監督:ワン・ビン
出演:安徽省や河南省などから浙江省湖州の織里に出稼ぎに来た若者たち
原題:青春 春 Youth (Spring)
制作:フランス、ルクセンブルク、オランダ/2023
URL:https://moviola.jp/seishun/
場所:シアター・イメージフォーラム

ワン・ビンが2016年に撮ったドキュメンタリー『苦い銭』の中で、雲南省から浙江省湖州へ出稼ぎに来た15歳の少女シャオミンが1日中ミシンの前で服を縫っている姿が描かれていた。そこで得られる収入は、おそらくはほんのちょっぴり。日本人にとって「Made in China」は安いモノの代名詞で、我々がその価格で得られる代償がここにあるんだと見せつけられてちょっと暗くなった。

ワン・ビンはその『苦い銭』に使ったフッテージだけではなくて、浙江省湖州にある織里(しょくり)と云う町に集まる縫製工場で働く様々な若い人たちを2014年から2019年にかけて撮りためていた。それをまとめたのがこの映画『青春』だった。

『青春』に登場する若い人のほとんどが浙江省のとなりに位置する安徽省というところから来た出稼ぎ労働者だった。安徽省と云われても「あんきしょう」と読むことも出来ないほどに、その土地の情報がまったくなかった。でも、この映画に登場する若い人たちの行動や言動を見て行くうちに、二十歳くらいの年齢にしてはやたらと友人同士とじゃれ合うし、カップルとおぼしき二人の会話も幼いし、社長に賃金の交渉をする手立ても拙いし、彼らの故郷である安徽省と云う土地に素朴な田舎の田園風景を想像してしまった。

『苦い銭』のシャオミンが朝から晩まで働き通しだったことに対して、そこに経済成長を謳う中国の暗部を見たような気がしていたけれど、同じような境遇の若い人たちを数多く追いかけた『青春』に対しては、中国のGDPに見せる数値のまやかしを告発している部分に共感すると云うよりも、どんなところにも人のくらしがあるんだなあ、くらいなペーソスを感じることのほうが大きかった。それはタイトルに「青春」と名付けたことからもワン・ビンの示すメッセージは明らかだった。

自分がやるべき仕事は「世界から見えない人たちの生を記録すること」と云うワン・ビン。今までと同じように中国の市井の人々を撮ることができるのかわからないのだけれど、また日本で上映されることになったら、3時間とか4時間の長さでも、いやいや『死霊魂』のような8時間でも、必ず追いかけたいとおもう。

→ワン・ビン→安徽省や河南省などから浙江省湖州の織里に出稼ぎに来た若者たち→フランス、ルクセンブルク、オランダ/2023→シアター・イメージフォーラム→★★★★

監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、デヴィッド・クラムホルツ、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、マシュー・モディーン、ラミ・マレック、トム・コンティ、ケネス・ブラナー
原題:Oppenheimer
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.oppenheimermovie.jp/
場所:109シネマズ菖蒲

今年のアカデミー賞で作品賞を含む最多7部門で受賞を果たしたのがクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』だった。

原子爆弾の開発に携わった物理学者J・ロバート・オッペンハイマーについては、むかしアメリカのVoyager社が作った「The Day After Trinity」と云うCD-ROMの日本語版「ヒロシマ・ナガサキのまえに」制作に携わった(と云うか傍観していた)関係で、そのCD-ROMを作るきっかけとなったジョン・エルス監督の米国PBSで放送されたドキュメンタリー映画『The Day After Trinity -J Robert Oppenheimer and the Atomic Bomb-』を見たことで少しは知っているつもりでいた。

でもこのドキュメンタリーは、オッペンハイマーの原子爆弾開発・製造における関係者の証言に特化していたものだったので、クリストファー・ノーランの映画を観ることによって、オッペンハイマーのパーソナルな部分にも突っ込んだ部分、精神を病んで教授に毒リンゴを食わせようとしたこととか、女にだらしがないとか、その人のベースにある負の部分を知ることができたのは面白かった。

ただ、3時間を通してずっと情報の洪水を受け入れなければならないのには疲れてしまった。時系列を頭の中で整理する余裕も与えられないし、矢継ぎ早に登場する人物が何に携わっているのかも理解できないし、アイソトープの輸出ってなに? 爆弾開発に冶金も関係あるの? の疑問にも立ち止まってはいられない。いやもう、疲れるを通り越して、陶酔してしまった感もある。それはクリストファー・ノーランの『インセプション』や『TENET テネット』に通ずるものがあった。

全体的に見れば、細かいところの理解がぼんやりで良ければ、原子爆弾を作ってしまったオッペンハイマーの苦悩を巧く表現できていた映画だった。それはやはりクリストファー・ノーランの力量によるところは大きいとおもう。

これはもう一度、アマプラやU-NEXTなどの配信で見直さなければ。配信の良いところは、ストップさせたり、戻せたりできるところだ。立ち止まることが映画鑑賞として正しい行為なのかどうかはわからないのだけれど。

→クリストファー・ノーラン→キリアン・マーフィー→アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ローラ・ポイトラス
出演:ナン・ゴールディン
原題:All the Beauty and the Bloodshed
制作:アメリカ/2022
URL:https://klockworx-v.com/atbatb/
場所:MOVIXさいたま

まったく視野に入っていなかったローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』を知人から勧められてなんの情報も入れずに観てみた。

『美と殺戮のすべて』は、写真家ナン・ゴールディンの生い立ちやどのようなキャリアを積んできたのか、そして彼女自身も被害にあった医療用麻薬「オキシコンチン」による中毒蔓延の責任を追及する活動を追ったドキュメンタリーだった。

ナン・ゴールディンのことはまったく知らなかった。考えてみると画家や写真家には興味があるのだけれど、その人たちの情報を入れる窓口があまりにも狭すぎて、それなりに有名な人たちのことも知らないことが多い。この映画で知る限り、ナン・ゴールディンの写真は70年代のアングラっぽいイメージに見えて、撮った写真を自らスライドショーで構成するあたりは、むかし仕事で関わったことのある寺山修司をおもい出してしまった。

ナン・ゴールディンの生い立ちを追ううちに、彼女が大好きだった姉バーバラと母親との確執が見えてくる。母親は一方的にバーバラを統合失調症だと決めつけて施設に入れてしまう。その後、そこでバーバラは自殺してしまう。なぜ、姉は自殺したのか? を調べて行くうちに、精神を病んでいたのは姉ではなく母親ではなかったのか、が見えてくるのがミステリアスで、そこだけ掘り下げても面白いドキュメンタリーになっていたとおもう。でも、このドキュメンタリーの構成としては、複雑な家庭環境があったからこそナン・ゴールディンの過激な写真が生まれて来たとするもので、医者に「オキシコンチン」を処方されてしまうのもその流れの延長線上にあった。

で、この映画のもう一つの大きな柱としてはその「オピオイド鎮痛薬」の一種である「オキシコンチン」中毒が世の中に蔓延してしまった責任を製薬会社パーデュー・ファーマおよびその会社を支配するサックラー家を告発するナン・ゴールディンの活動だった。サックラー家は「オキシコンチン」で儲けたお金をさまざまな有名な美術館に寄付をしていた。そのため、たとえばメトロポリタン美術館ではデンドゥール神殿のあるエリアを「サックラー・ウィング」と名付けられ、ほかにもルーブル美術館やグッゲンハイム美術館など様々なところでサックラー家の名を冠しているものが数多くあった。ナン・ゴールディンたち「P.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now)」と呼ばれる団体は、サックラー家の寄付を受けている美術館で抗議活動を行い、最終的に各美術館から「サックラー」の名前を外すことに成功する。

ナン・ゴールディンの姉のことからはじまったこの映画は、最後、姉についてで終わる。彼女の写真および抗議活動の源流には大好きな姉を失った「痛み」があったからこそだった。両親との折り合いが悪くなった「痛み」もあり、その後の既存のシステムに反発する「痛み」もある。ナン・ゴールディンがオピオイド危機に対抗するために作った団体「P.A.I.N.」は「オキシコンチン」中毒に対する「痛み」だけではなくて、ナン自身のすべての「痛み」も包括的に意味しているように見えてしまった。

たまには気にもとめていない映画を観るのもありだとおもう。まったく知らない世界と出会えるから。

→ローラ・ポイトラス→ナン・ゴールディン→アメリカ/2022→MOVIXさいたま→★★★★

監督:セリーン・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ
原題:Past Lives
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/pastlives/
場所:MOVIXさいたま

『パスト ライブス/再会』を撮ったセリーン・ソンは韓国系カナダ人の監督で、この映画を観たあとに英語版Wikipediaで彼女の経歴を調べたら、なるほど、自分の生い立ちをベースにこの脚本を書いたんだなあ、と云うことがわかった。

セリーン・ソンは韓国に生まれ、12歳のときにカナダのオンタリオ州マーカムに家族とともに移住した。父親のソン・ヌンハンは映画製作者で、その影響からか高校の時にはじめての戯曲を書き、オンタリオ州のクイーンズ大学で心理学を学んだあと、ニューヨークのコロンビア大学で劇作の修士号を取った。2019年にはマサチューセッツ州ケンブリッジにあるアメリカン・レパートリー・シアターで彼女の戯曲「エンドリングス」が上演されて、2020年3月にはニューヨークシアターワークショップでの上演となり、オフ・ブロードウェイのデビューとなった。私生活では、エドワード・F・アルビー財団が主催するアーティスト・レジデンスで知り合った作家ジャスティン・クリツケスと結婚し、一緒にニューヨーク市に住んでいる。

『パスト ライブス/再会』に出てくるナヨン(のちのノラ、グレタ・リー)の生い立ちはまるっきりセリーン・ソン自身だった。12歳で韓国からカナダに移住し、ニューヨークに出て戯曲を書き、演劇ワークショップで知り合ったアーサー(ジョン・マガロ)と結婚してニューヨークに住んでいる。この自身の境遇をベースとして、12歳で幼なじみで仲良くしていたヘソン(ユ・テオ)との別れ、24歳でオンラインでの再会、さらに36歳(おそらく12歳区切りだったとおもう)でニューヨークで実際に再会すると云うストーリーに仕立てた。

概要だけ聞けば、韓国人の幼なじみとアメリカ人の夫とのあいだで気持ちの揺れる単純なラブ・ストーリーにも見えるけれど、そこは韓国系の監督が書いた脚本なので、日本人にも共通する慎ましさが全体に横たわっていて、はっきりと決めてかかる西欧的なものとは違った静かな映画に仕上がっていた。とくにラストの、韓国に帰ろうとするヘソンを見送るナヨンとのあいだに横たわる距離感を見せるシーンが、キスをするべきではないことを理解している二人の関係性が痛いほど伝わってくるシーンが素晴らしかった。

韓国の映画(今回のは実際にはアメリカ映画だけど)を観ると、日本の映画にもこんな映画が欲しいなあ、とおもうのはもういい加減やめたい。

→セリーン・ソン→グレタ・リー→アメリカ/2023→MOVIXさいたま→★★★★

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ティモシー・シャラメ、ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソン、ジョシュ・ブローリン、オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、デイヴ・バウティスタ、クリストファー・ウォーケン、レア・セドゥ、スエイラ・ヤクーブ、ステラン・スカルスガルド、シャーロット・ランプリング、ハビエル・バルデム、アニャ・テイラー=ジョイ
原題:Dune: Part Two
制作:アメリカ/2024
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/dune-movie/
場所:109シネマズ菖蒲

ドゥニ・ヴィルヌーヴの最初の『DUNE/デューン 砂の惑星』を観終えて、あまりにも中途半端な終わり方なので、もうちょっと「(知っているけど)これからどうなるんだろう?」の期待感を持たせてよ、との不満たらたらだった。

でも、このままPART2を観ないで終わらせることもできないので、なんとなく惰性で持って映画を観に行った。そうしたら、これが素晴らしい「DUNE」の映像化だった。これだったらPART1で区切らせることなく、155分+166分=321分の映画として上映するべきだった気がする。まあ、ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(316分)やイングマール・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』(311分)のような映画とは違って、興行的に成り立たせなければならない映画としては一気上映は無理なんだろうけれど。

この映画のラスト近く、砂虫から取られた命の水を飲んだポール・アトレイデス(ティモシー・シャラメ)は、大人になったポールの妹アリア・アトレイデスのイメージを見る。そのアリアを演じているのはアニャ・テイラー=ジョイじゃないのか? とおもってエンドクレジットを確認したのだけれど、アニャの名前を見つけることは出来なかった。どうやらノン・クレジットらしい。アニャ・テイラー=ジョイをたった数十秒のために使ったとはとてもおもえないので、これはPART3があるんじゃないのか、との期待は膨らんでしまう。でもいまのところ、その予定は無いそうだ。作るんなら、ぶっつり2つに分けること無く、4時間でも5時間でも一つの映画にして欲しいなあ。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→ティモシー・シャラメ→アメリカ/2024→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・タイス、ジェニー・ベス、カミーユ・ラザフォード、ソフィ・フィリエール
原題:Anatomie d’une chute
制作:フランス/2023
URL:https://gaga.ne.jp/anatomy/
場所:MOVIXさいたま

昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを獲ったジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』をなんとなくスルーしそうになったのだけれど、今年のアカデミー賞で脚本賞を獲ったことなどから、やっぱり観ようかな、ってことになった。

ストーリーについては予告編からある程度予想はついていて、妻が夫を殺したのか、あるいは事故死だったのか、自殺だったのか、の法廷劇がメインで、目に障害のある息子が証言台に立たなければならない展開がちょっと目を引く映画ではあった。

この手のジャンルの映画は、昔ならば有罪か無罪かの真実が明らかになる過程が面白かった。ビリー・ワイルダーの『情婦』とか。でも、より複雑化した現在では、有罪、無罪の単純な2つに割り切ることのできない犯罪を描く映画が多くなってきた。この映画でも、たとえ妻(ザンドラ・ヒュラー)に無罪の判決がおりたとしても、すでに夫(サミュエル・タイス)を精神的に追い詰めていたのではないか、との見方も取れるし、夫側にしても夫婦喧嘩を密かに録音していたのは、それを何かしらに利用しようとしていたのではないのか、との疑念も湧くし、単純にどちらか一方だけに咎があると割り切ることのできない映画になっていた。

いつのころからか、たぶんベルイマンの『秋のソナタ』あたりからか、家族や夫婦の辛辣な喧嘩のシーンが好きになってしまった。今回の夫婦による言い争いも、息子がそれを裁判で聞かなければならない心情も加わって、なかなか辛い、厳しい、だからこそ良いシーンだった。でも、夫が密かに録音していたものの証拠開示だったのだから、そこは音だけでも良かったような気もする。再現シーンを入れてしまうと、映画を観ている我々が裁判以上の情報を得てしまうので、特に夫の精神的にやつれている表情を見てしまうと自殺説のほうに寄ってしまうので、そこはもうちょっとぼかしても良かったとおもう。

→ジュスティーヌ・トリエ→ザンドラ・ヒュラー→フランス/2023→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、パティ・ルポーン、ゾーイ・リスター=ジョーンズ、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、カイリー・ロジャース、パーカー・ポージー、ヘイリー・スクワイアーズ、ドゥニ・メノーシェ、マイケル・ガンドルフィーニ、リチャード・カインド
原題:Beau Is Afraid
制作:アメリカ/2023
URL:https://happinet-phantom.com/beau/
場所:MOVIX川口

いままでアリ・アスターの作品を『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』と観てきて、映画を楽しみながらも突然起きるとてつもなく残虐なシーンにあまりにも衝撃を受けたので、アリ・アスターの新作と云うだけで、またそのような衝撃的なシーンがいつ起きるのだろうかとドキドキしながら『ボーはおそれている』を観てみた。

おそるおそる映画を観はじめると、最初から残虐的なシーンがありながらも、自分がアリ・アスターの映画をおそれている以上に主人公のボー(ホアキン・フェニックス)がすべてのものに怯えて、小動物のようにビクビクしているので、そこに安心感が芽生えると云うのか、反動で笑ってしまうような気分にさせられてしまった。なるほど、『ボーはおそれている』をホラー・コメディ映画と分類しているのは、そんなところに所以があったのか。

でも、ボーの自律神経が乱れているような状態を3時間も見せられて、それが母親による支配が原因だとわかったとしても、これはいったい何の映画なのだ? の疑問が最後まで残ってしまった。

映画を観終わったあとにYouTubeの町山智浩の解説を見ると、この映画はアリ・アスターがユダヤ人であることからくる宗教的な映画だと云う。ユダヤ社会では母親が子供に対してすべてをコントロールしようとする傾向があるようで、加えてユダヤ教の厳しい戒律を守ることのできない葛藤なども絡んで、複雑性PTSDのような精神疾患を発症してしまった男の映画だと云うことがわかってきた。そこにユダヤ文学で有名なフィリップ・ロスの小説にもインスパイアされたイメージも加わって、日本人にはわかりにくい、得体のしれない映画に出来上がっていた。

まあ、ユダヤ教でなくとも、たとえ日本人であったとしても、親から支配を受けている子供はいるとおもう。最近のNHK「クローズアップ現代」で特集していた親から教育虐待(子どもの心身が耐えられる限界を超えて親が教育を強制すること)を受けている子供なども、おそらくこのボーのような状態なのかもしれない。でも、そのような精神状態を映画で疑似体験させられもなあ。映画がアメリカでコケた理由もわからなくもない。

町山智浩の解説でも云っていたけれど、この映画の脚本が完成したのはもっと前だろうから、アリ・アスター自身にそんな意識はなかったのだろうけれど、いまこの映画を観るとどうしてもボーの母親にイスラエルを重ねて見てしまう。となると、ますます精神的に滅入る映画で、そこはアリ・アスターの真骨頂だった。

→アリ・アスター→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2023→MOVIX川口→★★★☆

監督:マシュー・ヴォーン
出演:ブライス・ダラス・ハワード、ヘンリー・カヴィル、サム・ロックウェル、ブライアン・クランストン、キャサリン・オハラ、デュア・リパ、アリアナ・デボーズ、ジョン・シナ、サミュエル・L・ジャクソン
原題:Argylle
制作:イギリス、アメリカ/2024
URL:https://argylle-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

マシュー・ヴォーンが作るアクション映画のテンポが好きなので、『キングスマン』と同じノリだろうと新作の『ARGYLLE/アーガイル』も観てみた。

スパイ小説「アーガイル」シリーズの著者である小説家エリーは、小説の内容が現実に進行している陰謀に似すぎているために事件に巻き込まれてしまう、と云う「つかみ」はOKなんだけれど、エリーを演じているブライス・ダラス・ハワードがあまりにもアクションに似合わない体型をしているので、そこばかりが気になってしまった。もちろんそこのギャップを楽しめれば良いのに個人的にはダメでした。

映画の終わり方からして、続編がある匂いがプンプンしているけれど、そこまでそれぞれのキャラクターに魅力があるとはおもえない。エリーの愛猫であるアルフィーの活躍の場ももうちょっと欲しいなあ。

→マシュー・ヴォーン→ブライス・ダラス・ハワード→イギリス、アメリカ/2024→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:ビクトル・エリセ
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント、ペトラ・マルティネス、マリア・レオン、マリオ・パルド、エレナ・ミケル、アントニオ・デチェント、ホセ・マリア・ポウ、ソレダ・ビジャミル、フアン・マルガージョ、ベネシア・フランスコ
原題:Cerrar los ojos
制作:スペイン/2023
URL:https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/
場所:ユナイテッド・シネマウニクス南古谷

日本でビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』が公開されたのは1985年だった。今でもシネ・ヴィヴァン・六本木に観に行ったことをありありとおもい出せる。同時にアナ・トレントの大きな瞳のことも。

『ミツバチのささやき』が作られたのは1973年。それからビクトル・エリセは『エル・スール』(1983年)『マルメロの陽光』(1992年)しか撮ってなくて、今回の『瞳をとじて』で長編映画は4作目。『ミツバチのささやき』が作られてから51年が経っていて、日本公開からもすでに39年が経っている。でも寡作の監督の作品は、作られた間隔が長いわりには、なぜか時間が凝縮して感じられる。『マルメロの陽光』を観たのがもう30年前になるとはとても信じられない。

今回のビクトル・エリセの『瞳をとじて』は、22年前の撮影中に失踪した俳優をめぐるテレビ番組をきっかけに、その番組に出演した映画監督が視聴者からの情報を元に俳優の居場所を突き止めていくストーリーだった。

俳優が失踪したことによって完成しなかった映画のシーンからはじまるこの映画は、映画フィルムと云うものが過去を定着させる意味合いも含んでいることから、そこから受けるノスタルジーな感覚がとても強烈で、さらに失踪した俳優の娘役をアナ・トレントが演じていることからも、ビクトル・エリセが映画を作ってきたゆるやかな時間を同時におもい起こさせるものになっていた。

ノスタルジーは簡単に人の感情を揺さぶることができるので、57歳になったアナ・トレントに「Soy anna」と云わせるところは、それはズルイよ、と感じながらも、どうしたって目がウルウルにならざるを得ない映画だった。

→ビクトル・エリセ→マノロ・ソロ→スペイン/2023→ユナイテッド・シネマウニクス南古谷→★★★★

監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ、ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット、キャサリン・ハンター、ジェロッド・カーマイケル、マーガレット・クアリー、スージー・ベンバ
原題:Poor Things
制作:イギリス、アメリカ、アイルランド/2023
URL:https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

ヨルゴス・ランティモスの映画はいつも不快だ。とても嫌な気分にさせられる。この嫌な気分が何なのかと考えると、一般的な社会通念を押し付けられて生きて来た自分の存在にいつの間にか気付かされてしまう。人間の根底にある獣の本性を抑え込んで、上品ぶって取り繕っている我々の社会的な価値観を、そんなのはクソだ! と見透かされてしまうところが嫌な気持ちにさせられる原因のような気がする。昨今の正義を振りかざすSNSの蔓延で、ますますヨルゴス・ランティモスの映画が身にしみるようになってきている。

昨年のカンヌ映画祭のパルムドール賞を獲ったヨルゴス・ランティモスの『哀れなるものたち』は、ウィレム・デフォー演じる外科医であるゴッドによって、自分が産んだ赤ん坊の脳を移植させられてしまうエマ・ストーン演じるベラと云う女性が主人公だった。自殺した身重のベラをたまたま救い出した「マッド・サイエンティスト」ゴッドによる脳移植実験がこの映画のテーマだった。

人間の赤ん坊と云うものは、まだ獣の本性むき出しの状態で、おもいついた事を何でも行動に移すし、気持ちの良いことは追求するし、嫌いなものはとことん拒否する。成人の体を持つ人間がその赤ん坊の知能でいることをゴッドは注目し、獣の本性がまだ残る状態でありながらも知性を身に着けていくさまを、ヨルゴス・ランティモスの初期の映画『駕籠の中の乙女』(2009)のように、自分の屋敷内に閉じ込めたまま、社会的な常識に毒されないように観察して行く。

ところが、ゴッドの教え子であるラミー・ユセフ演じる医学生マックス・マッキャンドルスとベラを結婚させる段階で、その契約書作りに関わったマーク・ラファロ演じる弁護士ダンカン・ウェダバーンとベラは駆け落ちしてしまう。ゴッドはこれを容認していたようなふしがあって、可愛い子には旅をさせよ、さながら、その目で世間を観察することでベラは、獣のような欲望はそのままにますます人間として進化していく。

そのベラの進化をさらに飛躍させたのは、リスボンからアレキサンドリアへ向かうクルーズ船の中で知り合った老婆マーサとその連れ合いの若い黒人ハリーだった。この二人には達観したような知性があって、上流社会から見れば下品とも取られるベラの発言をも包みこんでしまう。そして黒人ハリーの影響で哲学書を読むようになったベラは世間を見る目も変化し、アレキサンドリアの貧しい人たちに心を痛めるようになる。たまたまクルーズ船のカジノで大勝ちしたダンカンのお金があったので、それをすべて貧しい人たちに与えようとクルーズ船の乗員に手渡してしまう。もちろんそのお金は貧しい人たちには渡らずに乗員の懐に入ってしまうのだろう。このようにベラには相手を疑わない無垢な心がまだ残っていて、同時の獣の心も残っていて、そこにプラスアルファで知性もが備わっていく過程が面白い。

無一文になったベラとダンカンはパリにたどり着く。そこでベラはお金を稼ぐために娼婦になる。娼婦にまで「身を落とした」ベラが気に食わないダンカンは激怒する。でも「身を落とした」とはまったく感じないベラは、あっけらかんとダンカンと男性客のセックスの上手さを比較したりする。ベラにとって娼婦とは単純にお金を稼ぐための手段でしかなくて、同時に性欲をも満たすことのできる格好の職業だった。娼婦を取り仕切るスワイニー(キャサリン・ハンター!)に対して、相手を選ぶのは男性客ではなく娼婦側からするのが良いんじゃない? なんて無垢な心のまま働き方改革までしようとする。

娼婦の同僚から社会主義の集会に誘われるようになったベラはまた一段と進化して行き、凡人でしかないダンカンとの比較から、このベラこそが人間の本来あるべき姿ではないかと云う、この映画のテーマが見えてくる。

そしてこのベラとダンカンの駆け落ちの旅は、ウィレム・デフォー演じるゴッドが末期の病気になっていると知らされることで結末を迎える。同時に、ベラを自殺に追い込む原因を作った元夫も登場する。すでに完全な人間として変貌しつつあったベラはその元夫を簡単に撃退し、その元夫に動物の脳を移植して庭で飼うことにより、亡くなったゴッドの実験を引き継くこととなって映画は結末を迎える。

今回のヨルゴス・ランティモスの映画も不快な映画だった。でも途中から、エマ・ストーンのベラに人間の本質を見出すようになって、すごい映画だなあ、の感想に変わって行く。としても、やっぱり不快な映画には違いはなくて、その微妙な気持ちの揺れが自分にとってのヨルゴス・ランティモスの映画だった。

→ヨルゴス・ランティモス→エマ・ストーン→イギリス、アメリカ、アイルランド/2023→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★★