骨までしゃぶる

監督:加藤泰
出演:桜町弘子、久保菜穂子、宮園純子、桑原幸子、小島恵子、沢淑子、石井トミコ、三島雅夫、三原葉子、菅井きん、岡島艶子、夏八木勲、横山アウト、芦屋小雁、芦屋雁之助、汐路章、遠藤辰雄
制作:東映/1966
URL:
場所:フィルムセンター

加藤泰監督の仁侠映画『緋牡丹博徒 花札勝負』に惚れ込んでから、もっと彼の映画を見たいとおもっているのだけれど、全46本中、まだ10本程度しか見ることができていない。そんなことではいけないとおもい直し、今回のフィルムセンターの特集上映に駆け込んだ。

いやあ、凄い映画だった。加藤泰監督作品の特徴であるローアングルとクローズアップがこれでもかと多用されていて、主演女優の桜町弘子が不細工に見えてしまうほどの極端なカメラワークだった。さらに汐路章や三島雅夫の悪役連中もその近いカメラのために、汚さ、意地悪さ、気味悪さが爆発していて、州崎遊廓にうごめく人間模様が気持ち悪くもあり、あまりのデフォルメに笑ってしまうほどでもあり、そこに娼妓の哀しさ、わびしさも加わって、映画が見せる人間の大博覧会のような様相を呈していた。

加藤泰監督作品としては『緋牡丹博徒 花札勝負』『緋牡丹博徒 お竜参上』と同等の、いやそれ以上の出来栄えの映画だった。どんなタイプの映画であったとしても、画面から熱気が伝わってくる映画にはほんと脱帽する。

→加藤泰→桜町弘子→東映/1966→フィルムセンター→★★★★

ブルックリン

監督:ジョン・クローリー
出演:シアーシャ・ローナン、ジュリー・ウォルターズ、ドーナル・グリーソン、エモリー・コーエン、ジム・ブロードベント、フィオナ・グラスコット、ジェーン・ブレナン、アイリーン・オイヒギンス、ブリッド・ブレナン、エミリー・ベット・リッカーズ、イブ・マックリン
原題:Brooklyn
制作:アイルランド、イギリス、カナダ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/brooklyn-movie/
場所:TOHOシネマズシャンテ

アイルランドからアメリカに渡った移民のストーリーはいくつもの映画に題材として取り上げられていて、パッとおもいつくだけでもマーティン・スコセッシ監督『ギャング・オブ・ニューヨーク』、ジム・シェリダン監督『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』、アラン・パーカー監督『アンジェラの灰』と枚挙にいとまがない。そしてそのほとんどの映画が、貧困のあまり新天地に希望を見い出さざるを得ない人びとのストーリーだった。

ジョン・クローリー監督の『ブルックリン』は、そのような今までのアイルランド移民のストーリーとはちょっとばかり趣が変わっていて、アメリカ経済が急速に成長した1950年代が舞台設定の所為か、せっぱ詰まった悲壮感がまったく無かった。主人公シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活も、ブルックリンのデパートで働きながら大学に通って簿記の資格を取ろうとする前向きな姿勢が強調されているし、アメリカで知り合ったイタリア移民のエモリー・コーエンにも安定した仕事があるし、結婚してロング・アイランドに家を建てようと将来を語り合うシーンも前途洋々の希望しか見いだすことは出来なかった。

じゃあ、そこにどんなドラマが生まれるかと云うと、アイルランドに残してきた姉が突然亡くなって、ひとりぼっちになってしまった母親を見舞うためにアイルランドへ帰郷したことからはじまる顛末だった。生前に姉が行っていた仕事を引き継いだり、昔なじみの男と再会してそれなりの仲になったりと、アメリカで密かに結婚したことを隠してこのままアイルランドに残るのか、ブルックリンにいる夫のエモリー・コーエンの元に帰るべきなのか、シアーシャ・ローナンの内なる葛藤が映画の後半のテーマとなっていて、そこがちょっとサスペンスフルでなかなか面白かった。

ジョン・クローリーが巧かったのは、シアーシャ・ローナンのアメリカでの生活について(特に住み込む寮の女たち!)もしっかりと描いていて、すでにブルックリンへの郷愁も生じさせるように仕向けていたことだった。どちらの国に残ったっとしても、片方への郷愁が残ってしまう八方ふさがりな状況は胸が締めつけられるようで見ていてなんとも辛い映画だった。救いだったのは、アイルランドの国の色でもあり、アイルランドの生活の場のそこかしこにも見られる奇麗な「緑」が、アメリカのロング・アイランドにも見られることだった。「緑」こそが郷愁の色だったのだ。

→ジョン・クローリー→シアーシャ・ローナン→アイルランド、イギリス、カナダ→TOHOシネマズシャンテ→★★★★

白い夏

監督:斎藤武市
出演:青山恭二、織田政雄、芦川いづみ、中原早苗、坪内美詠子、近藤宏、天草四郎、長谷川照容、相原巨典、西村晃
制作:日活/1957
URL:
場所:神保町シアター

昨年の9月と今年の2月に神保町シアターで行われた特集「恋する女優 芦川いづみ」には、ハッと気付いたら一つも行けなかった。今回はしっかりと「名画座手帳」にスケジュールを書き込んで、まずは(と云っても観られるのはこれだけかもしれない)今までに観たことのない斎藤武市監督の『白い夏』を観に行った。

斎藤武市(さいとうぶいち)監督は、同僚の日活の江崎実生監督と共に平凡な監督であることを揶揄されて「斎藤コンブ、江崎グリコ」と云われていたと何かの本で読んだ気がする。そのイメージからか今まではあまり注目することもなく、もしかすると吉永小百合と浜田光夫の『愛と死をみつめて』をテレビで見たか? 程度の監督だった。

はじめてこの『白い夏』をしっかりと映画館で観て、ああ、たしかに、とりたてて特異な作風を持っているわけでもなく、何か注目すべきテクニックがあるわけでもなくて、でも、悪い作品でもなく、しっかりと芦川いづみを奇麗に撮っているし、職人監督としては腕のある人なんだなあ、と云うイメージだった。青山恭二が芦川いづみに対して「好きなんだあ〜」と床を転げ回る演出とか、うわぁ、なんだこれ、とおもったりはしたけれど。

映画の内容が平凡でも、今回は「恋する女優 芦川いづみ」特集なんだから、芦川いづみが奇麗に映っていたので100点満点!

→斎藤武市→青山恭二→日活/1957→神保町シアター→★★★

シング・ストリート 未来へのうた

監督:ジョン・カーニー
出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボーイントン、マリア・ドイル・ケネディ、エイダン・ギレン、ジャック・レイナー、ケリー・ソーントン
原題:Sing Street
制作:アイルランド、イギリス、アメリカ/2015
URL:http://gaga.ne.jp/singstreet/
場所:109シネマズ菖蒲

『はじまりのうた』が良かったジョン・カーニーの新作『シング・ストリート 未来へのうた』は、やはり前作と同じように「音楽」をモチーフとした映画で、1985年のアイルランドのダブリンでバンドを作ろうとする高校生のストーリーだった。

80年代の音楽はマイケル・ジャクソンの(ジョン・ランディスが撮った)「スリラー」をきっかけとしたミュージック・ビデオの時代で、あれはたしか小林克也の音楽番組「ベストヒットUSA」だったとおもうけど、「スリラー」のミュージック・ビデオがフルで放送されると云うのでビデオをセットして録画待機したものだった。その時から、A-haの「Take On Me」とか、ジョージ・マイケルの「Faith」とか、ダイアー・ストレイツの「Money for Nothing」とか、カーズの「You Might Think」とか、めくるめくミュージック・ビデオの洪水を浴びて、すっかり映像+音楽ありきの人間が形成されてしまいました。

『シング・ストリート 未来へのうた』は、そのミュージック・ビデオの時代のストーリーで、主人公の14歳の少年コナーが兄貴の影響からデュラン・デュランの「Rio」にインスパイアされてミュージック・ビデオを作るあたりからはまるで自分のことを見ているようだった。

この「Rio」にインスパイアされて14歳の少年コナーがバンド「シング・ストリート」を組んで作った曲&ビデオ「THE RIDDLE OF THE MODEL」がこれ。

さらにThe Cureの「In Between Days」。

これにインスパイアされて作った「A Beautiful Sea」がこれ。

手で拍子を取るのはやっぱりホール&オーツへのリスペクトだなあ。

そして、ホール&オーツがもろ影響した「Drive It Like You Stole It」。

ストーリーに何か目新しいところは何も無いけど、不良の描き方が中途半端で不満だけど、なんだろう、80年代の音楽の「ちから」と云うべきなのかもしれないけど、ダブリンの14歳の少年コナーたちに自分が同化してしまって、とても心が踊ってしまった。やっぱり自分は映像+音楽ありきの人間なんだなあ。

→ジョン・カーニー→フェルディア・ウォルシュ=ピーロ→アイルランド、イギリス、アメリカ/2015→109シネマズ菖蒲→★★★☆

広島・長崎における原子爆弾の影響 広島編

監督:
出演:
制作:日本映画社/1946
URL:
場所:「被爆者の声をうけつぐ映画祭」武蔵大学江古田キャンパス1号館地下1002シアター教室

原爆が広島と長崎に落とされたあとすぐに撮影隊が当地に入って原爆による被害状況の撮影を行ったことは、その時に映された映像を資料として断片的に見ることよって理解していたけれど、そのいきさつの詳しい事情は良くわかっていなかった。毎年(昨年は行かれなかったけど)行っている「被爆者の声をうけつぐ映画祭」で『広島・長崎における原子爆弾の影響 広島編』を観ることによって、そしてそのあとの永田浩三(武蔵大学社会学部教授)さんのトークを聞くことでその事情を理解することが出来た。

その事情は、この日映映像のホームページにある「原爆映像の経緯」に年表としてまとめられている。
http://www.nichiei-eizo.jp/genbaku.html

要約するとこんな感じ。

1945年
8月8日、日映(日本映画社)本社のカメラマン柾木四平が広島に入り市内を撮影する。
8月9日、日映大阪支社のカメラマン柏田敏雄が広島に入り市内を撮影する。
9月3日、日映の伊東寿恵男、相原秀二らが企画した原爆被災記録映画の製作決定。
9月23日、日映の生物班が広島での調査・撮影を本格的に開始。
10月1日、日映の物理班、医学班が広島での調査・撮影を本格的に開始。
10月17日、長崎に入った日映の製作スタッフが進駐軍の干渉を受ける。
10月27日、製作スタッフが長崎の進駐軍と映画撮影について交渉するが、撮影許可を得ることができず撮影は中断。
11月6日、フィルムの現像に入る。
12月18日、映画製作は米国戦略爆撃調査団の委嘱により継続が決定。
12月26日、日映の物理班、長崎での調査・撮影を本格的に開始。

1946年
4月21日、映画が完成。
5月4日、日比谷公会堂で米国関係者への映画の試写会を開催。映画のネガフィルムを米国へ輸送(20日頃までにすべてのフィルムを輸送)。

このようないきさつで、撮影されたフィルムはすべてアメリカに行ってしまった。で、そこから20年が経って、

1967年
11月9日、映画フィルムの複製(35mmが16mmに複製されていた!)が米国から文部省へ返還される。

1968年
4月13日、映画の日本語版が完成するが、人権に配慮して一部がカットされる。
5月2日、広島市公会堂で映画を一般公開。
10月24日、原爆記録映画全面公開推進会議が文部大臣へ映画の全面公開(ノーカット)を求める。

1995年
8月、平和博物館を創る会映画委員会が、映画「広島・長崎における原子爆弾の影響/日本語版」(ノーカット)を完成。

これほどまでに長い時間がかかってノーカット版『広島・長崎における原子爆弾の影響』が日の目を見ることとなったことがよくわかった。映画自体の内容(特にやはり「人体への影響」など)にも目を瞠るものがあるけど、そのただならぬ事態を悟ってすぐさま現地に入った日本映画社のスタッフの強烈な想いが込められたフィルムが、いろんな人の手に渡りながらもその輝きを失わずに生き長らえてきたその歴史にも感動させられる映画だった。

→→→日本映画社/1946→「被爆者の声をうけつぐ映画祭」武蔵大学江古田キャンパス1号館地下1002シアター教室→★★★★

エクス・マキナ

監督:アレックス・ガーランド
出演:ドーナル・グリーソン、アリシア・ヴィキャンデル、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ
原題:Ex Machina
制作:イギリス/2015
URL:http://www.exmachina-movie.jp
場所:新宿シネマカリテ

先日、Googleが作った(Googleに買収された人工知能開発ベンチャーの「DeepMind」が作った)人工知能「AlphaGo」が囲碁の世界チャンピオンを破ったことでニュースになった。囲碁はチェスや将棋と比べても複雑で直感も必要と考えられていたために、人工知能もついにここまで来たのか! の驚きで持ってみんなに迎えられた。

それと呼応するように、次のようなニュースも世界を駆け巡った。

「Microsoftの人工知能が「クソフェミニストは地獄で焼かれろ」「ヒトラーは正しかった」など問題発言連発で炎上し活動停止」
http://gigazine.net/news/20160325-tay-microsoft-flaming-twitter/

マイクロソフトが人間の会話を理解する目的で作ったボット「Tay」にTwitterをやらせたところ暴言を連発し出して即刻中止になったそうだ。

この二つとも人工知能の学習アルゴリズムが進化している証拠を示す良い事例で、マイクロソフトのボットがとりたてて無能なわけではなくて、人工知能と云えどもどんな環境下で学習するかでその進化の方向が決まってしまう事例を示しているだけだとおもう。

アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』の舞台は、すでに人工知能の学習アルゴリズムが高度に発達した時代の設定で、その学習が正しい方向に向かっているのかどうかを第三者によって「チューリング・テスト」されるストーリーだった。でも、いかに進化しているとは云え、それはまるでマイクロソフトのボットと同じように、作った人間の環境下に支配されることよって形作られた「食わせ物」の本性が明らかになって行く過程がサスペンスフルで面白かった。

自分の親を殺した子供が野に放たれて、いったい人工知能ロボット「エヴァ」は今後どのように進化して、人間社会にどのような影響を及ぼすのだろうか、と、その恐怖の余韻が残るラストと同時に、オープニング・クレジットにフラクタルな図形が使われている段階で、さらにところどころに自然風景を挿入したり、ジャクソン・ポロックの絵画が出て来たりと、人工知能の進化も一様ではない可能性を示している救いも用意されているところもなかなか魅力的な映画だった。

→アレックス・ガーランド→ドーナル・グリーソン→イギリス/2015→新宿シネマカリテ→★★★★

カルテル・ランド

監督:マシュー・ハイネマン
出演:ホセ・ミレレス、ティム・フォーリー
原題:Cartel Land
制作:メキシコ、アメリカ/2015
URL:http://cartelland-movie.com
場所:川越スカラ座

今年日本で公開されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』は、メキシコの麻薬カルテルのボスを殺害する作戦に参加させられてしまう女性FBI捜査官のストーリーだった。そこで描かれるメキシコの町「シウダー・フアレス」が強烈に不気味で、道端にぶら下がっている複数の首つり死体、官憲でありながら敵か見方かわからない警察官、とてつもない重火器を多数備えたギャングたちと、

現在のメキシコはこんなふうになってしまったんだ!

と驚いてしまった。

そしてその興味からヨアン・グリロ著(山本昭代訳)「メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱」(現代企画室)を読み出してしまった。

メキシコの現状は想像していたものよりも相当悲惨な状態になっていた。アメリカと云う麻薬の巨大市場が隣にあるために利権を奪い合って一般市民をも巻き込んで殺し合うメキシコのカルテルたち。そのカルテルと癒着する警察官たち。国の予算で訓練された兵隊が除隊してカルテルの軍隊となるしくみ。アメリカから密輸されるとてつもない量の武器、弾薬。もう何もかもが負の連鎖で複雑に絡み合ってしまって、それをほぐす糸口さえもまったく見い出すことの出来ないメキシコの政治家たち。ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はそのようなメキシコの現状を芸能や宗教までも押さえていろんな角度から検証していた。

さらに今回、活字を追うだけではなくて、ドキュメンタリー映像を見る事によってさらに「メキシコ麻薬戦争」を補完できるのではないかとおもってマシュー・ハイネマン監督の『カルテル・ランド』を見てみた。

期待していたのはメキシコの麻薬戦争を包括的に描くドキュメンタリーだったのだけれど、そうではなくて、麻薬カルテルに対抗する市民による「自警団」についての、また違った角度からのメキシコの麻薬戦争についてのドキュメンタリーだった。まあ、それはそれで、本にはなかった事実を知ることが出来て面白い。面白いけど、ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」を読んでいるのならまだしも、この映画を見ただけではティフアナやシウダー・フアレス、そしてセタスやラ・ファミリアなどのカルテルが乱立するメキシコの麻薬戦争の全貌が俯瞰出来ずに、市民による「自警団」と云う細部からメキシコの麻薬事情を伺い知る程度になってしまうのが残念だった。

ヨアン・グリロの「メキシコ麻薬戦争」はめちゃくちゃ面白いので、もし『カルテル・ランド』でメキシコの麻薬事情に興味を持ったのなら絶対に読むべきだとおもう。

※絶対に行かねばとおもっていた川越スカラ座にはじめて来てみた。おお、これは昭和の名画座だ!こんな感じの映画館でどれだけ時を過ごしたことか。ああ、もっと川越スカラ座に来たいけど、川越って埼玉東部からは山一つ越える感じなんだよなあ。実際には川だけど。

→マシュー・ハイネマン→ホセ・ミレレス→メキシコ、アメリカ/2015→川越スカラ座→★★★

デッドプール

監督:ティム・ミラー
出演:ライアン・レイノルズ、モリーナ・バッカリン、エド・スクライン、T・J・ミラー、ジーナ・カラーノ、レスリー・アガムズ、ブリアナ・ヒルデブランド、ステファン・カピチッチ、カラン・ソーニ、ジェド・リース
原題:Deadpool
制作:アメリカ/2016
URL:http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/
場所:109シネマズ木場

マーベル・シネマティック・ユニバースの映画は追いかけているものの「X-MEN」系統のほうには疎いので、この『デッドプール』がはたして楽しめるかどうか気にはなりながらも結局は公開終了間際に飛び込んでしまった。

想像していたよりも主人公がベラベラとしゃべり、やたらと楽屋オチのギャグを飛ばすお調子者のトリックスターの部分には面白く感じつつも、うーん、その「X-MEN」ネタやハリウッド・ネタのギャグがあまり面白くなく、それはその元ネタを知らないから笑えないのか、その笑わせ方に問題があるのか判断がつかないのだけれど、とにかくほんの一部のギャグ(シネイド・オコナーのとことか、ウルヴァリンのお面を被っているところとか)にしか笑えずに困ってしまった。この映画を大絶賛している人が多いけど、そのような内輪ネタのギャグに大笑いしているんだろうか。

まあ、とにかく、原作では「アベンジャーズ」にゲスト出演しているらしいので、ここはとりあえず押さえておかないといけないのか。

→ティム・ミラー→ライアン・レイノルズ→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★☆

FAKE

監督:森達也
出演:佐村河内守、佐村河内香
制作:「FAKE」製作委員会/2016
URL:hhttp://www.fakemovie.jp
場所:ユーロスペース

2014年に起きた佐村河内守のゴーストライター問題は、彼のことをまったく知らなかったので、一人の人間がどうしてあそこまで罪人のようにマスコミにつるし上げられなければならないのかいまいちよくわからなかった。

おそらく、

・耳が聞こえるのに、聞こえないと嘘をついた。
・まったく作曲ができないのに、自分で作曲していると嘘をついた。

の2つの嘘を元に、不当に自分をイメージアップさせてお金を稼いだ(だまし取った)ことに我慢がならないと云うことなのかなあ。

しかし、ゴーストライターだった新垣隆が楽曲の権利を主張しているわけでもないし、そのCDを買った人は曲の完成度に満足しているらしくて、佐村河内守を「詐欺師」と刑事告発するものでもないらしい。舛添要一と同じように、違法ではないが不適切、らしい。

その佐村河内守を追った森達也のドキュメンタリーは、その2点の嘘を解明することに絞り込んだコンパクトなドキュメンタリー映画だった。

まずは、本当に耳が聞こえないのかどうか。そこを執拗に森達也のカメラは追いかける。でも、耳が聞こえるか聞こえないかなんて、第三者にはその程度はまったくわからない。完全に聴力を失っているのなら明確な診断書が医者から発行されるのだろうけど、微妙な差異は他人には確認しようがない。ただ、一つ云えることは、この問題が明らかになる前に放映されたNHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」では「完全に音を失った」ことを強調し、耳鳴りに悩まされて日常生活にまで支障を来している様子を強調して、佐村河内守の作曲は命を削ってまで行われていることをやたらと視聴者に訴えかけていた。この番組を見た人は、その描写で持って佐村河内守に同情を寄せたかも知れないし、それで佐村河内守を知ってCDを買った人が多数いたのかもしれない。

ところが今回の『FAKE』では「完全に音を失った」ではなくて「音がねじ曲がって聞こえる」に変わっているし、耳鳴りやそれを抑えるために飲む薬についての描写はまったくなかった。NHKスペシャルの時よりも病状が回復しているんだろうか。いや、おそらくは、佐村河内守の耳には何かしらの問題はあるのだろうけど、その程度はNHKスペシャルで描かれたほど酷くはないと云う感じなんじゃないかとおもう。そこに明確な、それでいてささやかな「嘘」が存在するのは確かなような気がする。

次に作曲についてだけど、佐村河内守は新垣隆に丸投げしたのではなくて「共作」であることをやたらと強調していた。その指示書も多数出てくる。自分には音楽的なイメージは湯水のように湧くけど、それを楽譜に起こすことが出来ないので、その部分だけを新垣隆に手伝ってもらっただけだと云う。うーん、曲のイメージを形作ることと実際に音符を書くことの分担が出来て、その作業を「共作」と呼べるのかどうかは音楽的な知識がないのでまったく判断のしようがない。なので、この映画ではその疑惑を素人でも判断できるように、佐村河内守がシンセサイザーを購入して作曲するシーンをラストに持ってきた。おお、作曲できるじゃん、とは一瞬おもったけど、でもこれ、ただの打ち込みだよなあ、とすぐさま冷静になる。これを持ってして、彼の非凡な作曲能力が示される訳ではなくて、ただただ、フツーに打ち込みをする姿が映し出されるだけなのですべてが微妙なままだった。

この森達也のドキュメンタリーは「佐村河内守を信じる」宣言をして、一緒に泥舟に乗って漕ぎ出しているような構成にはなっているので、ラストに佐村河内守が作曲をするシーンを持ってくることによって、どうだ、佐村河内守は白だろう、と訴えかけているような作りになっていた。しかし、森達也が云っている「ドキュメンタリーは嘘をつく」をすぐさま思い出した。ああ、これは確信犯だな、と。本当は、佐村河内守のことを白だなんてまったく考えてないと。それがエンドクレジット後の佐村河内守への問いかけにかいま見える。おお、そこがタイトルの『FAKE』なのか!

いやいや、とても面白い映画でした。

→森達也→佐村河内守→「FAKE」製作委員会/2016→ユーロスペース→★★★★

ホース・マネー

監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴェントゥーラ、ヴィタリナ・ヴァレラ、ティト・フルタド、アントニオ・サントス
原題:Cavalo Dinheiro
制作:ポルトガル/2014
URL:http://www.cinematrix.jp/HorseMoney/
場所:ユーロスペース

昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でこの映画を観たときは、立て続けに何本も映画を見て疲れていた所為か、その時の調子も悪かったのか、まるで映画の内容と同調したかのように生きているのか死んでいるのかわからないほどに朦朧となってしまって、ゾンビのような男が暗い廃虚を彷徨っているイメージしか記憶に残らなかった。

その雪辱戦として観た今回は体調も良く、周りには寝息を立ててぐっすり眠っている人もいる中でしっかりと映画を観ることができた。しかし、その内容を理解するには自分の知識の範囲内では到底無理で、元ポルトガル領の国カーボベルデからリスボンに移住してきた男ヴェントゥーラが、その死に際に自分の生きてきた過去と現在、そして未来をも彷徨い歩く姿を構図豊かなイメージの奔流として見せられただけとしか捉えようがなかった。

おそらく、ヴェントゥーラの妻ズルミラへの手紙のこととか、同じカーボベルデ出身の女ヴィタリナのことなどは記憶の迷路に迷い込んだ幻想として捉えるだけでも許してくれそうだけど、後半の多くを占める顔を黒く塗って鉄かぶとを被った兵隊とのまるでテレパシーのような会話はそれだけで済ませてしまうのはもったいないような気がする。でもそこを理解するには1974年にポルトガルで起きたカーネーション革命のことをもっと知らなければならないし、それがなければ最後に出てくるケースに入ったナイフの意味も理解することはできないような気がする。(途中にカーボベルデの音楽バンド、オス・トゥバロスの曲が流れるが、その曲名は「アルト・クテロ(高貴なナイフ)」だそうだ!)

http://creatorspark.info/musicmovie/26299
ここのインタビューを読むとペドロ・コスタはナイフのことさえ忘れている!
結局、映画なんてそう云うものなんでしょう。映画の解釈なんて、後付けで評論家がするもの。

イメージ豊かなこの映画はそれだけでも見るに値する映画ではあるけれど、ポルトガルの歴史を知らなければこの映画の本質を理解するには至らないので、自分の知識のなさを悔やむ結果に終わるだけだった。

→ペドロ・コスタ→ヴェントゥーラ→ポルトガル/2014→ユーロスペース→★★★☆