監督:ウディ・アレン
出演:ウォーレス・ショーン、ジーナ・ガーション、ルイ・ガレル、エレナ・アナヤ、セルジ・ロペス、タミー・ブランチャード、クリストフ・ヴァルツ、スティーヴ・グッテンバーグ、リチャード・カインド
原題:Rifkin’s Festival
制作:アメリカ、スペイン、イタリア/2020
URL:https://longride.jp/rifkin/
場所:MOVIXさいたま

ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ暴露をきっかけに起きた「#MeToo」運動の余波を受けたウディ・アレンの騒動があって、そのあとに撮った『サン・セバスチャンへ、ようこそ』(原題:Rifkin’s Festival)は日本での公開は難しいのかとおもっていたら、いつのまにか今年の公開が決まっていた。人によってはウディ・アレンと聞いて、いまの日本での松本人志のような不快感を持つ人もいるのだろうけれど、1983年の『カメレオンマン』以降ずっと劇場公開を追いかけてきた身にとっては観に行かざるを得ない。

ウディ・アレンの『サン・セバスチャンへ、ようこそ』は、彼が尊敬してやまないヨーロッパの監督たち、フェリーニやベルイマン、トリュフォーやゴダールたちへのリスペクトを示す映画だった。でも、それとなくオマージュを捧げる映画ではなくて、それぞれの監督の有名な映画のワンシーンを再現することに何の意味があるのかはちょっとわからなかった。ベルイマンのファンとしては『野いちご』や『仮面/ペルソナ』『第七の封印』のシーンが出てくるのは楽しいのだけれど、だから何? の疑問は最後までつきまとってしまった。

「#MeToo」運動の騒動後の映画であっても『サン・セバスチャンへ、ようこそ』はいたって普通のウディ・アレンの映画だった。一箇所だけ、ワインスタインと云う名前の女性の記者が出たところはびっくりしたけれど、それ以外は主人公に自分を投影させたいつもの映画だったのは安心できたと云うか、これで良いのかと云うおもいも少し。

次回作は『Coup de chance』(2023)。全編フランス語の映画だそうだ。

→ウディ・アレン→ウォーレス・ショーン→アメリカ、スペイン、イタリア/2020→MOVIXさいたま→★★★☆

監督:アキ・カウリスマキ
出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・バタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイブ、アンナ・カルヤライネン、カイサ・カルヤライネン
原題:Kuolleet lehdet
制作:フィンランド、ドイツ/2023
URL:https://kareha-movie.com
場所:新宿シネマカリテ

先日、NHKの宮崎駿を追いかけるドキュメンタリーを見ていたら、高畑勲が、映画監督に引退なんかない、と云っていた。映画監督と云う職業は生涯映画監督であって、撮りたければ撮ればいいし、撮りたくなければ撮らなければいい。だからアキ・カウリスマキだって引退宣言をする必要なんてまったくなかった。映画を作るためのパワーは極限にまで達する可能性もあるので、作り終わって疲れ果てた結果、もう作りたくない、とおもうのは当たり前だし、月日が流れれば映画現場に戻りたくなるのも必然だし。

でも引退宣言と云う区切りをつける行為は映画作りに何かしら影響を与えるようで、アキ・カウリスマキが6年ぶりに撮った『枯れ葉』にも、あれ? 今までと違うなあ、とおもうシーンがあった。

アキ・カウリスマキの映画は、我々の現実世界の機微を寓話として置き換えて描いていたので、映画を観ている例え日本人である自分たちの生活にオーバーラップする部分があったとしてもそれは普遍的なところとリンクしているだけであって、そのものずばりの現実世界を突きつけられることはなかった。ところが『枯れ葉』には、ラジオから実際のウクライナの情勢を伝えるニュースが流れて来るシーンがいくつかあった。いつものとおりのアキ・カウリスマキの世界に浸っていたら、突然現実世界に引き戻される感覚に陥ってしまって、その戸惑いを最後まで引きずってしまった。

アキ・カウリスマキが映画現場に戻りたくなったきっかけはウクライナ情勢に心を痛めた結果だったのかなあ。だから、この映画のようなささやかなラブストーリーを撮ったのか。それはそれで良かったのかもしれないし、微妙にアキ・カウリスマキの映画ではなくなっている気もするし。

→アキ・カウリスマキ→アルマ・ポウスティ→フィンランド、ドイツ/2023→新宿シネマカリテ→★★★☆

監督:ポール・キング
出演:ティモシー・シャラメ(花村想太〈Da-iCE〉)、ケイラ・レーン(セントチヒロ・チッチ)、パターソン・ジョセフ(岸祐二)、マット・ルーカス(関智一)、マシュー・ベイントン(武内駿輔)、サリー・ホーキンス(本田貴子)、キーガン=マイケル・キー(長田庄平〈チョコレートプラネット〉)、ローワン・アトキンソン(松尾駿〈チョコレートプラネット〉)、ジム・カーター(平林剛)、トム・デイヴィス(石井康嗣)、オリヴィア・コールマン(松本梨香)、ヒュー・グラント(松平健)
原題:Wonka
制作:イギリス、アメリカ/2023
URL:https://wwws.warnerbros.co.jp/wonka/index.html
場所:109シネマズ菖蒲

今年はじめての映画はなぜかポール・キング『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』。それも日本語吹き替え版。

ティム・バートンが撮った『チャーリーとチョコレート工場』(2005)は、ティム・バートンらしさを控えめにしてロアルド・ダールの原作を忠実に映画化したために大ヒットを記録した。ティム・バートンらしさを控えめにしたと云っても、ロアルド・ダールの原作に出てくる問題児やウンパルンパが奇天烈なので、その描写にはティム・バートンらしさを発揮できてはいたけれど。

その『チャーリーとチョコレート工場』にはチラッとウィリー・ウォンカの子供時代のエピソードが出てくる。父親は厳格な歯医者で、甘いものは歯の敵、と云う父親からの抑圧が人物形成に影響している設定だった。このエピソードは原作にはなく、ティム・バートン&ジョン・オーガストの創作だった。

ウィリー・ウォンカの若き日を描いているポール・キング監督の『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』は、じゃあ、その前作の設定を引き継いでいるのかと云えば、まったくあらたな設定になっていた。亡き母親(サリー・ホーキンス)との約束が世界一のチョコレート店を開くモチベーションになっている設定だった。

どちらがロアルド・ダールの原作にマッチしているかと云えばそれはティム・バートン&ジョン・オーガスト版のほうで、ポール・キング版にはロアルド・ダールが得意とする(と云っても「チョコレート工場の秘密」と「あなたに似た人」に収められている短編集しか読んだことがないけれど)シニカルでブラックな部分があまりにも無さすぎた。ビターなほろ苦いチョコレートを期待したところ、甘々のチョコレートを出された感じ。

でも『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』には、オリヴィア・コールマンとか、サリー・ホーキンスとか、とても好きな俳優たちが出てきたので、まあ、それなりに楽しめる映画にはなっていた。日本語吹き替え版で観てしまったので、ティモシー・シャラメの歌声が聞けなかったのがちょっと残念だけれど。

→ポール・キング→ティモシー・シャラメ→イギリス、アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★

今年、映画館で観た映画は42本。
その42本の中で良かった映画を10本に絞ると以下の通り。

イニシェリン島の精霊(マーティン・マクドナー)
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート)
フェイブルマンズ(スティーヴン・スピルバーグ)
トリとロキタ(ダルデンヌ兄弟)
ザ・ホエール(ダーレン・アロノフスキー)
AIR/エア(ベン・アフレック)
TAR/ター(トッド・フィールド)
小説家の映画(ホン・サンス)
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(マーティン・スコセッシ)
PERFECT DAYS(ヴィム・ヴェンダース)

以上、観た順。
とくに『イニシェリン島の精霊』『ザ・ホエール』『TAR/ター』が突出して面白かった。
それにプラスして、今年最後に観た『PERFECT DAYS』もあとに尾を引く良い映画だった。

監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、甲本雅裕、深沢敦、松居大悟、柴田元幸、犬山イヌコ、モロ師岡、あがた森魚、長井短、安藤玉恵、田中泯、三浦友和
原題:Perfect Days
制作:日本、ドイツ/2023
URL:https://www.perfectdays-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

ヴィム・ヴェンダースが東京を舞台に役所広司を主役にして撮った映画。役所広司はこの映画で今年のカンヌ映画祭男優賞を受賞して話題になった。ところが、なかなか日本での配給が決まらずにヤキモキしたが、こうしてなんとかシネコンでも観られるようになって、109シネマズ菖蒲では年齢層高めの人たちが大勢詰めかけていた。

外国人監督が日本人を演出すると違和感いっぱいになるのがいつものことだけれど、さすがヴェンダース、小津安二郎の映画への造詣が深いこともあってか、まったく、何の違和感もなかった。

役所広司が演じるのは東京スカイツリーの近くにある古びたアパートで独り暮らしをしている無口なトイレ清掃員。早朝、近くの神社の掃き掃除の音で目覚め、歯を磨き、ヒゲを剃り、鉢植えに水をやり、つなぎの清掃服に着替えて、アパートの前の自動販売機で缶コーヒーを買ってから、ワゴン車で渋谷区の公衆トイレに向かう。ワゴン車の中で聴くのはオーティス・レディングやルー・リード、パティ・スミスなどの曲が入った古いカセットテープ。恵比寿東公園、鍋島松濤公園、はるのおがわコミュニティパーク、代々木深町小公園などにある公衆トイレの清掃を済ませたあとは、銭湯で身体を洗い、浅草地下商店街の飲み屋で「おかえり」の声をかけられたあといつもの酎ハイをひっかける。夜、寝る前には幸田文やパトリシア・ハイスミスの本を読み、寝付いたあとはまるで白黒の実験映画のような夢を見る。

と、毎日まるで判で押したような生活を送っている男を描く映画だった。同僚の若い清掃員、その彼の彼女になろうとしているような若い女、突然訪ねてきた姪、その母親(つまり男の妹)など、様々な人が関わりはするけれども、この男の背景はまったく語られることはなく、淡々と映画は進んでいく。でもそれがめちゃくちゃ面白かった。この男の背景を想像することがとても楽しかった。

たった一つの手がかりは、この男の妹が家出した娘(男の姪)を引き取りに運転手付きの高級車で迎えに来た時に、ちらっと自分たちの父親のことを話題にしたセリフだけ。自分がわからなくなって施設に入っているけれど、もう昔のような父では無いから面会に行ってあげて、と云うセリフだけだった。そこに、とても高圧的な父親に反発する息子を想像してしまった。反発にはそれを正当化する知識が必要なので、だからトイレ清掃員と云う職を持つ人物にしては似つかわしくない本棚やレアなカセットテープのコレクションがあるのじゃないか、と想像してしまった。

男が週末に行くバーのママ(石川さゆり)と元夫(三浦友和)のくだりはいらないかなあ、とはおもうのだけれど、石川さゆりの歌う「朝日のあたる家」が素晴らしいので、そこはやっぱり「あり」と云うことで。

→ヴィム・ヴェンダース→役所広司→日本、ドイツ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★★

監督:リドリー・スコット
出演:ホアキン・フェニックス、ヴァネッサ・カービー、タハール・ラヒム、リュディヴィーヌ・サニエ、ベン・マイルズ、シニード・キューザック、ルパート・エヴェレット、ユセフ・カーコア、マーク・ボナー、イアン・マクニース
原題:Napoleon
制作:アメリカ、イギリス/2023
URL:https://www.napoleon-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

ナポレオンを映画化した映画と云えば真っ先にアベル・ガンスの『ナポレオン』(1927)をおもい浮かべる。上映時間12時間にのぼるサイレント映画の大作で、3台のカメラで撮影された映像を3面のスクリーンに映すトリプル・エクラン(ポリビジョン)という方法で上映して当時は話題になったらしい。その後『ナポレオン』はアベル・ガンスによっていくつものバージョンが作られ、全部で20バージョン以上もあると云われている。その中のバージョンの一つが、1981年にフランシス・フォード・コッポラらの後援で世界各国で上映され、日本でも1982年にたしかNHKホールあたりで公開されたとおもう。それを観に行きたかったのだけれど、料金が高かったのか、抽選に外れたのか、何の理由だったのか忘れたけど行くことはかなわなかった。

ナポレオンほどの有名な人物を映画化した作品がこのアベル・ガンスの映画とロシアのサシャ・ギトリ版(1955)くらいしか無いのが不思議だった。でもそこに新たにリドリー・スコットの作品が加わった。

リドリー・スコットが撮る『ナポレオン』でナポレオンを演じるのがホアキン・フェニックスと聞いて、今までの自分の中にあったナポレオンのイメージにぴったりだ!とまずは直感で感じてしまった。どこか危険な雰囲気を漂わせるホアキン・フェニックスのようなイメージがナポレオンだけではなく、古今東西の傑出した専制支配者に対して持つ共通のイメージなのかもしれないのだけれど。

アベル・ガンス版『ナポレオン』の上映時間12時間に対して、リドリー・スコット版は158分。最近の映画は長い、長いと文句ばかり云ってしまうけれど、ナポレオンを描くには短かったのかもしれない。もしジョゼフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)との関係だけに焦点を絞っているのであればこの尺でOKだったとおもう。だけど、もうひとつ、ナポレオンの気の弱さを掘り下げようとしていた形跡がある。ナポレオンが24歳のとき、新たな砲兵司令官となって作戦の指揮を取ったトゥーロン攻囲戦での、まるで嘔吐せんばかりの緊張を強いられた様子を強調して描いておきながら、なぜかその精神面での描き方がどんどんと尻窄みになってしまう。ナポレオンはいったい何で持って自己を支えて、そして何をも持って戦いのモチベーションを維持して突き進んで行ったのか、そのあたりの掘り下げが中途半端になってしまった。

と云っても、史劇大好き人間なので、ひとつも飽きることはなかった。できることなら、描かれなかった有名なトラファルガーの海戦も、ロシアでの冬将軍とコザック兵からの追撃とに苦しめられてパリへと逃げ帰る過程も丁寧に描いて欲しかった。そうだなあ、上映時間は4時間ぐらいあっても良い。

→リドリー・スコット→ホアキン・フェニックス→アメリカ、イギリス/2023→109シネマズ菖蒲→★★★☆

監督:ニア・ダコスタ
出演:ブリー・ラーソン、テヨナ・パリス、イマン・ヴェラーニ、ザウイ・アシュトン、ゲイリー・ルイス、パク・ソジュン、ゼノビア・シュロフ、モハン・カプール、サーガル・シェイク、サミュエル・L・ジャクソン
原題:The Marvels
制作:アメリカ/2023
URL:https://marvel.disney.co.jp/movie/marvels
場所:109シネマズ菖蒲

「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」もフェーズ5に入って、Disney+と契約していない身にとっては、映画公開だけを追いかけてもどこか中途半端な感じがしてならない。かと云って、Disney+に入って配信のシリーズまで追いかけたら、体がいくつあっても足りない。だから何となくMCU映画だけを追いかけている状態になってしまっている。

今回の『マーベルズ』を観るにあたって、前作の『キャプテン・マーベル』(2019)を見直してみた。『キャプテン・マーベル』がそれなりに楽しめたのは、キャロル・ダンヴァースがキャプテン・マーベルになる過程が描かれていて、そこにインフィニティ・ストーンのひとつ、空間を司る”スペース・ストーン”が関係していることが明らかななって、おお、こんな感じでインフィニティ・ストーンが様々なスーパーヒーローに関わっているんだな、と今までのMCU映画と関連していることが情報として得られた部分だったとおもう。

ところが『マーベルズ』では、今までのMCU映画を観てきただけの知識ではわからない部分、たとえばキャプテン・マーベルに憧れる女子高校生カマラ・カーンがスーパーパワーを手にすることになるのはDisney+で配信している「ミズ・マーベル」を見ていなければわからないし、マリア・ランボーの娘であるモニカ・ランボーが特殊な能力を得ることになるのはDisney+の「ワンダヴィジョン」を見ていなければわからない。チラッと登場する2代目ホークアイになっていくケイト・ビショップについてもDisney+の「ホークアイ」を見ていなければまったく馴染みがない。

てな感じで、Disney+と契約しろ!と云っているような映画になってしまっていた。この流れで行くと「ヤング・アベンジャーズ」が登場しそうな雰囲気がありありだし、さあ、どうするべきか。

→ニア・ダコスタ→ブリー・ラーソン→アメリカ/2023→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:山崎貴
出演:神木隆之介、浜辺美波、永谷咲笑、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
制作:TOHOスタジオ、ROBOT/2023
URL:https://godzilla-movie2023.toho.co.jp
場所:109シネマズ菖蒲

2016年に庵野秀明による『シン・ゴジラ』が作られて、そこで新しい「ゴジラ」の頂点とも云える作品を見せられてしまったので、しばらくは「ゴジラ」映画は作られないんじゃないかと勝手に推測していた。でも考えてみたら庵野版は、どちらかと云えば庵野秀明の色が濃く出たエヴァンゲリオン風「ゴジラ」映画であって、もっと原点に立ち帰った「ゴジラ」映画が作られても不思議ではなかった。

次に「ゴジラ」映画を作ったのは山崎貴だった。山崎貴の映画は『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)しか観たことがなくて、それは西岸良平の漫画の世界を映像化したビジュアルはとても良かったのだけれど、役者の演技があまりにもオーバーアクション気味なところが自分には合わなくて、その後の彼の映画を続けて見ようと云う気にはまったくはならなかった。

ところが「ゴジラ」と云うブランドは、その新しいものを見させようとするパワーが絶大で、山崎貴版でも、ちょっと観てみようかな、とおもわせるには充分だった。

で、観たのだけれど、ああ、やっぱりダメだった。例えば浜辺美波で云えば、彼女の魅力を引き出すのはツンデレ演技が一番であることを庵野の『シン・仮面ライダー』で知ってしまった。だから、この『ゴジラ-1.0』でのオーバーに感情を表現する彼女の演技にはまったく魅力を感じることができなかった。安藤サクラにしても、登場シーンからの感情をむき出しにさせる演出が、その後の神木隆之介との関わりを考えればまったく理解できなかった。

一つだけ良かったのは、明子(永谷咲笑)の演技だった。演技に無駄な感情はまったくいらない。

→山崎貴→神木隆之介→TOHOスタジオ、ROBOT/2023→109シネマズ菖蒲→★★★

監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、リリー・グラッドストーン、ジェシー・プレモンス、ブレンダン・フレイザー、タントゥー・カーディナル、ルイス・キャンセルミ、ジェイソン・イズベル、カーラ・ジェイド・メイヤーズ、ジャネー・コリンズ、ジョン・リスゴー、マーティン・スコセッシ
原題:Killers of the Flower Moon
制作:アメリカ/2023
URL:https://kotfm-movie.jp
場所:MOVIXさいたま

先日の「被爆者の声をうけつぐ映画祭」で武蔵大学の学生が「いま花岡事件を考える〜映像・朗読による発表〜」と云う発表を行った。その発表を聞くことはできなかったけれど「花岡事件」って何だろうとWikipediaを見てみた。「花岡事件」とは1945年6月30日に中国から秋田県北秋田郡花岡町(現・大館市)へ強制連行され鹿島組 (現鹿島建設) の花岡出張所に収容されていた 986人の中国人労働者が、過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね、一斉蜂起、逃亡した事件だった。中国人や朝鮮人が日本へ強制連行されたことは知っていたけれど、終戦間際にそんな事件が起きていたとは、まあ、日本としてはあまり大っぴらにしたくもない事件だろうから、まったく知らなかった。

日本の70年ほど前の事件でさえ知らないのに、アメリカのオクラホマ州オーセージ郡で1920年代に起きたオセージ族の連続殺人事件についてはもちろん知るわけがなかった。マーティン・スコセッシの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はその連続殺人事件を追った映画だった。

どんな事件でもその時代を反映しているので興味深いものになるのなのだけれど、そこに自分が持っていた勝手な認識を覆す発見があるとさらに面白いものになる。アメリカの先住民については西部劇のイメージが強いので、白人から住んでいた土地を追われて、最終的には一定の居住地に押し込められてしまったと云う歴史認識だった。でも、この映画ではじめて、自身の土地で発見された石油の利権を裁判で勝ち取ったオセージ族を知った。その利権によって白人よりも豪勢な暮らしをしていたインディアンがいたなんて驚きだった。

この映画の原作はデヴィッド・グランによる「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」。丹念に記録を調べて、膨大な証言をもとに書かれた小説らしい。最終的にオセージ族は、石油の利権を略奪しようとする白人によって悲惨な運命を辿ってしまう。これもひとつのアメリカの黒歴史になるんだとおもう。

スコセッシはその長い小説(日本語訳で528ページ)をうまく3時間26分にまとめていた。あまり頭の良くないアーネスト・バークハートを演じるレオナルド・ディカプリオは素晴らしいし、彼と結婚するオセージ族のモーリー・バークハートを演じるリリー・グラッドストーンも素晴らしかった。グラッドストーンは先住民のブラックフィートとニミプーの血を引いているらしい。

これはデヴィッド・グランの「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を読まないと。

→マーティン・スコセッシ→レオナルド・ディカプリオ→アメリカ/2023→MOVIXさいたま→★★★★

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:マイケル・ファスベンダー、チャールズ・パーネル、アーリス・ハワード、ソフィー・シャーロット、ガブリエル・ポランコ、ケリー・オマリー、エミリアーノ・ペニルア、サラ・ベイカー、ティルダ・スウィントン
原題:The Killer
制作:アメリカ/2023
URL:https://www.netflix.com/jp/title/80234448
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町

デヴィッド・フィンチャーの新作は『Mank/マンク』(2020)に続いてまたNetflixでの制作。最近、U-NEXTと契約するためにNetflixを切ってしまったので、Netflix配信前に必ず行う劇場公開に足を運んだ。

むかし、フレッド・ジンネマン監督の『ジャッカルの日』(1973)を見て、エドワード・フォックスが演じているイギリス人の殺し屋「ジャッカル」の、目的達成のために入念な準備をする仕事ぶりにとても興味津々となった。殺人と云う非人道的な行為のために、手当たり次第に銃を撃ちまくるようなおおざっぱな仕事ではなくて、標的の人物をとことんまで調べ上げた上での緻密な計画立案をする姿に、殺し屋になりたい! とまでおもわせるようなスマートな人物像をそこに見出してしまった。そこからさらにフレデリック・フォーサイスの原作まで読んでしまって、映像化されなかった微に入り細に入りの計画全貌を知るにいたっては、ますます「ジャッカル」に憧れるようになってしまった。

この映画に出てくるマイケル・ファスベンダーが演じている「ザ・キラー」も「ジャッカル」タイプの殺し屋だった。彼の口ぐせが「Stick to your plan(計画をしっかり守れ)」であることから、やはり目的遂行のためには計画がすべてであるような考え方を持っている人物だっただからその計画に至るまでの思考過程がもっと知りたかった。「ザ・キラー」の最初の計画が失敗して、自分の命が狙われるようになって、そこから反転攻勢になるストーリーの流れでは、映画の尺として計画まで描くことは時間的に無理なのが惜しい。Netflixでドラマ化してくれないかなあ。そうしたらもう一度Netflixと契約します。

あ、それから、デヴィッド・フィンチャーと云えば、オープニングタイトルのデザイン。今回もかっこよかった。でも、誰が担当したのか調べてもわからなかった。

→デヴィッド・フィンチャー→マイケル・ファスベンダー→アメリカ/2023→ヒューマントラストシネマ有楽町→★★★☆