神々のたそがれ

監督:アレクセイ・ゲルマン
出演:レオニド・ヤルモルニク、アレクサンドル・チュトゥコ、ユーリー・アレクセービチ・ツリーロ、エフゲニー・ゲルチャコフ、ナタリア・マテーワ
原題:Hard to Be a God
制作:ロシア/2013
URL:http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/
場所:ユーロライブ

アレクセイ・ゲルマン監督の映画をはじめて観た。ある程度は覚悟していたものの、やはり相当ヘヴィーな映画だった。泥、糞、ゲロまみれの背景に浮かび上がる人物にカメラは異常とも云えるほどに寄っていて、その人物の口から吐き出される唾や食いカスなどが画面いっぱいにまき散らされるシーンは見ていて気持ちの良いものではまったくなかった。さらに動物の死体や、死んだ人間の腹からこぼれ出るはらわたなどが画面せましと迫ってくる。この不快の連続はいったい何を意味するんだろうか? それを映画を見ているあいだ中ずっと考えていた。これが人間の本質と云ってしまえばそうなのかもしれないけれど、ここまで突き放した描写を連続させるパワーは想像を絶する。このことを理解するにはアレクセイ・ゲルマンの人となりを知らなければ到底無理だ。

手がかりを少しでも得ようとしてネットを検索したら、アレクセイ・ゲルマン監督のご子息のインタビューがあった。

http://culture.loadshow.jp/interview/kamigaminotasogare-interview/

その中にわずかばかりでも手がかりがあるとすると以下の部分だった。

父は、共産党のもとでも資本主義のもとでも仕事をした訳ですけれども、常に居心地の悪さというものを感じていて、それを表現したいと思っていたと思いますね。

→アレクセイ・ゲルマン→レオニド・ヤルモルニク→ロシア/2013→ユーロライブ→★★★

映画の中で小道具が効果的に使われていると、もうそれだけでその映画が好きになってしまう。そして、その小道具が欲しくなってしまう。でも、それは見果てぬ「夢のかたまり」だった。

ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(1941年)に、中世のマルタ騎士団に由来を持つ黒いエナメルの鷹の像が出てくる。250万ドル以上もするそのお宝の像をめぐっていくつもの殺人事件が起き、ラストにはそれがまったくの偽物だと判明する。

そして、刑事役のワード・ボンドが問う。

“It’s heavy. What is it?
「重いな。これは何だ?」

私立探偵サム・スペードのハンフリ・ボガートは答える。

“The stuff that dreams are made of.”
「夢のかたまりさ」
(訳は和田誠「お楽しみはこれからだ PART2」より)

この黒いエナメルの鷹の像は、まさに「夢のかたまり」を象徴するようなデザインだった。手に入れようとする人間を寄せ付けない孤高な唯一無二の存在感があった。

『マルタの鷹』はジョン・ヒューストンの初監督作品ではあるが、とても初めての映画には見えない完成度があった。新人でありながらこの完璧な創作の秘密はどこにあるんだろうとジョン・ヒューストンの自伝「王になろうとした男」(宮本高晴訳・清流出版)を読んでみると、なるほど、映画監督としての「The Right Stuff(正しい資質)」とはいったい何なのかが良くわかってくる。5度の結婚、エロール・フリンとの殴り合い、ヘミングウェイやサルトルとの交流、狐狩りや象狩り、美術品で彩られたジョージ王朝風邸宅。どれもまさに映画の要素となりえるエピソードばかりだ。

川本三郎がジョン・ヒューストンを評して、

ヒューストンは人生のエピキュリアンだった。美しいもの、エキサイティングなもの、ロマンチックなものを愛した。ボクシング、狩猟、絵画、ギャンブル、女性、動物、そして映画。
(「ダスティン・ホフマンはタンタンを読んでいた」キネマ旬報社より)

と言っているように、人が何に快楽を見出すのかを自分の人生で持って検証しているような生涯だった。その経験をハードボイルド映画と結びつけることによって、初監督作品からすべてのシーン、すべてのショットをダイナミックに息づかせる演出が可能になったのかもしれない。小道具の黒いエナメルの鷹の像でさえもジョン・ヒューストンの人生が凝縮しているように見えてしまう。

そして、もちろん、その黒いエナメルの鷹の像が欲しくなった。でも、ハリウッドの土産物としてもあまり見たことがない。ネットを検索しても、イミテーションでさえなかなか引っ掛からない。と、長年思っていたところ、一昨年、実際に映画で使われた「マルタの鷹」がオークションに出品された。

http://articles.latimes.com/2013/nov/25/entertainment/la-et-mn-maltese-falcon-sells-for-4-million-at-auction-20131125

値段は、$4,085,000(約4億円)だ!
映画の小道具でありながら、設定上の「マルタの鷹」の像の値段よりも高くなってしまった。
とても欲しいけど、この価格ではとても手に入れることはできない。
本当に「夢のかたまり」だった。

しかたがない。今年のアカデミー賞で、長編アニメ賞にノミネートされなかった『LEGO(R)ムービー』のフィル・ロード監督がレゴでオスカー像を作ってしまったことが話題になったけど、それに習ってレゴで「マルタの鷹」の像を作ろう。

水牛に書いた文章を転載。

博士と彼女のセオリー

監督:ジェームズ・マーシュ
出演:エディ・レッドメイン、フェリシティ・ジョーンズ、マキシン・ピーク、チャーリー・コックス、エミリー・ワトソン、ガイ・オリヴァー=ワッツ、サイモン・マクバーニー、アビゲイル・クラッテンデン、ハリー・ロイド
原題:The Theory of Everything
制作:イギリス/2014
URL:http://hakase.link
場所:109シネマズ川崎

エディ・レッドメインがスティーヴン・ホーキング博士を演じて、今年のアカデミー主演男優賞を獲った映画。

今までの経験から云って自伝映画に期待を寄せることはあまりないのだけれど、最近で云ったらエディット・ピアフの自伝映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』とか、たまに当たりの映画がある。今回の『博士と彼女のセオリー』は当たりだった。

この映画はスティーヴン・ホーキング博士の最初の妻であるジェーンの回顧録「Travelling to Infinity: My Life with Stephen」をベースにしている。だから、ホーキング博士の業績にスポットライトが当たるのではなくて、ジェーンとホーキング博士との関係を描くことがメインとなっている。この関係性が面白かった。特に、病気を発症してから自由の効かなくなったホーキング博士の家族をサポートするピアノ講師のジョナサンも含めた奇妙な三角関係がまるでトリュフォーの映画を見ているようだった。

さらにホーキング博士を世話する介護士のエレイン・マッソンも含めた四角関係に発展して行き、結局はホーキング博士と離婚したジェーンはジョナサンと再婚する。ホーキング博士はエレイン・マッソンと再婚する。この一見するとドロドロとした男女の愛憎劇が、情念のまったく欠如したクールな関係として描かれているところが、ホーキング博士とジェーンの頭の良さを象徴していて、それはすなわちホーキング博士の、人間性はともかく、偉大な業績を生み出す基盤とも見えるところがこの映画の面白さだった。

監督は『マン・オン・ワイヤー』でアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞したジェームズ・マーシュ。ドキュメンタリー映画と劇映画の撮り方は微妙に違うとおもうけど、やはりドキュメンタリー映画は「映画界の頂点捕食者」であって、ドキュメンタリーを巧く撮ることの出来る人は、劇映画も巧く撮ることが出来ることをしっかりと実証していた。

→ジェームズ・マーシュ→エディ・レッドメイン→イギリス/2014→109シネマズ川崎→★★★★

ジュピター

監督:ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
出演:チャニング・テイタム、ミラ・クニス、ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ダグラス・ブース、タペンス・ミドルトン、ジェームズ・ダーシー、ティム・ピゴット=スミス、ペ・ドゥナ
原題:Jupiter Ascending
制作:アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/jupiterascending/index.html
場所:109シネマズ木場

ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』やデヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』が魅力的なのは、広大な宇宙空間を舞台にして対立する善悪のキャラクターが立っているからで、特にスペースオペラでは悪役のキャラが抜きん出て立っていなければまったく映画として成立しない。ウォシャウスキー姉弟の『ジュピター』はその点ではまったくダメだった。今年のアカデミー主演男優賞を獲ったエディ・レッドメインは悪役のキャラとしてはあまりにもアクがなくて薄すぎるし、使えない部下のトカゲ野郎を殺してもダースベイダーがフォースによって部下の首を絞め上げるような残酷さが際立たない。だからヒーローのチャニング・テイタムが勝利を収めたとしても何のカタルシスも得られない対決シーンはひどいものだった。どちらかと云うと、チャニング・テイタムがミラ・クニスを救い出すシーンのほうが、360度ぐるっとカメラがダイナミックに動いて、そこがこの映画のクライマックスシーンだった。

スペースオペラのヒロインは、『スター・ウォーズ』のキャリー・フィッシャーのように、まあ、特に美女を求めるものでもないんだけど、ミラ・クニスはあまりにもブラックなイメージを感じてしまって、それを「Your Majesty」と崇め奉るのはどうにも違和感を覚えてしまう。だったら、ちょい役ながら『クラウド アトラス』に引き続いて登場の、ウォシャウスキー姉弟お気に入りのペ・ドゥナをヒロインに据えたほうがまだましだった。

→ラナ&アンディ・ウォシャウスキー→チャニング・テイタム→アメリカ、イギリス、オーストラリア/2015→109シネマズ木場→★★☆

LEADER BIKES The Cure

街を走るのについにピストバイクに手を出す。
買ったのはアメリカのサンディエゴに拠点がある「LEADER BIKES」のThe Cure。
ピストバイクに乗るのは初めてなので、ギヤは固定ではなくフリーに。
トップチューブも高くて、サドルも高いので、まだまだ慣れないけど、坂を登るのが断然楽だ。
これだったら箱根越えもできるかもしれない。

プリデスティネーション

監督:マイケル&ピーター・スピエリッグ
出演:イーサン・ホーク、サラ・スヌーク、ノア・テイラー、フレイヤー・スタッフォード、クリストファー・カービイ、ロブ・ジェンキンス、マデリーン・ウエスト、ジム・ノベロック、クリストファー・ストーレリー
原題:Predestination
制作:オーストラリア/2014
URL:http://www.predestination.jp
場所:渋谷TOEI

タイムトラベルの映画には絶えずパラドックスが付きまとう。だから、タイムトラベルと云う行為は絶対に不可能なんだと、いろいろな映画を見るたびにますます確信へと変わって行く。それなのに、その矛盾をなんとか回避しようと勝手なルールがいくつか存在する。その最もたるものが、過去へタイムスリップした時に自分自身とは会ってはいけない、と云うルールだ。でもそんなルールはいったい何の理論を元に決められたものだろう。なーんとなく、それはダメなんじゃないか、と云った曖昧なところから来ているに違いない。タイムトラベルが理論としてあり得ないのなら、そのようなルールは馬鹿げたことだ。

だったら、そんなルールはくそくらえ、と云う映画があっても良い。あやふやな理論を元にして成り立っているルールなら、そんなの無視して、どんどんと過去の自分に会っちゃえ、と云うタイムトラベルの映画があっても良い。

スピエリッグ兄弟の『プリデスティネーション』はまさにそんな映画だった。自分に会うどころか、自分の運命さえも自分で決めてしまっている。過去から未来へと向かう人生のタイムラインを歪曲させて繋ぎ合わせ、その中を行きつ戻りつ、複雑な軌道を描いて回転しているようだった。主人公のイーサン・ホークが云うように、自分の尻尾を喰う蛇のストーリーだった。

原作はロバート・ハインラインの『輪廻の蛇』。以下のブログのとてもわかりやすいストーリーの要約を読むと、映画は原作にとても忠実だったことがわかる。

http://hontama.blog.shinobi.jp/コラム「たまたま本の話」/第54回%E3%80%80「輪廻の蛇」と性転換(ロバート・アンソン・

ちょっと複雑なストーリーだけど、先の読めない展開はとててもわくわく、スリリングだった。

→マイケル&ピーター・スピエリッグ→イーサン・ホーク→オーストラリア/2014→渋谷TOEI→★★★☆

恐怖分子

監督:エドワード・ヤン(楊徳昌)
出演:コラ・ミャオ(繆騫人)、リー・リーチュン(李立群)、チン・スーチェ(金士傑)、クー・パオミン(顧寶明)、ワン・アン(王安)、マー・シャオチュン(馬邵君)
原題:恐怖份子
制作:台湾/1986
URL:http://kyofubunshi.com
場所:シアター・イメージフォーラム

さまざまな境遇の人たちを同時並行に描いて、それぞれのタイムラインが前後したり、時には交わったり離れて行ったりするような、まるで網の目のようなドラマ形式の群像劇が大好きだ。エドワード・ヤンの『恐怖分子』はその手のジャンルの映画だった。ただ、エドワード・ヤンの映画は説明過多には陥らない。いや、どちらかと云うと、ストーリーを追う上で重要ともおもわれるシーンを省略してしまっている。気持ち良いくらいにすっぱりと。

賞を取ったコラ・ミャオの小説はどんな内容だったんだろう?
ラストの夢ともおもえるシーンはその小説の内容とオーヴァーラップしていたんだろうか?
もしかしたらこの映画自体がコラ・ミャオの小説なのか?

映画を見ている我々に対して、手取り足取り説明しないぶん、想像の余地が無限に広がる。勝手な解釈がどんどんと膨らんで行く。エドワード・ヤンの映画の面白さはまさにそこにある。この映画をもう一度見たら、また何か違ったことを想像してしまうかもしれない。それはおそらくエドワード・ヤンが意図したものではないのかもしれないけど。いや、エドワード・ヤンはそういう行為をも意図していたはずだ。

→エドワード・ヤン(楊徳昌)→コラ・ミャオ(繆騫人)→台湾/1986→シアター・イメージフォーラム→★★★★

映画の中で小道具が効果的に使われていると、もうそれだけでその映画が好きになってしまう。そして、その小道具が欲しくなってしまう。手に入れることができさえすれば。

ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』(1960年)は、気分によってはオールタイムのベストワンに挙げてしまうほど大好きな映画だ。ストーリーが面白いのはもちろんのこと、それを補う小道具がどれも素敵だったからだ。邦題に使われている「鍵」からして重要な小道具であるし、他にも「コンパクトの鏡」「帽子」「シャンパン」など、どれを取っても気の利いた使い方がされている。ストーリーを左右するほどの小道具ではないけれども「テニスラケット」「ジン・ラミー」なども印象的だ。そんな中でも、この映画を最初に見た時から釘付けになってしまったのが、ローロデックスの回転式名刺ホルダーだった。

(YouTubeにスペイン語吹き替え版が消されずに残っていたので貼り付けてみる。ジャック・レモンがスペイン語を喋っているのでおかしなことになってるけど。)

保険会社の社員であるジャック・レモンは、上司が愛人と逢引きする場所として自分のアパートの部屋を提供している。しかし、風邪を引いてしまったために、今日予定している上司に断りの電話を入れる。その時に電話番号を調べるために使っていたのがローロデックスの名刺ホルダーだった。

奥行きのある巨大オフィスの中の仕事机を真正面から捉え、中央にはジャック・レモン、左側には今では考えられないほど大きな計算機、右端にはローロデックス。片手で受話器を持ち、もう一方の手でローロデックスを回して素早く電話番号を調べる姿は、フレームの中に収まった構図としても美しいし、と同時にジャック・レモンの手際の良さを象徴するシーンでもあって、その中でローロデックスが小道具として異彩を放っていた。

ローロデックスの名刺ホルダーが発売されたのは1958年()だそうだ。となると、販売してからすぐに映画で使われたことになる。映画のシーンを効果的に見せるためには小道具ひとつとっても重要で、いかにして的確なものが配置できるかは、絶えずいろいろな方向にアンテナを巡らせている必要がある。ネットも無い時代に、ビリー・ワイルダーの映画はそのセンスが抜群だった。

『アパートの鍵貸します』をはじめて見てから長い年月が流れ、すっかりネットショッピング時代に入ったちょうど2000年のころに、なぜかふと思い立って「ローロデックス」で検索してみると、扱っているネットストアが次々と出て来た。うわぁっ! と、すぐさま購入してしまった。今ではパソコンやスマートホンがあるので使う機会は失われてしまったけれど、クルクル回すのがとても小気味良いので、たまに意味もなくクルクルと回している。もうすっかり名刺を入れ替えてないので、クルッと回して出て来た名刺がもうどこの誰かもわからない場合もあるのだけれど。

ローロデックス

水牛に書いた文章を転載。

ソロモンの偽証 前篇・事件

監督:成島出
出演:藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、清水尋也、富田望生、前田航基、望月歩、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華、田畑智子、塚地武雅、池谷のぶえ、田中壮太郎、市川美和子、高川裕也、江口のりこ、安藤玉恵、木下ほうか、井上肇、中西美帆、松重豊、小日向文世、尾野真千子
制作:「ソロモンの偽証」製作委員会/2015
URL:http://solomon-movie.jp
場所:109シネマズ木場

宮部みゆきの単行本3巻にもおよぶ大部の原作を前後編に分けて成島出が映画化。

原作も読んでいないし、予告編を見たぐらいの事前情報だけなので、ストーリーの展開だけでグイグイと映画の中に引き込まれてしまう。オーデションで選ばれた藤野涼子を演じる藤野涼子(宮部みゆきの承認を得て、役名=芸名にしたそうだ)も初めての演技とはとてもおもえない素晴らしさで、この映画で成島出がポイントとして置いている「目の力」もとてもしっかりとしていて、自殺した(とおもわれる)同級生との目と目の対決はこの映画のキーとなるシーンとなって存在感があった。

成島出の演出は、まるで中島哲也の『告白』の対極にあるようなとても素直な、ストレートな演出で、もうちょっと中島哲也のような派手さがあったら良かったのに。特に親子の会話部分は、あまりにもまっすぐな視線の、とても正直な演出なのには鼻白んでしまう。まあ、中島哲也の方向へ振り切れてしまうと、それはそれで問題なんだけど。

後篇は4月11日からだそうだ。前篇を見ただけの想像だけど、ストーリーの推進力を保っているのは、殺したと告発されている同級生の弁護を引き受ける他校の生徒の子なので、おそらく後編もこの子が鍵になるとおもう。

→成島出→藤野涼子→「ソロモンの偽証」製作委員会/2015→109シネマズ木場→★★★☆

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、アレックス・ローサー、キーラ・ナイトレイ、マーク・ストロング、チャールズ・ダンス、アレン・リーチ、マシュー・ビアード、ロリー・キニア、ジャック・バノン、ヴィクトリア・ウィックス、デイヴィッド・チャーカム
原題:The Imitation Game
制作:イギリス、アメリカ/2014
URL:http://imitationgame.gaga.ne.jp
場所:新宿武蔵野館

今年のアカデミー脚色賞は『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のグレアム・ムーアが獲った。その時のスピーチが話題になった。

私は16歳の時、自殺未遂をしました。自分は人と違っていると思っていたし、いつも居場所が無かったんです。でも、私は今このステージに立っています。かつての自分がそうだったように、この映画を、そういう子供たちに捧げたい。自分は変わり者で居場所がないと感じている若者たちへ。君たちには居場所があります。そのままで大丈夫。輝く時が来るんだから。そして、いつか君がこのステージに立つ時がきたら、このメッセージを次につなげて欲しい。
http://genxy-net.com/post_theme04/movie20150224-2/

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、まさに「変わり者」の賛歌だった。人並みな感性を持ち合わせているだけでは、凡庸なことしかすることができない。あいつは変わってるよねえ、と云われてこそ、ものごとを異なる角度から見ることも出来るし、それによって誰をも成し遂げられなかった偉業も達成できる。天才数学者アラン・チューリングを題材にとって、そのことを最初から最後まで訴えている映画だった。

でも、そのパターンだけでは、どんな偉人にも当てはまることなので飽きてしまった。ナチスドイツの「エニグマ」を解読したマシン「クリストファー」のシステムのことや暗号解読のアルゴリズムのことなど、パーゾナルコンピュータの源流を見出した人間としての、もうちょっと技術的に突っ込んだ描写もあって、それらを常識からは逸脱したアラン・チューリングの言動と結びつける部分もあればもっと楽しめたのに。

→モルテン・ティルドゥム→ベネディクト・カンバーバッチ→イギリス、アメリカ/2014→新宿武蔵野館→★★★