかった。なので、なんとなく観たかった吉田大八監督の『羊の木』を選択。

『羊の木』は、山上たつひこ原作、いがらしみきお作画の漫画の映画化だった。

元受刑者を地方都市に移住させる国の極秘更正プロジェクトのために、過去に殺人事件を犯した男女6人を受け入れることとなった富山県の魚深(うおぶか)市(架空の市)の市職員が巻き込まれる顛末。と云うストーリーをどのように受け入れたらいいのか、その大前提が難しかった。もし自分が元受刑者と職場環境などを共にすることになったのなら、その人の更生しようとする気持ちをむやみにふみにじってはならないと云う気持ちと、また犯罪を繰り返すのではないかと疑う気持ちがぶつかって、とてもデリケートな状態のまま苦しむことになるんじゃないかと想像してしまう。だから、そこの部分をサスペンス仕立てのドラマとして見せられても、どんな顔して映画を観ればいいのか最後までわからなかった。やるんだったら、もっとハチャメチャにしてくれていたら、かえって吹っ切れて楽しめたかもしれなかったのに。

でも松田龍平は、『ブラック・レイン』の松田優作を思い出させてくれて、とても良かった。

→吉田大八→錦戸亮→映画『羊の木』製作委員会/2018→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:ルイス・ブニュエル
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フェルナンド・レイ、フランコ・ネロ、ロラ・ガオス、アントニオ・カサス
原題:Tristana
制作:フランス/1970
URL:
場所:角川シネマ有楽町

先日のシアター・イメージフォーラムでのルイス・ブニュエル特集上映に続いて、角川シネマ有楽町で開催された「華麗なるフランス映画」特集上映でのラインナップの中にルイス・ブニュエル監督の『哀しみのトリスターナ』があったので、それだけを狙い撃ちで観に行った。

『哀しみのトリスターナ』はシアター・イメージフォーラムで観た『ビリディアナ』に全体的な雰囲気がそっくりだった。それもそのはず、映画の原作者は両方ともベニート・ペレス・ガルドスだった。ベニート・ペレス・ガルドスはスペイン本国では国民的作家と讃えられているそうだけれど、英語圏ではそれほど読まれていない(Wikipediaより)そうで、邦訳された作品は「トラファルガル」(朝日出版社、1975年)、「マリアネラ」(彩流社、1993年)、「フォルトゥナータとハシンタ:二人の妻の物語」(水声社、1998年)、「ドニャ・ペルフェクタ 完璧な婦人」(現代企画室、2015年)くらいだそうだ。

ただ、2つの映画がそっくりに見えたのは、年老いた男が若い女に手を出してしまう部分だけで、その年老いた男を両方ともフェルナンド・レイが演じているからだった。ラストに向かって反宗教的な描写を見せて行く『ビリディアナ』に対して、さらに年老いた男と若い女のあいだの愛憎関係に焦点を当てているのが『哀しみのトリスターナ』だった。年老いたフェルナンド・レイに従属的に支配されていた無垢なカトリーヌ・ドヌーヴが病気で片足を切断することをきっかけに、かえって介護されている女が次第に歳を取って衰えを見せる年上の男を支配して行く逆転現象がとても怖かった。カトリーヌ・ドヌーヴの女優としての資質は、人間としての得体の知れない怖さを見せられるところだなあ。これが中原昌也が云うところのカトリーヌ・ドヌーヴの「うざさ」につながるのか?

→ルイス・ブニュエル→カトリーヌ・ドヌーヴ→フランス/1970→角川シネマ有楽町→★★★☆

監督:王兵(ワン・ビン)
出演:
原題:苦銭/Bitter Money
制作:フランス、香港/2016
URL:http://www.moviola.jp/nigai-zeni/
場所:シアター・イメージフォーラム

王兵(ワン・ビン)監督のドキュメンタリー映画を観ると、何気ない日常にカメラが向いているだけなのに、なぜかその描写にくぎずけになってしまう。それは『鉄西区』の線路の上をひた走る鉄道であったり、『鳳鳴 中国の記憶』の滔々と過去を語る鳳鳴(フォンミン)の顔であったり。今回の『苦い銭』でも、故郷の雲南省から遠く離れた浙江省湖州市(上海の近くにある市)へと出稼ぎに向かう姉妹がバス、鉄道、車と乗り継いでいるだけの描写なのに、いつの間にか彼女らの視線と同化して、どっぷりと映画の中に引き込まれてしまう。それは王兵(ワン・ビン)監督の被写体へ向ける視線に絶えず真摯な眼差しがあるからなんだろうとおもう。過度のドラマティックさを追求するわけでもなく、おいしい「画」を撮ろうと努力するわけでもなくて、被写体にそっと寄り添うように、そこにただカメラの視線があるだけの撮影方法に知らず知らずのうちに共感しているからなんだろうとおもう。

中国経済の実態が田舎からの出稼ぎ労働者で成り立っていることは、なんとなくそうだろうなあ、とはおもっていたけれど、実際にドキュメンタリーの映像で見せられると強烈だった。朝の7時から夜中の12時までミシンの前で縫製させられているなんて、産業革命の時に炭鉱労働をさせられる年端もいかない子供たちと同じような人権問題のレベルなんじゃないのかなあ。今後、日本で洋服を買ったときに、そこに「Made in China」と書いてあったのなら、絶対にこの映画に出てきた女性たちの顔をおもい出すとおもう。

しかしあれだけ立派な車が走っていたり路駐していたりするのに、道端にゴミが散乱していると云うアンバランスさが今の中国だなあ。

→王兵(ワン・ビン)→→フランス、香港/2016→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:ギリーズ・マッキノン
出演:グレゴール・フィッシャー、ナオミ・バトリック、エリー・ケンドリック、エディ・イザード、ショーン・ビガースタッフ、ブライアン・ペティファー、ケビン・ガスリー、ジェームズ・コスモ、ジョン・セッションズ、ティム・ピゴット=スミス、フェネラ・ウールガー
原題:Whisky Galore
制作:イギリス/2016
URL:http://www.synca.jp/whisky/
場所:新宿武蔵野館

スコットランドを舞台にした映画と云えば真っ先にビル・フォーサイスの映画をおもい出す。1986年に日本でも公開された『ローカル・ヒーロー 〜夢に生きた男〜』に続いて1987年に公開された『シルビーの帰郷』の二本で強烈な印象を残して、そのまま疾風のように消え去ってしまった。1999年に1980年に撮った『グレゴリーズ・ガール』の続編『Gregory’s Two Girls』を撮ったきり、その後は映画を撮ってないようだ。

ビル・フォーサイス監督『ローカル・ヒーロー 〜夢に生きた男〜』の面白さは、スコットランドに住む人々のキャラクターの豊かさにあったようにおもう。田舎特有の素朴さを持ちながら、ちょっとずる賢くて抜け目のない住民たち。彼らが徒党を組んで一つのうねりをなすさまは異様にも見えるけど、団結力の強さを持ち合わせているようにも見える。そしてその集団に与しないものに対してもネチネチと嫌がらせをするわけでもなくて一定の理解力を見せているところが、映画全体にほんわかとしたゆる〜い印象を与えていた。

ギリーズ・マッキノン監督の『ウイスキーと2人の花嫁』はそのビル・フォーサイス監督の『ローカル・ヒーロー 〜夢に生きた男〜』に雰囲気がちょっと似ていた。

スコットランドのトディー島の住民たちは、第二次世界大戦中に配給の途絶えたウィスキーが飲みたくて、そして郵便局長ジョセフの長女ペギーと次女カトリーナの結婚式にはウィスキーが不可欠ではないかと、折良く近くの海岸に座礁した貨物船からウィスキーを盗み出してしまう。島の中で戦時中の自警団を組織する堅物のワゲット大尉は、住人たちの不穏な行動を訝しんで捜査にかかるも手がかりは掴めず。さらに座礁した船にはもう一つの宝物が眠っていて、それを巡っての駆け引きも加わってのほんわか、ゆる〜い大騒動。この感じは、そうだ、昔のイーリング・スタジオの映画にも似ている!(調べると、この『ウイスキーと2人の花嫁』(原題:Whisky Galore)は1949年にアレクサンダー・マッケンドリック監督が撮った『Whisky Galore』のリメイクだった)

手旗信号の得意な少年とか、ざっくばらんな島の牧師とか、ちょっとしたキャラクターが豊富なのも良い! なかでも堅物ワゲット大尉の奥さんが素晴らしかった。あたふたしている夫を尻目にゆっくりとビリヤードをしているし、夫の「あの音はなんだ!」の問いかけに「私、耳が悪いの」と我関せず。フェネラ・ウールガーと云う女優だそうだ。

→ギリーズ・マッキノン→グレゴール・フィッシャー→イギリス/2016→新宿武蔵野館→★★★☆

監督:ジム・シェリダン
出演:ヴァネッサ・レッドグレイヴ 、ルーニー・マーラ、エリック・バ、テオ・ジェームズ、エイダン・ターナー、ジャック・レイナー、スーザン・リンチ、トム・ヴォーン=ローラー
原題:The Secret Scripture
制作:アイルランド/2016
URL:http://rose.ayapro.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

考えてみると、第二次世界大戦時中のアイルランドの立ち位置をよく理解していなかった。もちろんアイルランドがイギリスと歩調を合わせるわけがなくて、かと云ってナチスドイツに組みするわけでもない。となると必然と中立な立場になってたはずだけど、なかにはナチスドイツへの反発からかイギリスの軍隊に入るアイルランド人もいたようだ。でも、そのようなイギリスに味方する人間に対して「裏切り者」と云うレッテルを貼ってリンチまで行うようなアイルランド人(アイルランド共和軍の人間)がいたことをうっかりと見落としていた。

ジム・シェリダン監督の『ローズの秘密の頁』は、伯母の家へ居候しにやってきたローズ(ルーニー・マーラ)がイギリス空軍に入隊した男に好意を寄せたことから始まった悲劇だった。この二人のあいだにアイルランド共和軍の人間たちが割って入り、さらに聖職者とはおもえないくらいに感情をあらわにする若いカソリックの神父が、プロテスタントであるローズに対して好意を寄せてしまうことから、まるでこの時期のアイルランドとイギリスの関係のような複雑な境遇がローズの人生に重くのしかかってしまう。そして、その入り乱れた人間模様の中で「重大な悲劇」が起きてしまう。

この映画は、精神病院に40年以上も入院している年老いたローズ(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)のところに新しい精神科医が面会に来たことによって、彼女が歩んで来た過去が徐々に明らかになって行く形式をとっている。で、最後に、ローズが精神病院に入ることになってしまう「重大な悲劇」の真相が明らかになるんだけど、そこへの道筋がちょっと唐突すぎたような気もする。もうちょっと伏線があったら良かったのに。

→ジム・シェリダン→ヴァネッサ・レッドグレイヴ→アイルランド/2016→新宿武蔵野館→★★★