海辺のポーリーヌ

監督:エリック・ロメール
出演:アマンダ・ラングレ、アリエル・ドンバール、パスカル・グレゴリー、フェオドール・アトキン、シモン・ド・ラ・ブロス、ロゼット
原題:Pauline à la plage
制作:フランス/1983
URL:
場所:角川シネマ有楽町

エリック・ロメールの3本目は、ノルマンディーの別荘にやってきた15歳の少女ポーリーヌと従姉マリオンが海辺で出会う男たちとの会話劇。

今までの『モード家の一夜』と『友だちの恋人』に比べると、夏の避暑地が舞台の所為か開放的な男女関係がベースとなっているために、どちらかと云うと主人公の慎ましやかで内向的な性格に対して共感が向いてしまう自分にとってはあまり楽しめるシチュエーションではなかった上に、この映画の中での唯一、内向性を代表しているようなピエールが、見るからに女好きでちょいワルはげおやじアンリに負けてマリオンを取られてしまうストーリーも、そこに何か特別な思いが入り込む余地がまったくなかった。

マリオンとアンリ、ピエールの関係と平行するようにポーリーヌとシルヴァンの関係が同時進行するんだけど、そのふたつの対比がもっと明確に浮かび上がって来るようなストーリーだったら、たとえ片方で内向性が外向性に負けるシチュエーションだとしても、もっとポーリーヌとシルヴァンの爽やかな関係性に目が向いていたのに。なんだか、そのふたつのグループの情事は、ただ単純に並んでいるに過ぎなかった。

→エリック・ロメール→アマンダ・ラングレ→フランス/1983→角川シネマ有楽町→★★★

友だちの恋人

監督:エリック・ロメール
出演:エマニュエル・ショーレ、ソフィー・ルノワール、エリック・ヴィラール、フランソワ・エリック・ゲンドロン、アンヌ・ロール・ムーリー
原題:L’Ami de mon Amie
制作:フランス/1987
URL:
場所:角川シネマ有楽町

次のエリック・ロメールの映画は、登場人物が5人の会話劇だった。

どうしてこんなに会話劇の映画が好きになったのかはわからないのだけれど、日本語字幕と云う障害がありながらセリフの量が増えれば増えるほどその映画に対する愛情が正比例でアップしてしまう。たとえばベルイマンの『秋のソナタ』を例に取ると、リブ・ウルマンが母親役のイングリッド・バーグマンに対して数多くの言葉を重ねることによって心の奥深くに閉じこめていた感情が次第に露になって行く過程を見られることが嬉しいし、たとえばポランスキーの『おとなのけんか』では、理性的なジョディ・フォスターが売り言葉に買い言葉を続けることによって徐々にこめかみの血管が浮き立って行く過程が見られるのが好きだし、リチャード・リンクレイターの「ビフォア・シリーズ」では、言葉による相手の心の探り合い、駆け引き、愛情の高まり、失望、怒りがまるで川のように淀みなく流れて行く様子を見ることがとても楽しいし。

エリック・ロメールの『友だちの恋人』は、ビジュアルだけに頼りがちな純情で乙女チックな心の持ち主のエマニュエル・ショーレが、人生経験値の高いソフィー・ルノワールやフランソワ・エリック・ゲンドロンと言葉を交わすことによって、本当の自分の気持ちを次第に確認出来て行く過程が見られるところがとても面白い。おそらくエマニュエル・ショーレの演技経験が少ないので、演技での細かな感情の表現は乏しいのだけれども、それでもダイアローグのパワーでとても面白い映画になっている。このような何気ない男女のシチュエーションを会話だけで成り立たせる映画はとても地味だけれども、ダイアローグによって登場人物の感情の機微を察しながらドラマを見て行くことのできる会話劇ほど面白いものはない。

エリック・ロメールの作風が小津安二郎に似ているということを云う人がいるらしいけど、今までのところそうはおもえなかった。でも、この『友だちの恋人』のエマニュエル・ショーレとエリック・ヴィラールが一緒にウィンドサーフィンをするシーンをポンと挿入するところは、ちょっと『晩春』の原節子と宇津美淳がサイクリングするシーンがポンと挿入されるところをおもい出してしまった。些細な部分のことだけど。

→エリック・ロメール→エマニュエル・ショーレ→フランス/1987→角川シネマ有楽町→★★★★

モード家の一夜

監督:エリック・ロメール
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン、フランソワーズ・ファビアン、マリー=クリスティーヌ・バロー、アントワーヌ・ヴィテーズ、マリー・ベッカー
原題:Ma Nuit Chez Maud
制作:フランス/1968
URL:
場所:角川シネマ有楽町

エリック・ロメールの映画をあまり見ていないので、今回の角川シネマ有楽町でのエリック・ロメール特集で何本かを見てみようかとおもう。

まずはエリック・ロメールの代表作とも云われている『モード家の一夜』。

冒頭から教会での司祭の説教からはじまることからもわかるとおり、主人公の「カトリックを信仰していること」が色濃く反映されている映画だった。宗教的な価値観のまったくない日本人にとってはちょっと厳しい映画になるんじゃないかと構えて見はじめたところ、おもったよりも会話を中心とした軽快なテンポの映画で、会話の内容に宗教的な価値観や哲学的な言及があるものの、会話劇が大好きな自分にとってはとても楽しめる映画になっていた。

映画は三つのパートに分かれている。久しぶりに再会した古い友人ヴィダルとのカフェでの会話、その友人の女友達モードとのその女性の部屋での会話、教会で一目惚れした女性フランソワーズとの会話。

最初のヴィダルとのカフェでの会話には、パスカルの「パスカルの賭け」を持ち出した人生観や結婚観の哲学的なやりとりが延々と続くので若干辟易する部分はあるものの、その次のヴィダルの女友達モードとの会話には、カトリックの貞操観念に縛られた女好きな男の一歩踏み出したくても踏み出せない微妙な距離感を保ったままの女性とのやりとりに、まるで自分の不甲斐なさをそこに見るようですっかり感情移入してしまった。貞操観念の希薄な男女のストレートなやり取りばかりが氾濫する日本のテレビドラマや映画が多いなか、これこそが自分にとってのリアルだとおもってしまった。ああ、なんだろう、オレはカトリック教徒だったのか。

ネットで検索すると、露な男女関係や過剰な自意識を描く他のエリック・ロメール作品とは毛色が違う、と云うのがあった。ふーん、『モード家の一夜』はエリック・ロメール作品の中でも特殊なんだろうか。

次は『友だちの恋人』を観ようとおもう。

→エリック・ロメール→ジャン=ルイ・トランティニャン→フランス/1968→角川シネマ有楽町→★★★☆

GOLD

監督:トーマス・アルスラン
出演:ニーナ・ホス、マルコ・マンディク、ラルス・ルドルフ、ウーヴェ・ボーム、ピーター・クルト、ローザ・エンスカート、ヴォルフガング・パックホイザー
原題:GOLD
制作:ドイツ/2013
URL:
場所:アテネ・フランセ文化センター

最近のドイツ映画のベルリン派と呼ばれる監督たちを誰ひとり知らなかった。なので、そのうちの一人のトーマス・アルスランの映画を観てみた。

まず、なんの予備知識もなしにこの映画を見てみると、とても淡々とした、静かな調子の、悪く云えば退屈な映画に見えてしまう。でも、そこには何か、わざとドラマティックな展開を排除しているような意図がうかがえる。

・西部劇にありがちな一人の女をめぐった恋の鞘当てになりそうでならない。
・ジョン・ヒューストン監督『黄金』のような金(ゴールド)をめぐった人間のエゴの争いのようになりそうでならない。
・『明日に向かって撃て!』のような追われる側と追う側のドラマ(最後にはその決着が描かれるけど重要ではない)になりそうでならない。

ことごとく「西部劇」における王道のドラマをにおわせておきながらそれを発展させない。劇的な展開は何も起こさせない。人が死んでも、居なくなっても、撃たれて殺されても、淡々と前に進んでいかなければならない。まるで我々の平凡な人生のように。

この映画の上映後、吉田広明(映画批評家)と渋谷哲也(ドイツ映画研究者)のトークがあった。そこで、この「何も起こさせない」ことをトーマス・アルスランは意図しているわけではない、と渋谷哲也が云っていた。トルコ系ドイツ人であるトーマス・アルスランは、その自分の出自に関係することを映画の中に反映させる(主人公のニーナ・ホスはドイツ系移民の二世、三世をうかがわせる)こともできるのにやらない。あえてやらないのではなくて、ただ単にやらない。

うーん、それは、なんだか、凄い。
ちょっと他の作品も見たくなってしまった。

単純にこの映画を観ただけなら、ふーん、で終わってしまっていたのが、ちょっとトーマス・アルスランに興味が湧いてきてしまった。でも、ドイツのジャーナリストが、カンヌ映画祭のドイツ代表がこんな地味な映画なのか! と憤慨したことからもわかるとおり、派手な映画ではないことは確かだ。

→トーマス・アルスラン→ニーナ・ホス→ドイツ/2013→アテネ・フランセ文化センター→★★★☆

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演:クリス・エヴァンス、ロバート・ダウニー・Jr、スカーレット・ヨハンソン、セバスチャン・スタン、アンソニー・マッキー、エミリー・ヴァンキャンプ、ドン・チードル、ジェレミー・レナー、チャドウィック・ボーズマン、エリザベス・オルセン、ポール・ラッド、ポール・ベタニー、トム・ホランド、マリサ・トメイ、マーティン・フリーマン、ウィリアム・ハート
原題:Captain America: Civil War
制作:アメリカ/2016
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/civilwar.html
場所:109シネマズ木場

マーベル・シネマティック・ユニバースの映画にはそれぞれの色があって、『アイアンマン』はトニー・スタークのスケベでお調子者のキャラが映画の色調を決定づけているし、『キャプテン・アメリカ』はスティーブ・ロジャースの衣装にアメリカ国旗のデザインがあしらわれていることからもわかるように「アメリカ人であること」を正面に据えて真面目な映画になっているし、『マイティ・ソー』は北欧神話をベースにしたファンタジーの要素をふんだんに取り入れている。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は、マーベル・シネマティック・ユニバースのスーパーヒーローたちの活動が国際連合の管理下に置かれること(ソコヴィア協定)に同意するべきか否かでスティーブ・ロジャース派とトニー・スターク派に分かれてしまって、その二派の衝突がストーリーの中心となっている。

●ソコヴィア協定否定派
スティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカ
ジェームズ・”バッキー”・バーンズ/ウィンター・ソルジャー
サム・ウィルソン/ファルコン
クリント・バートン/ホークアイ
ワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチ
スコット・ラング/アントマン

●ソコヴィア協定肯定派
トニー・スターク/アイアンマン
ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ
ジェームズ・”ローディ”・ローズ/ウォーマシン
ティ・チャラ/ブラックパンサー
ヴィジョン
ピーター・パーカー/スパイダーマン

ここに「マイティ・ソー」が入る余地の無いのはわかる(「ハルク」はもう完全に置いてきぼり!)けど、スティーブ・ロジャース派に対抗するもう一派のリーダーとしてトニー・スタークを置くのもなかなか無理があった。つまり「キャプテン・アメリカ」の真面目な色調にトニー・スタークが染まってしまうと、明るくていい加減なトニー・スタークの個性がまっるきり死んでしまって、その魅力を失った「アイアンマン」が「キャプテン・アメリカ」と真面目に闘ったとして面白くもなんともない。まあ、「キャプテン・アメリカ」が好きな人にはそれで良いんだろうけど、「アイアンマン」が好きな人にとっては、トニー・スタークの明るいキャラでその場をもっとうまく収めるべきだ! になってしまう。

もともと勧善懲悪の映画では無いので二人の対決のどこにポイントを置いて見れば良いのかを見失っている上に、キャラクターの魅力も失われているとしたらもう完全に身の置き所が無くなってしまった。アメコミの「キャプテン・アメリカ」がアメリカの政治的なものを反映しているのだとしたら、まさしくこのどっちつかずの状況こそがいまのアメリカを象徴しているのかもしれないけど、映画としてはこれではまったく収まりが悪い。最後の「つづく」感も欲求不満が募るだけだった。

→アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ→クリス・エヴァンス→アメリカ/2016→109シネマズ木場→★★★

追憶の森

監督:ガス・ヴァン・サント
出演:マシュー・マコノヒー、渡辺謙、ナオミ・ワッツ、鶴見辰吾
原題:The Sea of Trees
制作:アメリカ/2015
URL:http://tsuiokunomori.jp
場所:109シネマズ菖蒲

ガス・ヴァン・サントが撮った映画で、マシュー・マコノヒーと渡辺謙が共演して、それも富士山麓の青木ヶ原で二人芝居をする映画と云うのならば、それだけで日本でも話題になるとおもうんだけど、ゴールデンウィークなのにあまりお客が入っていなかった。単館系に分類されるだろう映画なのに何でシネコンのキャパシティで公開したんだろう? 渡辺謙が出ているからかなあ。だったらもうちょっと宣伝しないと。

亡くなった妻に対する罪の意識から死に場所を求めて日本の青木ヶ原にやって来たマシュー・マコノヒーが、すでに自殺に失敗して青木ヶ原を彷徨っていた日本のサラリーマン(渡辺謙)と遭遇し、一緒に青木ヶ原から脱出しようと試みる過程で、妻(ナオミ・ワッツ)と一緒に暮らしてきた過去のエピソードがフラッシュバックして、次第に「死」を求めた自分の罪の意識が和らいで行くと云うストーリー。

映画としてはそんなに目新しいストーリーではないけれど、やはり舞台が日本(実際のロケはアメリカらしい)であるし、渡辺謙がリストラされて自殺しようとしているサラリーマンと云う設定なので、それだけで映画の中にのめり込むことができる。

いろんなキーワードも謎めいていて楽しい。

・『巴里のアメリカ人』の“I’ll build a stairway to paradise(天国への階段)”

・「ヘンゼルとグレーテル」
・「キイロ」と「フユ」

おそらく渡辺謙は、マシュー・マコノヒーに投影されたナオミ・ワッツの意識が顕在化した「霊」のようなものだとおもうので無理が出てしまう可能性があるけど、できればもっと日本的な昔話や神話、富士山信仰などが絡んでいると日本人としてはもっと嬉しかった。

→ガス・ヴァン・サント→マシュー・マコノヒー→アメリカ/2015→109シネマズ菖蒲→★★★☆

レヴェナント: 蘇えりし者

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハーディ、ドーナル・グリーソン、ウィル・ポールター、フォレスト・グッドラック、ポール・アンダーソン、ブレンダン・フレッチャー、クリストファー・ジョーナー、メラウ・ナケコ、ブラッド・カーター、ルーカス・ハース
原題:The Revenant
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.foxmovies-jp.com/revenant/
場所:109シネマズ菖蒲

むかしから、西部劇に代表されるように、復讐劇は映画の基本ストーリーとも云えて、主人公が窮地に追い込まれて「死」の一歩手前にまで行きながら、そこからギリギリに這い上がって復讐を果たす時ほど、映画を観ている側のカタルシスが得られて面白くなる。『レヴェナント: 蘇えりし者』は、主人公のレオナルド・ディカプリオの生への執着がすさまじく、死線を彷徨いながら徐々に体力を回復して行く過程の描写が凄まじい。その過程を得て、いくつかの幸運に助けられながら、ついに復讐を果たすドラマの振れ幅が大きく、2時間30分もの長さを感じさせない面白い映画だった。

ただ、この復讐劇の発端を考えると、むかしながらの単純な復讐劇ではないことがわかる。

なぜレオナルド・ディカプリオは熊に襲われたのだろう?

熊に襲われなければ、この復讐劇はなかった。つまり、レオナルド・ディカプリオが熊に襲われることこそがこの映画のすべてであって、復讐劇はそれに付随するエピソードでしかなかった。

この映画の舞台となった西部開拓時代のアメリカ北西部のインディアンの間では熊(グリズリー)が神聖視されていたのではないかと容易に想像することができる。(一部の部族では熊は「死と再生」を意味したらしい。http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/VoiceBear.html )そのインディアンの神に遣わされた熊によってレオナルド・ディカプリオは半殺しの目に遭う。それは、白人でありながらインディアンの妻を迎えて、その息子を設けたことに対する懲罰を意味することのか、その息子を取り上げることによって、人間としてより強くなるべく再生の機会を与えられたためなのか。

生死の境目を彷徨うレオナルド・ディカプリオは、息子を殺したトム・ハーディに対する怨念のみを生きるよすがとして生まれ変わり、ついに仇敵と対面を果たす。しかし、追跡の途中に命を助けられたインディアンの云う「復讐は神にゆだねられる」(どうやらこれは聖書の言葉っぽい、ローマ人への手紙12章19節か)の言葉の通りに、トム・ハーディの死をインディアンたちの手にゆだねる。この最後の描写を持ってしても、映画のすべてが、どこか、インディアンの神聖な儀式のようなイメージを受ける。ただ、トム・ハーディの処罰は熊によって行われるべきことのような気もするけど。

表面的は単純な復讐劇の構図を持った映画だったけど、どちらかと云えば、インディアンの世界の「死と再生」の世界観になぞらえたストーリーだったのかもしれない。

→アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ→レオナルド・ディカプリオ→アメリカ/2015→109シネマズ菖蒲→★★★★

スポットライト 世紀のスクープ

監督:トム・マッカーシー
出演:マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーヴ・シュレイバー、ジョン・スラッテリー、スタンリー・トゥッチ、ジェイミー・シェリダン、ビリー・クラダップ、レン・キャリオー
原題:Spotlight
制作:アメリカ/2015
URL:http://spotlight-scoop.com
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

アカデミー賞の作品賞を獲った映画に納得がいかない場合が多い。今回の『スポットライト 世紀のスクープ』も、まあ、それなりに楽しめる映画だけれど、この映画が『マネー・ショート 華麗なる大逆転』や『ブリッジ・オブ・スパイ』や『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を抑えて作品賞を獲るような映画にはとてもおもえない。

『スポットライト 世紀のスクープ』は「神父の子供への性的虐待」と云うセンセーショナルな題材だけにすべてを負ってしまってる。「神父の子供への性的虐待」をボストン・グローブの記者たちが、いろいろな障害がありながらも、教会側の隠ぺい体質に切り込んで行って、事実を暴いて行く過程はとても面白い。でもそこが面白いのはあたりまえで、さらにそこから一歩踏み込んだ描写がなければ、さすがアカデミー作品賞を獲った作品だけのことはある、にはならないじゃないのかなあ。

その一歩踏み込んだ描写とは、やはり神父側の描写ではないかとおもう。その描写がないと、記者側の熱意が伝わるだけの映画で、「神父の子供への性的虐待」を暴露するスクープが新聞に発表されたときの緊張感や達成感や記者としての「傲り」に対する苦悩などがグッと伝わってこない。このあたりはちょっとアラン・J・パクラの『大統領の陰謀』をおもいだす。

この映画を観ていて一番驚かされたのは「神父の子供への性的虐待」の発生率の高さだ。神父全体の6%にもあたっていて、ボストンだけでも87人もいる! このことは、ある特定の神父の問題だけではなく、またある特定の区域の問題でもなく、全世界に共通した「カトリック教会側のシステム」の問題であることがわかる。映画の中でも、まるで子供がそのまま爺さんになってしまったような、何の衒いも無くペラペラと過去の罪(とはまったくおもっていないけど)をしゃべる神父が登場して、それが「カトリック教会側のシステム」のすべてを代表しているようにも見えるけど、そこをもうちょっと踏み込んでもらえれば映画としてもっと充実感が得られような気がする。

→トム・マッカーシー→マーク・ラファロ→アメリカ/2015→ユナイテッド・シネマ浦和→★★★☆

スティーブ・ジョブズ

監督:ダニー・ボイル
出演:マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ、マイケル・スタールバーグ、キャサリン・ウォーターストン、パーラ・ヘイニー=ジャーディン、リプリー・ソーボ、マッケンジー・モス、サラ・スヌーク
原題:Steve Jobs
制作:アメリカ/2015
URL:http://stevejobsmovie.jp
場所:イオンシネマ春日部

伝記映画の場合、単純にその人の生涯をそのまま追いかけただけでは忙しないジェットコースタームービーになってしまうだけだ。だから、一つのテクニックとして、その人の生涯の中で一番重要な出来事にだけにスポットライトを当てて、そこに回想を盛り込んで行く方法を取る場合がある。その方法のほうが、なんとなく、伝記映画として体をなすような気がする。

ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』は、MacintoshとNeXTとiMacの製品発表会がはじまる数時間前だけにスポットライトを当てて、そこに過去の出来事の回想を盛り込んで行く形をとっている。ジョブズにとって、たしかにその3つの製品発表会は、彼の人生に於てもとても重要なイベントのような気もするけれど、その製品発表会そのものは描かないで、その壇上に立つ前の数時間だけに限定している構成にはとてもびっくりした。それも、主に登場するのはスティーブ・ウォズニアック、ジョン・スカリー、ジョアンナ・ホフマン、アンディ・ハーツフェルド、クリスアン・ブレナン&リサだけで、ジョブズと彼らの会話劇だけでドラマを進めている部分にも、おお、チャレンジャー! と感嘆せざるを得なかった。

これではもちろん「事実(と云われているもの)」を忠実に描いたことにはならないわけだけど、うまく「事実」のエッセンスを抽出して、それを再構成して、スティーブ・ジョブズの人物像を浮かび上がらせていることには成功していたとおもう。そんなダニー・ボイルの手腕にもびっくりした。

スティーブ・ジョブズがジョン・スカリーに云ったとされる有名な「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」のセリフが出て来そうで出て来ないし、ジョブズの不可能を可能であると信じさせてしまう能力を指した「現実歪曲フィールド」を堂々とセリフに登場させたり、Appleの歴史の中では注目もされずに忘れ去られたデバイスでしかないけど今でもファンの多数いるNewtonをわざとクローズアップさせたりと、何もかもが定石通りに作らない伝記映画としてなかなか楽しめる映画となっていた。万人に受ける映画とはまったくおもえないけど。

→ダニー・ボイル→マイケル・ファスベンダー→アメリカ/2015→イオンシネマ春日部→★★★☆

ボーダーライン

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ジョン・バーンサル、ダニエル・カルーヤ、マキシミリアーノ・ヘルナンデス、ジェフリー・ドノヴァン
原題:Sicario
制作:アメリカ/2015
URL:http://border-line.jp
場所:角川シネマ有楽町

いま一番好きな監督は誰かと聞かれれば、真っ先にドゥニ・ヴィルヌーヴと答えるとおもう。だから、いつもはずるずるとして公開後すぐには見に行かないのに、この映画だけはさっそく観に行った。

70年代から80年代にかけて、中南米の政情不安定な国の裏側でアメリカのCIAが暗躍する映画が多数作られた。そこに巻き込まれる民間人や律義な軍人、役人などに焦点を当てて、正義とはいったいどこにあるのか? と問う映画がたくさん作られて、そんなジャンルの映画群が大好きだった。『戒厳令』『アンダー・ファイア』『サルバドル/遥かなる日々』とか。おそらくは、きれい事だけでは済まされない人間の世界の摂理がクローズアップされていてる部分に共感して、ありきたりで表面的な正義感だけの御託ばかりを並べているうすっぺらな人間の鼻柱をへし折っているような爽快感があったからだろうとおもう。

この映画ではエミリー・ブラントが正式な捜査手順を重んじる実直なFBI捜査官を演じていて、麻薬組織の大ボスを検挙するために上層部から命じられて国防総省のチーム(実際にはCIA)に加わるうちに、そこで行われている違法行為を隠すためだけに自分たちが参加させられ、利用されていることがわかって来る。

その国防総省のチームの中に、見るからに得体の知れない怪しげなベニチオ・デル・トロがいた。最初はただの脇役とおもっていた彼がどんどんと映画の中心に躍り出てきて、最後には完全に彼が主役となってしまったのにはびっくりした! 妻と娘を凄惨な方法で殺されて、その復讐のためには法を犯すことも厭わず、関係のない人間が巻き込まれて死ぬことにも良心が咎めることもなく、気持ちの良いくらいの一途な復讐心のみが絶対的な行動原理となって、人間としてあるべき姿の「ボーダーライン」を軽く超えてしまったそのベニチオ・デル・トロがなんともかっこよかった。麻薬組織の大ボスと家族を殺し終えたあと、夕暮れ時の薄日を背中から受けて、仰角からあおり気味で捉える彼のクローズアップは、ちょっと『セブン』のブラッド・ピットにさえも見えてしまった。

最後、FBI捜査官のエミリー・ブラントは、麻薬組織の大ボスと家族を殺害した一連の作戦をFBIの監視下のもとに行ったこととする書類(のようなものだとおもう)にサインさせられる。違法を許さないエミリー・ブラントはそれを頑なに拒否するが、ベニチオ・デル・トロによって喉元に拳銃を突きつけられて、自分の信念を曲げさせられてサインせざるを得なくなる。この二人が対峙するシーンの息の詰まるような緊迫感が凄かった。ついにサインをしてしまったエミリー・ブラントは、ベニチオ・デル・トロと同じように人としての「ボーダーライン」を超えてしまう。

このシーンのみならず、映画のはじまりに展開する麻薬組織の部屋に潜入して多数のビニールを被った死体を発見するシーンから、アメリカとの国境に近いメキシコの街フアレス(シウダード・ファレス)に潜入するシーン、ベニチオ・デル・トロが麻薬組織の大ボスの豪邸に潜入して家族の食卓に同席するシーンなど、そのすべてにおいて緊迫感が凄い。演出ドゥニ・ヴィルヌーヴ&撮影ロジャー・ディーキンスのとても素晴らしい仕事だ。

それにしても、いったいアメリカとメキシコの国境付近はいったいどうなってしまっているんだろう? イラクやシリアとまったく変わりがない。この映画を観たあとに、ちょうどタイムリーに「メキシコ麻薬戦争」(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳/現代企画室)の情報がTwitterに流れてきた。読んでみようとおもう。

→ドゥニ・ヴィルヌーヴ→エミリー・ブラント→アメリカ/2015→角川シネマ有楽町→★★★★