トゥ・ザ・ワンダー

監督:テレンス・マリック
出演:ベン・アフレック、オルガ・キュリレンコ、レイチェル・マクアダムス、ハビエル・バルデム
原題:To the Wonder
制作:アメリカ/2012
URL:http://www.tothewonder.jp
場所:新宿武蔵野館

テレンス・マリックと云えば、『地獄の逃避行』から数えると、5年、20年、7年、6年と間隔が開いて新作が公開されて来た寡作作家だった。特に、彼の代表作とも云える『天国の日々』から『シン・レッド・ライン』までは20年もあって、テレンス・マリックがやっと新作を作りはじめているらしい、とニュースが流れて来た段階でもうすでに感動してしまったくらいだった。だから、彼の映画を見終えた時の物寂しさは半端なく、ああ次は、もしかすると10年後かなあ、と長い別れを惜しみながら映画館を去るのが常だった。

ところが前作の『ツリー・オブ・ライフ』からわずか1年でこの新作がやって来た。たった1年でだ! それも『ツリー・オブ・ライフ』と似たような手法をそのまま踏襲している。モノローグ、人物をなめるように動くカメラ、美しい自然の情景、マジックアワーなどは、もちろんすべての作品に共通する手法だけれども、まるでコラージュのようにシーンを並べて行く手法は『ツリー・オブ・ライフ』でより顕著になって、前後のつながりをほとんど無視したイメージ・クリップのような表現スタイルに進化させている。それを『トゥ・ザ・ワンダー』でもそのまま倣っている。

テレンス・マリックの中でどのような変化があったのかはわからない。あまりにもメディアに露出する機会が少ないので、そのことに触れた記事をまだ見たことがない。このまま多作作家へと変貌するのか。それともまた長い冬眠へと入って行くのか。どちらにしろ、また次の作品が日本へやって来るのを静かに心待ちにするだけだ。

→テレンス・マリック→ベン・アフレック→アメリカ/2012→新宿武蔵野館→★★★☆

アイアン・フィスト

監督:RZA
出演:RZA、ラッセル・クロウ、リック・ユーン、ルーシー・リュー、デビッド・バウティスタ、ジェイミー・チャン、カン・リー、バイロン・マン、パム・グリア、ダニエル・ウー
原題:The Man with the Iron Fists
制作:アメリカ/2012
URL:http://ironfists.jp
場所:新宿武蔵野館

ついこのあいだWOWOWでジミー・ウォングやブルース・リーの映画を立て続けに観たのだけれど、世間の一般的な高い評価とは相反して、どうしても香港のカンフー映画が自分にはしっくりとこないことがまた再確認できてしまった。どこがしっくりとこないのかと考えてみると、その一つの大きな要因としてシーンとシーンとのつなぎがすこぶる悪いことにある。自分にとって、面白い映画だ! と判断する大きな材料として、前のシーンと次のシーンとのつなぎの巧さに心地よさを見出すところがあって、ストーリーを考えた上での必然的なシーンの展開やその間の取り方の良さなどを重要視してしまう。ところが、十羽ひとからげにして申し訳ないけど、今まで見た香港のカンフー映画はそこがダメだった。シーンとシーンとのつなぎがとてもぎくしゃくしていて、とても映画を楽しむ気にはなれなかった。もちろん、そんなところを注目することよりも、カンフーシーンを楽しめば良いんだろうけど。

この『アイアン・フィスト』もシーンとシーンのつなぎが酷かった。これはもしかして、その部分までもがショウ・ブラザーズやゴールデン・ハーベストへのオマージュなのか。いや、監督のRZAにまだまだテクニックがないような気がする。ワイヤーアクションも効果的ではないし。やっぱりタランティーノは巧いんだなあ、と比較せざるを得ない映画だった。

→RZA→RZA→アメリカ/2012→新宿武蔵野館→★★☆

パシフィック・リム

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:チャーリー・ハナム、菊地凛子、イドリス・エルバ、チャーリー・デイ、バーン・ゴーマン、クリフトン・コリンズ・Jr、マックス・マルティーニ、ロバート・カジンスキー、ロン・パールマン、芦田愛菜
声:杉田智和、林原めぐみ、玄田哲章、古谷徹、三ツ矢雄二、千葉繁、池田秀一、浪川大輔、ケンドーコバヤシ、芦田愛菜
原題:Pacific Rim
制作:アメリカ/2013
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/pacificrim/
場所:ユナイテッド・シネマとしまえん

公開初日からロボットオタクの方々のテンション高めのツイートがバンバン流れて来て、微に入り細に入ったマニアックな視点をいかに指摘できるのか選手権が激化して、もう行かずとも観た気分にさせられてしまった『パシフィック・リム』ですが、でも体験型映画鑑賞スタイルのIMAXにはツイートだけでは味わえない肌で感じる臨場感もあるし、巨大ロボットと怪獣の戦いならばいつもよりも重低音の度合いもことさらアップしているとおもわれるので、ここはしっかりと映画館に足を運んで、ロボットオタクの方々の言われるポイントをしっかりと確認して来ました。

なるほど、確かにギレルモ・デル・トロの日本の怪獣映画やロボットアニメへのリスペクトはひしひしと感じられるし、VFXも細かな部分にまで作り込まれていて、大味なドラマ部分の陳腐さが消し飛んでしまうほどにそれは補って余りあるものだった。このような映画に対してみんなが盛り上がっているところに、映画のクオリティをうんぬん云って水を差すのも野暮な気がして、ここはみんなと同じようにテンションを高めて、まるでアトラクションを楽しむようにIMAX3Dを単純に楽しめば良いような気がして来た。ただひとつだけ、大変申し訳ないのですがひとつだけ気になってしょうがなかった。これは最近のハリウッド系SFアクション映画に対して共通に言えることだけど、画面が暗い! 3D映画なのでさらに暗い! これじゃ動きの速いシーンでは何が起きているかさっぱりわからない。日本のロボットアニメでも怪獣映画でもウルトラマンシリーズでもみんな青空の下で闘っているじゃないか。そこも日本の特撮に習って欲しかった。

→ギレルモ・デル・トロ→チャーリー・ハナム→アメリカ/2013→ユナイテッド・シネマとしまえん→★★★☆

風立ちぬ

監督:宮崎駿
声:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎
制作:スタジオジブリ/2013
URL:http://kazetachinu.jp
場所:109シネマズ木場

宮崎駿のアニメーションのどこに魅力を感じるかと云えば、高低差を利用したダイナミックな戦闘シーンや躍動感あふれるモブシーンやヒロインの一途な無償の愛を真っ先におもい浮かべてしまうけど、今までの作品をすべて鳥瞰した場合に、そうだ、そんなメインの部分を盛り上げるべく存在している脇役に一番の魅力を感じているんだと云うことがわかって来る。例えば『未来少年コナン』ならモンスリーとか、『風の谷のナウシカ』ならクシャナやクロトワとか、『天空の城ラピュタ』ならドーラとか、『千と千尋の神隠し』なら湯婆婆とか、心根は優しいのに底意地が悪くてシニカルで自己中心的でねじくれて屈折したキャラクターが大好きなのだ。そしてそこに、宮崎駿本人のキャラクターを見ている。インタビューをすれば必ずと云って良いほどへそ曲がりな発言をするヒゲじじいをだ。つまり、そんな宮崎駿本人が好きで好きでたまらないと云うことか。うーん、どうなんだろう。このクソムシめ、と云いながら好きなのかもしれない。屈折してる。

この『風立ちぬ』にはそんな屈折した脇役がまったく登場しない。つまり宮崎駿がいない。宮崎駿の魂がない。だから、本来ならこんな映画を宮崎駿の映画とは認めることができないはずだ。でも、観るタイミングが悪すぎた。いや、良すぎたのか。この16日に一緒に青空文庫をやって来た富田さんが亡くなった後に観る映画としてはベストの映画だった。もしかすると『風立ちぬ』を観るタイミングをわざとここまで引っ張って来た確信犯だったのか。ラストで荒井由実の「ひこうき雲」が流れるところでは涙が止まらなかった。富田さんにも、このクソムシめ、とおもうことが山ほどあったのに。屈折している。

→宮崎駿→(声)庵野秀明→スタジオジブリ/2013→109シネマズ木場→★★★★

第七の封印

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー、グンナール・ビョルンストランド、ベント・エケロート、ニルス・ポッペ、ビビ・アンデショーン、グンネル・リンドブロム、ベティル・アンデルベルイ、オーケ・フリーデル、インガ・ジル、モード・ハンソン
原題:Det sjunde inseglet
制作:スウェーデン/1957
URL:http://www.bergman.jp/3/
場所:ユーロスペース

ベルイマンの映画は、おもに後期の夫婦や家族を扱った作品が大好きで、『叫びとささやき』、『ある結婚の風景』、『秋のソナタ』、『ファニーとアレクサンデル』あたりは生涯ベストに入ってくる映画だろうとおもう。でも、それ以前の映画は、キリスト教や北欧神話をベースにした死生観や倫理観を語る映画が多く、もともと難解なテーマを扱っている上に日本人には理解しにくい感覚が表現されていたりして、とてもその映画を楽しむと云うわけにはなかなかいかなかった。この『第七の封印』もとても難しい映画で、ストーリーを追いかけただけでは何のことなのかさっぱりわからない。ただ、この映画を見て一つだけはっきりと理解できたことは、人間にとって深刻になりがちな「死」とは、機械が歯車の動きを止めて静止するレベルのものでしかなくて、そこには神も介在しなければ、奇跡も存在しないし、死後の世界ももちろんあるわけないし、あるのはただ「無」だけだと云うことだった。もしそこに「希望」があるとすれば、それは単なる「偶然」にしかすぎなかった。ラストシーンの死のダンスを見ながら「偶然」に躍らされる我々の人生を見たような気がした。

→イングマール・ベルイマン→マックス・フォン・シドー→スウェーデン/1957→ユーロスペース→★★★

ペーパーボーイ 真夏の引力

監督:リー・ダニエルズ
出演:ザック・エフロン、マシュー・マコノヒー、デヴィッド・オイェロウォ、メイシー・グレイ、ニコール・キッドマン、ジョン・キューザック、スコット・グレン、ニコレット・ノエル、ネッド・ベラミー
原題:The Paperboy
制作:アメリカ/2012
URL:http://www.paperboy-movie.jp
場所:新宿武蔵野館

町山智浩のポッドキャストの中で、たしかロバート・エリス・ミラー監督の『愛すれど心さびしく』(原作はカーソン・マッカラーズの同名小説)を紹介するくだりだったとおもうけど「南部ゴシック」のことに触れていて、ウィリアム・フォークナーの小説「サンクチュアリ」がその「南部ゴシック」の代表作で、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』もこの小説が元になっているんじゃないかと云っていた。その「南部ゴシック」とは、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスのような、『ノーカントリー』(原作はコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』)で云えばシガーのような、我々の常識からは想像できないような異常な行動をとる人物が出てくるのが特徴で、とても凄惨なグロテスクな描写が盛り込まれている場合が多い。そして一般的に見える人々も、キリスト教的な戒律に支配されながらも、その教えとは相反するような男尊女卑や人種差別、アブノーマルな行動をとるような異常な世界が展開されて行く。

ピート・デクスターの原作によるこの『ペーパーボーイ 真夏の引力』も暴力とセックスにまみれた「南部ゴシック」だった。今まで、どちらかと云えば優男を演じることが多かったジョン・キューザックが、フロリダの湿地帯に住む異常な男を演じていて、湿気がむんむんとする中の目が飛んでしまっている演技がすごかった。そして、その異常な男に執心するはすっぱ女をニコール・キッドマンが演じていて、前作の『イノセント・ガーデン』で見せた役者バカっぷりがここでも爆発していて、二人の演技合戦だけでこの映画を成立させてしまっていた。なので、本来ならばこの映画のメインとなるべきザック・エフロンの南部の異常な世界での人間成長物語も、マシュー・マコノヒーの黒人好きでマゾでゲイの話しもまったくかすんでしまっていた。

この映画は黒人メイドの回想形式でストーリーが進んで行く。その黒人メイドをメイシー・グレイが演じていた。メイシー・グレイと云えばエリカ・バドゥとのコラボレーションシングル”Sweet Baby”あたりを良く聞いていたのだけれども、あまり顔をしっかりと確認したことがなかったので、この映画に女優として出いることにまったく気がつかなかった。演技もなかなか上手くて、ザック・エフロンとの掛け合いの間も良かったので、てっきり専業の女優の人だとおもってしまっていた。

→リー・ダニエルズ→ザック・エフロン→アメリカ/2012→新宿武蔵野館→★★★☆

モンスターズ・ユニバーシティ

監督:ダン・スキャンロン
声:田中裕二、石塚英彦、柳原可奈子、青山穣、一柳みる、嶋田翔平、宝亀克寿、東地宏樹
原題:Monsters University
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.disney.co.jp/monsters-university/home.html
場所:新宿ミラノ2

2001年のCGアニメーション映画『モンスターズ・インク』は、ピクサーが『トイ・ストーリー』で作り上げたスピード感あふれるフルCGアニメーションの世界を継承した映画で、フルCGならではのリアルな臨場感もあってとても面白かった。あれから12年も経って、その前日譚の『モンスターズ・ユニバーシティ』が公開された。その12年もの年月のあいだにフルCGアニメーションも珍しくなくなってしまったので、じゃあ、その続編でいったい何を見せてくるのかとおもったら、あんがい正攻法なドラマを持って来たので、まあ、拍子抜けしたと云うか、そつなくまとめていて面白いと云うか。最近のフルCGアニメーションはどれも同じような方式に従って構築しているような気がして、面白さが画一化しているところが面白くない。もうそろそろ、なんだこりゃ、とおもわせるようなフルCGアニメーションが見たい。

→ダン・スキャンロン→声:田中裕二→アメリカ/2013→新宿ミラノ2→★★★

さよなら渓谷

監督:大森立嗣
出演:真木よう子、大西信満、大森南朋、鈴木杏、鶴田真由、井浦新、新井浩文、木下ほうか、三浦誠己、薬袋いづみ、池内万作、木野花
制作:「さよなら渓谷」製作委員会/2013
URL:http://sayonarakeikoku.com
場所:新宿武蔵野館

最初のシーンから「秋田児童連続殺害事件」をイメージさせて、さらにそこへ大学の体育会系部員が引き起こしたレイプ事件の加害者と被害者のその後の悲惨な転落ストーリーをかぶせてきたので、加害者の贖罪や事件によって引き起こされた被害者への差別のことなどを描く社会派ドラマとしてこの映画を見始めてしまった。だから、加害者の被害者に対する一方的な贖罪の映画としてストーリーを追いかけていたのだけれども、そこで被害者が見せる「許し」の態度や、そこからさらに「愛情」へと発展させた態度が、本当にそう云った感情のもとに見せている態度なのか、それともそう見せておいて、実際には相手をまったく許していないと云う事実を突きつけることによって「復讐」を果たそうとしている態度なのか、そこがとても曖昧に描かれていた。おそらくこの部分は、一緒に暮らし始めることによって被害者は徐々に加害者を許しはじめ、愛情さえも持ちはじめたのだけれど、でもどうしてもそうすることの許せない自分が同時に存在していて、そこの葛藤を激しい感情で見せることなく、とても平面で起伏のない感情で見せることによって、かえって問題の根深さを表現させていたのではないかとおもう。そのような表現方法がうまくいっていたかは難しいところだけど。

一方で、加害者にとっても被害者からの単純な「許し」を得ることが必要なのではなくて、どちらかと云えば今まで被害者の受けて来た責め苦と同等のものを自分に返されることこそが真の「許し」であるので、自分のことを殺人幇助罪の犯人として陥れるような行為こそが求めていたものだったのに、被害者が自分に好意を持ち始めた感情の変化からか、それを撤回された状態はかえって「復讐」以外のなにものでもなくなってしまった。ここの微妙なバランスがこの映画の面白いところだった。つまり、相手にとっての「許し」が「復讐」になり、「復讐」が「許し」になってしまう。最後に被害者は加害者の元を去るが、これも愛情を持ちはじめたことに耐えられなくなった結果としての行為なんだろうけど、その結果、加害者にとって責め苦を受けられなくなった状態ほど辛いものはなく、おそらく今後も彼女を追い続けることを案じさせて映画が終わる。

原作を読みたくなってしまったが、吉田修一の作品は「悪人」を読んだ限りではあまり面白いとはおもえなかったんだよなあ。映画化作品としては『悪人』よりこっちのほうが断然面白かったけど。

→大森立嗣→真木よう子→「さよなら渓谷」製作委員会/2013→新宿武蔵野館→★★★☆

インポッシブル

監督:J・A・バヨナ
出演:ナオミ・ワッツ、ユアン・マクレガー、トム・ホランド、サミュエル・ジョスリン、オークリー・ペンダーガスト、ジェラルディン・チャップリン
原題:Lo Imposible
制作:スペイン/2012
URL:http://gacchi.jp/movies/impossible/
場所:新宿武蔵野館

津波に飲み込まれるシーンを自分なりに想像したときに、何となく、溺れて死ぬんだろうな、くらいの貧弱なイメージしかなかった。それを大きく変えたのがクリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』で、漂流物にぶつかって死ぬこともあり得ることをおもい知らされた。それも映画のCG技術が大きく進化したからこそ実感できるようになったことで、ひとむかし前の映画ならばここまでリアルに津波に飲み込まれるシーンを再現することはできなかっただろう。だから、ここまでリアルに映画で体験できてしまうのならば、たしかに震災後に『ヒア アフター』が上映中止になったのも理解できないことではなかった。これではまるで震災の追体験になってしまう。当時は、観に行こうとおもっていたのに突然中止になって憤慨したものだけれど。

津波の映像的体験はその『ヒア アフター』で充分すぎるほどなのに、この『インポッシブル』では遥かその上を行くものだった。津波に飲み込まれて壊滅したタイの海岸沿いのリゾート地を俯瞰から納めたショットも壮観だった。でも、このような災害シーンをCGを使ってリアルに表現すればするほど、ご都合主義のドラマ部分が浮いてしまって、例えばユアン・マクレガーがはぐれてしまった自分の子どもたちと再会するシーンの演出があまりにも「作られたもの」としてしか目に映らなくて残念な気持ちになってしまう。ドキュメンタリーじゃないんだから、このように無理矢理盛り上げるシーンが必要なことはわかってはいるんだけど。

この映画の中に、暗いシーンながらも皴の目立つ老婆が出てくるシーンがあった。もしかしてこの人はジェラルディン・チャップリンじゃないのか? とおもったらそうだった。ユアン・マクレガーと離ればなれになってしまった子どもたちが夜空の星々を眺めている時にふらりと隣に座ってきて、もしかするとあの星はすでに死んでいるのかもしれないのよ、と云うシーンだった。それを確かめる方法はあるの? と子どもが問いかけると、それは不可能(impossible)だわ、と云う。震災後の家族の安否を確かめる方法はないのかもしれないけれど、今もって光り続けている可能性があることを暗示させた素敵なシーンだった。これも、もちろん、作られたシーンではあるんだけど…。

ジェラルディン・チャップリン

→J・A・バヨナ→ナオミ・ワッツ→スペイン/2012→新宿武蔵野館→★★★☆

コックファイター

監督:モンテ・ヘルマン
出演:ウォーレン・オーツ、ハリー・ディーン・スタントン、ローリー・バード、トロイ・ドナヒュー、リチャード・B・シャル、エド・ベグリー・Jr.、パトリシア・ピアシー、ミリー・パーキンス、スティーブ・レイルズバック
原題:Cockfighter
制作:アメリカ/1974
URL:http://www.cock-f.com
場所:新橋文化劇場

モンテ・ヘルマンと云う監督をこれまであまり注目してこなかったけど、このあいだWOWOWで『果てなき路』が放映された時に、この映画が彼の21年ぶりの長編映画であると云うことを知って、そんなのがいつの間にかに公開されていたのかと驚いて、久しぶりにモンテ・ヘルマンの名前を意識するようになったとたんに『コックファイター』がニュープリントで上映されることをTwitterで知って、じゃあ観てみようかとものすごく久しぶりに新橋文化劇場に足を運んだ。

70年代のアメリカ映画は、もう見るからにして70年代の映画で、どう云った経緯でこのような空気感が当時のフィルムに焼き付けられるようになったのかはよくわからないけれど、どの映画も驚くほど似たような雰囲気を持っている。この『コックファイター』もファーストシーンからして70年代が全開で、ウォーレン・オーツが主役であることも、その主人公がストイックなまでに自分を罰している執拗さにおいても、そして粋なラストシーンにいたるまですべてが70年代だった。ストーリーに大きな起伏があるわけでもなくて、突出した絵作り(でも、撮影はネストール・アルメンドロスで、闘鶏シーンは美しい!)をしているわけでもないので、この映画が多くの人の心に残ることはないだろうけれど、ああ、70年代の映画はやっぱり良かったなあとおもわせるものだった。

→モンテ・ヘルマン→ウォーレン・オーツ→アメリカ/1974→新橋文化劇場→★★★